第9話 スミレの贈り主
ネリーのメイド用制服を借りて、菫色の髪の毛をカツラで隠し、使用人のふりをして屋敷のお掃除をする一人の女。
(ふふ……誰も私がリゼットだなんて気付いてないわね)
なぜ私がこんなことをしているか。それは……使用人が少なすぎて、屋敷が汚いから!
何も使用人を増やして私のお世話をしてほしいわけじゃない。むしろ私は今まで使用人側の立場で生活していたのだから、着替えを手伝ってもらうのすら抵抗があるくらいだ。
でも、お屋敷の掃除はちゃんとしよう?
ここは仮にも、リカルド・シャゼル辺境伯のお屋敷。場合によっては国王陛下が視察などで訪れるかもしれない大切な場所だ。しかも旦那様のお母様は、現王妃様の実の妹という間柄。言うなれば、国王陛下とも親戚なのだ。大切なお客様を埃だらけの状態でお迎えするなど、あってはならないと思う。
とはいえ、使用人の皆さんはどうやら私のことを恐れて使用人フロアから出て来ないようなので、これは私が変装でもして掃除するしかないわよね……って言う考えに行き着いたというわけ。
厨房でお食事準備のお手伝いをしようと思っていたのだけど、使用人の皆様を怖がらせるわけにはいかないから。お屋敷のお掃除なら、誰にも会わずに一人でできる。私は暇を持て余さなくて済むし、屋敷は綺麗になって一石二鳥だ。
というわけで人目につかない早朝を中心に、まずは廊下にある台や絵画の額の上、窓枠などの埃を落としている。お掃除は高いところから始めるのがいいって言うじゃない?
ただ一つ問題は、私がまた道に迷ってしまったということだ。
執務室の近くを掃除していれば、バッタリ旦那様と遭遇しないかしらなんて思っていたのに、どうやら全く違う場所に出てしまったらしい。窓枠の掃除をしながら外を見ると、ほら。見たこともない庭園が広がっている。
ここロンベルクにも春が近づいて少しずつ花が咲き始め、窓からの景色もモノトーンからカラフルへ。
そうだ、あの庭園でお花を育てて、お料理にのせるっていうのはどうかしら。エディブルフラワーという、所謂『食用のお花』というのがあって、おばあちゃんの食堂でお手伝いをしていた時にお皿にのせて一緒にお出ししていたことがある。全てのお料理にのせるのは難しいから、その日お誕生日のお客様など特別な人だけに。
ここロンベルクではとても短い春だもの。楽しまなくちゃ。
(あれ……)
ふと庭園の端の方に目をやると、誰かがしゃがみこんで下を向いている。あの亜麻色の髪は……
「旦那様?」
間違いない、あれは旦那様だ。何をしているのだろう。窓からずっと見ていると、しばらくして彼はスッと立ち上がった。体調を崩したわけではなさそうだと思ってホッと胸をなでおろす。
そのまま屋敷の中に戻ろうとする旦那様の手には……スミレの花が数本握られていた。
(……もしかして、毎朝スミレを摘んで贈って下さってるのは、旦那様なの?)
結婚式の翌朝から、毎朝私の部屋の鏡の横にスミレが飾られている。使用人が私の部屋まで持ってきて、ネリーに渡して逃げるというのが毎朝のルーティーンのようだけど、あのスミレは旦那様がプレゼントしてくれたものなのだろうか?
女好きだと悪評高い旦那様のことだから、恋人さんたちみんなにプレゼントしているとも考えられるけど、それならもっとたくさん摘むはずだ。でも、彼の手に握られていたのは、私の部屋にいつも飾られているのと同じくらいの小さな花束だった。
「私の事は愛するつもりがないと仰ったのに……」
まだひんやりした空気が漂う早朝の廊下で、私の心の中だけがほんのり温かくなったような気がした。
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