第3話 嘘つき男たちの対照的な恋愛観
ジゼルの白い羽根はウサギの耳みたいに内側がほんのり赤みを帯びていた。ペタンと背に収めると一見普通の猫にしか見えない。
「飛べるの?」
「飛べるようだけど、まだ上手くできない」
ジゼルはちょっと悔しそうだ。男の子の声だから、あたしは思わず頭をなでてしまう。真っ白な羽の生えた悪魔なんて見たことはないけど、本当に悪魔なんだろうか。
「あたし、悪魔って真っ黒で角が生えて、もっとゴツい感じかと思ってたんだけど」
「あっちの世界の悪魔はあっちの世界の宗教と絡んでるから」
「こっちの世界の悪魔は何と絡んでるの?」
「存在が悪なら悪魔だ。分かりやすいだろう? 存在が善であれば聖魔。姿形は関係ない。魔力をもう少し増やせば、ぼくももっと自由に姿を変えられるし人間の姿にもなれる。まあ、タチの悪い悪魔ほど善良そうな姿をしていたりするものさ」
「ジゼルはタチが悪いの?」
「さあ、どうかな」
あたしを
「ねえ、あたしが召喚の巻き添えになって死んだのって、ジゼルが企んだわけじゃないよね」
ジゼルは目をまんまるにして、呆れたようにハァとため息をついた。
「他人を計画的にトラックの前に飛び出させようとして成功する確率はどれくらいだ? 野良猫一匹のために命を差し出すのは全人類の何%? 主を巻き込むつもりだったらもっと確実なやり方をしてる」
「……そうデスね」
「そうですね、じゃなくて。
「おかしなことって? 羽が生えたのはそのせい?」
「羽は血の量が多かったからで、善悪とは関係ない。もっと根本的なことだ」
あたしが首をかしげてもジゼルは満足げに目を細めただけで、具体的には教えてくれそうになかった。
「まあ、追々説明する」
そう言うと、ジゼルは屋根裏部屋の小窓を開けてベッドの上に飛び降りた。そして「あ、そうだ」と、ブツブツ何か唱えはじめる。中空に光の文字が円を描いて浮かび上がり、ジゼルはそれを尻尾で弾いて窓にぶつけた。光がパアっと拡散して消える。
「主、窓閉めれるか?」
屋根の上にいたあたしは、言われた通り窓に触れてみた。そこにはちゃんとガラスの感触があり、外開きの窓をそっと押すとキィと音をたてて閉まる。すり抜けて中に入ろうとすると魔力に弾かれ、あたしはまた窓を開けた。
「入れなくなったよ」
「魔力を付与した。壁を抜けて入ってくればいい」
なるほど、と、あたしは窓を閉め直して壁をすり抜け屋根裏部屋に入った。
ノードとユーリックとのやりとりが気になったけれど、ユーリックにあたしの姿が見えることは確定したのだから下手にウロチョロしない方がよさそうだ。
「主。もしかしたら、ノードはいずれこの魔塔の至る所に魔力を付与するかもしれないぞ。主が好き勝手出入りできないように。もしくは実験のために閉じ込めるかも」
げっ、と思わず口からもれた。推しキャラに監禁されるの?
(……ありかも♡)
言われてみれば今のあたしはどこでものぞき放題、忍び込み放題。見られる方からしたら機密もプライバシーもあったもんじゃない。
たとえノードが魔塔の全ての物質に魔力付与して通り抜けできなくなったとして、ある意味それは生身の人間の感覚を取り戻すだけだ。でも、閉じ込められるのはやっぱり嫌。
「ぼくがいればある程度の魔法は解除できるけど、警戒するに越したことはない。ぼくがどれだけがんばっても、ノードが本気を出したら手も足もでない。彼にはぼくを消滅させることなんて朝飯前だからな」
「わかった。気を付ける。今はまだ警戒されてないみたいだけどね」
どうかな、とジゼルは皮肉っぽい笑みを浮かべた。
ノードの寝顔がのぞき見できなくなるのは嫌だなと思いながら、あたしは寝室の床にある四角い穴を覗き込んだ。階下から古びた梯子がかかっていて、寝室への出入り用のようだけれど、おそらくノードは梯子など使わずゲートで移動するだろう。
階下の部屋は書斎なのか、梯子の周りも、その横にある机も、椅子の上まで本が山積みになっていた。カウチソファーの周辺だけ人が過ごせる程度に片付いていて、そのすぐそばに扉がある。ドアノブも取手もないから、魔法で開閉するのかもしれない。
梯子を足置きにして床に座り、少し考える。あたしのそばに来たジゼルはそのまま下の階に降りてしまうかと思ったけれど、予想に反して足を止めて慎重に様子をうかがっていた。
「降りてみる?」
あたしが口にしたとき、ジゼルはパッとその場を離れてあたしの背後に回った。カウチソファーの前に青と黒の光が渦を巻き、ゲートが開こうとしている。
「ノード以外のやつには、ぼくとの契約のことは言うな」
ジゼルは言うが早いかサッと身を翻して天井の小窓から外に出て行った。おそらく屋根の上にいるのだろう。血の契約とやらのおかげなのか、なんとなく肌でジゼルとの距離感がわかる。
あたしも隠れたほうがいいような気がして、梯子にかけていた足を引っ込め死角に入るよう身を隠した。ゲートから現れたのはやはりノード一人ではなさそうだ。
「ここに来るのはいつ以来だったか。相変わらず酷い部屋だな」
「あるべき場所にあるべき本を置いていたらこうなるんです。世の中とはそういうものでしょう? いずれすべてが混沌に還る」
「屁理屈だ」と、笑うのはさっきもこの耳で聞いた皇太子ユーリックの声に違いなかった。ノードとユーリックは互いのことをよく思っていないはずなのに、話し声だけだと仲良さそうに聞こえる。
三百年生きてた魔術師と、幼いころから暗殺の対象とされリアルサバイバルゲームの中で生きてきた皇太子。腹の探り合いは日常茶飯事なのかもしれない。想像するだけで胃がキリキリ痛む。
……そういえば、ずっと何も食べてないのにお腹が全然すかないな。
「で?」
ひやかすようなユーリックの声がした。
「まったく、男女のことを知り尽くしている殿下にしては無粋ですね」
ノードはクスクス笑い、「サラ」とあたしの名前を呼んだ。まるで恋人に向けるような親しげな声だったけれど、あたしは思わずビクッと肩をすくめた。警戒しろとジゼルに言われたばかりだし。
「サラ、そこにいるんだろう?」
おそるおそる顔を出すと、先にユーリックと目が合った。彼は心底驚いたのか目を見開いただけでなく口もポカンと開けて絶句している。ノードはその様子を楽しげにながめていた。
「サラ、紹介したい人がいるんだけど、この梯子は腐ってるからそこで待ってて。わたしが連れて降りてあげよう」
つまり、皇太子の前で飛んで降りるようなことはするなと。
コクリとうなずくと、ノードは自分で「腐ってる」と言った梯子に足を掛けてヒョイヒョイと寝室まであがって来た。梯子に積もった埃はそのままで足跡もついていないから魔術を使ったのかもしれない。
「彼に会ったようですね?」
立ち上がったあたしに、ノードはボソリと耳元で囁いた。笑顔と口調のギャップが激しすぎて、「タチが悪い」というジゼルの声が頭に蘇る。
「サラさん、わたしに話を合わせてください。いや、むしろサラさんの話にわたしが合わせてるんです。彼には娼館から逃げて来た娼婦を一晩ここに泊めたということにしてます」
縁に紺の糸で刺繍の施された白いローブをあたしの肩にかけ、ノードは自らの手で銀色のボタンを留めていく。あたしが着られるのはローブに魔力が込められているから。
「警戒しないで。大丈夫だとは思いますが、サラさんの冷気がなるべく漏れないようにするだけです。彼には触れないように。もし触られたら冷え性とかなんとか誤魔化して下さい」
まだか? と階下から苛ついた声がした。
「彼女は着の身着のままで逃げてきて、まともな服もないんだから仕方ないでしょう。下着のまま降りた方が良かったですか」
笑いを含んだ声でノードが返すと、ユーリックはチッと舌打ちしたようだった。
「では」とノードはあたしの腰に手を回し、梯子を使うことなくふわりとユーリックの目の前に飛び降りた。推しによる突然のファンサービスに心の中で歓喜する。
「こちらが先ほど説明したサラです。殿下が林でお会いになった女性で間違いありませんか?」
ノードはわざと冷やかすような言い方をし、ユーリックは不機嫌さを隠すこともなく「ああ」とうなずいた。けれど、あたしを観察するその瞳から疑惑の色が消え去ったわけではなさそうだ。
「サラ、こちらはグブリア帝国の皇太子、ユーリック殿下です。朝っぱらからこんな格好で魔塔に押しかけてくる気さくな方なので緊張しなくていいですよ」
たしかに腰に剣は差しているけれど、その剣がなければ市場で野菜を売っていても違和感なさそうな身なりをしている。腰のところを紐で結んだチュニックは麻のような質感で、ズボンとブーツは林を歩いたせいかところどころ泥で汚れていた。
「サラです。今朝はすいませんでした」
「なぜ謝る?」
詰問口調で正体不明のあたしの身ぐるみを剥がそうとしている。
「はしたない姿だったので、逃げるように立ち去ってしまって……」
「娼館から逃げて来たというのは本当か? どこの娼館だ」
それは、とノードが口をはさもうとするのをユーリックは片手をあげて制止した。ノードの目がどうにかしろと訴えていて、あたしは頭をフル回転させる。
「あの、……あたしは孤児で、幼いころから農家に下働きとして住まわせてもらってたんですけど、ある日男たちがやって来て馬車に押し込められました。お金のために売られたんです。男たちの会話から娼婦として売られると分かったので隙を見て逃げました。あとはどこをどう走ったのか覚えてません」
これまで読んだ異世界小説を総動員し、あたしは嘘をでっちあげた。隣で聞いていたノードは真顔になり、「そうだったのか」とあたしに合わせて演技する。
「林の外れでぐったりしたサラを見つけたとき、本当に驚いたんです。サラはミラニアにそっくりだったので。それで、柄にもなくこうして寝室まで連れ帰ってしまいました」
「ミラニアに?」
ユーリックは興味をそそられたようだった。あたしを見る目が疑惑から好奇に変わる。
ミラニアと言えば、かつてノードの恋人だった魔術師。二百年ほど前に死んだ人。
「ノードが一途にミラニアを想い続けているというのは市井でも広く知られている話だが」
「こうやって白いローブをはおると本当に彼女が生き返ったようです」
嘘か本当かノードはまるで恋人に向けるように優しく微笑み、推しの破壊力抜群キラキラ笑顔であたしの警戒心はガラガラと音をたてて崩れていく。
幽霊の身で今さら警戒する必要ある?
どうせ一度死んだんだから、消滅するまでいかに推しを推し続けられるか、それが大事!
警戒してノードの顔も拝めない、声も聞けないなんてことになったら幽霊になった意味がない!
「こうしてみると、魔塔主殿にも
年下のくせに、ユーリックは頭の弱い女とでも言いたそうな目つきであたしを見て、唇の片側をあげた。厭味ったらしいったらありゃしない。だいたい、
という心の叫びは、ノードが代わりに口にする。
「殿下にそんなふうにおっしゃっていただけるとは、ある意味光栄です」
「ノード、そのバカにしたような言い草はやめてくれるか?」
「もう少し節度をわきまえられた方がよろしいかと。殿下と女性の噂はどこへ行っても尽きることがありません」
「跡継ぎを残すのも皇族としての使命だろう?」
「せめてお相手は皇太子妃の方々にされたほうがよろしいかと。五人もいらっしゃるわけですし。興味本位で身分の低い者に手を出しても面倒ごとが増えるだけです」
「誰のことを言っている」ユーリックの声が怒気をはらんだ。
「一般論です。他意はありません。お気に触ったようでしたら謝罪いたします」
空気がピリつき、ノードは恭しく頭を下げた。
ノードが口にした「身分の低い者に手を出して孕ませた」のは、現皇帝カインのことを言ったのだろう。そして生まれたのがナリッサ。
本当はカインじゃなくてカインの補佐官がナリッサの父親なんだけど。
「言っておくが皇太子妃は五人でなく四人。だが、貴族の女はわたしには合わない。平民と関わっているのは情報収集のためだ。貴族女を相手するよりよっぽど気楽だ」
「合わないのは貴族の女だけではないでしょう?」
「ああ、貴族の男もだ」
ユーリックはうんざりするように深くため息をつくと、「魔塔主殿は自由でよいな」とポツリと口にした。今日の発言のなかでも、確信をもって本音だと判断できる声だった。一方、ノードは「自由ですか」と苦笑を浮かべる。
「魔塔は皇家の許可がなければ何もできません。現皇帝の治世になってずいぶん良くなりましたが、自由とはほど遠いですよ」
沈黙が落ちかけたとき、リーンゴーンと鐘楼の音が聞こえてきた。ユーリックは「そろそろ戻らねば」と取り出した懐中時計を確認する。
「邪魔をした。サラは今後外出するときは服装に気をつけた方がいい。ドレスくらい魔塔主殿にとっては安いものなのだから、好きなだけ買ってもらえ」
「わかりました」答えたのはあたしではなくノードだった。
ドレスなんて買っても着れないし、魔力付与して身に着けても服だけ歩いているように見えるだけで怪奇現象にしかならない。
「殿下、皇宮までゲートでお送りしましょうか」
「いや、ランドを外で待たせている」
ランドと聞いて、シベリアンハスキーの正体に思い当たった。あれはユーリックに仕える獣人だ。
ユーリックが扉を押すと廊下側に向かって開いた。もしかして、魔法なんか必要ない普通のスイングドアなのかもしれない。ブーツの足音が遠ざかるとノードが扉に手をかざして光が散る。
「鍵かけたの?」
「廊下側からドアが見えないようにしただけです」
「ところで、どうして言葉遣いが丁寧なの? 昨夜はため口だったのに」
「酔ってただけですよ」と、彼は面倒くさそうにソファに寝そべった。目を閉じ、放っておいたらこのまま二度寝するのかもしれない。魔塔主ってそんなに暇なのだろうか。毎日寝落ちって言ってたのに。
「狐と狸の化かし合いみたいでしたね」
あたしが言うと、片目だけでチラリとこっちを見る。
「サラさん。ユーリックに姿を見られたのは軽率でしたよ。あなたの存在は特殊です」
「あたしはただの幽霊です。この世界に幽霊はいないんですか?」
「本来、幽霊には実体がなく、魔力があろうがオーラがあろうが触れることはできません。血の契約の影響かもしれませんが、とにかくサラさんの状態は前代未聞なんです。ユーリックに知れたら黒魔術を疑われるのは確実でしょう。死者に干渉しているわけですから。そうなるとわたしもただでは済まない」
「なら、あたしを消せばいいのに。ピアスを壊して」
思いもよらない言葉だったのか、ノードは絶句したままあたしを凝視した。
「あたしに似てるというミラニアさんは恋人ですか?」
「あれは嘘です。ミラニアとあなたは似ても似つかない」
「皇太子殿下も魔塔主様も嘘が好きですね」
あたしの言葉にノードはニヤッと笑い、カウチソファーに寝そべったまま、腕で光を遮って二度寝を決め込んだようだった。あたしが傍にしゃがむと、彼の手があたしを探して宙をさまよい、頭をなでる。
チャンスがあったらミラニアの写真を探してみよっと。
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