第44話 王とドラゴン⑥

 近衛兵を引き連れて廊下を歩いていたら、いきなり目に映る景色が変わった。廊下から庭へ、屋内から外へ。


「は…?」


 訳が分からず周りを見渡すと、アンジェやメイドたちが、片膝を地面に付き、腕を胸の前でクロスさせ、最敬礼をしている。いったい何が…?


 アンジェやメイドたちの視線の先にそれは居た。いや、いらっしゃった。見た目は銀の髪をした人間離れした美しい少女。だが、その体からは、素養の無い私にも分かるほど神気が溢れていた。その姿を一目見た瞬間に分かった。いや、分からされた。生物の格の違いなんて生ぬるいものじゃない。あぁ…このお方こそ神なのだと。気が付くと、私は跪き、頭を垂れていた。


「ランベルト。わたくしの息子、ルシウスの饗応役、大儀でした。ルシウスは、この国が気に入ったようです。国をルシウスに献上することを許します」


 ルシウスというのは、ドラゴンの子どもルーのことだろう。ルーの親がまさか神だとは……。ルー、いや、ルシウス様は、この国を気に入っていただけたようだ。それは嬉しい。知恵を絞って歓待した甲斐があった。だが、国を献上とはどういうことだ?


 国を献上した後、どうなるのだ?支配体制は?民の扱いは?分からないことだらけだ。


 私は国を献上することのメリット、デメリットを考えようとして止めた。


「……はっ!身に余る光栄です。このブリオスタ王国をルシウス様に献上致します」


 神の言葉を断ることなどできない。私にできるのはただ賛同することだけだ。私は諦めの境地にも似た心境で自ら国を献上した。


 この国がいかなる道を進むことになるのかは分からない。だが、王であった者の責任として、与えられる中での最善を選びたいと思う。


「良かったですね、ルー。これでこの国はルシウスのものですよ」

「クァ…」


 ドラゴンの赤子に、国の全てが託されてしまった。正直、不安しかない。


「畏れながら……」


 神に意見するなど、烏滸がましいにも程がある。そんなことは分かっている。自分が身の程知らずなマネをしていることは…。しかし、国を預かる者だった責務から、私は口を開くのだった。



 ◇



「畏れながら……」


 目の前で畏まるランベルトが、震えた声を上げる。何か言いたいことがあるらしい。しかし、続きを待ってもランベルトはなにも言わない。相変わらず畏まったままだ。


 たしか人間の文化では、下の者が目上の者に声を掛けること自体が不敬であったり、両者の身分が離れすぎていると、直接会話することさえ不敬となるのだったかしら。面倒なだけの文化ですが、ランベルトがわたくしたちに敬意を払っていることは分かりました。


「直答を許します」

「はっ。ありがとうございます」


 わたくしが許可を出すと、ランベルトが喋り出しました。


「畏れながら、ルシウス様にお尋ねしたき議がございます。ルシウス様はこの国をいかにお導きになるのでしょうか?」


 純粋に国の行く末を心配しているのでしょうか?それとも自身が権力の座から降ろされることを心配しているのでしょうか?ランベルトからは国の未来について尋ねられました。


「ルー、どうしますか?自ら政を行いますか?」


 ルシウスにはまだ早い気もしますが、責任感を育てる教材として、国を治めることは、とても良い勉強になる気がします。


「クァッ!?」


 ルシウスは、ブンブンと慌てたように首を横に振ります。そうですね。政治はまだ早いかもしれません。


「そのような些事はランベルト、貴方に任せます。良きに計らいなさい」

「はっ。ご信任ありがたき幸せ」


 ランベルトが深々と頭を下げます。ランベルトならば国王ですし、勝手が分かっているでしょう。


「早速で申し訳ありませんが、ご相談したき議が……」

「なんでしょう?」


 わたくしは早くルシウスと話したいのですが……。ランベルトが額に汗を浮かべて恐縮しながら話を切り出しました。



 ◇



「現在この国は、東の隣国アブドルヴァリエフ王国との戦争を晩秋に控えております。残念ながら国力の差激しく、このままでは敗北することは必定。我が身の菲才を呪うばかりです。畏れ多い、真に畏れ多いことではありますが、お力を振るっていただくことは叶いますでしょうか?」


 私は、無能と判断され、国王の座から解任されることも承知で、文字通り神に縋った。そのぐらいアブドルヴァリエフ王国との戦力差に開きがあるのだ。このままでは、敗北してしまう。


 しかし、この国は今やルシウス様の国となった。ルシウス様の国に敗北は許されるのだろうか?


 神の子どもが治める国に敗北など許されないだろう。


 敗北は許されず、しかし、勝てる力もない。この板挟みのような状況に、私にはもう神に縋る他無いのだ。


 神が息子の治める国の敗北を望まないとしたら、お力添えいただくことも可能かもしれない。その可能性に懸けるしかない。


「ああ。その問題もありましたね」

「クー?」


 神は我が国の置かれている状況をご存知のようだ。


「これでしょうか……」


 そう言って神が手を振ると、私の隣に突如として男が現れた。男はイスに座っていたのか、何かに腰掛けるようなポーズのまま現れ、その体が後ろへと倒れていく。


「ん?ちょわ!?」


 男が後ろに転び、変な声を上げる。この男は誰だろう?


「な、なんだ!?ここは!?」


 私と同じように、いきなり召喚されたのだろう。男は酷く慌てていた。


 男は、よく見ると大層立派な衣装を身に着けていた。高位の貴族、または王族を連想させるほど立派な装いだ。王族?いや、まさかそんな……。私は自分の考えを否定しようとするが、否定しきれない。目の前の存在は神だ。できないことなど無いのだろう。


「貴方がアブドルヴァリエフ王国の国王ですね?」


 神の言葉に、私は驚きと共に納得してしまった。ああ…やはり……。私の横に居る男は、アブドルヴァリエフ王国の王らしい。


 王ともなれば、当然、魔術や魔法の攻撃や誘拐などに警戒をしているはずなのだが……神にとってはそんなものは意味を持たないらしい。私もアブドルヴァリエフ王も、いとも簡単に召喚されてしまった。


 アブドルヴァリエフ王は、神を視界に収めると、驚きのあまり、その目をカッと開いて固まってしまった。


「答えなさい」

「はっ!?ははーっ!」


 不機嫌そうな神の言葉に、アブドルヴァリエフ王が弾かれたように跪き、地面に頭を擦り付ける。アブドルヴァリエフ王も、神がその身に纏う神気に気が付いたのだろう。


「ブリオスタ王国は、わたくしの息子ルシウスの国となりました。戦争は控えなさい。これからは便宜を図るように。話は以上です」

「……ははーっ!」


 アブドルヴァリエフ王は、一瞬逡巡するような様子を見せたが、即座に神の下知へと従う姿勢を見せた。ブリオスタ王国を併呑するために動いていたアブドルヴァリエフ王国には、受け入れがたい話のはずだが……神に逆らえるわけもない。それこそ神の逆鱗に触れて滅ぼされた古のアルターヤ帝国の二の舞いになりかねない。


「ランベルト、これで問題はありませんね?」

「はっ!」


 私は深く頭を下げて答える。戦争で敵を一掃して勝利をもたらしていただけるのかと思ったが……まさか、敵国の王を誘拐して戦争そのものをなくしてしまうとは……。為されることが予想の斜め上すぎて、驚きの連続だ。


「話は以上です。下がりなさい」

「はっ!」

「ははーっ!」


 アブドルヴァリエフ王と一緒に頭を下げる。まさかこんなことになるとは……夢にも思わなかったな。



 ◇



 神を御前を下がると、すぐに近衛の者がやって来た。どうやら、突然、皆の目の前から消えたので、王宮では騒ぎになっているらしい。いきなり国王が消えれば騒ぎにもなるか。国王といえば……。


 私は隣に居るアブドルヴァリエフ王を見る。


 アブドルヴァリエフ王は、遠い目をしながら呆然としていた。


「ここはどこなのだ……。朕は、どうしたら……」


 そう小さな声で呟くアブドルヴァリエフ王の姿は哀愁を誘った。


 突然、見知らぬ土地に誘拐されたアブドルヴァリエフ王の心情は、察するに余りある。しかも、ここは宣戦布告をした敵国であるといっていい。そんな敵国に一国の王が単身誘拐されている……。


 この状況、どう活用するのが一番旨味があるだろうか?


 今のアブドルヴァリエフ王はまな板の上の鯉だ。煮るなり焼くなり好きにできる。それこそ、アブドルヴァリエフ王を人質に取って無茶な要求を呑ませることも可能だろう。敢えて何も要求せずに、恩を売ることもできる。


 何でもできるというのは、逆に悩ましいのだな。そんなことを思いながら、私はアブドルヴァリエフ王に声を掛けるのだった。

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