手紙


 紗椰は一型糖尿病と診断されからすぐに入院することになった。幼い紗椰は自分がどんな病気になったのかを理解できず、入院する意味も分からず、ずっと泣き続けていた。父も母もいない病院に、一人ぼっちになった。


 紗椰には弟が二人いる。自分よりもさらに小さい子供を育てるのは大変な筈だが、それでも紗椰の母は時間を作って、頻繁に見舞いに来てくれた。紗椰の父も仕事が休みの日には必ず会いに来てくれたが、多忙のために休日が少なく、なかなか見舞いに来られなかった。紗椰は父に会えない日が続き、寂しい思いをした。

 紗椰の父は、寂しがる紗椰のために手紙を書いた。紗椰の母がその手紙を病室まで持ってきて、紗椰に渡した。六歳の紗椰にも分かるように、大きなひらがなで書かれた手紙。その手紙を読むと、紗椰はまた泣いてしまうのだった。




 ──お父さんに会いたい。




 紗椰の父からの手紙は、家に帰りたいという気持ちを強くし過ぎてまった。そんな紗椰を見て、紗椰の母は「手紙はもう読まなくていいよ」と言って、ベッドのそばにあった机の引き出しの中に手紙を仕舞った。そして「お父さんには、紗椰が読んだと伝えておくね」と言った。

 紗椰の母が帰ってまた寂しくなり引き出しの中の手紙に縋ろうとしたが、また家に帰りたいという気持ちが出てきそうで、その日は手紙を読まなかった。


 入院して数日後、紗椰は看護師から血糖値を測る方法とインスリン注射の仕方を教えてもらった。紗椰は針を刺すのを怖がったが、これを覚えないとずっと家に帰れないと看護師に言われた。紗椰は針を刺すのは嫌だったが、家に帰れないのはもっと嫌だったから、看護師の言う事を必死に覚えた。ただし、この注射に関しては退院後もしばらくは紗椰の両親が行った。六歳の紗椰がそれを一人で行うのは危険だからである。

 栄養士からは、食べ物にはどんな栄養があるのかを教わった。血糖値が上がりやすい食べ物を把握しないと、インスリンの調整を自分でできないからだ。血糖値の管理方法を幼いながらに必死に覚えた頃に、紗椰は退院した。紗椰の父が書いてくれた手紙は、結局最後まで病室の引き出しに入れたままだった。





 紗椰は彰と入籍し、ハワイで挙式をあげた。二人だけで挙式をあげたのは、経済的に家族や友人を招待して披露宴などはできないという理由だった。しかしそれは二人にとっての理由で、紗椰個人にはもう一つ理由があった。披露宴は、花嫁から両親への手紙を読むというお決まりのパターンがある。紗椰にはそれがどうしてもできなかった。「手紙」というと、幼かったあの日、病室の引き出しに入れたまま読まなかった父からの手紙をどうしても思い出してしまうからだ。

 病室で一人ぼっちだった記憶は、今でも時々夢に出るくらいに、紗椰の心の奥底に寂しさを滲ませている。






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