1-11 羊と猫と医者と猫
自分でも薄情な事だと気付いてはいたが―――
私は、自分の母親の顔をもうしっかりとは思い出せなくなっていた。
思えば、子供の頃から色々なものに興味を示しては好き勝手に動き回っていた自分だったが、肝心の「人」に対する興味関心についてはあまり深くなかったような気がする。
―――レリアと話しているうちにまたくらくらと目を回してしまった私は、再び彼女が目を覚ましたソファの上に戻って、ぐったりと横になったまま考え事をしていた。
彼女が―――母が、とても優しい人だったのは覚えている。そして、それと同じくらいに厳しい人であったことも。
今になって当時を思い返すと、きっとあの人は焦っていたのだろうと気が付く。
母は、自分がいつか家から居なくなってしまうことを分かっていたから。
私がひとり家に残されたとしても生きていけるように、魔法も、料理も、裁縫も、そして何者かに傷つけられそうになった時の身の守り方も、その伝えられるすべてを叩き込まれた。
何かできないことがあって私が泣きべそをかいていても、母は決して「出来なくてもいい」とは言わなかった。
なんて非情なんだろう、と当時の私は思っていた。
アゼリアの街の人達が羨ましくて、何度も家を勝手に抜け出しては街に行こうと企てて、母に見つかってお説教をされた。
一度、耐えられなくなって、泣きながらもう嫌だと訴えかけたことがあった。
その時の母の―――お母さんの顔がとても辛そうで。
もう顔なんて思い出せない筈なのに、その時に彼女がどういう表情をしていたかだけは、今も尚脳裏に焼き付いていた。
アゼリアの街の人は、ずっと優しかった。
でも、お母さんはいつも「あの人たちと話しては駄目」と私を彼らから遠ざけた。
私がもう少し人に対して警戒心の強い性格をしていたら、そこまで厳しく制限はされていなかったかもしれない。
ただ、私は人との距離の測り方があまり上手ではなかったから、母としては気が気でなかったのだと思う。
ついうっかり帽子を落としてしまったら。
つい間違って魔法を使ってしまったら。
きっと街の人達は目の色を変えて、私たちを街から追い出そうとするに違いないと。
実際にアゼリアの人達がそういう人たちだとは思わない。
ただ、母はきっと他のどこかで、魔女がそうやって虐げられていた光景を見たのかもしれないと思うと、その『魔女でない人間』を見る眼を否定することは出来なかった。
そうやって過ごしていく日々の中で、私は突然、家から少し離れたところで影の獣に襲われた。
また一人でこっそりと、アゼリアの街に行こうとしていた時だった。
それを見たのは生まれて初めてで、危険なものだともよくわかっていなくて。
ただ、触れてはいけないものだとは分かったから、熊から離れるように、じりじりと後ろに引き下がって距離を取ろうとした。
影の獣は動かなかったから、きっと距離を取ったらもう大丈夫、と思って背を向けた瞬間に。
私の足は地面から離れて、気がついたら影の獣の姿は目の前にあった。
そこからしばらくの間、何があったかははっきりとは覚えていない。
ただ、気がついたら母が私のことを抱きかかえていて、獣に向かってずっと叫ぶように呪文を唱えていた。
影の獣は別段傷ついた様子ではなかったのに、母のその余りの必死さに怖気づいたのか、のそのそとその場を去って行ったのは今も覚えている。
その後しばらく、茫然とする私を母は縋るように抱きかかえて泣いていた。
私はお母さんのことが好きだったし、毎晩のように歌ってくれた子守歌は今でも覚えているけど―――きっと、彼女の本当の気持ちを理解してあげられたことは殆ど無かったのだろうな、とそう思った。
母が居なくなってしばらく経った今でも、わからないことは山ほどある。
ただ、間違いなく思うのは―――彼女が私に見せた姿は、教えた物事は全て私の為のもので。
私はちゃんと、母から愛されていた。
レリアは、いつからここに一人で住んでいるんだろうか。
私と同じように、ひとりこの家に残されて生きてきたのだろうか。
私と同じように、このまま一人で生きていくのだろうか。
あの子は、ちゃんと愛してもらえていたのだろうか。
いつの間にか部屋は暗くなっていて、窓の外からの明かりも無くなっていた。
重くなる瞼を抑えられず、また私は夢の中へと落ちていく。
「にゃあ」
―――昼間と同じ。
意識が途切れる寸前に、また猫の声が聞こえたような気がした。
―――龍の士族の神様は、その与えざる力に許しを与えない。
巡り還るべくその魂は、その記憶を失い輪の理から逸脱する。
されば、その魂の在るべき処は此処にこそ。
彼の力で生まれた新たな冥界が、彼女達の居場所と成らんことを。
おいで、おいで。
貴方達の征く先はここに。
私が作った、新たな世界。
いつか帰ってくるお父様とともに、影の世界で暮らしましょう。
アゼリアの記憶と共に、私と共に。
いつか天へと至り、新たな神様に成る為に。
◇ ◆ ◇
「おはよう。調子はどう?」
相変わらず揺り椅子にすっぽりと入り込むように座って本を読んでいるレリアは、起き抜けのエリアを見ると体勢を変えずに目線だけを彼女へ受けた。
「―――おはよう。なんとか、熱は下がったみたい」
「こっちきて」
そう言われて、揺り椅子に近付いた後、エリアは膝立ちになってレリアと視線の高さを合わせる。
レリアは何も言わずに彼女の額を触ると、「昨日よりは大分マシね」と呟いた。
「その本、昨日も読んでたね」
レリアが手に持つ本をふと見て、何となく興味を示すエリア。
魔導書以外だと絵本か料理のレシピ本ばかり読んでいたエリアにとって、小説らしきそれは普段触れることの無い、いわゆる『興味だけはある』代物であった。
「…エドが、最近持ってきた本。同じシリーズの本ならそっちの棚にあるから、興味があるなら勝手に呼んでくれて構わないわ」
彼女の部屋の扉側とその反対、窓がある面以外の壁は一面本棚で覆われている中で、レリアの身長で届きそうな位置の段は一通り小説が並べられているようだった。
「読書家なんだね」
「…ただ、時間が余ってるだけ。別に本が好きなわけじゃない」
もう少し何か言いたげなレリアだったが、ふん、と鼻を鳴らしてまた膝の上に置いた小説に目を戻し、その頁を一つ捲る。
「今日、予定通りならマリーがここに来るはずだから。道が分からないなら、彼女が帰るときに一緒に帰るといいわ」
「予定って…診察?」
「…そう。とにかく、もう熱は下がったんだから。早く帰るべきところに帰りなさい」
「…」
既に初対面で抱き着いたり撫で回したりした後ではあったが、何となくレリアから距離を取られていることを感じたエリアは、これ以上どうレリアと接するべきかを考え込んでしまっていた。
加えて言えば、近い予定でマリーがレリアの元へ行くという事も聞かされていなかった。もしマリーやエドの判断で自分とレリアを会わせないつもりでいたなら、何かそうすべき理由があったのだろうかと少し不安になった。
先日エドから聞いた、レリアが一時期はバルベナの街に訪れていたという話。
そして、今は街には来るのを止め、マリーがこの家を訪れる形で診察を続けているという話。
具体的になぜ彼女が継続的に診療を受けているのか、なぜバルベナの街に来なくなってしまったのかを、エリアは知らない。
最初は魔女同士なら仲良くなれると信じていたエリアだったが、その考えは早々に改めざるを得なくなった。
「―――レリアちゃん、来たよぉ。やっほ」
「…ん」
ドアベルの音の後に現れたのは、いつもの笑顔で手を振るマリーだった。
いつも通りといった感じで揺り椅子の上で丸まったまま返事をするレリアに対して、エリアはなんとも気まずそうにマリーに笑顔を返す。
「おや、寝相の悪さレベルマックスの子がいるぞぉ」
「え、えへへ…」
さすがは医者というべきか、一切の動揺も見せずに笑いかけるマリー。
彼女のその表情を見て、エリアはより一層申し訳なさそうに肩を竦めた。
マリー曰く、結局エリアが熱を出したことも、うっかりレリアの家まで寝ぼけて飛んできたこともリュックには伝えたとのことだった。
鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしたリュックだったが、困惑はしつつも流石にいきなりレリア邸に向かおうとはしなかったらしい。
マリーとしても、レリアと初対面の人物を気軽に連れていきたくはなかったこともあり、今日はリュックには予定通り街で衛兵団の役割をこなしてもらうことになった。
余談だが、昨晩のリュックはだいぶ寂しそうな様子だったという。
「…そのリュックって子ね。あなたが熱を出した原因は」
「げ、原因っていうか…違くて、私が迂闊だったっていうか…」
呆れた顔でレリアは溜息をついた。
「昨晩もその子と一緒に寝たりしてたら、本当に空っぽにされてる所だったわよ」
マリーが興味深そうにレリアの顔を見る。
「そっか。エリアちゃんが発熱した理由って魔力不足のせいだったんだ」
「そう、恐らくはね。魔力不足で体調が狂う感じは、私が一番よくわかるもの」
なるほどねぇ、とポーチから出したメモに何かを書き込むマリー。
「それって、リュックの身体に私の魔力が流れ込んでたってこと?」
「そう。正直、私もよくわからないけど」
レリア自身も、龍人と魔女の関係については、エドと出会ってから実体験により知ったことが殆どだと話した。
そのうちの一つが、龍人は魔女の助力によってその力を大きく増すということ。
純粋に他の人間よりも肉体的に強い事だけが特徴である龍人も、魔女がその魔力を分け与えることで魔法や魔術が使える。
その力は魔女自身を大きく上回り、ただでさえ高い身体能力も更に向上する、というのがレリアの知る魔女と龍族の関係であった。
「―――というか、そのリュックっていう子、エドと比べて随分と暴力的な魔力の吸い方をしている気がするのだけど。私、エドに力を貸しても魔力が尽きたことなんてないわ。その子、本当に大丈夫なの?」
「え、ええと。とっても優しい子なんだけど…」
エドからは、龍人としては不安があるように評されていたことを思い出す。
「…しばらくの間は、身体的な接触は避けた方がいいかもねぇ」
マリーにそう提案されて、エリアは物寂しそうに肩を落とした。
マリーがいつもの診察を始めるとなった時、レリアの意志でエリアは少し席を外すことになった。
マリーの内弟子のような立場だと自負している彼女にとっては多少不本意なところもあったが、レリアがそう簡単に自身の弱みを見せたがらない性格であろうことを察して、素直に部屋を出て待つことにした。
「特に面白いものは無いけど…もしどうしても暇なら、家の裏手にある畑でも見てて。ちょうどいくらか実がなってる頃だから」
花や土に関心のあるエリアにとってそれは耳寄りな話で、彼女は目を輝かせて玄関を出て行った。
重みのある両開きの大きなドアの片方を開けて、畑はどちらかと辺りを見回す。
左手側、館の向こうに少し開けた場所があるのを見つけて、エリアは足早にその先を目指す。
「…わぁ」
レリアの住む館の大きさに引けを取らない広さの畑。
とはいえ、彼女一人が収穫する程度しか育てていないためか、その中で野菜や豆が育っているのは全体の三分の一程度の領域だけだった。
残りの領域にも何かが植えられていたが、収穫時期が違うようでそちらは育成途中の様子。
ふと、レリアは野菜や豆以外のものはどう調達しているのだろうと疑問に思った。
エドやマリーが時折街から持ってきてくれるのだろうか。
あの雰囲気で動物を狩ったりはしないだろうし―――もしかしたら、この畑で取れるものだけを食して栄養を賄っているのかもしれない。
しかし、それはそれで不作になったら大変ではないだろうか、等と色々と考えているうちに幾らかの時間が経っていた。
またぼんやりと畑の野菜に手を触れて考え事をしていると、なにやら館の影のほうに何かがいるような気がしてそちらに目を向ける。
木箱やら何やらが置いてあって日陰になっている所に、一匹の猫のような何かが座っているのが見えた。
その猫がどうやら黒猫のようで、日陰の暗さと相まってよく見えずにエリアは目を細める。
猫は、こちらを向いたまま動く事もなくじっとしている。
ここのところ動物の姿を見ていなかったエリアは、その穏やかな猫に触れて見たくなって館のほうへと体を向けた。
「おいで」
猫は、その呼びかけに応じてすっと立ち上がる。
そのゆっくりと近づいてくる歩き方や細い体は、猫の中でもかなり上品な類の姿に見えた。
猫はエリアの前まで来ると、彼女の手があと少し届かないところで再び座り込んだ。
「…?」
エリアも、無理に手を伸ばそうとはしない。
アゼリアの街でも幾らか動物と関わることのあった彼女は、その一定の距離に何か意味があるであろうことには察しがついていた。
「にゃあ」
ごく普通の猫の鳴き声。
ただ、その姿の違和感にエリアは少しづつ気が付いていた。
鳴いたはずのその猫の口が動いていなかった。
その黒い体に溶け込むような瞳や口が作り物であるかのように。
「―――ねえ、あなたって…」
「触っちゃ駄目!」
その猫の足元から突然、槍のように固い枝が幾重にも飛び出してエリアの視界を奪った。
「きゃ!?」
声の主はレリアだった。
エリアは驚いて息が上がったままでレリアのほうを振り向く。
レリアも同じように動揺した様子で、玄関から走って来たらしく呼吸を乱して肩を揺らしていた。
「にゃあ」
その常人なら体に穴が開いて絶命するような攻撃を躱したのか、それとも効かなかったのか。猫は軽やかにエリアの近くに着地して、何事も無かったかのようにレリアの様子を見た。
猫の健在を確認してすぐ、レリアは第二撃を放とうと両手を構える。
「―――!エリア、そこどいて!」
「ま、まって!やめて、何もしないで!」
エリアは咄嗟に猫を庇うようにその前に立ちはだかる。
「だって、その猫!」
「わかってる!この子、小さいけど影の獣だよ!」
「わ、わかってるなら何で…!」
慌ててついてきたマリーが、エリアのほうを心配して見ている。
「でも、この子は私達を傷つけないと思うの!―――確認させて、お願い」
「…正気?…影の、獣よ。見た目はそれでも、確実に只の猫ではない」
レリアは構えた両手をそのままに、猫を睨みつけたまま話を聞く。
「うん、きっと私なんかより強い力を持ってる。…でも、もしこの子が悪い子なら、私は昨日には食べられてたと思う」
「…気付いてたのね、前々からその猫に」
「…なんとなく。私が昨日倒れた時から、見られてる気はしてた」
「…」
レリアは構えた両手を降ろす気はないと言った。
やりたいことがあるなら構わない。ただ、その猫に怪しい素振りが見えたらすぐに攻撃する、と脅しまでかけたうえで黒猫との接触を承諾した。
エリアは恐る恐る、その猫の顔を撫でるように手を触れる。
猫は、姿勢よく座ってエリアの顔を見たまま、殆ど動かないでいる。
「昨日、枕元に居たのもあなた?」
「みゃう」
「そっか」
少し間を開けて、エリアは「ありがとうね」と呟いた。
エリアは、レリアとマリーの二人のほうへ振り返って説得するように話す。
「…この子は大丈夫。むしろ、私のことを守ってくれてた…ような、気がする。多分、だけど」
「なによ、それ。全部、なんとなくじゃない」
「うん。全部直感。でも、この子が私たちの味方だって言うのは約束するよ」
レリアは完全に信用したわけではなかったが、その両手は渋々降ろして攻撃意志を示すことを辞めた。
猫は、安堵も警戒もなく、ただ観察するようにその様子を見ていた。
「メルってどうかな。星空みたいに綺麗な黒色だし」
「やめてよ、影の獣に名前なんて。愛着が湧いたらいざというときに殺せないわ」
エリアはすっかり猫への警戒は無く、飼い猫を愛でるように抱きかかえてそれと戯れていた。
レリアは、先程の攻撃の余波で作物に傷がついていないかと実の一つ一つを手に取って確かめている。
「大丈夫だってば」
「私、そもそも猫嫌いだし」
「そうなの?可愛いと思うけどなぁ。先生は?」
気疲れして少し遠くに座っていたマリーは、控えめな声で「私はわんちゃんの方が好きだなぁ」と笑った。
「マリーは犬飼ってなかったっけ。大きいの」
レリアがそう言うと、マリーは手を小さく横に振った。
「お兄ちゃんが連れてっちゃったから、今はいないよ」
「そうなのね」
マリーに兄がいるということが初耳だったエリアは驚いて振り向く。
「先生、お兄さんいたんだ」
「うん。今エリアちゃんが使ってるのは私のお兄ちゃんの部屋だよ」
へぇ、と興味深そうに表情を変えるエリア。
レリアは元から知っていたようで、黙々と野菜の安否を確認しながら話を聞いていた。
「レリアちゃんはまだあの子たち苦手?」
マリーがそう聞くと、レリアは「大きい動物と猫は私の天敵だから」とそっぽを向いた。
「黒猫の姿をした影の獣だなんて、天敵も天敵よ。もし巨大化なんてしたら、エリアがなんて言っても容赦なく追い払うんだからね」
「…メル、巨大化はダメだからね」
「にゃあ」
わかっているのかいないのか、メルは自分の顔を覗き込むエリアと目を合わせて小さく鳴いた。
「結局、何なんだろうね。影の獣って」
気を取り直したマリーは、エリアのもとに近付いてメルの顔を覗き込む。
「…わかんない。今までは凶暴なのしか見たこと無かったし」
それに比べて、目の前にいるメルは、野菜の蔓に気を取られて泳ぐように手をくるくる動かしたりと、普通の猫らしい行動も時折見せている。
過去にトラウマのような経験を抱えている筈のエリアだったが、メルに対しては不思議と安心して接することが出来ていたのだった。
メルのほうをちらちらと見ながら、レリアは呟くように知ることを話す。
「…一般には、悪夢を見せる夢魔のようなものって言われているみたいだけど」
「夢魔?」
マリーもそれについては少し知っているようで、エリアのほうへ視線を上げて続きを話す。
「そう。その間に人間の僅かな魔力を食べてるとか、色々言われてるよ」
「ほんとになんでも食べちゃう生き物なんだね…」
「『生き物』と言っていいかもわからないけどね」とレリアは呟く。
「メルには何あげたらいいかな」
エリアがそう言うと、レリアは「魔鉱石とか?」となんとなく思ったことを口にした。
「あ、そうかもね。ユアンも、影の獣は金属食べるって言ってた」
「…」
その名前を聞いて、レリアは少し表情を暗くした。
「…セブレムに関わる話はあまりしないで」
「…!」
うっかり気を抜いてしまったと焦ったエリアは、「あ、えと、うん」と気まずそうに目を逸らした。
「…野菜は大丈夫みたい。マリー、診察の続きは?」
「ううん、さっきので終わり。エリアちゃんも一緒に戻ってお茶でもしようか」
そう誘われて、エリアとメルも一緒に館のほうへ引き返した。
「…」
部屋に戻るや否や、レリアは何事も無かったかのようにまた揺り椅子に座って本を手に取る。
マリーはというと自宅のように自然な流れで台所でお茶を淹れ始めており、手持無沙汰のエリアはどうしたものかとそこらを見回していた。
「あ、お茶無くなりそうだから今度また新しいの持ってくるねぇ」
「うん」
遠巻きに声を掛けるマリーの声はちゃんと聞いているようで、レリアは本に目を向けたまま返事をする。
レリアが単なる人見知りなことを知っているマリーからすると、彼女は恥ずかしがって本に逃げているだけなのが丸わかりで、それに困惑するエリアの様子は見ていて面白かったりした。
とはいえそのままにするのも可哀想なので、マリーは何か話題になるようにエリアに声を掛けた。
「エリアちゃんはさ、アゼリアの街では自分で薬草育ててたんだよね?土とか肥料とか、植物のこと詳しいの?」
「え?あ、…ううん、ほんとに基本的な事だけ。薬学のほうは勉強したんだけど、育てるのが難しい薬草は結構枯らしちゃうことも多くて。結局、育てるの諦めちゃった花も多いんだ」
「そっかぁ。レリアちゃんはお花の育成もきっと詳しいと思うよ。もしわからないことがあったら聞いてみるといいかもね」
「そうなの?」
エリアがレリアのほうへ振り向いてそう聞くと、彼女は「…まあ」と小さく頷く。
反応がやや薄いレリアの様子を見て、マリーが少し自慢げに「そりゃ、その子は植物の魔法が得意な子ですからねぇ」と代弁した。
「そういえば、さっきも魔法で木の枝出してたね。ずばばーって」
「…うん」
一向に話に乗って来ないレリアの様子を見て、マリーはお湯が沸くまでの待ち時間で台所から戻って来た。
「あれ、レリアちゃん、さっきまでは頑張ってお話出来てたのにね。どうしたのかな~?」
レリアが座ってもまだ幅に余裕のある大きな揺り椅子に体を押し込むようにして、無理やり彼女の隣に座るマリー。
レリアは「ちょちょ、定員オーバーだってば」と制止しつつも、素直にマリーが座れるように体勢を変える。そこから流れるように横から抱きかかえられても、特に嫌がるわけでもなく大人しく捕まえられていた。
「…さっきのは、この子があんまり危機感が無いものだから心配してただけよ。別にお喋りなんてしてた覚えは無いわ」
「でも、いつもよりお耳が跳ねてるよ」
「み゛っ…!!」
顔を赤くして、慌てて頭の猫耳を抑えるレリア。
マリーは変わらずにこにこしながら、そんなレリアの頭を遠慮なく撫で回す。
「この子はねぇ、気になる人ほど冷たい態度を取っちゃうツンデレさんなのです」
「違う!ただ、ちょっと…その、この本の続きが気になって!」
「でも、さっきからページ変わってないよ?」
「んん゛っ…!」
尚のこと顔を真っ赤にしてマリーを睨むレリア。
彼女のその様子を見て、ようやくエリアは積極的に彼女と関わってよいのだと安心して笑みを浮かべた。
「さっきの魔法、凄かったなぁ。きっといっぱい練習とか勉強とかしたんだろうなぁ、気になるなぁ~」
「べ、別に練習とかしてないし。ただずっと前から使ってたから感覚でなんとかなるっていうか、あの畑もそれで管理してるから慣れてるだけっていうか」
満面の笑みのエリアから目を逸らすように、しどろもどろになって言い訳をするレリア。
「植物を操る魔法?」
「操る、っていうのとはちょっと違くて…あなたも、わかるでしょ。力の流れを感じ取って、向きを変えるような感じ」
「あ、わかるかも。こう、自然の力を借りる感じ。ぐいーって」
「そう、私もそんな感じ。木々の力っていうか、森のエネルギーっていうか―――そういうのを借りて、流れを変えるのが私の魔法」
「そっか。じゃあ、レリちゃんはこの森と通じ合ってるんだね」
「…うん」
レリアは恐る恐るエリアと目を合わせて、ゆっくりと頷いた。
「ね、それってお守り?」
先程から気になっていた、レリアが手に持っていた小さな丸い人形。
出会った時から殆ど常に手に持っていたそれだったが、いつ聞こうかと気になっていたものだった。
「ん、これ。つい最近、エドがくれたの。…あ、こら」
エリアに見せようと人形を差し出すと、メルが横から手を伸ばしてそれをつつこうとする。
「あ、可愛い。エドがくれたなら、街でも売ってるのかな」
「非売品って言ってた気がする。まあ、聞けば出所はわかるんじゃない?」
「うん、今度聞いてみる」
マリーは「あ、お湯沸いたからお茶淹れてくるねぇ。用意出来たら呼ぶからゆっくり話してて」と残して席を立つ。
そこから先も、エリアが街へ来てからのこと、レリアの魔法のこと、リュックやエドのことで会話はしばらく続く。
レリアの人見知りモードが完全に解かれたという訳ではなかったが、二人の距離感は程々に近づくひと時となった事には違いなかった。
二人が姉妹同然にまで仲睦まじくなるのは、まだ少し先の話である。
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