1-07 紅と茜




璃空りくは、将来何になりたいの?」

「私ね、お姉ちゃんと結婚するの」

 桜の木が並ぶ河川敷、幼稚園の制服を着た子供が母親らしき女性に抱きかかえられて座っている。

「そっかぁ、春瑠はるちゃんと結婚かぁ」

 母親は苦笑いしながら、「そうだねぇ、ずっと一緒にいたいもんねぇ」と空を見上げた。

 少女は、何の気なく近くにあった花を指で撫でる。


「おかーさん、なんか、骨が落ちてたよ」

 川岸から小走りで帰ってくるもう一人の少女。

 その手には、魚の頭骨のような白いものが乗せられている。

 璃空は、少し怖がるように身をよじった。

「あら、お魚さんの骨」

「持って帰っていい?」

「んー…。お魚さん、きっとここに居たいんじゃないかな。近くに、お墓作ってあげようか」

「わかった。そっちに埋めてくる」

「うん。春瑠ちゃん優しいね」

 褒められたのが嬉しかったのか、春瑠は頬を赤くして目を見開いた。


「春瑠ちゃん手伝ってあげようか」

「…うん」

 母に促されて、璃空は少し怖がりながらも春瑠の後姿を追いかけた。

 二人が桜の木の下にしゃがみ込んでいるその姿を、母親は嬉しそうに眺めていた。




 ◇ ◆ ◇




「上手く出し抜けたみたいね」

「ああ、何とか持ってこれた」

 ジェイの元へ現れたのは、スーツを着た格闘家のような大男だった。

 その手にあるのは、セブレムからのものと思わしき厚い封筒。

 本来魔女教の誰かの手に渡るはずのそれを、彼は騙し取ってきたようだった。

 その男の服装を、カミヤは訝しげに一瞥する。

「…何さ、ちゃっかりうちの服着てるじゃんね」

「仕方ないでしょ、あんたらのブランドがバルベナでのスタンダードな正装になっちゃってんだから」

 小声でカミヤが言った文句にも、ジェイは律儀に返答する。


「この封筒、電波やら魔力やらは検知してないわよね?」

「ああ、変な仕掛けはなさそうだった」

 大男の手には、魔鉱石で出来た虫眼鏡のような道具が握られている。

 どうやらそれが、魔力探知機のような魔道具の一種らしい。


 重みのある封筒を受け取ったジェイは、躊躇いなくその封を切った。

「金…は、おまけとして。問題は機密情報のほうね。まさか紙媒体じゃないでしょうけど、どうやって送って来たのかしら」

 最初に封筒から取り出されたのは、一枚のカードのような紙。

「…なにコレ?手紙と、小さいチップ?」

 取扱説明書を見るように手紙を眺めるジェイ。「小さい字ね」と文句を言いながら右へ左へと視線を動かす。

「…ふぅん、相変わらず頭の回る男ね」

 そう言うと、ジェイは手に持った小さいカードをカミヤに見せつけた。

「あんた、これが何だかわかるの?」

「ほえ?」

 突然話を振られたカミヤは間の抜けた声を出すが、見せられた代物が何なのかに気が付くと、ああ、と声を漏らした。

「SIMカードじゃん、これ」

 その反応を見て、ジェイは少し不満そうに眉をひそめた。

「使い方も知ってるわけ?」

「うん、まあ」

「教えなさい。どうやって記録された情報を見るのか」

 カミヤは「じゃ、この紐ほどいてよ」と体を揺らした。


 紐をほどいてもらった後、カミヤは自分のスマホを紛失していることに気が付いた。

「ちょ、盗んだ?」

「んな訳ないでしょ。…手紙にまだ何か書いてあったような」

 セブレムから届いた手紙には、『端末も入れておくから、使い方は人質に確認を取るように』と記載されていた。

 よく分からないまま、ジェイは封筒の中に残っていた小型の端末を取り出す。

 カミヤは、それを見て「あ、私の二号機」と呟いた。


 これで情報に辿り着けると思ったジェイだったが、その後も、やれ針金が必要、膝の上じゃやりにくい、とカミヤに注文を付けられて対応をさせられる。

 その間、彼は「たちの悪い時間稼ぎだわ」と苛ついた様子を見せていた。

「いっそ、この子もロンドンに連れて行ってやろうかしら」という彼に、仲間の男は「二人共連れてくのはきついっすよ」と彼を宥める。


「出来たよ」と言って、カミヤはジェイへ端末を渡した。

「やっとね。さて、中身は…」と彼が画面を眺めていると、端末の画面は数秒経ってブラックアウトしてしまう。

「ちょ、画面が真っ暗になったんだけど」

 ジェイがそういって端末をカミヤに見せると、彼女はああはい、とそれを受け取って画面を覗き込んだ。

「これ、私の顔認証でしか開けないようにしてもらってるの。ほっといたらまた消えちゃうから、ちょくちょく画面触るんだよ」

「…はぁ」

 ジェイは嘆息した。

「成程ね。これ、この子が居なけりゃどこかで使い方が分からなくなるわ。約束を破って人質を殺したりすれば、きっと中身が見られなくなる」

 バルベナでもごく一部の人間しか持たない『スマホ』というものは、セブレムと関与の無い人物にとって、魔法の類と同様に気味の悪いものであった。

 改めて端末を受け取り、目を通すこと数分。

 そこには、ジェイが想像していたこととおよそ同じ内容が書かれていた。

「―――やっぱり、居たのね。魔女が」

 エリアは、顔を上げる。

「あら、興味がありそうね。大丈夫よ、あとで幾らでも教えてあげるから」

 エリアは何か言いたそうに、ジェイの顔をしばらく見つめた後にまた目を逸らした。


「で、魔女教の関与は?」

「…」

 深く読み込んでいるのか、仲間からの問いかけに答えないジェイ。

「ジェイ?」

「後で教えるわ」

 彼は一瞬だけ、何かに心底失望したような顔をしていた。

 その後、すぐに今まで通りの顔つきに戻り、端末から目を離す。

 何か考え込んでいた様子だったが、それについて彼が言及することは無かった。

「書き写せる量じゃないわね。何よ、じゃあやっぱり二人ともロンドンに連れていく?それとも、顔の皮でも剝いで持って行ってやろうかしら?」

「こっわ。冗談に聞こえないんですケド」

 苦笑いするカミヤ。勿論、この流れでロンドン観光が始まることは彼女の本意ではない。

「ケイ、あんたはこの街に残りなさい。定員オーバーだから」

「…はぁ!?正気かよジェイ!」

 突然の放置宣言に憤慨する仲間の男。

 ジェイは何食わぬ顔で話を続けた。

「仕方ないでしょ、五人だと不都合が出るのよ。必要なのは私と、腕っぷしが強いこいつと、人質二人。スパイ活動に慣れてるあんたなら、上手い事見つからずに生きていけるでしょ」

 ジェイは、先程封筒を持ってきた大男の背中を叩く。

 男は、ウス、と静かに返事をする。

 当然の様に連れていかれそうになっているカミヤは、約束と違う話の流れに慌てて口を挟んだ。

「ちょ、ちょっと!ほんとにロンドン行きなわけ!?人質返すって約束はどうすんのさ、詐欺じゃん詐欺!」

 腕だけ縄を解かれている彼女は、ジェイにしがみつこうと手を伸ばす。

 ジェイは涼しい顔で、軽くそれを躱した。

「守らないわよ、そんな約束。セブレムが私たちに追いつくのが先か、ロンドンの監査組織が奴らの裏を知るのが先か。そういう勝負になるでしょうね」

「勘弁してよぉ…」


 カミヤが肩を落とした時、彼女の正面―――ジェイの背後から、物音は聞こえた。

「さっきから気づいてはいたけど…衛兵団じゃないわね。出てきたら?もう行っちゃうわよ、私達」

 物音のほうへジェイが視線を向けると、その呼びかけに応じて、僅かに光が差していた扉が少しずつ開き始める。

 外から差し込む西日に、エリアとカミヤは目を細めた。

「―――銃を持ってる。大人しく降参して人質を返せ」

「クロ?」

 聞き覚えのある声に、カミヤは思わず呼びかけていた。

 そこにいたのは、髪を茶色く染めた青年。

 衛兵団でも警察でもない彼一人が、果敢にも銃らしき何かを構えてそこに立っていた。


 ジェイは西日の眩しさにも動じず、クロが手に持つものを見据えて笑う。

「馬鹿ね。ブラフにしたってその銃はお粗末すぎるわ、逆光でも分かる」

 すぐに銃が偽物だとばれたクロだったが、それを構えることは辞めずに彼は呼びかけを続けた。

「…この場所はもうセブレムに伝わってる。衛兵団にもすぐに伝わる、応援が来るのも時間の問題だ」

「でしょうね。―――ところで、この子のこの耳を見て驚かないってことは、あなたも魔女の存在を知ってたの?二年前の研究も知ってるのかしら」

 エリアに視線を送るジェイ。

 クロは質問には答えない。

「さしずめ、セブレムの闇を衛兵団員に見られる前にこの子を回収しようとしたんでしょうけど。私に見つかっちゃ、駄目よねぇ」

「黙れ。闇じゃない」

 クロが強く睨みつけても、ジェイはまるで怯まない。むしろ彼も自前の銃を取り出し、余裕な表情で彼を牽制した。

「奇遇だけど、私も銃を持ってるの。動かないでね、そこ」

 クロは平静を装っているが、彼のブラフはほぼ見抜かれている。

 銃は偽物で、衛兵団が応援に来るのもまだしばらくかかることを知っていた。

 それでも前に出たのは、彼らが立ち去るまでの時間を稼ぐために他ならない。

 あわよくば、エリアの正体が広まらないよう何か手を打とうとも画策していた。


 独断で行動したからには、完遂しなければいけない。

 使える手段全てを使って、カミヤとエリアを無傷で救い出す算段は他にも考えてあった。

 ただ、首筋を落ちる冷や汗が日に照らされて光るのも、ジェイには見えている。

 クロの緊張は確実に彼らにも伝わっていた。

「今から逃げてももう間に合わないだろ。いいから―――」

 ジェイはまた、にやりと口角を上げて笑った。


「残念。私達、もう行くって言ったでしょう?何も考えずに街中に拠点を構えると思った?」

 彼がそう言うと、彼らの足元にあった文様が紅色に発光を始めた。

「…っ!」


 転移の魔法陣。それは、ジェイが魔女教から与えられていた術式であり、本来であれば魔女教の拠点に向けて運ばれるもの。

 その行先は、既に彼によってロンドン行きの魔法陣に改変されていた。

「連中は本当に馬鹿よ。どうして私に魔術の学が無いと思い込んだのかしら。―――あなた、良いタイミングだったのよ。もしこのやり取りが無ければ、三十秒前には私たちは転移を終えてたでしょうから。これは衛兵団を待つための最善の時間稼ぎだったの。どうやらあなたはそのチャンスを生かせなかったようだけど」

 前に出ようとするクロの足元に、ジェイは弾丸を一発打ち込む。

「これは本物よ。次は当てる」

 想定外のジェイの魔術の行使によって、クロに許された時間は一刻も無くなっていた。

 魔法陣は、カミヤとエリアを含めて彼ら全員を囲うように光を放つ。


「…この魔法陣、危険なんじゃ」

 エリアが足元を見て呟くと、ジェイは「さすが魔女、よくご存じね」と笑った。

「セブレムを相手に車で逃げるなんて、流石に無理だもの。多少体が弾け飛ぶリスクを負っても、私はこの計画を完遂するつもりなの」

「弾け、飛ぶ?弾け飛ぶって言った?じょ、冗談ですよね旦那?」

 青ざめるカミヤ。

「大丈夫。死ぬ時ゃみんな一緒よ」

 それが冗談でない事を知っていたエリアは、血相を変えた。


「お、おわぁ!?」

 間の抜けた声を出すカミヤ。

 エリアは必死に唸り声をあげて、出せる限り全力の出力で魔法を使った。彼女自身とカミヤは、二人を縛り付ける椅子ごと少しずつ宙に浮き始める。

 カミヤは驚いて姿勢を崩して、空中でくるくる回り始める。

「ちょちょ、あなたそういう魔法使えるの!?エル、そいつら捕まえなさい!」

 浮かせる重さの限界を超えたエリアは、自分自身を浮かせるのを諦め、放り投げるようにカミヤだけを魔法陣から追い出した。

「うげ!」

 椅子ごと地面に叩きつけられるカミヤ。


 エリアは魔法陣の中へと再び落下し、身体を地面に強くぶつける。

「ああもう、鍵役が居なきゃ端末を受け取った意味がない!エル、回収して!あと五秒、早くッ!」

 焦ってジェイが目を離した瞬間、クロは彼に向って全力でダッシュした。

「お前は!ここに残れ!!」

 服の中から棒状のスタンガンを取り出し、何故だか訓練された走りで駆け抜けるクロ。彼は、ジェイを狙って魔法陣から叩き出すつもりで走っていた。

 人質二人を同時に引っ張り出すのが無理なら、ジェイを叩き出して自分が魔法陣に入り、一緒にロンドンに飛ぶ。それができれば、まだ望みはあると、そう咄嗟に考えていた。

 足元を再度撃たれ、ギリギリで姿勢を変えるも躱しきれない。

 弾丸が足に掠るように当たり、負傷した勢いで彼は大きく転倒した。


 魔法陣は強く光り、転移の始まりを示すように彼らを包む。

 カミヤは男に抱えられ、魔法陣に引き戻された。


 倒れ込んだクロを見下ろすジェイ。

 彼も相当焦っていたが、結果的には勝ち誇った顔でそこに立っていた。

「残念だったわね、さよなら」

 そう言って彼は、光に包まれ―――


 転移の直前に、凄まじい勢いで、『何か』によって吹き飛ばされた。




「―――は?」


 崩れ落ちる上方の壁。


 いつの間にか魔法陣の外にいるエリアとカミヤ。


 倒れ込む大男。


 そしてジェイは、崩れ落ちた壁のすぐ横、積み上げられた木箱や藁に埋もれて血を吐いていた。




 魔法陣は、光を失っている。

 あまりに一瞬の出来事に、クロは何が起きたか理解出来なかった。


「リュック」

 彼女は、既にエリアの前に立っていた。


 赤黒く、雷光を纏った双角を生やして。

 同じく赤く光る龍の目をエリアに向けて、その顔を見つめていた。

 龍の目には、恐らくは誘拐犯へ向けていたであろう殺意がまだ色濃く残っている。


 西日で逆光になった彼女の姿は、双角と瞳の輝きだけをそこに映した。


 あまりの突然のことに、最早怯えるカミヤ。

 エリアも、彼女の只ならぬ気配にただ気圧されていた。


 そのまま、リュックはエリアの身体を抱きしめる。


「もう、勝手にいなくならないで」

 その殺意に満ちた様相とは裏腹に、落ち着き払った声でリュックはそう言った。

 抱き締められた彼女は、その視線も表情も、一切動かすことなく無心で答える。

「…はい」

 エリアは、その胸の高鳴りが何なのか分からなくなっていた。


 恐怖か、再会による安堵か、あるいは他の何かか。

 彼女は、訳が分からなくなって。

 ただひたすらに、外に見える西日に見惚れていた。






 ◇ ◆ ◇






 時は変わり、バルベナの街の賑わう街道。

 中央通りより東側、南北に流れる大河に掛かる橋から続く道を彼は歩いていた。


「エド様、ご機嫌麗しゅう!」

 道をゆく若い貴族の娘が彼に笑いかける。

「ああ、いい天気だねご麗人。暑いですからお気をつけて」

 肩にはかからない程度の長い髪を携えたその男は、薄灰色の軍服を身に纏ってにこやかに返事をした。


「いつ見ても素敵な方ね」

 彼女に限らず、街を行く女性達の多くは彼に声を掛け、そうでなくとも羨望の眼差して彼を迎えた。

 男達の中には彼を妬む目で見る者もいたが、しかしやはり多くの、特に若い青年たちは彼に憧れの眼差しを向けた。


 衛兵団、哨戒部隊長エドワード。街の保安を守るに留まらず、バルベナ近辺の魔獣討伐、加えて影の獣の撃退までも執り行う大部隊の長を務める鬼才である。

 彼もまた、セブレムの総責任者ユアン・クラフェイロンとは旧知の中であった。


 彼の目は、普段にも増してその鋭さを露にしていた。






「―――龍人?あの子が?」

 数時間前、セブレム内の一つの研究室での会話。


 総責任者の使用する部屋とは思えない狭さの部屋で、彼らは話していた。


「そうらしい。クロが言うにはな」

 クロは、何故だか申し訳なさそうに一歩前に出た。

「はい。角、瞳、それと…殺気、みたいな。あれは確かに、エドさんと同じものだったと思います」

「確かに、額に角が生える人類なんて龍人のほかに居ない」

 エドは頷いた後、でも、と続けた。

「僕があの二人を高原から助けた時、あの子の額に角なんて生えてなかった」

「ええ、俺たちが病院で姿を見た時もそうでしたよ。でも、事件のあの日は確かに龍人の姿になってた」

 クロは、自分がどうかしていたのではないかと不安になりながら話しているようだった。


「とにかく、だ」

 ユアンは横から口を挟む。

「出身不明で記憶喪失の龍人が、魔女を引き連れて当てもなく彷徨っていた、ってことだろ」

「…ああ」

「どう考えても穏やかな話じゃない。―――最も、先ずは誘拐事件についてちゃんとあいつらと話す時間が欲しいわけだが」

「…うん、それは大事だね」

 謎の沈黙が生まれる。

 ユアンは、ぼんやりとデスクのモニターに目をやっていた。

「…セブレムを離れられない?」

 エドが気を遣って一言挟むと、ユアンはまた彼の方へ視線を返した。

「…正直キツい」

 そう話すユアンの目は、暗がりでも分かるほどに隈だらけでやつれ切っていた。


 魔女教からの脅迫文が届いた後、彼は何時間にもわたり重役会議に縛られ続けた。

 駆けつけた衛兵団を待たせてでも『最善策』を練り続けようとした理事会に痺れを切らした彼が、独断で機密情報入りのチップを魔女教へ渡そうとしたことは当然隠しきれるものでは無い。

 そのチップの位置情報があったためにクロは人質の居場所を特定できたわけだが、それが機密文書持ち出しの大義名分として許されることは無かった。

 事件が何とか解決した旨を聞いた後も、責任の所在、機密の取り扱いについての緊急会議、今回の事件についての記録の取りまとめや停滞している業務の片付けに追われて、寝る暇も無く彼は稼働し続けていた。


「正直、魔獣と戦うより辛そうに見えるんだけど」

「人間も獣だよ」

「うん…ソウダネ…」


 理事の多くは、今もその機密情報の中身を具体的には知らない。

 ただ、魔女教から要求される『何か』をユアンが隠していたことで、組織内での彼に対する信頼は尚も低下の一途を辿った。


「…」

 エドワードは申し訳なさそうに下を向く。

「やめろ、その顔。いいんだよ、お前はお前で大事な事やってんだから」

「…ごめん、ありがとう」

 エドは、研究室を後にすべく彼に背を向ける。

 去り際に、エドは自然に振り返ってクロに笑いかけた。

「クロ、君もありがとう。君は間違いなく勇気ある男だ」

 クロは、少し泣きそうな顔で目を見開いて、「はいっ」と大きく返事をした。






 ―――そして今に至り、マリー宅。

 例の誘拐事件からは既に数日が経過していた。


 関係者の仕事が片付いて彼女達に声を掛けられるようになるまでは大人しくしていよう、ということで、リュックとエリアは揃って静かにお茶を飲んでいた。

「―――別に喋っちゃいけないわけでは、ないんだけどね?」

 何となく気まずい雰囲気が流れるダイニングテーブルで、マリーはいつもの笑顔のままで少し困っていた。


「―――カミヤさんがっ!来たぞ!」

 元気よくその静寂を破ったのは、玄関の扉を堂々と開けたカミヤであった。

「あ、カミヤちゃんだ~~よく来たね~~インターホンって知ってるよね?」

「マリー久しぶり~!会いたかった~」

 長期休暇越しに会う女子高生のような二人のテンションを、ティーカップを持ったまま真顔で見ているリュックとエリア。

 勢いよく入室したカミヤの後ろから、おずおずと現れたのはいつぞやのフェリスの姿であった。




「はい、その。オーナーを助けて頂いたお礼ということで」

「マジで助かりました。ほんとに爆発四散するかと思った」

 フェリスは菓子折りか何かが入っていそうな紙袋をダイニングテーブルに乗せ、ずずいと前に押し出した。カミヤは、何も持っていない手を同じように前に押し出す。

 リュックは、いやいや、と手を振って謙遜した。

「うちのカミヤの防犯意識が低いばっかりに巻き込んでしまいまして」

「うん、わりとマジで怒られたよ。あの後」

 けろっとした顔でそう言うカミヤに、エリアは困り顔で「そ、そっかぁ」と笑う。

 リュックは、事件の日とは打って変わって遠慮がちな様子でカミヤを気遣った。

「とにかく、無事でよかったよ。私は、とにかくエリアを助ける事に必死だったけど―――セブレムの人も、みんな君を助ける事に一生懸命だったみたいだし」

「はい、ユアンさんにもお礼は…一応。忙しそうで、クロ伝いになっちゃいましたけど」

 フェリスは、何か複雑そうに目を逸らした。

「…喧嘩しちゃったんだよねぇ、クロと」

「ちょっ…!今言わなくていいでしょ、それは!」

「へへ」

 何か言いたげに乾いた笑いをするカミヤの様子を見て、ひとまずは健康そうだとリュックとエリアは安心した。


 ふと、フェリスは顔を上げてリュックの顔を見る。

 親交を深めるためか、あるいは純粋な興味からか、彼女は聞いてみたかったことを口にした。

「ところで、リュックさんは龍人なんですか?」

「え?」

 リュックは、今までで一番の間の抜けた声を出した。

「…?」

 その場にいる全員がきょとんとした顔で動きを止める。


「…龍人てなに?」

「龍人てなんですか?」

 一番よく知っている筈の本人と、共にアゼリアからやってきたエリアは二人揃ってそんな質問を返した。

「リュックちゃんが龍人?」

 マリーも驚いたように彼女の顔を覗き込むが、当人は相変わらず我存ぜぬといった表情。

 余りの反応の悪さに、フェリスは一瞬思考が止まりかけていた。

「…え、龍人をご存じでない?」

 彼女がそう聞くと、リュック、エリアは揃って首を縦に振る。

「…若者の本離れの影響かなぁ?」

 いやいやそんな訳はないと、フェリスは彼女達へ認識の共有を試みるのであった。


 マリーはのんびりとお茶を飲むばかりで、あまり手伝ってはくれなかった。



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