17.一難去ってまた一難

 グリスダインが屋敷に来てから二日が経過した。


 屋敷には警備兵のための宿舎しゅくしゃ併設へいせつされていて、住み込みで働くこととなったグリスダインは、そこで他の兵士らと肩を並べて寝食を共にしていた。


 朝早くから夜遅くまで……雇われたばかりだというのに、グリスダインは諸々の支度のために中抜けするカジィーリアよりも長い時間イリファスカのそばに立ち、執務をこなす彼女の様子を見守り続けていた。



 この日も体調不良によりこまめな休憩を挟みつつ、書面とにらめっこしていたイリファスカは、とある地区の役所から上がってきた嘆願書たんがんしょを見つめて頭を悩ませていた。


「……その一枚、なかなか進みませんね」

「……これね……どうしたものかしらね……」


 それは王都でセルヴェンに相談した、例のガンカン地区の耕地問題についての嘆願書だった。



 ―― “ガンカンは国内有数の穀倉こくそう地帯と、王家からもご評価いただいております。ペーデンズ氏が管理する北区の不作が続きますと、これまでにガンカンが築き上げてきた“信用”が揺らいでしまうのではないかと、役人一同、不安視しております。氏との再三における協議も進展はなく、つきましては、耕地主のペーデンズ氏の罷免ひめんを求めたく……” ――



 ……と、内容は頑固な老耕地主のペーデンズを辞めさせて、別の人間を新たな耕地主として任命したいとの希望が書かれていた。


 長年土地を管理してきた老人に対して非情な要求にも思えるが、経営というのは感情論で進めてよいものではない。

 この嘆願書の処理の難しいところは、イリファスカがどちら側に味方に付いても、結局のところ“領主として被害をこうむる”という点にある。


 役人の意見を棄却ききゃくしてペーデンズに指揮権を与えても、彼は経験にもとづいた今までと変わらぬ方法で耕作を続けようとするだけだろう。

 逆に役人の意見を承認してペーデンズを罷免した場合、新たな耕地主と共に土壌改良に着手していくわけだが……何十年と土地を管理してきたペーデンズが改善できなかった問題を、新たに任にいた者が見事解決してくれるという保証もない。


 何より安易に罷免に踏み切れない原因は、ペーデンズは耕地で働く農民達と仲が良く、彼が『不本意に任を解かれた』と農民達に触れ回れば、瞬く間に北区に領主への反感が広まってしまうことにある。


 体裁と成果を気にする役人達と、かたくなに自身のやり方を押し通そうとするペーデンズ……どちらも厄介極まりない存在であった。


 一番良いのは、ペーデンズが役人達の言葉を素直に聞き入れて、作物の変更に前向きになってくれることだが……そう上手くはいかないからこそ、こうして深く悩んでいる。



 イリファスカは無駄だと分かっていながらも、わらにも縋る思いでグリスダインに助言を求めることにした。


 第三者の意見には意外な発見が隠れているものだし、気分転換にもなる……。

 カジィーリアにも時々尋ねてみることはあるのだが、今彼女は部屋にいないし、何より異国を渡り歩いてきたグリスダインだからこその、リスイーハ国民にはない“視点”が欲しかった。


「グリスダイン……もし旅をしている間に見聞きしていたらでいいんだけど、他国で行われていた不作問題の対処法とかって……何か知っていたりしない?」

「不作問題、ですか……そうですね……カララマスでは実りの悪い土地に必ずまかれる、“ブラ・ム”と呼ばれる紫色の軟石なんせきがありましたよ。海や川など、水辺でれる石です。どんな枯れ地だろうが粉状にいたブラ・ムを土に混ぜれば、じきに肥沃に生まれ変わる……まぁ、困った時の万能剤みたいなものですね。ジブンも開墾かいこんの手伝いに駆り出された時には、石臼いしうすで一日中挽かせられたものです。そのくらい、カララマスの農業では重宝されていましたよ」

「ブラム……? 知らない名前だわ……カララマスにしか存在しない固有の石か、呼び方が違うだけで王国にもある代物か……今度鉱石こうせきに詳しい人間に聞いてみるわ。ありがとうグリスダイン、あなたに尋ねてみて正解だった」

「いえ、お役に立てたのでしたら何よりです」


 愛想良く笑うグリスダインに、イリファスカは『彼を雇って本当によかった』と強く感じた。



 昨日屋敷に勤める者の前でグリスダインを紹介した時、彼は傭兵とは思えぬ物腰の柔らかさで非戦闘職の使用人達にとっつきやすい印象を与え、イリファスカの目の届かない宿舎内では、自発的に警備兵と交流していると本人は語っていた。


 唯一の欠点であった大声も鳴りを潜めたので、執務の相談役としても頼ることができる今のグリスダインは、私兵には申し分ない男だった。



 たった二日しか続いていない関係だが、イリファスカはグリスダインの“主人を立てるり方”というのに、大変満足していた。


 王都での食事の席では、セルヴェンにこういった“気付き”をもたらしてほしかったのだ。頭の良い彼なら、何か自分の益となる助言をくれるはずだと信じていた。


 セルヴェンとの会話も、あれはあれで議論の形は取れている。ただセルヴェンの突っぱねるような言い方は、はなっからこちらの考えなど聞き入れるつもりのない“拒否”の姿勢を見せていた。

 きっと発言者がミフェルナであれば、彼も耳を傾けただろう。

 セルヴェンにとって格下つまが思い付くような安い案は、実施しても損をするだけだと決めつけられているのだ。


 セルヴェンと対面していると思い出す……嫁いで間もない頃の、公の場での仕事を……。



―― あのねぇ、お嬢ちゃん。政治の世界ってのはそんな綺麗事だけでやっていけないの。ね? 伯爵家から来たんだっけ? おうちでは真剣にお勉強してなかったのかな? ここはお茶飲んで笑ってりゃイイ場所じゃないんだよ。嫁ぎ先の領地の情報くらい頭ン中に叩き込んでおきな。侯爵夫人がこんな基礎的なことも知らないんじゃ……ったく、ウチの侯爵様ぼっちゃんもとんだハズレを引いたもんだ。


―― エッ、もう世代交代しちゃったんですか!? うわぁ〜っ、書類の申請遅かったかぁ〜!! 参ったなぁ、コレ侯爵様でないと分からない内容ですから……せめて御夫人であれば……アッ、失礼! 侯爵夫人様は貴女でしたね!! いやでもコレ……どうしたモンかなぁ〜!? 分からない方にお話しても……ねぇ?


―― それは侯爵様からのご質問で? ……ああ、、でしたか。どうりで程度が低い……。


―― ハァ……それって今お答えしなきゃダメですか? ご自身で資料を集めてお調べになられるのも、一つのお勉強だと思いますよ?




―― 久しぶりだな、イル。さっきの会合での受け答えは何だ? 実家ではあんなに成績が良かったのに、侯爵夫人になって気が大きくなっているんじゃないだろうな? 頼むからアトラスカ家からの信用を失うような真似はやめてくれよ。お前はもっとできる子だと思っていたんだが……残念だ。次に会う時は父様をガッカリさせないでおくれ。




 ……仕事で関わるとは、良い思い出がない。

 昔は無知で甘ったれた小娘だったから、まったく仕事のできない自分に苛立ちを見せた役人達や、の反応にも理解は示せた。


 今は義両親の補佐なしで一人で仕事をこなせるようになったので、彼らの態度も軟化したが……あのあからさまに見下した目付きと、棘を含んだ雰囲気は忘れられない。

 比較対象が酷すぎるとはいえ、グリスダインを好ましく思うのは、そういった者達と正反対の反応をしてくれるからだ。


 感謝の台詞を口にすることは多かったが、受けた回数は少ない……だから嬉しいのだ。

 “普通”の会話をできることが。


 カジィーリア以外にも何気ないやり取りをできる人間が増えればいいなと、ずっと思っていたのだ……。











 その日の夕方、イリファスカは高熱を出してとこに伏せた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る