14.騒音警報発令中

「聡明なる侯爵夫人様にご挨拶申し上げますッ!!!! ジブンッ、グリスダインと申しますッ!!!! 本日よりこの身をしてアナタ様をお守りしッ、誠心誠意尽くすことを誓いますッ!!!! どうぞよろしくお願いいたしますッ!!!!」



 ……直立不動の姿勢から吐き出された、獣の咆哮ほうこうのように耳をつんざく威勢の良い宣誓せんせいに圧倒され、正面に並んでいた三人はそれぞれ衝撃波を食らったように後方へとった――。



 数秒の間の後……初めに我に返ったカジィーリアが、対抗するように声を張り上げた。


「こ……声が大きすぎますよっ!? みんな耳がキーンッとしているではありませんかっ!? 屋敷では声量を落しなさいっ!!」

「ハイッ!!!! すみませんッ!!!! 肝に銘じますッ!!!!」

「全然銘じられてないじゃないですかっ!? あなたっ……どうしたのですかっ!? 以前会った時と人が変わっていませんかっ!?」

「そ、そうだぜにいちゃん、張り切りすぎだぜ……? さっきまで普通だったのに……ちっと落ち着きな……?」


 物静かな青年だと思い込んでいたカジィーリアと、スラータルまでが目を丸くして、私兵候補の青年……グリスダインを見上げた。


 イリファスカも呆然と彼を見上げていると、グリスダインは喋り掛けてくる二人へ視線を移すことなく、イリファスカを見つめ返したまま、ニカッ! と太陽のようにまぶしく微笑みかけてきた。


 既婚者の立場にありながら、“ドキッ”と異性に対する胸の高鳴りを覚えてしまったイリファスカは、一瞬脳裏にセルヴェンの冷たい顔付きが浮かび上がり……罪悪感から目をそらした。



 四人の近くに他に人影はなかったものの、グリスダインの大袈裟なに反応して、裏口外れで作業していた使用人や警備兵らが『何か事件か!?』と、わらわらと集まってきてしまったため、顔合わせのやり取りは一時中断された。


 “自分の体調がかんばしくないので、不意に倒れた時などに運んでくれる力仕事要員として私兵を雇った”。

 “彼のことは今度屋敷の者を全員召集しょうしゅうした場で紹介するつもりだ。彼の声の大きさに驚いただけなので、そう騒ぎ立てないでほしい”。


 ―― などと、イリファスカ自らが前に出て説明すると、その場に集まった者は皆一様に『何故“騎士”や“兵士”ではなく、外部の傭兵を“私兵”に?』と無言で訝んでいたようだが……何はともあれ、全員引き返していった。



 小さく溜息を吐いたイリファスカを見て、カジィーリアはじとっとした目でグリスダインを睨み付けた。


「ほら……あなたが妙に張り切るから、奥様にいらぬ迷惑が掛かってしまったではありませんか? とりあえず落ち着きなさい……」

「ハイッ!!!! すみませんッ!!!! ジブン昔所属していた軍団の上官からッ、『人に気に入られるためには常に大声でハキハキとッ!!』との教えを授かっているものですからッ!!!! 奥様には特に最初の顔合わせでは絶対に無礼を働いてはいけないと思いッ、精いっぱいの気持ちを込めさせていただいてる次第でありますッ!!!!」

「うっるさ―― !? ……そ……その上官の教えは屋敷では忘れなさいっ、いいですねっ!? ちょっと……流石のわたくしでも会話に疲れてきましたよっ!?」

「ハイッ!!!! すみませんッ!!!! これより上官の教えは忘れますッ!!!!」

「あなたもしかして喧嘩売ってますかっ!?」


 カジィーリアも興奮した時の声が騒がしい方ではあるが、そんな彼女の声が小虫の羽音くらい微々びびたるものに感じられるほど、グリスダインの発声は辺り一面に鳴り響いていた……。



 その後もグリスダインは、カジィーリアとスラータルに何度も注意を受けながらも、ほんの気持ち程度……徐々に徐々にと段階を踏んで声量を下げていった……―― のだが、如何いかんせん“元”が大きすぎるので、依然いぜん厳しい状況にあった。


「にいちゃん……これだけ言われてもうるせぇのはマズいぜ……」

「まだですかッ!!?? ですが第一印象がッ――」

「第一印象はもうだいぶ悪いですからっ!! 諦めて声を抑えればよいのですっ!!」

「“悪い”ッ!!?? それは挨拶の声が小さかったということではッ!!??」

「あ”あ”あ”あ”ーーーーっ!!?? もうお黙りなさいあなたっ”!!!! いい加減うるさいですよっ!!!!」

「カズちゃんも充分うるさいけどな……」


 両側からとんでもない爆音が飛び交うので、前日盛大に酔っ払っていた二日酔い引きずり気味のスラータルは、やかましそうに顔をしかめて両手で耳を塞いだ。


「グェッ……マジでうるさすぎるっ……! 二日酔いの頭に響くっ……! にいちゃん、頼むからもうちょい声しぼってくれや……!」

「ジブンこれでも相当しぼっておりますッ!!!! もう少し具体的な程度を教えていただきたくッ!!??」

「ここまで言って分かんねぇってことあんの……?」

「いい加減にしなさいよあなたぁ”ぁ”〜〜〜〜っ!!?? ビックリした奥様の身にさらなる負担がかかりまた体調を崩されたらどうしてくれるのですかぁ”ぁ”〜〜〜〜っ!!??」

「カズちゃんもうるせぇよ! 地獄だこの板挟み……!」



 ……三人の寸劇のようなやり取りを遠巻きで見て、イリファスカは目をつぶって静かに深呼吸を繰り返した。


 スラータルのツッコミはイリファスカの笑いのツボをちょうどよく刺激していた。

 しかもそれが拍子ひょうし良く入るので、イリファスカは今、人前で品のない笑い声を出さないように必死に精神統一をしていた。


 子供の頃から淑女となるべく厳しい教育を施されてきたイリファスカは、微笑み以外の笑い方を禁じられてきた。

 だから今回も我慢して我慢して……―― 結局我慢しきれなくて、人生で初めて、腹からのぼってきた息を口から勢いよく吐き出してしまった。


「ふぐうっ―― !! ……カズッ……スラータルッ……もうっ、やめてっ……!これいじょうはっ…… げんかいっ……! お腹がいたいからっ……! もっ……こえっ……気にしなくていいからっ……!」

「奥様ぁーーーーッ、大丈夫でありますかぁーーーーッ!!?? お体のどこが痛むのでしょうかッ!!?? お医者様をお呼びしますかッ!!?? ジブン医務室までかかえて行きましょうかッ!!?? 医務室はどこでしょうかぁーーーーッ!!??」

「ぶっふ―― !! ……やめてっ……やめてグリスダインッ……! 近づかないでっ……そんなまっすぐに見つめないでっ……!」


 腹と口元に片方ずつ手を添えて震えるイリファスカに、グリスダインは心底心配そうに腰をかがめて、うつむく彼女の顔を覗き込みながら近距離で叫んだ。


 いくら他の人間を追い払ったからといって、まったく人の目がないというわけではない。

 すぐにきたえ抜かれたごつい体を主人から引き剥がしたカジィーリアは、本気の怒りをにじませた恐ろしい形相でグリスダインに詰め寄った。


「これはそういう腹痛ではありませんっ!! というかっ、このお方はあなたが軽々しく触れよいお人ではないのですよっ!? 奥様に変な噂が立ったらどうしてくれるのっ!! 近付かないでこのおバカさんっ!!」

「これは失礼いたしましたッ!!!! 奥様ッ、ジブンいつでも走っていけるのでッ!!!! 立つのもつらい場合はすぐにお申し付けくださいッ!!!! かかえますのでッ!!!! 延々立ち続けることもできますのでッ!!!!」

「そっ……そうっ……! ありがとうねっ……!」

「だから触らないでってばぁっ!! 人の話聞いてますかっ!?」


 カジィーリアの言葉を無視して、輝かんばかりの笑顔で話すグリスダインに、イリファスカはまた『ふぐぅ―― っ!!』と勢いよく息を漏らして震えた。




 ―― スラータルは騒音によりガンガンと痛むこめかみ部分を指で揉みほぐしながら、騒がしい男女に挟まれるイリファスカを眺めて、柔らかく微笑みながらそっと呟いた。


「第一印象……案外悪くないんじゃないかい?」


 いつも鉄仮面を被ったように表情にとぼしい侯爵夫人だが、ああも人間らしい笑い方もできるじゃないか。



 彼女が顔を真っ赤にして笑いをこらえようとする姿は、スラータルにはとても生き生きして見えた。

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