9.裏切りの味 ― 2

 セルヴェンはイリファスカに気が付くと、腰掛けたままにこやかに迎えた。

 話に夢中になっていたミフェルナは、ひと呼吸遅れてからイリファスカの存在に気付くと、慌てて立ち上がり一礼をした。


 あざとく映るそのたどたどしさがまた、イリファスカの神経を逆撫でした。

 しかし、焦った時こそ平然と振る舞わなければならない。

 多少の困難で簡単にめげてしまう者は、セルヴェンが最も嫌う“無駄”な人間なのだから……。



「ミフェルナ様もいらっしゃっていたのですね」

「君ともっと話したそうにしていたから連れてきた。君は王都に来ることがないから、こんな時ぐらいしか顔を合わせられないだろう?」

「お仕事の方はよろしかったのですか? 取材の時に『後が詰まっている』とおっしゃっていましたが」

「ああ……あれは記者を黙らせるために適当に言っただけだ。……そろそろ座ったらどうだ?」

「ええ、失礼いたします」


 セルヴェンに促されたイリファスカは、給仕が引いてくれた椅子いすに腰掛けた。


 自分でも驚くほど無機質な声が出たと思っている。

 それはミフェルナも同じようで、彼女はそれぞれが隣同士になるよう三角に配置された席から、姿勢良く座るイリファスカの方を見て、おずおずと尋ねてきた。


「あの……奥様……やっぱりわたし、お邪魔でしたよね……? 所長からお誘いいただいた時はお断りしたのですけれど、その……所長がおっしゃった通り、こうやってじかにお話しできる機会はそうそうないと思い……ご同伴にあずからせていただきまして……」

「いえ、いてくださった方が私も緊張がほぐれますわ。なにぶん、王都のお店を利用するのは初めてなものですから」

「そっ、そうですかっ……? それならよかったです! 王都にはどうして来られないのですか? ……あっ、いやっ、当然ですよねっ! 領地のお仕事が忙しいのですからっ……!」


 ミフェルナは喋りと同時に手をせわしなく動かしながら、身振り手振りで興奮気味にイリファスカに向き合った。


 研究所では可愛らしく見えた彼女の幼さが、今はとても憎らしく思えた。

 セルヴェンとの仲を自慢しているのか? 邪魔だと思ったのなら何故引かなかった? 仕事漬けで領地に引きこもらざるを得ない自分をこけにしているのか―― ?



 イリファスカの心うちも露知つゆしらず……セルヴェンは可愛がる部下の反応にくつくつと喉を鳴らして笑うと、妻に対して、あるお願い事をした。


「この子は若く経験にえている。ぜひ君の領地での働きっぷりを伝えて成長させてやってくれ。それに……君はあまり友人が多い方ではないみたいだし、私が信頼するミフェルナであれば、気の置けない仲を築けるだろう」

「……そうですね。ミフェルナ様は正義感にあふれた心の清らかなお方ですから、安心してお付き合いできそうです」

「心の清らかだなんて、そんなっ……!」


 社交辞令を真に受けて顔を真っ赤にするミフェルナに、イリファスカは己のみにくさをどんどんと暴かれている気分になった。


 『若く経験に飢え』……若さを“罪”だと教えてくれたセルヴェンが、同じ口で若さを“宝物”のように扱うなんて。

 元より友人が少ないのは事実だが、何もここで言わなくてもいいだろう……たまの食事の時間すら後進の育成に消費されるだなど、浮かれたこっちが馬鹿みたいだった。



 ―― と、ここでセルヴェンは、イリファスカの背後で突っ立って、いつまでも主人から離れないカジィーリアに目を向けた。

 存在感を消して虚空こくうを眺め控えている侍女に眉をひそめると、料理が運ばれてくる前に彼女を追い払うことにした。


「侍女の……何と言ったかな? 君は下がっていいぞ、三人で話したいんだ」

「……旦那様、わたくしカジィーリアと申します。出先で奥様のおそばを離れることは忠義にそむきますゆえ、どうかこの場に留まることをお許しください」

「忠義などと大袈裟な……二階は貸し切りにしておいたし、この王都のど真ん中にある店で悪さをしようとする馬鹿はいない。一介の使用人がいらぬ心配をするな。後ろへ下がりなさい」

「ですが――」

「いいのカジィーリア、下がってちょうだい。……すみません旦那様。旅慣れていない私を気遣うあまり、この侍女も神経質になっているのです。そう強くおっしゃらないでください」

「……侍女の教育はきちんとしておけ。君の……ひいては侯爵家の品格が問われてしまう」

「申し訳ございませんでした。以後、気を付けます」


 イリファスカはカジィーリアに悪いことをしたなと心を痛めながらも、目配せをして彼女を下がらせた。

 カジィーリアはセルヴェンに渋々頭を下げてから、他の使用人達と共に待機のへ加わった。

 チラチラとこちらを見やる同僚達の視線を無視したカジィーリアは、自身の奥歯をグッと噛み締め、何とか怒りをこらえていた。



 一方……夫婦ののやり取りを目の当たりにしたミフェルナは、呆気あっけに取られた様子でセルヴェンを眺めて言った。


「所長って……もしかしてお屋敷ではふんぞり返ってる系のご当主ですか……?」

「ふんっ―― !? そっ……そんな風に見えたのか!? 今のは適切な注意だったはずだが……!?」

「注意にしても高圧的すぎませんか? よくないですよ、そういうの……奥様がものすごく気を使われて処理されてましたし、わたしもなんだか怖かったです……」

「こわい……!? が……!? しかしっ……使用人の不始末は主人の不始末っ……世間体というのがだな……!?」


 ミフェルナの指摘にセルヴェンは思わず外向きの一人称もがれ、大慌てで弁明を始めた。

 好いた娘に『怖い』と告げられたのが相当に効いたのか、気が動転したように彼女の方に前のめりになっている。


 誰かに言い負かされる夫の姿など初めて見た……今度はイリファスカの方が呆気に取られる番だった。


 ミフェルナは顔をしかめながら、なおも追撃を食らわせた。


「二階を貸し切りにしておられるのですから、そこまで世間体を気にされる必要はないのでは? ここにはわたし達とお店の方しかいないわけですし……」

「……君も、そう思っていたのか?」

「……えっ?」


 唐突に話を振られたイリファスカは、一瞬遅れてから返事をした。

 セルヴェンは険しい表情でこちらを見つめ……いや、睨み付けていた。


「俺のしたことが間違いだったかと聞いているんだ。君は本当は侍女をそばに置いておきたかったのか? であれば、何故下がらせた? 俺に気を使ったのか?」

「……いえ……私は……」


 鋭い眼光ですごまれたイリファスカは、困惑から声を詰まらせた。

 ミフェルナの前で恥をかかされたと思ったのだろうか? こちらへの八つ当たりはやめてほしかった。


 ここに来てから良いことなど何も起こりはしない。

 楽しく会食して帰るつもりだったのに、こんな険悪な雰囲気になるのであれば最初から誘いに乗るのではなかった。

 やはり分不相応に幸せなど望むべきではなかったのだ……。



 イリファスカが無意識のうちに顔をうつむかせてゆくと、ミフェルナは“見ていられない”といったようにセルヴェンをバッと振り返り、他の客に配慮した声量で彼にうったえかけた。


「所長ぉぉぉぉっ……!! その言い方は完全に圧迫面接官のそれですよぉぉぉぉっ……!? ちょっと……研究所で働いている時とは別人みたいな嫌なご当主加減で、わたし幻滅しかけているのですがっ!? に聞いていたのと違いますよっ、本当に奥様と仲がよろしいんですかっ……!?」

「“幻滅”っ……!? お……俺は今そんなにも酷い態度を取っていたか……!?」

「とんでもなく酷いですっ!! 自覚なかったですかっ!? ちょっと……こっち耳貸してっ!! 緊急会議ですっ!! ―― 奥様っ、ちょお~~っとお背中向けるご無礼をお許しくださいねぇ~~っ……!?」

「え、ええ……お気になさらないで……」


 ミフェルナはセルヴェンの腕を掴んで下方へと引っ張ると、共にテーブルクロスの影に隠れるようにして上体をかがめ、こそこそと内緒話を始めた。


 軽口もそうだが、セルヴェンの体に無遠慮に触れ、なおかつそれを咎められないミフェルナに格の違いを見せつけられている感じがした。



 二人が“緊急会議”とやらを開催している間に、下の階から次々と料理が運ばれてきた。

 給仕は怪しい行動を取るセルヴェンとミフェルナを気にすることなく、営業用のさわやかな笑みを浮かべて、各人の席に皿を並べていった。


 イリファスカは先に料理に手を付けることなく、一人ぼーっと新鮮なサラダの中に散らばる砕かれたアーモンドを数えながら、向かい側で繰り広げられる話の終わりをひたすら待ち続けた。

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