7.低俗な記者の質問 ― 2

「ラバン・カーツは侯爵様の指揮の元に生み出されたものと伺っております。この薬をお作りになろうと思われた切っ掛けはなんですか? 魔物は二年前から徐々に出現率が減ってきていると国の調査団体が発表していますが、それによりラバン・カーツの価値が下がるかもしれないという焦りはございますか?」


 わざわざ汚い一面を掘り起こそうとするギッキの嫌な問い掛けに、セルヴェンはおくすることなく言葉をつむいだ。


「先に二つ目の問いに答えよう。確かに魔物の出現率は一昨年おととしから減少傾向にある。だからといって、またいつ増加するかも分からない驚異に油断してはならない。私は魔物による被害が完全に消滅し、ラバン・カーツが必要とされない未来が訪れるのなら、それほど喜ばしいことはないと思っている。過去の遺物と化せばそれで結構。万が一、何十年後、何百年後により大きな魔物の襲来があったとしても、ラバン・カーツという下地があれば特効薬への足掛かりとなるだろう。研究に無駄はない……価値というのは、仕上がった製品だけを見て判断するのではなく、“挑戦”やそれに伴う“成否”、“過程”などの全てを含めて評価されるものなのだ。存在することに“意義”がある。焦りなどという矮小わいしょうな考えは、微塵みじんも持ち合わせていないよ」


 セルヴェンの長々と述べられる高尚な語りに、ギッキは感心したようにうなりを上げた。

 大きな計画を進めるには、何かしらのが付き物なのかもしれない……記者としては話題に事欠かないありがたい人物だ。


 セルヴェンは続けて言った。


「そして最初の問い……ラバン・カーツ開発の切っ掛けとなったのは、国境警備隊に所属する私の弟の存在だ。特別兄弟仲が良かったわけではないが、奴は昔から体を張ることを好んでいてな。両親もいつ命を落とすかと気が気でない様子で、自分も色々と悩んでいた時期にちょうど研究の決定権が回ってきたので……一度くらいは家のために何か成し遂げなければと思ったのだ」

「なるほどぉ……んん〜〜っ、それで弟ぎみの助けるべく、ラバン・カーツ開発に着手されたというわけですねェ〜〜っ!? そうですかそうですかァ〜〜っ!! “奥様のためではなく、弟ぎみのため”……っと!」

「……何故、妻が関わってくるんだ? 」


 真っ当な記者らしい口調から一転、またも人をあおるような口調に戻ったギッキに、セルヴェンは片眉をクッと上げてにらみを利かせた。



 ギッキはイリファスカの表情を横目でチラリと盗み見ると、彼女が自分の含みのある視線に気付いたのを確認してから、手持ちのメモ帳に今のセルヴェンの台詞をサラサラと書きつづっていった。

 『見ろ、お前は粗雑に扱われているんだぞ』と……声にこそ出さないが、あの一瞥いちべつにはそういった意味合いがこめられている。


 だがイリファスカは、セルヴェンが自身の望んだ通りの発言をしてくれたことに、残念がるどころかホッと胸を撫で下ろしていた。

 自分が大切にされていないことなど百も承知だ。今更愛の言葉を吐かれたところで薄ら寒いだけだ。



 動揺や落胆といった悲しげな表情を求めていたギッキは当てが外れ、作戦を変更してイリファスカ自身に直接心理戦を仕掛けてきた。


「侯爵夫人様にもご質問よろしいですか? あなた様は侯爵様が不在の間、代わりに領地運営に精を出されておりますが、何か困り事というのはございますか? 例えば“領民が自分を思ったように評価してくれない!”、だとか……“後継者に恵まれないので元侯爵夫人様との折り合いが悪い!”、だとか……何かあなた様が相手方に対して不満を感じておられることは?」

「おい、何故妻に個人的な話を聞く? 新薬に関係のない質問は控えてもらいたい」

「まぁまぁ! 侯爵様が研究に専念できたのは、夫人様の尽力のお陰ということも美談の一つとして記事でウケますのでね! ねっ?」

「だが――」


 先程も攻めた質問をしていたギッキであったが、それとは比べ物にならないほどの低俗ていぞくな問い掛けに、セルヴェンは難色を示した。

 イリファスカは、なおも食い下がろうとする夫を制するように手のひらを向けて見せると、自ら反撃に出た。


「……こちらの至らなさゆえに領民の皆様から不満の声をいただくことはございますが、私の方から皆様に対して不満というのは、何ひとつございません」

「何ひとつ? ホントに? ……しかしながら、“至らない”という評価はご自身でもお持ちなのですね。では、それを改善しようと努力していらっしゃる?」

「ええ、勿論……ですが、努力というのは必ずしも報われるものではございませんから」

「あれあれ〜〜っ!? じゃあ意味がないじゃないですかァ〜〜っ!? 侯爵様みたいに良い結果を生み出さなければ、夫人様には“他人ひとの上に立つ才能がない”ってことになっちゃうんですよォ〜〜っ!? それってどうなのかなァ〜〜っ!?」

「なっ―― !? 貴方ねぇっ、先程から黙って聞いていればっ、質問の内容も態度も悪すぎますよ!? 侯爵夫人様に対してなんと無礼なっ!!」


 登場してからのギッキの言動が終始かんさわっていたミフェルナは、度を越した発言についに口を挟んだ。


 “侯爵の想い人”とされる少女の乱入にギッキは小さくほくそ笑むと、イリファスカよりも揺さぶり甲斐のありそうなミフェルナに矛先ほこさきを向けた。


「マレイ女史じょしは仮にご自身が執務を任せられた場合、どのようにして領民や義両親と向き合われますか?」

「意味が分かりませんっ、どうしてわたしが所長の代理を務めねばならないんですかっ!? 現時点で主旨しゅしがずれすぎですっ!! 貴方は関係のない話をしすぎですよっ!?」

「ミフェルナの言う通りだ。先程から妻に絡めた質問ばかりだが、私生活をあばこうとするのが目的ならば、取材は打ち切りとさせてもらう。後日、報道関係者を招いてきちんとした製品の発表を行う。本当に新薬についての記事を書きたいのであれば、そちらに出席しなさい。まぁ、君や君の社の者が会場に入れるかどうかは分からんがね」

「え”っ―― !? ……あぁ〜っ……それはぁ〜っ……これはとんだご無礼を〜〜っ!! 何せこれだけ多くの仕事を一人でこなされる優れた御婦人となるとっ、日頃どうやって暮らしているのか気になってしまいましてねっ!? ですのでェ〜〜っ……最後にっ!! そこのところどうです奥様っ!?」


 ギッキはイリファスカと己をへだてる騎士を押しのけて、彼女に迫ろうと身を乗り出した―― ……が、騎士ともあろう者がそんな愚行を許すはずもなく、突き出された手をそのまま掴み取ると、騎士は本来曲がるはずのない方向へとギッキの腕をひねり上げ、もう一人の騎士と連携して見事な羽交い締めを決めた。


「い”ででででェーーーーっ!? ぼうりょぐ反対っ、ぼうりょぐ反対ィ”ィ”ーーーーっ!!」

「私の言ったことが聞こえなかったのか? 妻への不躾な質問はやめろと何度注意すれば分かるんだ。……取材は終わりだ。連れて行け」

「グッ……! お待ちください侯爵様っ……!! 最後にもう一枚だけ写真を―― っ!!」

「しつこいぞ!!」


 ギッキは騎士達から手荒い送迎を受けながら、部屋を出る寸前に、何とか痛みに耐えながら片手に持っていたカメラのシャッターを切った――。




 ……ギッキが去った後、職員達は余憤よふんに駆られ、皆一様に下劣な記者に対する文句を口にしていた。


 セルヴェンとミフェルナも揃って非難していたが、イリファスカは暗澹あんたんとした面持ちで夫に指摘を入れた。


「力ずくで追い出したのは悪手あくしゅでしたね。あれでは余計な面倒を呼び込みます」

「悪手? あの男が私に仕返しできる身分だと? そんなことよりも、君は怒りが湧かないのか? 侯爵家に属する者があんな下劣な人間に衆目の前で馬鹿にされて……私やミフェルナが言い返したからいいものを」


 セルヴェンは妻の消極的な態度を目にし、“情けない”とでも言いたげに大きな溜息をこぼした。

 対してイリファスカは、そんなセルヴェンの方こそギッキのような下劣な人間の性質を理解していないと、不満と共に肺いっぱいの息を周囲に悟られぬよう静かに吐き捨ててから、冷めた声色で淡々と返した。


「あの手の嫌味にはいますから。彼のような人間とまともに取り合っても無駄ですよ。あれはこちらがムキになればなるほど、粗探あらさがしに躍起やっきになるたちの悪い性格をしていますから。どんな質問にも当たり障りのない回答をするのが無難かと」

「……それは――」


 今までろくに交流のなかったセルヴェンは、あの臆病だったイリファスカが堂々と反論してきたことに驚いた様子だった。

 そんな夫婦のやり取りを、ミフェルナや職員達はハラハラしながら見つめる……。


 セルヴェンは少々の間の後、うつむきがちに首元をポリポリと引っ掻くと、ばつが悪そうに言った。


「君は……冷静なのだな。浅はかだったのは私の方だったな。……すまない」

「いえ……私の方こそかばい立てしていただいたのに、偉そうに抗弁こうべんを垂れてしまいました。ミフェルナ様もありがとうございます。そしてすみません。あなたの評価が下がりそうな記事が出回るのであれば、私が責任を持って対処いたしますので」

「そ、そんなっ……奥様が気にされることではありませんっ!! わたしが勝手に出しゃばっただけですしっ、そもそも悪いのはあの記者ですっ!! ですよねっ、所長!?」

「ああ、その通りだ。君が謝ることはない」


 ミフェルナの言葉にうんうんとうなずくセルヴェン……。

 息の合った二人を目を細めてじっと見つめたイリファスカは、『そうね……確かにそう』と小さく囁いた。



 ―― ミフェルナ・マレイ……大人に交ざって研究職を続けられるほどの頭脳を持っているというのに、どこまでもすれていない、純粋な子だ。きっと周りから祝福されて、大切に育てられてきたのだろう。

 自分だって伯爵家の生まれだ、平民と比べればずっと恵まれた環境で育っている。

 だ……幸せ……でも流石に、彼女だけ恵まれすぎてはいないか?


 セルヴェンに甘やかされて、セルヴェンと気軽に触れ合って……それは全て、伴侶である自分が享受すべきものだった。

 なのに彼はどれだけ努力して愛してくれないし、上手く役割をこなしたとしても、欠点ばかりを指摘してくる。


 記者との間に彼が割って入ってくれた時は嬉しかった。でもセルヴェンは直後に、『侯爵家に属する者があんな下劣な人間に馬鹿にされて』と怒りをあらわにした。


 “妻をおとしめられたから”、助けに入ったのではない。

 “侯爵家が恥をかくから”、助けに入ったのだ。


 それなのに、ミフェルナが同意を求めれば容易たやすく頷き、歩調を合わせる……どうして自分と彼女とで、ここまで対応が違うのか?

 ミフェルナと同じ年齢で嫁いできた自分に対して、流石にこの仕打ちはあんまりではないか―― ……。



「……取材は終わったことですし、私は領地の方に戻らせていただきます。皆さん、本日はお会いできて光栄でした。旦那様も、お元気そうで何よりでございました。それでは……」

「えっ!? 奥様っ、もう行ってしまわれるのですかっ!?」


 ミフェルナが、がっかりしたように言う。

 どうしてこの娘がこれほどまでに自分を気に掛けるのかは疑問に思うところであるが、イリファスカはニコリと作り物の笑みを貼り付けて返した。


「ええ。長居しては皆さんのお仕事のお邪魔になりますし、他に留まる用事もございませんので」

「そうですか……もう少しお話を聞きたかったのですが……」

「……せっかくの王都なのに、到着して早々に帰ることもないだろう。夕食ぐらい一緒にどうだ? すでに店には予約を入れてしまってるんだが……」

「……えっ”」


 残念がるミフェルナに適当に返事をして部屋を出ようとしたイリファスカだが、表情をくもらせたセルヴェンの言葉に咄嗟とっさに濁った声を漏らしてしまい、慌てて口元に手を当てておおい隠した。


 まさか……まさかセルヴェンから食事に誘われるだなんて―― !


 夫としての役割を放棄していたセルヴェンからの予期せぬ誘いに、イリファスカは頭の中が真っ白になっていた。

 誰にも聞き取れない声量でブツブツと何か唱える侯爵夫人に、研究者達は首を傾げながら不安げに彼女を見た。


「予約……セルヴェン様が……私のために……時間を……?」

「君……大丈夫か? 急いで帰宅せねばならない理由があるのなら、食事はまた今度に――」

「ない、ないです。ありません。夕食のお話、お受けいたします」

「そ、そうか……? では……十九時に中央通りにある“ラ・ビンカ”という店に来てくれ。赤い船が描かれた看板の店だ。新薬が完成して仕事にも区切りが付いたからな、遅刻はしないと思う」

「十九時に“ラ・ビンカ”……かしこまりました。楽しみにしております」


 食い込み気味に返事をするイリファスカに気圧けおされながらも、セルヴェンは予約した店の特徴をかいつまんで教えた。


 まるで新婚……いや、付き合いたての恋人達のように初々ういういしい上司夫婦のやり取りに、部下達は『一体何を見せられているんだ……』と心中の台詞を一致させた。


 イリファスカはガチゴチに固まった動作で入口の扉の前まで移動し、一礼をすると、足早に退室していった。

 残されたセルヴェンは気恥ずかしそうに首の後ろをさすりながら、ニタニタと冷やかしの眼差しを向けてくるミフェルナらを静かに睨み返した。

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