八段 宮本伊織、津田小次郎と御前試合をする事

(一)

 小笠原忠政公は、記録による限り兵法に殊更関心を抱いていたという話は特にない。

 とはいえ、弓馬の道、礼法の家元たる小笠原家の流れにある人物である。

 当時の大名としては、高い水準でそれらの知識を持っていたと思われる。

 まだ戦国がそれほど遠くないということもあったし、武蔵に養子を世話をしたりすることも考えると、やはり十分な知見があったことだろう。

 もっとも、武蔵が小笠原家というか明石で活躍していた事業の大半は造園などであり、兵法者として重用されたことは特になかったのだけれど。

 武蔵は造園に関して見識があったということは先述した。明石には幾つか武蔵の手になるという庭がある。

 このことから武蔵は禅、あるいは茶の道などに通じているということが知れる。これは後に茶道の流派を打ち立てる小笠原忠政にとっては重要な才能であった。それゆえに任されたのが明石城にある樹木屋敷である。

 記録によると、


 明石三ノ丸之西頬きしに付、北之方へ長く細き捨曲輪有リ。家居もなく芝原なりし処ニ新き御樹木屋敷を御取建有て、御遊興所と被成御茶屋出来候而、御座敷御風呂屋鞠の懸り旁結構千万也。御茶屋築山泉水瀧なと植木迄の物数寄ハ、宮本武蔵ニ被仰付、一年懸り御普請成就ニ而候。


 とある。

 一年をかけての突貫工事であるが、夥しい数の人足を動員し、あらゆる地に人をやって木を集め、あるいは石を運んで造園した。

 余談となるが、この類の城の内に鬱蒼たる森を作って侘び寂びの庵を設けるというのは、豊臣秀吉が大坂城などでしていたことで、これは利休の侘び数寄の影響が強くんあるといわれている。


 伊織と津田小次郎の試合の場所としてここが選ばれたのは、あくまでもこの試合が記録を残さないことを前提とした非公式のものだからである。


 仮にも小笠原家の近習のものを、無役どころか元服も前の若衆と試合させるということがそもそもありえない。いまだ一人として殺害していないとはいえ、城下で決闘沙汰を繰り返していた人間などは、捕縛してさっさと処罰してしまうのが定法というものだ。

 しかし――

 それが、仇討ちとして宮本家に挑んだというのなら話しは違ってくる――と、いうものがいたのが問題なのだった。

 伊織は即席に張られた陣幕の向こうにいる主君と、その傍らにいる同僚の近習や馬廻組のことを思った。

 この試合は非公式なものである。

 非公式なものであるが、無様な試合などをしようものならば近習として以降勤めることは不可能だった。それどころか仕えている殿に恥をかかせたとして切腹する羽目になるかもしれない。ひどく理不尽な話である。それでも従わざるを得ない。


「……よし」


 腰に木剣の大小二刀をたばさんで、伊織は立ち上がった。

 すでに白装束に鉢巻、襷がけと戦闘体制は整っている。

 

「宮本伊織、いでませ」


 声がかかった。

 心臓がどくりと高鳴ったのを伊織は感じた。



   ◆ ◆ ◆



「ふん……」


 小次郎は手の中の木刀を軽く振りながら、呼吸を整える。

 軽い。

 試合が決まってから削りだし、手になじむまでに随分と振ってみたが、愛用の野太刀ほどの安心感のようなものがついぞわいてこない。やはり、手ごろな重みというものがあるのだろう。

 あるいは。


「緊張しているのか」


 呟き、目を閉じる。

 そして。

 切っ先が上がり――、

 ひゅん、という音がした。

 天の果てへと突き上げられた木剣の先端に、蜻蛉が止まった。

 

「津田小次郎、でませい」


 態勢を整えた小次郎が幕をくぐってゆく。

 先ほどまで彼がいたところに、四散した蜻蛉の羽が落ちていた。



   ◆ ◆ ◆



(長い)


 伊織は二間(360センチ)の距離を置いて対峙する津田小次郎の手にある木剣を見て、半ば愕然とした。

 四尺近い野太刀も相当なものである。伊織は半ばそのときの印象で小次郎が使う木剣もその程度のものであると考えていたが、今その手にあるのは四尺を遥かに越えた、五尺近くすらある長大な代物だ。ざっと見て四尺七寸か、それ以上。

 同僚たちから軽くざわめく声がしたのは、みんもそのような木剣を見たことがなかったからだろう。

 伊織は武蔵が五尺もの棒を日常に携帯しているのを見ているが、それでもあれはあくまでも棒であって剣ではない。武蔵の使い方も剣というよりも棒術に準じたものだ。


(振り切れるのか?)


 そう思いつつ、彼は自分の手の中にある太刀と小太刀へと目をやった。

 総長三尺二寸の大刀に、二尺一寸の小刀。

 通常彼が佩いているそれよりも。五寸以上長い。


(そうか。当たり前だった。木剣が真剣より軽い分、長くなるというのは……)


 自分も長くしているのだから、相手もそうしていて当たり前である。まして野太刀使いともなれば木剣もその分、長くなって当然だろう。

 伊織は大きく息を吐き出す。


(落ち着け。これしきのことで動揺するな)


「二刀か……」


 小次郎は、小さく呟いた。

 伊織がそれぞれ持つ木剣は、武蔵流の二刀を使う証明だ。自然と目が細まった。

 武蔵といえば二刀流――というのは広く知られたところである。実際に小次郎が試合を挑んだ武蔵の養子、宮本三木之助も二刀使いだった。そのことからも伊織が二刀を使うことは想定の範囲内であった。むしろ、そうしてくれることを望んでいた。今までの研究の成果が試せる。

 二刀破りの工夫はすでにあるのだ。

 問題は、ここにはあの武蔵もいるということだが。


(いや、それなら、尚更だ)


 せいぜい、みせつけてやる。

 小次郎はそう思った。



 二人は互いに上座の小笠原忠政へと跪いて一礼し、やがて太鼓の音にあわせてそれぞれ間合いを開け、対峙した。


「―――――ッ!」

「―――――ッ!」


 そして、互いに木剣を向けて気合を掛ける。

 気合、とは言っても怒号が如き声をあげるのではない。

 腹の底から、お互いが息吹を吐き出したようなものだ。

 僅かに伊織の上体が揺れ、小次郎は泰然と姿勢を保っている。


(気圧された――か)


 それでも伊織もまた呼吸を整え、向かい合う。

 この後ですべきことは決めていた。

 伊織自身は試合をしたことはないのだが、何度か試合を見たことはあった。

 父たる武蔵の試合も――である。

 両手を広げたままに肩の高さにまで上げて、中段で小太刀と大立ちの切っ先を揃えた。

 武蔵流に云う円曲の構えである。

 対する小次郎は、微かに腰を落とし、右肩に太刀を担ぐように乗せた。


「ほう」


 忠政は二人の構えを看て、なにやら感心するところがあったのか声を小さくあげた。

 そして。


「上手いの、小次郎とやらは」

「御意」


 と返したのは、忠政の傍に控える武蔵である。視線は前に向けたままに、小笠原藩侯に静かに応えた。


「ああすると、真正面からは太刀の長さが見えん。今の一瞥で間合を測れるものではない。長さを見せつけて、それから隠す。恐れを誘うやり口をよくわかっておる」


 今度は武蔵は頷いてから。


「その上に、担ぐに際して脇を締めて構えを小さくしております。ああすると打ち込みが早く鋭くなります」


 と言った。

 一般に担ぐ構えをとると、その打ち込みの動きに無駄が生じるものとされる。それを脇を締めることによって補っているのだ。

 ふと武蔵は、忠政に聞こえぬように呟いた。


「思い出した。虎切か」


 それがどういう意味なのか、この場で知る者は他にいない。

 忠政は「それに対して伊織は」と幾分か声を沈めて言った。


「あの構え、円曲か。二刀中段の基本ではあるが、余の覚えでは切っ先はやや下に下げていたと思うが……」

「御意。――我が流派では、あの構えから待ち受けますが、やはり伊織も緊張しておるようです」


 二人の視線の先で、伊織の円曲の構えは本来とは違い、切っ先がやや上向きとなっていた。

 本来は切っ先を下げることによって相手の攻め気を誘う構えであるのだが、あの向きではそれは不向きに思えた。

 いや。


「しかし、この場ではあれで正解でしょう」


 武蔵は、何処か面白そうに解説を加えた。


「尋常の試合ならまだしも、真剣勝負に近い場となれば攻め気を誘うというのはより格上でなくては通じませぬ。受け手が巌の身となっていればまた別ですが、伊織には些か早かったやもしれませぬ」

「いわおのみ……融通無碍、水が如き自由自在こそが武蔵流の妙味かと看ておったがの。心動かずして身居付かずの境地があってこそか。やはり、今のままでは伊織ではちと分が悪いか」

「御意」


 と、武蔵はひどくあっさりと、自分の養子の不利を肯定した。


「今のままでは、三合とて打ち合えませぬ」

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