080.見知らぬ絵


「あー! おーじょさまだ~!!!」


 建物に入っての第一声は、元気な子供の声からだった。

 入学したての俺たちより一回りも二回りも小さな子供たち。まだ汚れの一つも知らぬ少年少女たちがそこらを走り回っていた。

 その中の一人が俺たちの来訪に気づいて声を上げると、子供たちは一斉に輝かしい笑顔を向けてこちらに駆け寄ってくる。


「おーじょさま!今日も来てくれたんだ!」

「はい、今日も来ちゃいました。 今日はみなさんにお菓子を持ってきました」

「お菓子!?」

「えぇ。今頃先生たちのもとに届いているでしょうから、見つければ貰えるかもしれませんよ?」

「ほんとぉ!? せんせ~~!!」


 まさに群れをなす活発過ぎる集団。

 駆け寄った子供たちは一瞬のうちに俺たちを取り囲んだかと思えば、エクレールの一言によって瞬く間にその場から離れ、去っていく。

 正しく一個の群。塊となった少年少女たちはバタバタと大きな音を立てながら遠くへ行ってしまった。


「―――ふぅ。やっぱり子供は元気が一番ですね」

「エクレールだってまだまだ子供なのに」

「あら、それをいうならスタン様だって」


 俺たち以外誰も居なくなった玄関。一人呟くエクレールに返事をしてみせると軽快な返しが飛んでくる。


 傍から見ればどちらも子供も子供。ただ背伸びをして大人の真似事をしているようにも見えるが、俺は精神的に高校生。そして彼女は王家の教育を受けてきたのだ。

 この歳でこの佇まいは王家の教育に末恐ろしさしか感じないが、今は脇に置いて建物の内部へと意識を向ける。


 靴からスリッパに履き替えるための玄関。脇には靴箱やボール、バットなどおもちゃになりそうなものもいくつか散乱している。

 そして玄関を上った先には一本に長く伸びる廊下と階段が見えた。そんな道をエクレールは迷わずまっすぐ道なりに突き進んでいく。


「……この世界には、魔獣がいます。大小様々ですが、人をゆうに殺せるほどの」


 彼女が何も言わず上がるのを見て俺もスリッパに履き替え追いつくと、ふとそんな言葉が聞こえてきた

 こちらからは背中しか見えないが、声色はいたって冷静な彼女の声。


「王都付近は防衛も優秀なので問題はないのですが、地方の領地ではそうもいきません。稀に襲われる事件も起きているのです」

「……うん」


 魔王がいなくても魔獣はいる。それは最初から知っていた知識。

 そしてその被害もある程度予測がついていた。どこかしらでそういった凄惨な事件も起きているだろうと。


「ここはそうして家や家族を失った子供たちを保護するために建てられたものです。一時的にですが大人も受け入れております」


 だから孤児院、もしくは保護所と。

 身寄りのない人の保護も王家の仕事なのだろう。だからすぐ近くの教会に建てられたと。

 なんの問題のないまっとうな仕事。むしろ福祉が充実していて良いともいえる。しかしここでとある疑問にたどり着いた。


「……あれ?じゃあ、シエルはなんでスラムに?」

「…………はい。さすがスタン様です。やはりそこにたどり着きますよね」


 その問いに足を止めたエクレールは、1つ嘆息して振り返った。

 彼女の表情は悲しみを伴った笑顔。


「これまでは襲われても親戚を頼るなどしていたようですが、ここ最近は血縁の関わりが希薄になった事で問題が表面化し、この制度ができたと聞いております。最近のことだったので地方に周知がしきれていなかったのです。その結果、シエルさまはスラムに行くことに……」

「じゃあ……じゃあ!もし知っていたらシエルはスラムで苦労することは…………!」

「なかったと思います」


 俺と出会う前の彼女について、あえて詳しく聞いていない。

 しかし、もし彼女がこの制度を知っていたら、彼女の母親までも倒れることはなかったのかもしれない。

 そう考えるとやるせない気持ちが沸々と心の内から湧き上がってくる。


「このこと……シエルには?」

「お話しました。 シエル様は優しいですね。笑って許してくださいました」

「……そっか」 

「そしてシエル様は、自分が居ないところでスタン様にお話してほしいと頼まれましたので、お伝えしたのです」

「…………そっか」


 ……優しいな。シエルは。

 俺が当事者だったらどこにも向けられない怒りを当たり散らしていたかもしれないのに。



 廊下の道中。

 開け放たれた窓から吹き込む風が俺たちの間を通り抜けていく。

 眼の前の少女は銀のような白のような美しい髪をたなびかせ、俺は金の髪が揺れ動く。


 優しいシエルのことだ。きっとそれを聞いて変な気を回されたくなかったのだろう。

 遠くで子供たちのはしゃいでいる声が窓越しに聞こえてくる。もしかしたらシエルもこの中の声の1つだったのかもしれないのか。


 しかし終わったものは変えようがない。しばらく彼女の言葉を咀嚼していた俺だったが、心に落ち着きを取り戻したところでもう一度エクレールと向き合う。


「じゃあエクレールは、これを伝えたくって孤児院まで?」

「はい。ですがもう一つ。 スタン様に見てほしいものがあるのです」

「見てほしいもの?」

「えぇ。こちらは大それたものではありませんよ。 この部屋にあるものです」


 しばらく向かい合って話していた俺たちだったが、その言葉をトリガーにエクレールはすぐ隣の部屋へとおもむろに入っていった。

 俺もついていくと、暗いカーテンで閉められた部屋の中にあるのは壁中に設置された本棚と所狭しと並べられた本。どうやらここは図書室のようだ。


 彼女はそのうちの一冊。なにやら分厚い辞書のような本を取り出してテーブルの上に広げていく。


「たしかこの辺の…………ここです! スタン様、この絵に見覚えなどはございませんか?」

「なになに……? 女の人の絵?」


 パラパラとめくって指で示したのは、とある女性の絵だった。

 まるでヴィーナスのような美しい女性。きっと誰かの理想を体現させたような女性だろう。

 長い髪にスタイルの良い体型、理想を詰め込んだ容姿は穏やかな顔で本を見ている俺たちを覗いているようだ。


「ラーシエ様の絵ですよ。見覚えはありませんか?」

「ん~? いや、無いと……思うけど…………」


 ラーシエ様といえば隣の教会でも崇めている神様の名前だ。この国主流の宗教でもある。

 見覚えといえば多分……ない。学校や家の本なんかでチラッと目にしたことはあるかもだけど、少なくとも思い出せるような範囲ではなさそうだ。


「うん。見覚えはないよ。この人がどうかしっ………」


 段々とかもしれないが確信に変わり、何となく本から顔を上げてみせると、思わず言葉を失ってしまった。


「…………」


 エクレールが真剣な顔で俺をジッと見ているのだ。

 まるで指どころか髪の毛一本の動きすら見逃さないというような迫力で。


「エク……レール……?」


 なんとか絞り出した呼びかけにも彼女は何も応じない。

 ただ俺の一挙手一投足を見逃すまいと、瞬きすら忘れたように俺を見ていた。


 穏やかな彼女としては珍しいその光景に息を呑んでいると突然、フッと彼女の表情が柔らかいものに戻って視線を俺から外し本を閉じる。


「――――ありがとうございます。余計な心配をお掛けしました」

「う、ううん。 それで、女神様を見覚えってどういうことなの?」

「いえ、大したことありませんよ。 先日学校で、一度死の淵にいて戻った人は神様と対面するって噂を聞いたものですから。 私もちょっと気になって試しちゃったのです」


 あぁ、そういうことね。

 確かに俺はこの世界に来た時に事故に遭ったんだ。死の淵かどうかはわからないが、結構大事だったのは聞いている。

 そしてエクレールがその話を聞いたからすぐ近くにいた俺に聞いてみたと。残念ながら本当に見覚えはないんだよな。死の淵どころか一回死んでるけれど。


『おうじょさま~! どこ~!?』


 本を回収したエクレールがもとの場所に戻していると、そんな声が遠くから聞こえてきた。

 きっと子供たちのだれかだ。エクレールを探しているらしい。


「あら、きっと私達が来ないから探しちゃってるのでしょう。 スタン様、先生にご挨拶しに行きましょう?」

「うん。そうだね…………って、エクレール?」


 その声に反応するように部屋の出口に向かった彼女だったが、扉を塞ぐように立つばかりでそこから一歩も動こうとしないことに気が付いた。

 手を腹部に当てて肘を曲げるようにして直立するエクレール。どうしたのかと様子を伺うと、彼女の視線が俺に向いたかと思えばこれみよがしに曲げていた肘に目をやった。


「スタン様は私のナイト様なのでしょう? 後ろではなく、是非横に来てくださらないのかしら?」

「横!? でも……それは………」


 確かにナイトは了承したけど、それは寮の話じゃ!?それに横はエスコート!また別の関係性にならない!?

 そう言おうとしたけれどニッコリと自信満々の笑みを浮かべる彼女に俺は閉口する。

 きっとエクレールは全部わかってたやってるんだろうな。俺をからかってるのか本心かはしらないが、拒否する理由はない。


「じゃあ、あんまり暴れないでくださいよ。お姫様」

「私が暴れる? そんな事一切ないと思うのですが……」

「暴れない人はお城を抜け出したりしません。 ほら、行きますよ」

「ふふっ。 はい!」


 俺が彼女の肘に手をおいて歩きだすと同様に彼女も動いてくれる。

 それはもはやナイトというよりエスコートする殿方。これが学校だったら噂はさらに加速することだろう。

 しかし孤児院にそういった邪の心はきっとない。これから向かう先が子供たちばかりの空間に、俺は心底安堵するのであった。

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