052.本音の付き合い
「あんたたちは終わらすの早すぎなのよぉ……。なんで届いてすぐにあの量を終わらすことができるわけぇ?」
シャワーの音に紛れてマティの声が聞こえる。
恨み節のような疑問のような、そんなダラけた声が反響する空間で響いていた。
極限までリラックスしながらの言葉。疲れ切ったような少女の言葉を泡が流れる音とともに耳にする。
「すぐじゃないですよ。私だって今月入ってようやく終わったわけですし」
「でもシエルちゃんは普段お付きの仕事しているんでしょう?それだけでも凄いわよ。ソイツの面倒見ながら課題やるなんて相当無茶がすぎるじゃない」
「あ、ありがとうございます。エヘヘ……」
素直に褒められたことでシエルの照れる声が聞こえてくる。
確かにシエルが素晴らしいことは俺も同意だ。毎日朝早くに起きて仕事もして勉強もして……俺でさえ神山当時この年齢だと考えられない。
「問題はスタン、アンタよ!いたわよ!あの量を1週間で終わらせたってね!!」
「…………」
「ちょっと!聞いてるの!?」
肩に届かない程度の短髪。もちろん既に泡なんて落としきっているが、それでもシャワーから流れ出るお湯に頭を預け続ける。
それはまるで『聞こえていない』と意思表示をするかのように。マティがなにやら遠くで喚いているが俺は返事をすることなく音をかき消された風を装ってワシャワシャと自らの髪を洗い流していく。
「全く、アイツったら……」
「マ、マティナール様。ご主人さまは聞こえてないんじゃ……」
「えぇ分かってるわ。……ちょっと行ってくるわね」
ボソボソと遠くで二人話す声が聞こえてくる。
さっきみたいに反響するほど喋られればこちらとしても内容を理解できるが、声量が小さくなれば本当にシャワーに紛れて声が聞こえない。
だが声が小さくなったということは大人しく二人で話す方へシフトしたのだろう。俺は一安心して再び目の前のシャワーへと意識を集中して――――
「ちょっとアンタ!聞いてるの!?」
「うわっ!?」
――――集中できなかった。
俺が手元に置かれた石鹸へと手を伸ばしかけたところで、突然肩と額を掴まれ引っ張られてしまう。
首を視点に額を引っ張られれば、当然視線の向かう先は天井へ。
強制的に向けられた視界には覗き込むように見下ろすマティのつり上がった目がしっかりと俺を捉えている。
「なんでアンタはあの量の課題を一週間で終わらせられたのよ!?」
「えっ……えっといや……それは…………」
疑ってかかるような視線に戸惑う俺。
言葉を失う理由は何も疑いの内容が真実で虚を突かれたわけではない。彼女のその格好が問題だった。
日もすっかり落ちた夏の終わりが近い夜。
課題をなんとか終わらせたマティはウチに泊まることとなった。そして真っ先に彼女の父から命じられたのは全員でお風呂。
反響する部屋、眼の前のシャワー。俺達はお風呂場でやってきていた。
シャワーを浴びるとなれば当然全裸。わざわざ湯船から出て俺を見下ろしているマティも当然服なんて一枚も来ておらず、意図して視界から外しているその先にどうしても意識を持っていかれてしまう。
「なによ。やっぱりやましいことが……もしかしてアレね、パパやママにやってもらったんでしょ?」
「そんなことは……別に……」
まるで言い逃れのできなくなった犯人のような挙動だった。
目はひたすらに泳ぎ、彼女の言葉にしどろもどろの反応。
本当に両親にやってもらったわけではない。ただ眼の前いっぱいに広がる肌色が問題だった。
この世界に始めてきた時は見知らぬ世界に必死でシエルとの裸の付き合いも平気だった。そして今でも家族の一員という認識だ。
だがマティは赤の他人。いくら年下といえど彼女と一緒にお風呂に入るのはとんでもない抵抗があった。きっとそんなことを考えているのは俺だけだろう。自らの思考の異常性を認識しているからこそマティ父に拒否を示すことなんかできず言われるがままにお風呂に入り、せめてもの抵抗としてシャワーでずっと下を向いていた。
それがどうして強制的に向けられるマティとの対面。
赤みがかった茶色の髪から落ちる雫が俺の頬を伝う。同じ色の瞳が真っ直ぐこちらを見つめておりフッと視線を逸らしてしまう。
「本当に自分の力で?」
「あ、あぁ……」
「………なんか怪しいわね。ちゃんとあたしの目を見ていいなさい!」
「っ――――!」
グイッと。
額から手を離したかと思えば両肩を掴まれ真っ直ぐ目を合わせてきた。
正面に広がるマティの姿。逸らしてきた視界が嫌でも目の中に入ってしまう。
「本当だって……」
「ならあたしの目を見て言えるわよね?」
「それは…………」
「ご主人さまはちゃんと全部自力で解いてましたよ! ね、ご主人さま!」
挙動不審に泳ぐ俺の目。それを見ていたマティがいっそう不信感をあらわにするさなか、突如聞こえてきたのは救いの声だった。
フォローするように入ってきた我が従者。湯船から飛び出してきた彼女にホッと一息つく。
「シエルちゃんはそう言ってるけど、本当?」
「あ、あぁ。そもそも自力で解けなきゃ今日マティにあれだけ教えることできなかったでしょ?」
「…………むぅ」
さすがに二人がかりだとマティも納得せざるをえないみたいだ。
諦めたように戻っていって湯船に落ちる彼女に俺も肩を撫で下ろして頭だけを出すマティと目を合わす。
ブクブクと口から泡を吹き続けるマティ。そのカニのような姿は不満気を一身に表していた。
「マティ?」
「……私、課題だけでこんなに苦労して。2人に手伝って貰ってようやくできた程度で……。こんなので学校でやっていけるかしら」
……何を突然憤ってるかと思ったら、そういうことか。
彼女にとって学校とは未知の世界だ。
俺みたいな人生2周目と違い、そんな未知が直前に迫って不安に思っているのだろう。
水面に沈んだ彼女の視線はジッと浮き出ては消える泡を見つめ、大きく息を吐く。
「大丈夫だよ。マティも課題の基本はしっかり抑えてたし
「そ、そうですよ!学校は勉強だけじゃありませんから!絶対好きになれます!」
パシャパシャと水を跳ねながら同じように湯船に落ちたシエルはマティと目を合わす。
「そう? もしテストが全然で毎日補習とかになったらって考えると……」
「それは……私達が教えます!補習にならないように!」
「……スタンも一緒に?」
「もちろんです! ね、ご主人さま!!」
ギュッと、マティの手を握るシエル。
促すようにこちらに目配せする彼女は自信満々の表情だ。
従者でありながら特別として入学を許された彼女。彼女もまた学校を楽しみにしているのだろう。
当然だ。友達なのだし、見捨てるなんてことはしないだろう?
そう考えるとふと、日本のことを思い出した。友人との無駄話を"無駄"と断罪して一人勉強に明け暮れた日々。
かつての日々と今は違うというように、振り払って笑みを浮かべる。
「うん。僕たちがマティを置いてくなんてありえないよ」
「…………ホント?」
その瞳は縋るような視線だった。
置いていかないで。一人は嫌だ。そんな未知の場所へ向かうのを怖がっている瞳。
普段勝ち気な彼女。きっと内心は不安でいっぱいなのかもしれない。
今の俺となっては入学時の記憶なんて遥か彼方。けれど幼稚園という助走期間もなく、突然親の居ない小学校に放り込まれて勉強なんて言われたら不安にもなるだろう。
そんな彼女の不安を払拭すべく、俺も湯船に入って彼女の濡れた髪をそっと撫でる。
「もちろん。今日の勉強もそうだし……マティ、春の街の件忘れちゃった?」
「街の……件?」
「あの雨の中でもボクはマティを一度も落とすことなく屋敷まで背負ったよ。だから勉強程度で振り落とすなんて真似、すると思う?」
あの街での一件。
足を怪我した彼女をこの家まで運ぶのは中々骨が折れた。
言い方は悪いがあの時俺は彼女を見捨てて一人で帰り、その後馬車で迎えに来る、または城の方向など他にも選択肢はたくさんあったのだ。
それでもあの道を選んだのはひとえにマティの意思を尊重したから。あの日に比べたら勉強なんて朝飯前だろう。
「……そうね。アンタってば、あたしのこと大好きだったもんね」
「え? あぁ、そうだね」
なんだ突然好きって。そりゃ数少ない友達の一人だから当然大好きだけど。
両脇にいる俺たちを交互に見渡した彼女は、フッと笑って突然手を大きく広げて俺たちの肩に手を回して引き寄せてくる。
「わっ!」
「きゃっ!」
「ふたりとも、ありがとね。 なんだからしくなく不安がってたわ」
三人で顔を突き合わすように引き合わせてきたマティ。そんな彼女の見せた表情は笑顔だった。
彼女はおよそ十数センチ程度の距離になった俺たちを見てニッと口を歪ませる。
「でもいいの? もしあたしが勉強できずに置いて行かれたら、散々足引っ張っちゃうわよ?」
「……望むところですっ!ね、ご主人さま!」
「もちろん。でもそうならないよう、ボクも今日以上にスパルタで教えなきゃね」
「わぁ怖い!」と告げるマティを皮切りに、俺たちは一斉に笑い合う。
これはお風呂場の、裸での付き合い。
裸の付き合いだからこそ、心を守る鎧も緩んでマティの本音が聞けた夜だった。
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