039.婚約と修羅場

「…………エクレール」


 逆光に照らされた髪が銀色に輝いていた。

 暗い室内に届く光。覆いかぶさっている俺とラシェル王女を彼女は真っ直ぐ見つめていた。


 よっぽど急いで来たのだろう。

 急いで来たのか肩は上下し息切れの声が聞こえる。大空のような瞳が向けられているが、その表情は暗くてわからない。

 突然の乱入に驚くラシェル王女。なぜこの場所がわかったのか……。そんな目を一瞬浮かべつつも直ぐに余裕を取り戻してエクレールへ笑みを向ける。


「あらエクレール。随分早いご到着で驚いたわ。よくここがわかったわね」

「スタン様のお召し物には追跡の魔道具を忍ばせておりましたので。走り回っていた時は補足出来ませんでしたが、止まった今ならすぐに追いつけます」

「えっ!?うそっ!?」


 確かにこれはエクレールたち王家より借りたものだ。まさかそんなものが仕込まれていたとは。

 ガサゴソとポケットを漁ってみるもそれらしき物は見当たらない。何処にそんなものが……


 発信機なんてあれば見つけられるはず。どこに隠したのか探していると、突然ラシェル王女が俺のジャケットを掴んで内側を露わにさせた。

 睨みつけるように赤い瞳が向けられるのはジャケットの内側……内ポケットに刺繍されたタグだった。彼女は黙って指を這わせると、タグの文字が僅かながらに発光する。


「……私としたことが、しくったわね。あらかじめジャケット捨てておけばよかったわ」

「たとえ捨てられても、レイコに見張らせてましたので、どちらにせよ直ぐに見つけられましたわ」


 銀色に輝く髪の少女と金の髪の少女が対峙する。

 一触即発の雰囲気。逃げようにも出入り口はエクレールの立つ扉のみ。更に彼女の後方にはレイコさんまでも控えており、まさに袋の鼠である。


「レイコも久しぶりね。それで揃ってどうしたのかしら?今私は彼とお話している最中なのだけれど」

「スタン様は私の婚約者です。勝手に攫ったりして不必要な接触は控えていただけませんか?」

「あらどうして?正式に結婚したわけでもないのでしょう?別に他の女性と話すことくらい何も問題ないと思うけど」

「それは……」


 自分の行動に絶対の自信を持っているラシェル王女が疑問を呈すとエクレールは何も返すことなく目線を下げてしまう。


「と、とにかくダメなのです!彼は婚約者になって間もなく、粗相をしてラシェル王女の気を害してもらうかも知れませんので!」

「あら、エクレールも私のことはよく知ってるでしょう? 別に礼儀とかそんなの気にしないわ」

「でもダメなのです! ほらスタン様、そろそろ帰宅のお時間ですよ!」

「えっ……!もう……!?」


 あまりに早い帰宅。

 ちょっと挨拶をして、連れ去られての帰宅。

 ツカツカと歩いてきた彼女はラシェル王女から俺を引き剥がして手を固く繋ぎながら扉へ戻ろうとする。


 確かに婚約者の紹介という最大の目的を達成したから問題ないのだが、間近で見たエクレールにはなにか焦りのようなものが見えていた。


「私、彼に婚約者になって欲しいって伝えたわ」

「っ――――!」


 不意に告げられる一言。

 その一言はエクレールの足を止めるには十分だった。

 彼女は驚いたように目を見開いて振り向くと、ラシェル王女は余裕の笑みを浮かべている。


「ですがスタン様は私の婚約者であって……」

「えぇ、もちろん。今の婚約者であるエクレールとの関係は尊重すべきだわ。でも本人の意思が一番大切なんじゃない?」

「…………」


 返す言葉を失った彼女はグッと唇を噛む。

 元々偽物の婚約関係だ。その目は迷いを含んで視線がいたるところに揺れ動き、どこに留めていいかわかっていない。


「ねぇスタン、あなたはどうしたい?エクレールと一緒にいたい?それとも私がいい?」

「ボクは……」


 続いて俺へと向けられたターゲットに、1度目を伏せて考える。

 自分の意思はどうなのか。15歳。もうしばらくすれば16歳に届きうるこの年齢。

 1度は死に、再びこの世界で生を受けた自分は何をしたいのかを――――


「すみませんラシェル王女。ボクはエクレール王女とともに歩きます」


 俺の考えは最初から決まっていた。

 ラシェル王女の脇を通り過ぎ、エクレールの隣に立つ。


「……理由を聞いても?」

「まず第一に婚約……と言いましたがラシェル王女殿下とボクは初対面。婚約するには判断材料が足りません」

「あら、民みたいなロマンティックな事を言うのね。人となりを知らなくても王女と婚約ならみんな飛びついてくるのに。……ま、いいわ。次の理由は?」

「続いてボクはガルフィオン王国の人間です。いくら王女殿下といはいえ義理もなにもありません。そして…………」


 俺は言葉を途切れさせ、隣のエクレールを見る。

 驚きの顔に満ちたお転婆少女。俺はそんな彼女を見てフッと笑い、その肩を引いて抱き寄せる。


「ひゃっ……!」

「ボクはエクレール王女の婚約者です。たとえ今は"仮"でも"候補"でも、この想いに嘘偽りはございません」


 小さな悲鳴がエクレールからあがる。

 "今"の俺と彼女は婚約関係。彼女にとって何の感情を抱かずとも、一度引き受けた以上それは想いから全うすべきだ。

 そしてそれ以上の理由として、ここでラシェル王女と婚約なんてしたら非常に厄介なことになる。偽の婚約が本当の婚約にさえなりかねない。

 自由に生きると決めた今、わざわざ王家の縛りに加わる気はない。


「……まぁ、そうよね。 ごめんなさい混乱させちゃったわね」


 少しだけ不安にも思った啖呵。

 ここは相手方の国。そんな場所で王女相手に喧嘩を売るような事をして顰蹙ひんしゅくを買ったらどうしようとも思った。

 俺だけならともかく、下手すればエクレールの立ち位置まで脅かされるかも知れない。

 

 しかしそんな俺の不安も杞憂に終わり、ラシェル王女から返ってきたのは笑顔だった。

 知っていたような、やっぱりという笑み。彼女の言葉を受けてエクレールを抱いていた力も緩む。


「いえ、王女殿下直々にお誘いを受けまして本当に嬉しかったです。ありがとうございます」

「…………へぇ、お礼を。そういう事言っちゃうんだぁ」

「……へ?」


 俺のことを婚約者に。それはきっと好きという感情からではないだろう。

 気になったからキープとかそういう意味合いかもわからない。けれど思いを伝えられたからにはお礼をと思って頭を下げたものの、彼女はなにやら含みのある表情を浮かべてこちらに近づいてくる。


「ねぇ聞いた?エクレール。 彼、”嬉しかった”って。案外私も脈あるかもしれないわよ?」

「……そんなのただのリップサービスです。あなたに恋愛感情も無いくせに」

「たしかにそうだけど気に入ったのは本心よ。こんな気持ちは他の男の子たちにはなかったもの。もっと知りたいと思うのは普通じゃない?」


 ……ダメだ。なんだか雰囲気が言い争いのそれになってきた。

 このパーティーも売り言葉に買い言葉で始まったっていうし、きっとこんな雰囲気からだったのかもしれない。


「ねぇスタン。もしエクレールが嫌になったらウチに来なさい。めいっぱいもてなしてあげるから」

「そんなものいりません! スタン様、今度こそ帰りますよ!!」


 投げキッスをするようにこちらにアピールする様を見て過敏に反応したエクレールは、今度こそ俺の手を引き部屋を出ようとする。

 しかしその足は外に出ることはなかった。今度は俺が足を止め、同時に引っ張ってくる彼女の足をも止めてしまう。


「スタン様……?」

「ゴメンエクレール。ちょっと一つだけ話したいことがあって」


 俺が足を止めたのはどうしても彼女に問いたかったこと。最初から、ずっと気になっていたこと。


 真剣な目で彼女と向かい合う。

 ラシェル王女はまさか俺が止まるとは思っておらず驚いた表情を見せていたものの、すぐに余裕の笑みになって両手を広げて見せる。


「あらスタン。心変わりしてやっぱり私のところに来てくれるの?」

「ラシェル王女……一つだけ教えてください。 この部屋は一体何が置かれている部屋なんですか?」

「「…………へ?」」


 その疑問の声は、前と後ろから届いた。

 正確にはエクレールとラシェル王女から。2人揃って同タイミングで疑問の音が出てしまう。


 それが俺の今どうしても聞きたかったことだ。

 この部屋に着てからずっと気になっていたこの香り。この正体は一体なんなのかを。


「はい。ずっと気になっていたんです。この部屋、何を保管しているのかと」

「何ってウチの特産物だけど……。干物に野菜、後はコーヒー豆――――」

「――――コーヒー豆!!」


 そうだ!やっと思い出した!!

 この嗅ぎ慣れたような慣れないような不思議な香り!この部屋に来てずっと何かなって思ってたけどコーヒーだったのか!!

 あの春に一杯飲んで以降ご無沙汰だったコーヒーがまさかこの国の特産だったなんて!!


 確かにあの日は一口だけで無理だと理解した。今だって飲めないと思っている。

 しかし苦すぎるからこそ、あの衝撃的な味が舌に残り時折飲みたくなる衝動に駆られるのだ。たとえ飲めなくても。 


「なぁに?コーヒーが好きなの?変わってるわねぇ。私と婚約すればいつでも飲み放題よ」

「の……飲み放題……!?」


 あの相場の5倍を越えるコーヒーが!?

 確かにコーヒーは嗜好品。税も相当量取られていることも理解している。だからこそ、その誘い文句は甘美に思えた。


「コーヒーでしたらこちらのお城で好きなだけ用意して差し上げますから!ほら、行きますよ!!」

「コーヒ……特産の……」

「はーやーくー!!」


 苦くて甘い誘いに俺の心は揺れ動いていると、今度こそ力いっぱい引っ張ってくるエクレールによって無理やり部屋の外へと脱出する。

 俺は倉庫にある宝の山を心底惜しみつつ、引きずられるがままに帰りの馬車へと乗り込むのであった。

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