033.あなたの好きな服

 カミング家の朝は早い――――


 当主の父や母は早々に眠りに入る事は多いが、警備の関係上完全に火が落ちることはない。

 警備や料理人、庭師など。この屋敷一つとってもかなりの雇用が発生している。


 その数は3ヶ月経った今でも全員の顔と名前が一致しないほど。様々な者が働くこの屋敷の中で特に朝早いのがメイドたちだ。

 朝日が出る前に起きて父や母が起きる前に様々な準備をしなければならない。

 部屋に明かりを灯し、洗濯を行い、朝食の準備に参戦する。それを毎日穴を開けること無くやっているのだ。


 8月に入ったとある日。

 俺は眠い目をこすりながら右へ左へと広い屋敷を駆け回っていた。

 1周。2周。3周。4周と。部屋を周り、カゴいっぱいになった洗濯物を抱えて洗面所へ向かう。

 どれだけ洗濯物があるのかと漏らしたくもなるが中々の数の人が住み込みで働いているのだ。人が多ければそれだけ洗濯物も増えるだろう。

 朝5時半からの重労働。「家督を継ぐための勉強に日々忙しいのにやるわけがないだろう」と神山にいた頃の自分なら言っていただろうが、今日の俺はやる気に満ち溢れていた。


 今日はマティとエクレールをウチに呼んでからおよそ一週間後の夏真っ盛り8月の朝。

 今日はシエルの誕生日だ。有言実行。言行一致。先週シエルをご主人さまにすると告げた俺はこの朝早くから屋敷内を走り回っていた。

 その身に纏うのはシエルと同じ給仕服……などではなく、子供用の執事服。メイド長が一週間で準備してくれた。


 新しい服に袖を通し、前世含めて初めて行う家事にやる気を満ち溢れさせながら洗濯物の回収を終えて次の指示を仰ごうとメイド長を探していると、ふと廊下の角で目的の壮年の女性を見つけた。


「メイド長。洗濯物運び終わりました」

「――――あら、噂をすれば。お疲れ様です坊ちゃま」

「噂?」


 廊下に立って何をしているかと思えば誰かと話していたみたいだ。

 話を中断して俺の姿を捉えたメイド長は軽く一礼し、ねぎらいの言葉を投げてくる。

 俺が首を傾げると彼女の目線は廊下を曲がった先へ。俺も回り込むようにしてその先を目に収める。


「あれ、シエル。まだ寝てていって言ったのに」


 どうやらメイド長はシエルと話していたみたいだ。

 今より1時間ほど前、俺が起きると同時に目を覚ましたシエル。「今日はボクがやるから寝てて」と言ったものの起きてきたみたいだ。働く気もあるのかいつもの給餌服を身にまとっている。


「いえ、その……もうずっと同じ時間に起きてたので、いざ寝てていいって言われても眠れずに……」


 それもそうだ。

 彼女にとっては朝早くに起きるのが習慣化されているだろう。この数ヶ月早起きしていたというのに起床時間をズラすと妙な感覚にもなる。

 しかし今起きられて働きでもされたらせっかくの俺の執事化が無意味になってしまう。どうしようかと考えていると、ふと何処かから漂ってくる香ばしい肉の焼ける匂いが鼻腔をくすぐった。


「そうだ。メイド長、朝ごはんってもう食べられる?」

「もちろんですよ。旦那様も奥様ももうこの時間には食べられてますので」

「よかった。シエルもせっかく起きたのならこれから朝ごはんにでも―――――」

「お待ちください坊ちゃま。――――シエルさん」

「……?」


 香ばしい匂いと急速に湧き上がってくる食欲。

 せっかくだしシエルと一緒に食事へ向かおうとシエルに近づくも、メイド長に肩を捕まれ静止させられた。

 どうしたのかと振り返れば彼女は真剣な目でシエルを見つめており、なにやら納得いかないものがある様子。彼女がシエルを呼ぶと「はい……」と少し怯えた様子でメイド長を見上げる。


「お仕事中にすみませんメイド長。もしかして私に至らぬ点があったのでしょうか」

「いえ、シエルさんは本日休暇ですし、食べに行っていただいても問題ありません」

「では…………!」

「――――ですが、休日だからこそ今のシエルさんの格好はいただけませんね。本日は貴女がご主人さまなんでしょう?ならばふさわしい格好に着替えてください」

「……なるほど」

「へっ?」


 真剣な口調で語られるそれに俺は納得の言葉を発し、シエルは不思議そうな表情を浮かべる。

 確かに彼女の格好は全くふさわしいものではない。おそらく手癖で着替えたのだろう。いつもと同じ、毎日着ている給仕服。執事服の俺が給仕服のシエルに付き従うとなるとおかしな話だ。


「シエル、その格好だとボクもやりにくいし、別の格好に着替えてもらえる?確かマティたちと買いに行ったんだよね?」

「はい……。ですがそちらの服は本日洗濯に出しており……」

「……他の服は?」

「…………」


 黙って首を横に振る彼女に開いた口が塞がらなかった。

 流石は仕事人間と言うべきか、どうにもシエルは服に頓着がないと見える。


「もう朝のお仕事はありませんし、坊ちゃまの服をお貸しするのはいかがでしょう?」

「そうだね。シエルは俺の服で大丈夫?サイズ合うか不安だけど」

「……いいのですか?」


 そりゃあもちろん。

 どうにも"過去のスタン"と今の俺とでは服のセンスが違うらしい。

 これは嫌いアレも嫌いと振り分けていった結果、俺の着る服はワンパターンに。クローゼットには大量の未着用品が眠っている。俺が嫌いでもシエルなら気に入るのが見つかるだろう。

 しかし気のせいか。先程までより瞳の輝きが若干増しているような気もする。


「では坊ちゃま、次のお仕事です。シエルさんを着替えに案内し、ともに朝食を取ってください」

「……今日くらいは"坊ちゃま"呼びやめません?」

「私にとってスタン様はどんなお仕事をしても坊ちゃまですから」

「……わかりました」


 2つの意味で了承した俺はシエルの手を取る。

 俺と同じくらいの小さな手。今日働いて分かったが、この柔らかな手には毎日の積み重ねと苦労が積み重なっている気がした。


「行こう、シエル」

「え、あっ、はい!」

「いってらっしゃいませ。坊ちゃま、シエルさん」


 手を振るメイド長に会釈した俺はシエルの手を引いて駆けていく。


 きっとシエルは寝室を出てすぐメイド長に見つかったのだろう。

 廊下を曲がって寝室までは目と鼻の先。迷いなく扉を開けた俺は過去に纏めて仕舞って以来開けてこなかったクローゼットを開け放つ。


「さぁ、どれにしようか……」


 開け放たれたクローゼットには大量の服が入ってあるのだ。

 幼い頃着ていたっぽい小さな服から、今ピッタリのものまで。

 一つ一つ見比べながらシエルに合うものを探していく。彼女には何が似合うか、このサスペンダー付きパンツは……ダメだ。俺が嫌い。

 蝶ネクタイが縫い付けられてるシャツは……間違いなくシエルに似合わない。


「うぅん……どれにしよう……」


 扉を開け放ち数分、既に心が折れそうだ。


 そもそも女の子との関わりなんて妹しかなかった人生、趣味といわれても全然わからない。

 妹相手には困ったらスカートやワンピースでよかったが、当然そんなものなんてない。

 今になって神山の教えを恨みたくなる。なぜピンポイントに女の子の好みについて教えてくれなかったのか。


「ご主人さま……私が選んでみてもいいですか?」


 あれでもないこれでもない。

 右から左まで何周もハンガーを動かした。動かしすぎてレールが摩擦で燃え盛ってしまいそうなその時、背後から伺うような声がが聞こえてきた。

 本来ならまっさきに拒否するもの。しかし今回ばかりはお手上げすぎて助け舟であった。


「……お願いしていい?」

「はい。任せていただけるのであれば」


 正直混乱の境地だった。彼女が何を喜んでくれるかわからない。しかしここで変なものをセレクトしてしまえば主人としての威厳が地に落ちてしまうだろう。

 ダサいと評されるより知らないと評される方がまだマシ。恥を忍ぶ結果となるが好みではないものを引くより自分で選んだほうがいいだろう。

 

 そう言って場所を譲りクローゼットの前に立った彼女は、シャッ!シャッ!と快音を鳴らしながらハンガーを滑らせて服を流し見する。

 その速度1着1秒未満。恐るべき速さでもあるがしっかりと認識しているみたいだ。


「……やはり。ここにはありませんね」

「えっ?」

「ここにはない別の服を……あちらのクローゼットを開いてもよろしいでしょうか?」

「う、うん……」


 どうやらシエルの好みに合致するものはなかったみたいだ。

 若干残念な気持ちになりながらも次に彼女が目を向けたのは隣のクローゼット。

 使わないものを押し込んだこのクローゼットとは違い、普段遣いのものを入れたものだ。彼女は俺の了承を得ると慣れた手つきで一セットの服を取り出す。


「やっぱり……これですよね。ご主人さま、この服でいいですか?」

「えっ……でもそれって―――」


 十数着あるクローゼット内の服。明らかに目的意識を持って伸ばした手は、俺が普段来ているセットに届いていた。

 ただの白いカッターシャツと黒いパンツ。ネクタイとジャケットを着ればサラリーマンといえるほど普通のスーツスタイルの、何度も着回しているセット。

 いつも彼女はこっちのクローゼットへ俺の服を片付けている。普段から目にして見慣れたのだろうか。それとも好みのスタイルだった?その真意こそわからないが彼女は間違いなく目的を持ってそれを手にしていた。


 しかし、やはり着回している服をわざわざ持ち出されると嬉しいような恥ずかしいような複雑な気持ちでもある。俺が問いに答えあぐねていると、ふと正面にたった彼女がこちらを見上げて――――


「ダメ……ですか?」

「っ…………!」


 こちらを見上げたシエル。そこから繰り出されるは潤んだ瞳に口元に手を添える仕草。完璧なおねだりポーズであった。

 意図したものか偶然か。幼さもあって可愛らしさが全面に出たそのポーズは普段のシエルの冷静さとは180度違っていて思わず俺も戸惑ってしまう。


「ご主人さま……」

「い、いいよ!全然いい! 何ならアクセサリーでもつけてく!?ほら、色々あるし!!」


 初めて見る彼女のおねだりする姿に俺も混乱してしまっていた。

 彼女の可愛さを引き立たせられるのはもっと他にあるはず。ただそれだけを考えて適当に目についたアクセサリーケースを引っ張り出す。


「アクセサリーですか……。でしたら…………こちらなんてお借りして構いませんか?」

「コレは……チョーカー?」


 ケースを開いてみれば蒼や翠といった様々な色にひかる石が沢山転がっている

 どういった経緯かしらないが、きっと"スタン"が手に入れたものをここに集めていたのだろう。

 宝石の他にもネックレスやブレスレットなどジャラジャラしたものばかり。

 きっと売れば結構なお値打ち品だろう。そのアクセサリの山をかき分けて取り出し俺の手に置かれたのは一つのアクセサリー。

 鉢巻と見間違うようほど無機質な、首を囲むほどの長さを持つシンプルな黒いアクセサリー。チョーカーだ。


「はい。これをお借りしていいですか?」

「もちろん。借りるどころかあげてもいいほどだよ」

「いいんですか!?」


 今日一番の輝かしい目が俺を射抜く。

 俺がアクセサリーを持っていても使うことなんてほとんどない。 

 特にチョーカーなんて絶対似合わないだろう。こういうのはシエルみたいな可愛い子こそ映えるものだ。


「うん。どうぞ」

「……ありがとうございます」


 よっぽど気に入ったのだろう。俺の手のひらに置かれたそれを見つめる彼女の目は恍惚としていた。

 まさに一目惚れと言うべきか、そこまで嬉しそうにしてくれるとこちらとしても悪い気はしない。


「じゃあ早速。つけてみなよ」

「…………」

「……シエル?」


 俺のシャツとはいえせっかくの私服なのだからつけたところを見てみたい。

 そう思って「はい」と渡そうとしたものの、彼女は一向に手に取る気配を見せなかった。


「……付けてくださらないのですか?」

「えっ……」

「ご主人様からいただいたもの……私の首につけてくださらないのですか?」


 何事かと思えば思いもよらぬお願いだった。

 ハッとして顔を上げれば髪をかき分け首を露わにしている。まさに俺に付けてくれと言わんばかりに。


「でも俺、こういうの付けたことないし……」

「ダメ……です――――」

「わ、わかった! 付けるからジッとしてて!」

「♪――――」


 やんわりと断ろうとしたところ再びのおねだりが俺を射抜いた。

 目に涙を浮かべ、懇願するような表情に俺はなすすべなく陥落。


 背を向けて待ってくれている彼女に仕方ないと金具を外して彼女の首へと手を回す。

 ドクンドクンと心臓が高鳴るのを感じる。なぜだろう。俺と同い年幼い少女のはずなのにやけに感じる色っぽさ。一緒にお風呂に入っても何も感じなかったのにこうして身を委ねられていると変に意識してしまう。

 きっとこれは主人に対する慕情というものだろう。そう自分に言い聞かせながらなかなか引っかからない金具にフックを通す。


「……はい。できたよシエル!」

「ん……。ありがとうございます。ご主人さま」


 ――――疲れた。

 やけにドキドキしたし妙に手が震えて金具が引っかからなかった。

 しかし俺も15歳。年の功というものがある。

 ドキドキする心をなんとか表情に出すこと無く滞りなくミッションを完遂し、見れば首元には可愛らしいチョーカーが。

 それを手でスゥ……と撫でた彼女は小さく微笑みながら俺へと妖艶な表情を見せつける。


「これで私は……ご主人さまのもの、ということですね」

「えっ……それは違うんじゃ………」

「……ふふっ、そうですね。今は私がご主人さまでしたもの、ね」

「っ…………!」


 まるで俺の心なんて全てお見通しのような瞳。

 いつの間にかペースを完全に握られながら、彼女はもう一度チョーカーを一撫でし、その手で俺の手を握りしめる。


「それでは着替えますので……執事さんにもお手伝いをお願いできますか?」

「っ……!?い、いつも1人でやってるでしょ!それだけは主人命令!1人で着替えなさいっ!」

「わかりました。……ふふっ」


 さすがに今の流れで着替えの手伝いはまずすぎる。

 主導権を握られ何をされるかわからないと本能で感じ取った俺は脱兎の如く部屋から出ていってしまう。

 彼女に背を向けながら走っていると、背後から残念なような嬉しさような、そんな微笑みの声が聞こえるのであった。

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