第9話
三月一日。アキをはじめ、三年生達は卒業式を迎えた。
入学式同様に、おれは保護者の誘導に当てられた。要領は同じだから、来る人来る人へ向かって、「本日はおめでとうございます」と頭を下げていった。
偉い人達のダラダラと長い小言を延々と聞かされるだけの卒業式は、はっきり言って眠たいだけの下らない時間だと感じて生きてきた。こんなものあっても無くても変わるまいと思っていたのだが、それは立場が教師に変わっても同じであった。「これから君達は社会に出ます。今後は大人として、社会人としての自覚を〜」この辺りでおれは校長の話を聞くのを止めにした。
入学した際は高校生としての自覚を、卒業していく際は社会人としての自覚を。結局いつになっても求められるのは、馬鹿の一つ覚えの様に、自覚だ。殴りたい奴がいても、それを堪えて生きていくのも社会人としての自覚と言うのなら、おれもとうに自覚を携えてしまっていたという訳だ。そう考えると、何ともつまらないことではあるが、おれも自覚を持ってこの一年、教師をやっていたのかもしれない。
ホームルームでは、担任とクラスの皆とで、最後のお別れをした。ハルさんありがとう。また遊びに来るね。などと、クラスの皆が口々にしている。卒業という感動の余韻に浸っているだけで、どうせ明日になればそんな気持ちも、綺麗さっぱり忘れてしまうだろうに。でも、今日そんな事を口にするのは野暮だから、ありがとうと返事をしておいた。
「ハルさん!」
一年間聞き慣れた声が、またおれを呼んだ。あの日以来は、特に変わった様子も無く、また今まで通りのアキだった。
今日までにも、電話はたまに来たのは来たが、おれからあの日のことについては触れなかったし、アキもあれから何も語ろうとしなかったから、それで良いのかもしれない。もう良いのだ。こいつはこうして元気に卒業の日を迎えられたのだから。
アキはいつも通りの、屈託のない笑顔で寄って来た。
「卒業したけん、ウチも今日から大人やで!」
大人というのは、おれの様にその自覚をきちんともってして初めて大人だ。大人になるということを舐めていやがる。
「やけんこれからは安心して口説いてええけんな!」
おれがいつそんな素振りを見せたのだろうか。勘違いも甚だしい。これだから女というやつは。
「そういやハルさん、産休の先生の代わりでこの学校来たんやろ?やったらもう来年からこの学校おらんの?」
それもすっかり忘れていた。元々、おれはこの一年でお役御免の身であった。辞めようと躍起にならずとも、時間がきたら向こうからご丁寧に首を切ってくれるのだ。
「まぁ、でも、学校におらんくたって、会いたくなったら連絡するけん!」
皆にしたのと同じ様に、おれはアキにもありがとうと返事をしておいた。この日、三年生は卒業していった。
卒業生を送り出しても、あと一ヶ月程は任期が残っている。おれにとって、アキのいない学校は何とも静かである。
そうこうしているうちに、おれは校長から呼び出しを受けた。いよいよ年度末での離任の命を宣告されるのかと校長室へと足を運んだが、話を聞くと、全く逆の理由で呼びつけてきたのだった。産休の教師が、育休も続けて取ることになったから、もう一年ここで働くかという打診であった。
まぁ珍しい話ではないだろう。子どもを産んで、はい終わり、ではない。親は、産んだら育てなければならないのだから、乳飲み子を放っておいて仕事に行く訳にはいかない。
しかし、おれはその申し出を丁重にお断りした。校長は、やや驚きを隠し切れていなかったが、本人がやらないと言っているのだから、無理に引き止める様なことはしてこなかった。それはそうだ。去る者をいくら追っても仕方がない。おれはキッパリと、辞める意思を通した。
結局おれは、離任式には出席しなかった。卒業したのにわざわざ式に顔を出していたアキからは、「何であんたの離任式やのに来てないんよ!」と、すぐに電話が掛かってきたが、どうせ立ち去る身だから、そんなもの出てもしょうがないとだけ伝えておいた。
離任式後の三月末日までは、一応まだ任期が残っており、出勤する決まりではあったが、その期間も学校には行かなかった。二日目で事務員から電話が掛かってきたから、残っている有給休暇を全部使ってくれ、足りない分は欠勤で構わないと言っておいた。
四月になって、おれは地元にあるメーカーに勤めた。そう誰もが耳にしたことある様な有名な大企業という訳ではないが、一応全国にちらほら支店を構えている会社で、第二新卒という形で雇われた。
学生の時分、友人達は血眼になって就職活動をしていたが、何のことはなかった。結局皆、高望みして、自分の身の丈に合わない会社ばかり選んでいただけだろう。上を目指すのは大切だが、上を見続けていたらきりが無い。
全国展開している訳だから、転勤は多少なりついて回るし、新人に勤務地の希望の融通が効こうはずもない。面接の段階から、県外での勤務は覚悟する様言われたが、その通りになった。でもゆくゆくは、この地元の支部での勤務を希望することは面接でも伝えておいた。やはり、いずれは故郷の土に骨を埋めたいと思うのは、田舎者の性だろうか。
アキとは離任式以来、連絡を取らなくなった。というよりは、おれが返事をしなくなった。それからも何度か連絡は来ていたのだが、返事をしないでいると、いつの間にか向こうからもしてこなくなった。これで良いのだ。
今でも肌寒い夜は、たまにあいつのことを思い出す。そんな日は、冷たいカフェオレを飲みながらタバコを吹かし、遠くの空へと煙が流れていくのを眺める。
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