17 平民の日常
王太子と平民がパーティーでダンスを踊ったことは学園中に波紋を呼んだ。
アルフィー先生やオリヴィアなどの味方してくれている人たちからは、学園のパーティーでしかも未成年なのだから問題ないと言ってくれたが、大半の人たちからは平民が王族と踊るなんて信じられないと非難された。
おかげで、私への当たりも日に日に強くなった。
――バシャッ!
ある日、校舎の外を歩いていると上から水を掛けられた。顔を上げると数人の令嬢が笑いながら去って行った。
――パシンッ!
次の日は面と向かって頬を叩かれた。叩いた令嬢曰く、王太子も公爵令息も誑かす淫乱な女には躾が必要なのだそうだ。
――ドンッ!
翌日は最悪。数人の令息から「オレたちも相手をしてくれよ」と人気のない場所で囲まれた。お望み通り戦いの相手をしてやって全員氷漬けにして広場の噴水に浮かべておいた。
そして今日は登校して席に着くなり、呆れた光景にうんざりしてため息をついた。
私の机には「平民」「男たらし」「退学しろ」「淫売」「娼婦の娘」……などの罵詈雑言が書かれていた。グレースをはじめとする令嬢たちが可笑しそうにこっちを見ている。
全く、こんな子供みたいな遣り口で私が傷付くと思っているのかしら。昨日みたいに堂々と私に戦いを挑んだ令息たちのほうが誇りある貴族らしくてまだ良かったわよ。
「リナ、おはよ――おい、なんなんだ、これっ!」
遅れて登校してきたセルゲイが血相を変えて叫んだ。
「お前ら! こんな陰湿なことをして貴族として恥ずかしくないのかよっ!」
「あら? あたしたちがやったって証拠はあるのぉ~?」と、グレースがくすりと笑う。
「日頃の行いが悪いから疑われているんだろうが!」
「それだったら、そこの平民さんも日頃の行いが悪いから落書きをされたんじゃなくって?」
「勝手にお前達が彼女に嫉妬しているだけだろ……見苦しい……!」
セルゲイは眉を吊り上げて拳を握りしめながら打ち震えていた。
「セルゲイ」私は彼の怒りを鎮めるようにそっと拳に手を置く。「私は大丈夫よ。庇ってくれてありがとう」
「掃除道具を取って来る」
「魔法でなんとかなるからいいわ」
私はすっと瞳を閉じた。そして両手に魔力を灯して机の上に翳す。
滑り込めせるように魔力を落書きのみに注いで凍らせた。カチカチに凍った落書きはふわりと浮き上がり、ふっと息を吹きかけると粉々に壊れて消え去った。
机は元通りの綺麗な状態に戻った。
クラス中が息を呑む。
私は威嚇するよう真顔でぐるりと周囲を見回した。
「この魔法は私の魔力ではまだ小さな範囲のツルツルした表面にしか発揮できないけど、レベルが上がったら動物の皮を剥ぐのにも使えるらしいわ。……人間の皮にも応用できるかしらね、グレース?」と、ニコリと彼女に微笑む。
「な、なんであたしに言うのよ……!」
グレースはガタリと音を立てながら仰け反った。
私は逃すまいと彼女に詰め寄る。
「練習台になってくださる、グレース?」
「い……嫌に決まっているでしょう!? バッカじゃないの!」と、彼女はぷるぷると震えながら答えた。
「それは残念だわ。皆さんも、もし私の魔法の練習台になってくれるのなら遠慮せずに言ってくださいね?」
全員が目をそらした。そそくさと無言で授業の準備を始めている。
よし、これでしばらくは馬鹿な嫌がらせは来ないでしょうね。ゆっくり学園生活を送れるといいけど。
「リナはなんでそんなに平気でいられるんだ?」
校舎からの帰り道、出し抜けにセルゲイから尋ねられた。
「オリヴィアから聞いている。俺がいないところで酷いことをされているんだって?」
「あぁ~、そういえばそうね」
「大丈夫なのか?」と、彼は心配そうに私の顔を覗き込んだ。
「ありがとう。私は平気よ」
「俺の家から正式に抗議をしようか?」
「公爵令息がわざわざ平民なんかのために?」
「それは……。だが、このままだと益々酷くなる一方だぞ」
「大丈夫よ。本当に気にしていないの」
これは本心だ。私にとって彼女たちの攻撃はちょっと虫に刺されたようなものなのだ。鬱陶しいけど、辛くはない。
「なんか……変わったな」
「そう?」
「あぁ、逞しくなった。ほら、皇女時代はもっと淑やかだったろう?」
「あんなの、よそ行きの顔よ」
「だろうなぁ。俺も騙されてたよ」
「ふふっ。ま、身分が皇女から平民に急降下したのだから逞しくならないとやってられないわ」
「それはそうだが……」
私はちょっと黙り込んでから、
「ねぇ、セルゲイ。革命はどうだった? 公爵家も皇家に次ぐ身分だから大変だったでしょう?」
「ん? あぁ……まぁ、公爵領でポツポツ反乱はあったが――」
「じゃあ、痣だらけで顔も分からないくらいの父親が両手両脚を切り落とされて民衆の前で首を落とされたことは? 母親が毎日何十人もの男の相手をさせられて気が狂って笑いながら首を吊ったことは? 兄がジビエみたいに口から串刺しにされて生きたまま丸焼きにされたことは? 忘れ去られたように地下牢に一ヶ月近く放置されて、漏れてくる雨水と這っている虫で飢えを凌いだことは?」
「リナ……君は…………」
セルゲイは目を見張って絶句した。
私はニコリと笑って、
「そんなことに比べたらグレースたちの嫌がらせなんて子供の遊びみたいなものだわよ。だから、心配しないでね?」
「皇族は最期は残酷な目に合ったとは聞いたが……その…………」
「昔のことよ。もう終わったことだから。変な話をしてごめんね」
「いや……俺のほうこそ辛い話をさせて悪い……」
私たちは寄宿舎まで無言で歩いた。
あの頃の出来事は今では小説でも読んでいるみたいに別の世界の話のように感じている。でも、たまに悪夢となって現れる。そうなると夜中に何度も飛び起きて、翌日は寝不足になるのがきつかった。
帝国民のことは恨んではいない。私たち皇族は国の代表者なのだから責任を取らなければならないのは当然だと思っているから。きっと国民がひもじい思いをしているときも、のうのうと贅沢な暮らしをしてきた報いだ。
私は残りの人生を旧帝国民に捧げるべきなのだろうか。
学園を卒業したら、連邦に戻って皇女として罪を償ったほうが良いのだろうか。
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