6 想定外の出会い

 セルゲイ・ミハイロヴィチ・ストロガノフ公爵令息。


 アレクサンドル連邦国で国一番の名門貴族のストロガノフ公爵家の三男だ。

 彼は私と同い年で、一時は私の婚約者候補だった令息だ。なので宮廷では何度かお茶を一緒にしたことがあって、数少ない私の顔を知る貴族の一人だった。


 公爵令息は驚いた表情をしながら二三度ばかり顔を上下にして私を見た。私も不意のことで狼狽をして、声にならない悲鳴を上げながらじりじりと後ろに下がる。


 どうすればいい? このまま逃げる?


 いえ、彼がここにいるということはきっと入学試験を受けていたことだろうから、ここで逃亡に成功しても入学したら嫌でも顔を合わせることになる。大勢の前で騒がれるよりも今ここで話を付けたほうが得策かもしれない。


 私たちはしばらく無言で見つめ合った。そして意を決して声を掛けようとしたとき、


「エカチェリーナ皇女で――」


「駄目ええぇぇぇぇぇぇぇぇええっ!!」


 公爵令息が私の昔の名前を口にして、慌てて氷魔法で彼の口を塞いだ。そして白目を剥いて気絶した彼を人気のない場所までズルズルと引きずって連れて行った。





「はぁ、はぁ……。し、死ぬかと思った……」と、公爵令息は荒く呼吸をしながら自身の胸を押さえ付けた。


「ご、ごめんなさい。つい……。こ、殺すつもりはなかったのよ!」


 公爵令息は怪訝そうに私を見るが、息が落ち着いたところで卒然と膝を付いて頭を下げた。


「まさか、生きていらっしゃったとは……! ご無事でなによりです、皇女殿下」


「ちょ、ちょっと! やめて! 顔を上げて!」と、私は訴えるが公爵令息は聞く耳を持たない。


「父も最後まで生死不明だった殿下のことを心配しておりました。私も殿下がご存命で心より嬉しく存じます」


「立ってよ! 人に見られちゃうわ!」


 私はなんとか公爵令息を立たせようと躍起になるが、彼は重い銅像のように微動だにしなかった。

 もうっ、お固い挨拶はいいから早く立ってよぅ! こんな所を他の人に見られたら厄介なことになるわ!


「エカチェリーナ皇女殿下、恐れ多くもこのセルゲイに殿下のエスコートを――」


「立ちなさいっ! セルゲイ・ミハイロヴィチ・ストロガノフ!」


「はっ!」


 自棄になって大声で叫ぶと、公爵令息はすっと立ち上がって一礼をした。ほっと胸を撫で下ろす。はぁ、最初からこうすれば良かったわ……。

 私はキョロキョロと周囲の様子を確認した。よし、誰も見ていないわね。


「セルゲイ公爵令息? 私の手を煩わせないでちょうだいね?」と、私は念を押すように笑顔で彼に言った。


「申し訳ありません、皇女殿下」


「だ、か、ら、その皇女殿下と呼ぶのはおやめなさい。私は平民のリナ、です」


「で、ですが……」と、公爵令息は当惑顔をする。


「今やあなたのほうが身分が上なのですよ? むしろ私のほうがセルゲイ様とお呼びしなければなりませんわ」


「そんな! とんでもないことでございます、皇女殿下!」


「はぁ……」


 私は深くため息をついた。頭が痛い。このままじゃ埒が明かないわ。

 不意にアレクセイさんとの約束が頭を過ぎる。私の正体は絶対に知られてはならない。

 ……でも、これは想定外の緊急事態よね。仕方ないわ。


「セルゲイ公爵令息、これからお話することは他言無用でお願いしたいのですが――……」


 私は革命後に起こった身の上の話を彼に語り始めた。






「そ……そのようなことが…………」


 公爵令息は二の句が継げないようで、青い顔をしてただ黙って私を見つめていた。


「ですから、私は平民として生きていくつもりですので、あなたも私のことを平民として接していただきたいのです。そして、このことは絶対に外部に漏らさないこと。もちろん、あなたのお父上のストロガノフ卿にもです。よろしくて? でなければ……」


「でなければ……?」


「あなたの心の臓に氷の刃を突き刺して、そこから血管を通って全身を凍らせて最後は――」


「わっ、分かりました! こ、このセルゲイ、命に替えても秘し隠します!」


「あら、ありがとう。さすが建国時からの忠臣ストロガノフ家の令息ね。では、もう一つお願いをしても?」


「どうぞ、なんなりと」


「私とお友達になってくださる?」


「へっ!?」


 公爵令息は素っ頓狂な声を上げて目を丸くする。


「ほら、私、異国の地に一人で来て頼れる相手もいないでしょう? 同じアレクサンドル人のあなたが懇意にしてくださるととっても助かるのだけど」


「も、もちろんです!」公爵令息は笑顔を向けた。「そのようなことでしたら、喜んで」


「ありがとう。では、これからは私のことはリナと呼んでくださいね。私もセルゲイと呼んでいいかしら?」


「御意」


「そう。では、その敬語もおやめなさい。私は平民のリナ、あなたは名門貴族の令息なのですよ? ――じゃ、ここからは平民として喋るわね、セルゲイ?」


「わ……分かりまし――分かったよ、リ……リナ……」


 こうして、リーズ王国で初めての友人ができた。

 ま、過去の権力を振りかざして半ば強引にお友達になってもらったのは否めないけどね。

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