第26話


 バトラン王国第二王子であるアーサーが大国の姫君との縁組が発表されるとすぐに、アーサーは大国へと出立した。

 挙式もお褒めの会も、すべて大国で行われるとのこと。

 国内での祝賀行事があるわけではないので、それほどまでのお祝いムードは国内には広がらなかったが、彼も最後には望んで向かったと人伝にレイモンドは聞いた。

 自棄になるのでは?と危惧したが、それも憂いに終わり安堵した。


 あれほどまでに想い人を追い続けた彼も、前を向いて歩き始めている。それなのにレイモンドは未だに忘れられず、前に進めないでいる。

 『白百合の君』と呼ばれたあの美しい人の事を、レイモンドは自分の中から消し去ることが出来なかった。

 心が通ったと思ったのに、その人は自分の手を取ることはしてくれなかった。

 むしろ、自分の元から忽然と姿を消し、それは静かな拒絶だと感じざるを得ない。

 そんな人を自分が求めたところで、再びその手に触れることを許してもらえるとは思えずに、アーサーと同じように新しい人生を歩む方が真実のような気がしてくる。

 なのに、頭とは裏腹に心はそれを許してはくれない。いつになってもあの人の美しい髪が、仕草が、笑顔が忘れられないでいる。

 目を閉じれば瞼の裏に浮かぶのは、恋焦がれるその姿。



 アリシアただひとり。




 王宮の近くでデリックに会ったあの日、アリシアを求め続けるのなら王都にいた方が良いと助言を受けた。その方が会える確率が上がるだろうと。

 やはり彼女は王都内のどこかに匿われていたのだ。

 デリックはアリシアの居場所を頑なに口にすることはなかった。

 その立場上偶然存在を知っただけで、誰に聞いたわけでもないからと。

 レイモンドも、強く求めることはしなかった。それで良いと、それが良いと思えたから。



 アーサーが出国した後、デリックから騎士隊への復隊を促された。

 アーサーがいなくなった今、その身に危険が起こることは無いだろうし、王都に残るなら仕事は必要だろうと。さすがに副隊長の席を用意するわけにはいかないが、それなりの職務に付けさせるくらいの権限は持っていると、偉そうに語っていた。

 そんなデリックの申し出を断り、レイモンドは再び領地に戻ることを決意した。


「諦めるのか?」との問いに、「まだわかりません。少し気持ちを整理する時間が必要な気がするんです」そう言い残し、彼は王都を後にした。




 そう長くはない月日が流れ、人の気持ちも変わりゆく中。レイモンドは相変わらず父や兄を助けながら国境を通して国を守り続けていた。

 そんな中、大国の姫と縁を繋いだアーサーが、婚約期間を経て正式に婚姻を結んだと耳にに入った。

 すでに前へ進み続けているかつての恋敵に、心の中でそっとエールを送る。


 レイモンドはいつまでも踏ん切りがつかず、前へ進むことも、振り返り追い求め続けることも出来ずにいる。修道院入りするアリシアをその腕に抱きしめたあの時から立ち止まったまま、一歩も進めない。

 次第に心の内からあの美しい白銀の髪が揺れる姿を映し出さなくなる、そんな日が来る事を信じていた。






 日々の慌ただしさに紛れ、月日は流れていった。

 今ではすっかり友人となっているデリックに頼まれ、度々騎士隊に指南をつけに王都に来ることが増えた。


 「俺もそろそろ引退だしなぁ。なあ、退役したら俺を小間使いで使ってくれない?なんでもやるよ、俺」

「小間使いなんてさせられるはずがないでしょう。あなたが来ればきちんと騎士として前線で働いてもらいますよ。口では何だかんだと言っておきながら、まだ戦えることくらい知ってますからね」

 

 そんな軽口を聞きながら王宮内の騎士本部を抜け、昼飯でも食いに行こうと門に向かい歩いていた。

 

「アリー、急いで! おば様がお待ちよ。早く」

「ルシンダ様。淑女が人前で走るものではありません。もっと落ち着かれてください」

「もう、アリーったら。誰も見てないわ、大丈夫よ。ほら、早く」


 年若い令嬢と侍女の微笑ましい会話であろう。普段なら見て見ない振りをするのに、レイモンドは聞き覚えのある声に視線を動かした。

 そこでレイモンドの瞳に映ったのは、侍女服に身を包み、黒髪を頭の下の方でまとめた女性だった。


だが、横顔は確かに心から愛し求め続けた人のものだった。


 レイモンドは言葉よりも先に体が動き、侍女服の女性の腕を掴むとその名をささやいた。


「アリシア」


 侍女服に身を包んだ黒髪の女性は、急に掴まれた腕の痛みも、掴んだその手の熱さにも気が付かぬうちに、力づくで引き寄せられるままその男の顔を見上げ思わず声を漏らす。


「レイモンドさま」


 何年経ったのかすら忘れるほどに月日を重ね、お互い十分常識を得る年齢になっていた。

 咄嗟のことで思わず手が伸びてしまったが、大の男が女性の腕を掴むなど、ましてや王宮内でそのようなことは些か問題行動ではあるが、

「これこれは、フィーネ様。ご機嫌麗しゅうございます。実はこの者、私の旧知の親友でしてね、しかもこの侍女殿とも知り合いなんです。いやあ、突然の再開に驚いております」


 デリックの咄嗟の一言でその場の雰囲気が和むのが分かった。


「まあ、アリーのお知り合いの方ですの? アリー、私はマリアもいるから大丈夫よ。おば様とのお茶会が終わるまで、その方とお話してきても良くってよ」

「いえ、いけません。私はルシンダ様の侍女でございます。おそばを離れることはございません。王太子妃フィオーナ殿下がお待ちでございます。さあ……」


 アリシアの腕を握っていたレイモンドの手はいつの間にか離され、アリシアはルシンダの横に並ぶ。少し前を先導するように歩き始めた。


 一度だけレイモンドに視線を預け、一礼をするとそのまま後宮に向かい歩き始めた。


「確かにアリシア様だ。お前がずっと求め続けて人だよ。知りたいか? ま、飯食いに行こうや。腹減ったよ」


 そう言いながら出入り口に向かい歩き始めていた。

 レイモンドは何度も後ろを振り返りながら、デリックの後をついてアリシアの後ろ姿を見送った。


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