白百合の君を瞼に浮かべて
蒼あかり
第1話
「アリシア! 貴様、俺と言う婚約者がありながら騎士ごときに躰を預けるなど許されると思っているのか! この阿婆擦れが!!」
シーンと静まり返った騎士隊屋内練習場。この国の騎士隊の皆が顔を並べる中、バトラン王国第二王子である、アーサー・バトランの声が響き渡っていた。
唾を飲み込む音が聞こえるほどの静寂の中、彼の婚約者であるバルジット侯爵家の令嬢、アリシアが声を上げる。
「アーサー殿下。これは、そのような事ではございません。お酒に酔い具合の悪い方を介抱していただけのこと。殿下の思い違いでございます」
「そのような姿を晒してもなお、言い訳するか? この俺に対して物申すなど、お前も随分とえらくなったものだな。なあ?アリシア」
「いえ、決してそのようなつもりでは…。申し訳ございません」
「ふん。もう良い。婚姻前にお前の本性が知れて逆に良かった。こんな不貞を働くような身持ちの悪い女を娶らずにすんで助かったのだからな。
アリシア。お前との婚約を破棄する! 俺はお前を決して許さない!」
アーサーは、酔った体をふらつかせながら、一人練習場を後にした。
-・-・-・-
ここバトラン王国では、騎士隊の総隊長に王族が就任する慣習になっていた。
名ばかりの名誉職のようなもので、実際の権限は隊長が持ち、儀式や催事の時に表舞台に立つことを職務としていた。
今代では、第二王子のアーサーが総隊長に就いている。
今日は年に一度の近衛騎士入隊式が行われ、その式典に総隊長としてアーサーも参加していた。
入隊式と言ってもすでに隊員として訓練には参加しており、形ばかりの式である。それでもアーサーは誇らしげに総隊長の務めを果たしていた。
よく晴れた晴天の中、近衛騎士隊隊員への激励を済ませたあと何を思ったか、「懇親会を始めよう」アーサーの鶴の一声に周りが一瞬どよめくも、すぐに準備が始まった。
「俺は国王に入隊式の報告に行って、ついでに世間話に付き合って来るよ。後は任せた」
騎士隊隊長のデリックが、副隊長のレイモンドの肩に『ポン』と手を置き、すました顔でその場を去ろうとしている。
レイモンドは自らの肩に置かれたデリックの腕を掴むと
「逃げる気ですか? まったく、どれだけ大変か。どうするつもりなんです?」
「いやいや、逃げるわけじゃないだろう? どのみち国王への報告は必要なんだし、終わればすぐに戻るよ」
「費用はどうするつもりです? 騎士隊からの出費とか言わせませんからね。こっちもカツカツの中でやり繰りしてるんです。国費で出してもらってください!」
「わかった、わかった。ちゃんと国王に頼んでくるよ。王子様のわがままで騎士隊の予算は使えませんってね」
「ちゃんと、お願いしますよ」
「大丈夫、任せておけ。ま、お前たちならちゃんとやれるさ。なにせ、よくできた俺の自慢の部下たちだからな。じゃあ、遅くならないうちに行ってくるわ。しっかりな!」
デリックは掴まれた腕を振り払うと、ひらひらと手を振りながら去って行った。
その後ろ姿を恨めし気に睨みながら、レイモンドは大きく息を吐いた。
急遽レイモンド指示の元、騎士隊員総出で懇親会と言う名の飲み会の準備が始まる。
王宮近衛騎士総勢百名以上、店を借り切るにも難しい。ましてや、第二王子を市井の店に連れ出すことも出来はしない。
場所は騎士隊の屋内練習場。机や椅子をかき集め、勤務の者を除いた全員が座れる席を確保。ワインやビールを樽で持ち込み、宮廷厨房に平謝りでつまみを用意してもらい、なんとか形にすることができた。
「誰か総隊長を呼んで来てくれ」
レイモンドの言葉に、迎えに行こうと数名の騎士が歩き出した時、騎士服から少しラフな服装に着替え終わったアーサーが姿を見せた。その後ろには、彼の婚約者であるアリシアの姿も。
アリシアの姿を見て隊員たちはざわめき始め「白百合の君だ」「白百合姫」だと、口々に彼女を呼ぶ。
美しい光沢のある白銀の髪に透き通るような琥珀色の瞳を持つアリシアは、匂い立つような美しい令嬢だった。その美しい見目は、バルジット侯爵家の家紋に刻まれている白百合になぞられて『白百合の君』などと騎士達や、貴族間では陰ながら呼ばれていた。
アーサーは普段から自己中心的な言動が多く、騎士たちからは煙たがられる存在だったが、婚約者のアリシアは侯爵令嬢でありながらそれを鼻にかけることもなく、爵位の低い物に対しても分け隔てなく接してくれるため、騎士達には非常に人気が高かった。
アーサーは婚約者であるアリシアの手を取り、エスコートすることはしない。
紳士にあるまじき行為であったとしても、王子に苦言を呈する者はいない。
いつも一人でアーサーの後をついて歩くアリシアの姿を、レイモンドは物悲し気に見るしかなかった。
自分なら彼女を一人になどしないのに。自分なら、その手を取り決して離しはしないのにと。
そんな彼女を目の前に、今宵は噂好きな貴族もいない。そんな思いがどこかにあったのかもしれない。考えるよりも先に体が動き、アリシアの前に自らの手を差し出していた。
「バルジット侯爵令嬢。ご案内いたします。どうぞ、この手をお取りください」
アリシアは驚いたように、こぼれるような大きな瞳を瞬かせ、レイモンドを見つめ返す。
レイモンドはその瞳にこくんと頷き、わずかに笑み返した。
「アリシア! 遅いぞ。何をしている、早く来い!」
アリシアはその言葉に「はい、今まいります」と答え、「副隊長様、ありがとうございます」レイモンドに一言残し、アーサーの元へと足早に去って行った。
行き場を無くした手を握りしめ一つ息を吐くと、レイモンドもすぐに後を追った。
「短時間での準備ご苦労だった。今日は皆で語り合いながら、仲を深めようではないか!」
アーサーはワインの入ったグラスを高く持ち上げ「かんぱーい!」と、大きな声を張り上げると、グラスの中身を飲み干した。
それに合わせてその場にいる者も皆、乾杯と言いながらグラスやジョッキを空け始めた。
酒の量も進み次第に皆も酔い始めた頃、アーサーからアリシアに対しての小言が増え始めた。全てにおいて完璧に見えるアリシアに対し、ほんの些細な事にグチグチと小言を並べ、人前でアリシアを貶めるように大声で罵る。
いつもの事であるが、聞いていて気分のいいものではない。
しかし、当のアリシアは不満を顔にも出さず、アーサーの言う事ひとつひとつ頷きながら答えている。それもまた、いつもの事。
「俺のグラスが空いたらすぐに満たすのがお前の役目だろう! 本当に使えない女だ」
「殿下、申し訳ございません。すぐに、ワインを……」
「もういい。興が覚めたわ。お前は下がっていろ!」
言いながらワイングラスを片手に席を立ち、他の騎士達の元へと移動を始めた。
せっかくの飲み会なのに、殿下が側にいては騎士達も楽しめないだろう。それこそ興が覚めると言うもの、なんとかしなければとアリシアが席を立とうとすると、
「バルジット侯爵令嬢様。先ほどからほとんどお飲みになられていないようですが、このワインはお口に合いませんでしたか?」
向かいに座る騎士隊副隊長のレイモンドが、心配そうに声をかけてくる。
「いえ、そう言うわけではありませんが。元々お酒は強くはありませんし、殿下をお守りしなければなりませんので……。」
「ならば、ここは近衛騎士隊本部です。むしろ、ここが一番安心できる場所かと? どうか、心配なさらずにバルジット侯爵令嬢様も楽しまれてください」
「この会は殿下の突然の思い付きだと聞いております。急な準備で大変でしたでしょう。どうか、副隊長様こそ楽しまれてください。わたくしは、殿下のおそばに付いていた方が良いと思いますので」
アリシアが席を立ち、アーサーの姿を探そうと視線をずらした時、
「きゃあ!!」
女性の悲鳴? 女性騎士のもの?
レイモンドとアリシアは声のする方に顔を向けると、そこには酒に酔い赤い顔をしたアーサーが女性騎士の肩を抱き、今にも抱き着かんとしているところだった。
それを見たアリシアが足を踏み出そうとするよりも早く、レイモンドが先に飛び出していた。
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