第40話 過去と今

 僕は3月31日生まれだ。

 同学年でも、4月生まれの人から見れば、約1歳下になる。


 幼い頃から僕にとっては、大きなハンディだった。


 小さい子どもにとって、1歳の差は大きい。言葉の覚える量や発音、運動能力に器用さ。どれもが同級生に比べて未熟だった。


 誕生日が関係するかわからないけれど、僕はなにもできないまま小学生になってしまった。

 みんなのお荷物。ペアを組むときも、いつも相手は先生だった。


 学校に居場所はないのは当たり前。家では――。

 商社勤務の父はスポーツマンタイプ。大学時代はラグビー部で活躍して、会社でも飲み会やゴルフが好きなパリピだ。

 母も元アパレル店員の陽キャ。常に華やかで、好きに生きている。


 発達が遅い僕に対し、両親は。

『できるようになるまで、やれ!』だとか、『辛気くさい顔すると、ママまで不快なるのよね』だとか。両親は僕の気持ちをわかってくれなかった。


 父方の祖父母だけが僕に優しくしてくれた。どうにか耐えられたのは、祖父母のおかげだ。

 祖父母が家に来ることだけが、楽しみだった。


 7年前、小3の秋。

 運動会日和の日曜日、祖父がやってきた。見知らぬ夫婦と、僕と同じ年ぐらいの女の子を連れて。


『詩音、大人たちは話があるから、この子と遊んで来なさい』


 祖父にお菓子とジュースを渡される。

 そうは言われても、初対面の子と話す度胸はない。彼女がうつむいていて、声をかけていいのかもわからなかった。


 しかし、大人たちは難しい話を始めてしまった。子どもがいたら、怒られるにちがいない。

 僕は大人の命令を守る方を選んだ。


『こうえんで、あそぼう』

『…………う、うん』


 女の子は妙におどおどしていた。僕よりも弱そうな子に会ったのは、初めてだった。


『詩音、彼女を守ってやるんだぞ』


 部屋を出る直前、おじいさんにそう言われた。僕がしっかりしなきゃと決意する。


 ところが、公園に着いたら、彼女への印象が変わった。

 見た目の印象とちがって、活発だったから。


 彼女は元気なだけではない。

 砂で城を作ったり、地面にアニメの主人公そっくりの絵を描いたり。


 やることなすこと、子どもとは思えなかった。


『わぁ、すごーい!』

『あっ、また、やっちゃった』


 純粋に褒めたつもりだったのに、女の子は泣き出してしまう。


『だいじょうぶ?』


 僕はとっさに頭を撫でていた。黒い髪はなめらかな触り心地だった。

 数分経って、泣き止んだ女の子は。


『わたし、本気を出しちゃなの』


 自分を責める口調は、僕が自分を否定するときと似ていて。


『りっぱなおしろを作れるのに?』

『うん、あ……さが上手にやるのを嫌う人がいるから』


 僕と同じかもしれない。


 彼女は僕とちがって、天才だ。しかし、自信のなさという点では、劣等生の僕と変わらなくて。

 彼女の苦しみが自分のもののように思えてたまらなかった。


『ぼくはきらいじゃないよ』

『えっ?』

『君がてんさいでも』

『みんな嫌うのに?』

『うん』


 なんで堂々と答えたのか、自分でもわからなかった。


『ぼく、君のこと……好きだよ』


 つい熱くなってしまった。急に恥ずかしくなる。


『ごめん、君のきもちをシカトしちゃった』


 彼女はポカンと口を開けている。


『君がダメでいたいなら、ダメでいればいいよ』


 女の子は天才でいるのが嫌だと言っていた。なら、その気持ちを否定するのは良くない。子どもながらに感じていたのだろう。


『あ……さ、ダメでもいいの?』

『うん、いいよ』


 僕は彼女の手をつかんだ。


『ぼくは君がダメになっても、かみをなでるし、抱っこする。おふろがこわいなら、おふろもいっしょに入る。ごはんも食べさせてあげる』


 僕を見上げる彼女は少しだけ笑顔になっていた。


『だから、君がしたいようにすればいいよ』

『いいの?』

『せっかく力を持ってるのに、使わなくてつらい思いをするの嫌じゃない?』

『……嫌』


 そう言うと、女の子は僕に抱きついてきた。


『約束だよ』

『うん』

『私の帰る場所になってね』

『帰るばしょ?』


 小学校低学年の頭には高度すぎた。


『嫌なことがあったら、甘えさせてね』

『もちろん』

『私ががんばれるように応援してね』

『ああ』


 僕たちは指切りげんまんした。

 その後、お菓子を一緒に食べ、互いのジュースを交換し合う。


『約束のさかずきだからね』

『うん、わかった』


 意味もわからず、僕は答えていた。


 間もなくして、おじいさんが公園に迎えに来る。彼女は親と一緒に帰っていった。


 それから、少女とは会うことがなく、記憶から消えてしまったのだった。


   ○


「あのときの子が愛里咲さんだったとは……」

「ありさは入学式の日に気づいたのに」


 愛里咲さんが頬を膨らませる。


「ごめん、髪の色がちがったし」


 今の愛里咲さんは白に近い銀髪だ。当時は黒髪だった。


「パパたちが夜逃げしたショックで……」

「ごめん、つらいことを聞いちゃって」

「ううん、今では気に入ってるから」

「……僕も愛里咲さんの髪は好きだよ」


 スマホのライトしか明かりがなくても、顔が赤いのがわかる。


「詩音ちゃん、ありさをこんなにした責任を取ってよね?」


 上気した顔で、上目遣いを向けてくる。息も荒い。

 心臓が跳ね上がりそうになる。


 覚悟は決めている。今さら弱気になるつもりはない。


「もちろんだよ」


 僕は彼女の肩に手を添える。


「昔の約束もあるけど、僕は今の愛里咲さんも大事にしたい」


 愛里咲さんの過去への思いを否定しないよう注意しながら、遠回しに自分の意見を言う。

 過去の約束だからという理由で、愛里咲さんを愛するのは誠実ではないから。


「はっきり言うと、愛里咲さんが天才でも、ダメでも、どっちでもいい」


 ちょうど、彼女の顔を灯台の光が照らす。彼女の瞳は揺らがずに、僕を映していた。

 僕が嫌われるような発言をしたにもかかわらず。


「だって、僕はどっちの愛里咲さんも大事に思っているから」


 彼女の肩から力が抜けていく。


「学校でのすごさとか、甘えるときのかわいさとか、そんなの関係なく。全部ひっくるめて――」


 大事な言葉を紡ぐ前に深い息を吸い。

 ボイトレで鍛えた声を意識し。


「僕は愛里咲さんのことが好きだから」


 その瞬間、少女は息を呑んだ。

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