第38話 サンセット

 雲がオレンジ色に染まっていた。青々とした海とコラボし、幻想的な光景を生み出していた。

 さらに、手前の砂浜には、銀髪少女がはかなげな様子で歩いていた。


「詩音ちゃん、きれいだねぇ」


 いつもどおりの笑顔が胸を締めつける。


 彼女を苦しみから解き放ってあげたいのに、僕は彼女に見とれてしまった。そんな自分が情けない。


「もったいないね。もう帰らないと……」

「あのさ」


 僕は彼女の言葉を遮った。


「今日、泊まらない?」

「……いいの?」

「うん、さっき海の家に聞いたら、部屋が空いてるって」

「積極的な詩音ちゃんも素敵だなぁ」


 愛里咲さんはしみじみとつぶやくと。


「あっ、私、しっかりしなきゃだった」


 ペコリと舌を出す。


「いや、今日は僕に任せて」

「……」

「時間を気にせず、きれいな景色を見て、おいしい料理を食べて、夜は花火をやって、徹底的に遊び倒そう」

「ははは」


 愛里咲さんは苦笑いを浮かべている。


 僕はある仮説を立てていた。


 愛里咲さんは、なんでもできるゆえに両親に嫉まれた。

 僕と契約して、ダメな子を演じている。僕のためという理由が大きいが、それだけではない。両親の件もあり、ダメになりたい願望が心の片隅にあったかもしれない。


 しかし、最近になって、ダメな自分に対して疑問を持ち始めた。


 今は自分のありようを見失っている。

 端的にいうと、キャラ付けに苦しんでいるのだろう。


 そのせいで、僕の言葉に対し、苦笑いで誤魔化している。

 上っ面だけ見ると、以前の僕のようにコミュ障を発動させている感じだ。


「なにも言わなくてもいいよ」

「で、でも……」

「僕は愛里咲さんと一緒にいられるだけで楽しいから」

「なにも聞かないの?」

「ん?」

「あんなことしたんだよ」

「言ったでしょ。愛里咲さんのそばにいるだけでいいって」


 両親とのことを聞いたら、愛里咲さんを追い詰める恐れもある。


 自分の気持ちよりも、彼女の方が大事だ。なにも聞かずに、ただ見守りたい。


「愛里咲さん、波の音って、天然のASMRだよね」

「ん」

「しばらく、じっと聞いていい?」


 愛里咲さんが首を縦に振る。

 僕は下にレジャーシートを敷き、腰を下ろす。彼女も僕の横に座った。


 無言で景色を眺める。

 気づけば、太陽が海の果てに近づいていた。海が夕陽に染まっている。


「自然の壮大さに比べたら、ありさの悩みがちっぽけすぎるよね」


 愛里咲さんの声に自己嫌悪が混じっていた。

 1ヶ月前は僕が自分を下げていたのに、逆になっている。当時の愛里咲さんの気持ちがわかった気がする。


「自然の壮大さについては同意だけど、愛里咲さんの悩みも大きいよ」


 他の人から見れば、たいしたことない悩みであっても、本人にとっては深刻な話だ。以前の僕が、自分はなんにもできないと思い込んでいたときのように。


 愛里咲さんに共感しつつも、同感はしない。彼女の言うことをそのまま聞いていたら、彼女を否定してしまうから。


 彼女が自信を取り戻せるように、やんわりと自分の意見も言ってみた。


「やっぱり、詩音ちゃんはすごいなぁ」

「ん?」

「海と空に負けないぐらい懐が深くて、ありさを包み込んでくれるもん」

「そこまで褒めてくれるなんて、光栄だな」

「謙遜しなくなったのもポイント高い」

「全部、愛里咲さんのおかげなんだけど」


 彼女は僕の肩に頬を乗せてくる。


「じゃあ、もっとポイント稼いでみる?」

「わかった。愛里咲さんみたいな天才じゃないけど、やるだけはやってみる」

「ううん、詩音ちゃんは天才だよぉ」

「そうなの?」

「ありさにとっては、『優しいの天才』だもん」


 海風に吹かれた銀髪が僕の首元を撫でる。こそばゆい。


「……パパとママから手紙が来たの」


 波の音に混じって、弱々しい声が鼓膜を打つ。


「なんて書いてあったと思う?」

「うーん、わかんないなぁ」

「えーとね、ありさを呪っていたんだよ」


 おじいさんから話を聞いていなかったら、ショックで話を聞くどころではなかっただろう。


 僕が取り乱したら、誰が彼女を守れるのか。覚悟が定まる。

 ゆっくり呼吸をして、心を鎮めた。


「呪っていたって、どういうこと?」


 冷静に状況把握に努める。なにがあったか知らないと、彼女の気持ちに寄り添えないから。


 愛里咲さんはカバンから何かを取り出す。便せんだった。

 手書きの手紙の一部分を指さして、僕に見せる。


『おまえ、うちの会社の問題点を指摘したよな。偉そうなことを言うぐらいなら、金を持ってこいよ。そしたら、夜逃げしなくて済んだのに』


 思わず、言葉を失った。


「あのね、パパが会社の経営のことで行き詰まってたから。ありさが思っていることを言ったの。でも、それが余計だったみたい」


 愛里咲さんは経営相談の副業をしている。数年前には既に経営コンサルのノウハウを身につけていたのだろう。


「たしかに、ありさがお金を稼いでいたら、問題なかったよね。ホントに、ありさ、バカなんだからぁ」


 バカじゃないと伝えても、気休めにもならない。

 僕は黙って、彼女の肩を抱き寄せる。


「あのね、ありさががんばったら、パパたちは戻ってきてくれるかも。そう思ってたんだ」

「ああ、前にも言ってたよな」

「でも、ここまで嫌われたら、どうにもならないよぉ」

「愛里咲さん」

「もう、がんばれない…………学校のありさでいるの、つらくなっちゃった」


 僕はただ彼女の言葉に耳を傾ける。


「学校でもダメなありさでいたら、パパとママは許してくれるのかな?」


 彼女は悪くない。ただ、彼女らしくあろうとしただけ。

 なのに、天才な自分を否定しようとしている。

 両親に認めてほしくて。


 なら、問題は彼女の親だ。


 とはいえ。

 両親との接点のない僕には、両親の本当の思いはわからない。

 本気で娘を恨んでいるかもしれないし、心の底では悪いと感じている可能性もある。


 もどかしくてたまらない。


「だって、パパたちが嫌いなのは、完璧と言いながら役に立たなかったありさだもん」


 自嘲的な笑みを浮かべる彼女に夕陽が射す。


「それとも、ありさがもっと完璧になって、神の領域に達するとか。神クラスになれば、人間に恨みをぶつけられても、耐えられそう。ううん、神の力でパパたちを救えばいいもんね」


 必死の願いが胸を打つ。


「神様レベルを目指すなら、もう甘えちゃダメだし」


 そう言うと、彼女は僕の肩から顔を浮かせる。

 やはり、愛里咲さんは自分のキャラを見失っていた。


「完璧を目指すか、甘えるべきか。それが問題だ」


 ハムレットを思わせる仰々しい口調で、愛里咲さんが言う。


「ありさ、わかんなくなっちゃった」


 愛里咲さんは舌を出して笑うと。


「そろそろ、夕ご飯の時間かな?」


 なにごともなかったように言う。


「そうだな」


 僕も気持ちを切り替えた。


 愛里咲さんが立ち上がる。

 海に混じり合う夕陽と、混沌とした少女が重なって見えた。

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