第41話 どうか、お願いします
そうすれば、ネイサン様は露骨に視線を逸らされる。
けれど、私の言葉が届いたのか彼はぐっと息を呑まれていた。
「……アマンダが」
「……愛人様が、どうなさいました?」
彼が呟いた名前は、彼の最愛の愛人のお名前だった。だからこそ私がそう続ければ、彼は今にも消え入りそうな声で「……だった」とおっしゃる。
「……はい?」
「アマンダが俺の子を妊娠したというのは、嘘だった」
繰り返されたその言葉に――私は大きく目を見開いてしまう。カーティス様のお顔を見つめても、彼もきょとんとされていた。
「……どういう、ことですか?」
しかし、意味がよく分からずに問いかけ続ければ、ネイサン様は「……アマンダの子は、バートとの子だったんだ」とぎゅっと手のひらを握りしめおっしゃる。……バートとは、確かクローヴ侯爵家の執事見習いだったはず。彼とネイサン様はとても仲がよろしいと思っていたのに……。
(裏切られたと、いうことなのね)
まさか、信頼している使用人と愛人の両方に裏切られてたなど、彼のプライドが許さないだろう。それに、普通の人でもそれは傷つく。
それを理解したので、私は床に崩れ落ちてしまわれたネイサン様と視線を合わせた。その表情は、とても弱々しいものだ。
(確かに、このお方は私のことを虐げてこられたわ)
このお方は私のことを虐げ、いつもバカにしてこられた。
でも、まさかこんなことになっているなんて――想像もしていなかった。
きっと、愛人様と仲良くやっていらっしゃるだろうと思っていたのに。
「アマンダは、侯爵夫人としてのマナーも何も知らない。挙句、努力もしてくれない」
「そう、ですか」
「だから、俺は気が付いたんだ。……アマンダは、エレノアのことを追い出すことが目的だったんだと」
ネイサン様が私の目を見てまっすぐにそうおっしゃる。……でも、意味が分からない。私、そんなに愛人様に恨まれるような覚えはないのだけれど?
(まぁ、踊り子として生計を立ててきた人からすれば、生粋の貴族である私は目の敵か……)
だけど、そう思いなおす。
必死にお金を稼いできた踊り子にとって、悠々自適に暮らす貴族は目の敵だったのだろう。だから、彼女は私を追い出そうとした。そのために、ほかの人のとはいえ子供を妊娠したのだ。……なんという、執念だろうか。
「俺は間違っていた。それは、よく理解している。何度でも謝る。……だから、エレノア。戻ってきてくれ……!」
縋るように衣服を掴まれて、そう言われる。
……私の心は、これっぽっちも揺れなかった。
そのため、私はネイサン様の手を振り払う。そのまま立ち上がり、彼のことを見下ろしていた。自分でも驚くほどに、冷たい目で。
「お言葉ですが、私が戻って何のメリットがあるのですか?」
「……エレノア?」
「それに、確かにカーティス様と出逢う前の私だったら、戻っていたでしょうね。けれど、私は今後生涯をカーティス様と一緒に過ごしたい。そう思っております」
もしも、恋を覚える前の私だったならば。ラングヤール伯爵家のメリットとかを考えて、ネイサン様の元に戻っただろう。
けど、今は違うのだ。
(私は、私の幸せを求めることを覚えたわ。そこにネイサン様は必要ないのよ)
私はカーティス様の元で、カーティス様と幸せになりたいのだ。その未来にネイサン様は必要ないし、彼の家が没落しようが、彼が騙されたと悔い改めようが知ったことではないのだ。
「エレノアっ!」
「貴方様は、私が何度考えを改めてほしいと言っても、改めませんでしたね」
私が何度愛人様に入れ込むのは止めてほしいと注意しても、妬みからだと思って相手にはしなかった。それどころか、見せつけるように愛人様といちゃついていた。……そんな彼を、どうやって助けようと思うのだろうか。
「私が貴方様に暴力を振るわれても、それが当然だと正当化されていた。……そんな人の元に、はいそうですかと言って戻るとでも?」
「……エレノア」
ネイサン様の手が、私に縋ろうと伸ばされる。その手をはたき落としたのは――私ではなくて、カーティス様だった。
彼はネイサン様を見下ろしながら、「もう、来るな」と冷たい声でおっしゃる。
「ここに来ても、お前にはなにもいいことはない」
「……それはっ!」
「そもそも、こうなったのはお前がまいた種だろう。……エレノアを虐げたのも、愛人に入れ込んですべてを失ったに等しくなったのも、自己責任だ。駄々をこねるのはただの子供の八つ当たりだ」
カーティス様は驚くほど冷たい声音でそうおっしゃると、私の肩を抱いてくださる。その手がほんの少し震えているのは、本当に彼らしい。
「ネイサン様。……私、貴方様と結婚して不幸でした。……だから、どうかもうお顔を見せないでください」
「……」
「お願いです。どうか、もう私にあの時のことを思い出させないでください」
それが自分勝手なことだと、私だってわかっている。話を聞いておいて突き放すことが、どれだけひどいことなのかも、知っている。
だけど、もう私はこのお方の顔を見ることも嫌だった。見たくない。その気持ちが、先行する。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます