第36話 本気だから、苦しいの
「エレノア様。一つ、よろしいでしょうか?」
毅然とした態度でニコラがそう問いかけてくる。なので、私はためらいがちに首をこくんと縦に振った。
「エレノア様は、旦那様のどういうところがお好きなのですか?」
「……え?」
あまりにも意外過ぎる問いかけに、私が一瞬固まる。
けれど、ニコラはただ淡々と「身分ですか? それとも立場ですか? 経歴ですか?」と的外れなことばかりを言う。
「そ、それは……」
「エレノア様は、旦那様の付属の……そうですね。いわば肩書きだけを見られているのですか?」
私が返事に困っていれば、ニコラはずけずけとそんなことを言ってくる。
……違う。私は決してカーティス様の肩書きだけで彼に惹かれたわけじゃない。
きれいごとかもしれない。ただ、私が好きになった人がすごい人だった。それだけなのだ。
「ち、違う、わ……」
控えめに声を上げれば、ニコラは「……その程度のお気持ちなのですか」と言って冷たい眼差しを私に向けてくる。
……違う。違う。本当は、私は――私は、カーティス様のお側にずっといたいのよ。
「わ、私は、カーティス様の性格が好きよ」
そう思ったら、自然と声が出ていた。
私の唇は自然と言葉を紡いでいく。私の意思に関係なく。私の気持ちとは裏腹に。
「確かに、初めはお金目当てでここに来たわ。それは、認める」
それはどう足掻いても変わりようのない真実。
私はカーティス様のお飾りの婚約者となり、彼から報奨金をもらうつもりだった。それは認めることしか出来ない。
「でも、彼のその純粋なところとか、初心なところとか。可愛らしいところとか、照れ屋なところとか。いろいろな面で、私はあのお方に惹かれたの」
そのほかにもいろいろある。仕事熱心なところ。傲慢に見えて人を思いやっているところ。
様々なところに、私は惹かれている。恋をしている。
「私だって、出戻り娘じゃなかったらすぐにでもカーティス様のお気持ちを受け入れたわ!」
半ばヤケクソのようにそう叫ぶ。唇は止まらずに、とめどなく言葉を紡ぎ出す。
「でも、私が出戻り娘であることは変わらないのよ! 私の所為で、カーティス様が何かを言われるのが嫌なのよ!」
カーティス様は辺境侯。だから、表立って何かを言われることはないだろう。
でも、裏で何を言われるかわからない。社交界は足の引っ張り合いで蹴落とし合い。
油断も隙も無い場所なのだ。
「もっと早くに出逢えていたらって、何度も何度も思ったわ。……それくらい、私は本気なの。本気だから……こんなにも苦しいのよ」
今まで本気で人を好きになったことがなかった。つまり、これはいわば初恋なのだろう。
自分の言葉を聞くと、嫌というほど思い知らされる。私がどれだけカーティス様に惹かれているかを。私が、どれだけ――カーティス様に恋をしているかを。
「エレノア様……」
「本気じゃなかったらこんなにも苦しくならないわ!」
無意識のうちに頬を伝う涙。苦しい胸を押さえながらその場にうずくまれば、ニコラは「……意地悪が、過ぎました」と言って私の背を撫でてくれた。
「ですが、必要なことだったのです。……エレノア様のお言葉がないと、私たちは動けません」
「……ニコラ?」
「それに、旦那様のことを想う気持ちが本物だってわかっただけ、よかったです」
彼女はそれだけを言うと、にっこりと笑った。……その笑みは、とても美しかった。
「エレノア様、素直になりましょう」
「……え?」
「旦那様のこの気持ちをまっすぐに伝えましょう。……それに、出戻り娘が何ですか。そんな過去のもの、忘れてしまいましょうよ」
ニコラがそう言ってもう一度笑う。……忘れられることじゃ、ないだろうに。
「……で、でも」
「大丈夫です。何かがあっても、旦那様が何とかしてくださいます。だって、旦那様にはそれほどの権力があるのですから」
肩をすくめながらニコラがそう言う。……確かに、カーティス様にはそれほどまでの権力がある。私は決して、彼の権力に惹かれたわけではないのだけれど。
「さぁて、エレノア様」
「え、ちょ、ちょっと……!」
「さっさと旦那様の元に行きますよ。……この気持ち、色褪せないうちにお伝えしましょう!」
そんなことを言いながら、ニコラは私の手首を引っ張って部屋から連れ出そうとする。
それに戸惑い、私は恐る恐るついて行くことしか出来なかった。……ニコラの言葉が正しければ、私は今からカーティス様の元に連れていかれる。
覚悟は決まっていない。心の準備もできていない。
しかし……ううん、もう、こういう風に思うのは辞めるって決めたじゃない。
(少しずつでもいい。私は変わるのよ)
心の中でそう思って、ぎゅっと手のひらを握る。
(当たって砕けろ……とまでは、言わないわ。ただ、私の気持ちをカーティス様にお伝えするだけじゃない)
私も好きだ。本気で貴方様のことが好きだ。
『好き』という一言を言ってしまえばいいだけ。
そう、それほどまでに――簡単なはずなのに。
その一言を口に出すのが、どうしようもないほどに恐ろしかった。
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