第29話 レストランにて

 レストランに入れば、真っ先に店員の女性が私たちのことを出迎えてくれた。


 彼女は「二名様ですね」と確認を取り、私たちを席に案内してくれる。


 案内されたのは、レストランの一番奥の席だった。出されたお水とメニュー表を手に取り、私はメニュー表を見つめる。


 メニューはいたって普通のレストランのラインナップだった。


 私が真剣にメニュー表とにらめっこをしていれば、不意に視線を感じる。なので、顔を上げれば視界に入ったのはカーティス様の真剣なお顔。


 それに気を悪くして「何か?」と問いかければ、彼は「いや、何でもない」と誤魔化すようにおっしゃる。そして、お水を流し込まれていた。


「……ところで、カーティス様はメニューを見られないのですか?」


 カーティス様がメニュー表さえ手に取られないのを見て、私は怪訝に思ってそう尋ねる。


 そうすれば、彼は「俺は決まっている」と返事をくださった。……つまり、比較的頻繁にここに来られているということね。


 そう思い、私はメニュー表を閉じた。それから「私も、カーティス様と同じでいいです」と端的に言葉を告げる。


「……いいのか?」

「はい」


 その問いかけに静かに頷いて返事をする。


 すると、カーティス様は店員さんを呼び、注文を済ませてしまった。確か、日替わりランチか何かを頼んでいらっしゃった……と思う。


 はっきりと聞こえなかったのは、私が窓の外に視線を向けていたからだろう。


 窓の外では楽しそうな人たちが歩いている。その光景が、なんだかどうしようもないほどまぶしかった。


 その所為で、私の胸がざわめく。自分で幸せを掴もうとしても、限度があるのだ。私だけじゃ、どうにもならないことだってある。


(なんて、そういう考えがダメなのよ。強欲に、幸せを求めなくちゃ。……そうじゃないと)


 ……そうじゃないと、何?


 ふと、私の心が自分自身にそう問いかける。


 そうじゃないと、カーティス様のお側にいられない?


 そんなの、どうだっていいじゃない。私がカーティス様に惹かれていたとしても、誰にも関係ないじゃない。


 私たちの関係は、所詮契約的なものであり、いずれは別れる。だって、私たちはお飾りの関係を貫くのだから。


(……それで、いいの?)


 心が、そう問いかけてくる。


 けれど、そんなことを考えたとして、何かが変わるわけじゃない。だって、そうじゃない。


 私一人がカーティス様のお側に居たいと思っても、カーティス様がどう思われているかが、重要だもの。


 私の気持ちを、押し付けることなんて出来やしない。……迷惑に、なってしまうから。


(……バカ。私の、バカ)


 こんな感情を抱くのならば、お飾りの婚約者契約なんてもの、しなければよかった。


 そう思って俯いていれば、カーティス様の手が私の視界に入る。その手は私の顔の前を行き来していて。


 ……多分、私が俯いていることが気になってしまったのだろう。


「エレノア」


 ゆっくりと名前を呼ばれたので、私は顔を上げて「なんでも、ありません」という。


 そう、何でもない。これは、カーティス様には関係ない。


 そういう意味で言ったのに、彼は何処となく切なそうな表情をされる。だから、変に期待をしてしまいそうだった。


 胸が、ざわついてしまいそうだ。


 その気持ちを押し殺すかのように、私はぐっと下唇をかみしめる。


「……本当に、調子は悪くないんだな?」

「はい、元気ですよ」

「だったら、いいんだが」


 私から視線を逸らしながら、そうおっしゃるカーティス様の表情は何処となく子供っぽい。


 その表情は、まるでほんの少し拗ねているかのようにも見えてしまった。


 ……もしかしたら、私のことを意識してくださっているのかな、なんて。


 あぁ、恋する乙女じゃあるまいに。そんなわけ、ないのに。


「……エレノアが、そんな表情をしていると胸が痛むんだ」


 なのに、そんな言葉が聞こえたような気がしたから。私の心が、またざわめいていく。


 そんなこと、言わないでほしい。この気持ちが、膨らんでしまいそうだから。この気持ちが、大きくなってしまいそうだから。


 なんとしてでも、この気持ちを打ち消してしまいたいのに。


(そうよ。怪しい芽は摘んでおくべきなのよ)


 だから、これ以上そんなことをおっしゃらないで。


 そう言いたかったのに、言えなかった。


 だから、私はまた俯いた。


 それから私は一度だけ深呼吸をして、カーティス様を見据える。カーティス様は、きょとんとしたような表情をされていた。


 ……言わなくちゃ。私の気持ち。これ以上、私の心に入り込まないでって。


 そう思って息を吸い込み、言葉を告げようとした私の気持ちを遮ったのは……店員さんの声。


 それは、日替わりランチが届いたという合図で。


 私はぎこちない笑みを浮かべて誤魔化すように言った。


 ――何でもありません。


 と。

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