地の文と会話文のバランス

 Guten Abend! Wie geht’s euch? Ich bin erschöpft aber fühle ja lieber als gestern.


 こんばんは! 皆さんお元気ですか? 私は疲れたけれど昨日より良い気分です(訳)。昨日はたくさん共感のお声をありがとうございます。安心できました。

 本日は通勤時間が長いため、社内で仕事の書類をいくつかやっつけ、羽間さまとのリレーも書きかき。筆が進んできました。ゆるりと待ってくださるけいちゃんに大感謝です。


 さて表題の件は、前々から書きたいな、と思っていました。長くなるかもしれないのでお夕飯前にまずは書けるところまで。


 創作をする上で考えることが多い点の一つ。私にとっては地の文と会話文のバランスです。

 書いている時に気を配るものが「リズム」で、地の文と会話文のバランスにも「リズム」は意識しているのではないかな、と思います。あまりに会話が続くと……あまりに地の文ばかりでも……と。

 どうしてもどちらかに比重が置かれる場面はあります。


 一つは、会話のテンポがいい時。

 会話のリズムを崩したくないので、そのまま続けさせておきます。一呼吸、人物たちが言葉を切るときに地の文。ぽんぽん会話が飛び交うところでなければ動作を間に挟んでバランスを取れるようにしたいな、と思っています。


 もう一つは、静寂と沈黙、人物が一人の場面。

 思考に沈んでいる時などもそうかな。会話はまずないですから。あと殺陣とかで擬音語や掛け声もあまり使いたくありません。下手な擬音語はその場の雰囲気や文章全体の特徴を崩すし、私の登場人物で掛け声をかけそうな人もあまりいませんしね。


 そして小説だからこそ、会話中心にならない、もしくは会話を意識的に控えるところがあります。

 小説はフィルムや舞台演劇といった再現芸術ないし視覚と聴覚で鑑賞するものとは異なり、文章です。会話文だけではなく、情景も全て言葉で紡がれる。受容者の情報源は視覚に頼るという点では漫画も同じですが、漫画には絵があり、そして漫画はほぼ会話とモノローグで占められている。


 そこで、自作において会話中心にしない理由のその一。

 私が書いており、書きたいのは小説だから。

 反論もあるかもしれませんし、会話劇というタイプの文芸もあります。しかし私が書いているものはそうではない。会話だけで事足りるならば漫画か会話劇、戯曲(戯曲はと書きがありますが)を読めばいいし書けばいい。でも違うので、やっぱり地の文があって、会話文があって、というものを書きたい。


 もう一つの理由は、「登場人物目線」に立ちたいから。もしくは小説内のリアリティと言いましょうか。

 どこまでできているかは別ですし、好みの問題もあるので一人の嗜好と思ってください。


 ある一人の人間が現実にいたとします。その人は自分の身の回りのことをよく知っているし、自分の国のこともよく知っています。過去のことも今起こっていることも了解しています。その人と関わりの深い人たちも同様。お互いに共通理解の部分がたくさんある。

 これが、私たちが家族や親しい友人などと日々暮らす中で、それもちょくちょく連絡しあったり毎日顔を合わせたりする中での関係性だと思います。特になにも言わなくても「ああ、あれね」で話が済む事柄って多い。

 ところが小説を読む読者は初めてその世界に入ってくるので、誰それの関係とかその世界の構図とか地図とか機構とか知りません。それを知ってもらわないとお話がよく分からないし進みません。


 ではどうするか?

 登場人物に語らせるか?


 私の好みとして、後者を選択肢に入れるには「仕組み」を作る必要が出てきます。

 なぜなら了解事項として、彼らはもうすでにわかっているから。

 相手も自分も事細かに知っていることをわざわざ説明するのが、どうも不自然に感じてしまうから。

 これは昔からドラマや映画、漫画そのほかを見聞きしていて、登場人物がやたらと世界観や状況を台詞で語っている場面に出くわすと、「説明的……」と一気に冷めてしまうことが多かったのが理由です。要らないじゃないですか。その国に住んでいて地理にも詳しい人やらその建物に住んでいる人やらが「ここのつくりは木造になっているから冷えるし、階段は段差があるから気をつけないと」とか。独白なら尚更言わない。そんなに人は独り言を言いながら身動きしませんし、心の中でだって言いません(少なくとも私は言わない)。


 そういう理由で、地の文による説明の比重がますセクションが入ります。


 ただ、それでも地の文があまりに長すぎるとバランスが悪いので、適度に会話を入れてみる。「ここはこうだったっけ?」とか疑問を挟んだり、相手に確認の意味での同意を求めさせたり。

 もう一つは、ちょっとご無沙汰してましたという人物や、そこは詳しくないという人物に対して説明させる。


 この意味で、万有の分銅ではスピカを使いました。シリーズ作なのでどうしても世界観の説明が必要になります。スピカはまだお勉強中。彼女にいろんなところで読者の代理をやってもらった感じです。


 描写が長くなる理由の言い訳に聞こえるかもしれないのだけれど、そんな理由があります。

 会話ばっかりなら小説でなくてもいい。

 説明的な説明をわざわざするのは実に不自然。


 そんな理由です。


 読者が「読みにくい」と感じることは避けたいので、このバランスをうまいところでとって行きたいな、と思っています。

 未熟なところがあるのでまだ批判は浴びるんでしょうけれど、そんなこだわり(?)はあります。


 ばばっと思いつくままに書きました。いつでもエッセイは思いつくままです。

 また何か思い出したら書くかもしれません。


 精進したいものです。


 Ja, jeden Tag werde ich streben, noch bessere Sätze zu schreiben, was eigentlich endlose Aufgabe scheint, doch ist es spannende Anforderung, oder?

 なんて。


 Bis gleich!



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