九尾の末裔シリーズこぼれ話 その1

斑猫

女狐源吾郎の海遊び・ちょっぴりデート風味

 令和四年夏。島崎源吾郎は雷園寺雪羽と共に海水浴場に遊びに来ていた。ウェイトレスに化けた源吾郎を本物の女子だと思い込んだ雪羽がちょっかいをかけようとした……最初の出会いは確かに何とも言い難いものだった。しかし紆余曲折あって同じ職場で顔を合わせついで戦闘訓練で手合わせを重ねるうちに、互いに互いを認め合い、ライバルのような存在へと変化していったのだ。立場上は職場の同僚に相当するが、むしろ二人きりの時は友達同士のような気軽さでじゃれ合うのが常だった。

 今回も、源吾郎が雪羽の許に半ば押し掛ける形で海水浴場にやって来た次第である。赤石架橋あかしかきょうが間近に見えるこの海水浴場は、実は雪羽の地元と言っても過言ではなかった。雪羽の家――厳密には保護者である三國の家だが――は、ここから北東に進んだ亀水たるみにあるからだ。


 ともあれ普段は山奥の研究センターに勤務する二人である。久しぶりの海という事で源吾郎も雪羽もはしゃいでいた。それこそ源吾郎などは、わざわざ十八、九の少女に変化しているくらいである。


「ねーえ、雷園寺君。本当に良いとこだね。海水浴場だからどうかなって思ってたけど、とっても綺麗だね」


 源吾郎――いや今の彼は葉月と名乗っていたのでそう呼ぶ事にしよう――は小首をかしげ、隣を歩く雪羽に声をかけていた。その容姿もさることながら、動きや声音、更には言葉の選び方まで本当の少女と大差ない。まぁそれだけ源吾郎の変化術と演技力が高いという事であろう。玉藻御前の末裔という血統は伊達ではないし、演劇部で培った演技力も凡人凡狐のそれとは一味も二味も違う。


「海水浴場がばっちいだなんてとんだ偏見だぜ先輩」


 葉月の可愛らしい振る舞いを一瞥し、雪羽はニヤリと笑った。彼はツレの狐娘(中身はオス)とは異なり、普段通りに十代半ばの少年の姿を取っている。ここ数か月の間に急激に大人っぽくなった雪羽であるが、今こちらに向けている笑みは無邪気な少年そのものだと葉月は思っていた。


「それこそ俺が叔父貴に引き取られた時とかは結構ばっちかったみたいだけどさ、地元住民が頑張って綺麗にして、それで良い感じになったんだよ。

 言うて俺も、子供のころはそんなに海で遊んだりしなかったなぁ。休みとかには叔父貴や月姉つきねえが山とか農園に連れて行ってくれたから」


 雷獣らしい休日の過ごし方だと葉月は密かに思った。雷獣はおおむね山間部や山間部に近い場所に暮らしている。空を飛び雷雲の近辺に向かう事もあるらしいが、海に出没するという話はほとんど聞かない。雷獣も獣妖怪だからある程度は泳げるのだろうが。

 余談だが雪羽の叔父である三國は農園と縁深い存在だったりする。うんと若かった頃は春嵐と共に港町某所の農園に従事しマンドレイクの収穫に精を出していたという。三國たちとマンドレイクの話も興味深いものであるが、それはまた別の機会に説明しよう。

 ともあれ葉月は、雪羽を見ながら笑いかけていた。雪羽は一見すると裾の長いシャツを羽織り、ふくらはぎまで見えるズボンを着こんでいるように見える。しかし既に水着を着用しており、海を満喫する気満々なのだ。それは葉月も同じ事であり、前紐付きのワンピースの下にちゃんと黒のビキニを付けていた。腰回りを紐で結ぶタイプのシンプルなものであるが、水着で派手でも悪目立ちするばかりである。


「確かに雷園寺君って海よりも山ってイメージだよね。確か出身も奈良の山奥らしいし」

「俺は奈良県民ちゃうし! あすこは県境だけど一応大阪だったし」

「えへへー。まぁ確かに雷園寺君は大阪気質だよね。一緒に仕事してたらそう思うよ」

「あ、でも実は大阪より亀水での暮らしが長いからさ、本当は神戸っ子の気質に近いんだよな。まぁ、播州育ちの先輩にしてみれば神戸も大阪も同じかもだけど」

「確かにそうかもー」


 葉月と雪羽は他愛のない事を言い合い笑い合っていた。それでも雪羽は雷獣という事もあり目端が利くようだ。葉月と共に砂浜を歩きつつも、時折周囲に視線を走らせ、出店や海の家などが何処に位置するのか把握しようとしているらしかった。

 葉月たちは着替えとかタオルとか浮き輪とかビーチボール(まだ膨らませていないのでもちろん後で膨らませる予定だ)を持っているだけであり、特段他にあれこれ用意している訳ではない。少しお金を使うだろうが、食べるものや飲むものは現地で調達しようと思っていた。雪羽は暑がりだから、きっとかき氷とか氷がたくさん入ったジュースを欲するに違いないと、葉月は密かに思っていた。

 ともあれ夏真っ盛りであり海はすぐ傍にある。海遊びの楽しみはもう目の前に迫っていると言っても過言では無かろう。

 しかもこの一帯は妖怪向けのエリアである。途中で変化が解ける事は無いだろうが、葉月や雪羽がそれぞれ妖狐や雷獣であると判っても問題無かろう。



 ひそひそと女子たちが何事か話し合っているのを耳ざとく葉月は捉えていた。ちらと視線を向けると、水着姿の女子たちが視界に入る。フリルのあしらわれたビキニだの、ツーピース風の水着だのと中々にお洒落で女子力が高そうな水着だと思った。若々しいが、もしかしたら大学生くらいなのかもしれない。

 女子たちと葉月が目が合ったのは一瞬だけだった。彼女らの視線はすぐに葉月から外れる。可愛い女の子姿の葉月ではなく、女子たちはその隣に控える雪羽を食い入るように眺めていた。

 それは無理もなかろう――葉月、いや源吾郎は心中で密かにそう思っていた。何しろ雪羽は見目が良いのだから。銀髪に翠眼と、雷獣本来の毛色や瞳の色が目を引くというのもある。だがそれ以上に端麗な面立ちであるというのが決め手となるのだろう。

 そんな雪羽はそれとなく葉月の肩に手を添えた。女子たちに対しては爽やかな笑みを浮かべているに違いない。


「ごめんねお姉さんたち。この子は俺のツレなんだ。もしかして、一緒に遊びたかったの?」


 連れと聞くや否や、女子たちは顔を赤らめながら目配せし、軽く挨拶をしてから立ち去ってしまった。態度を見るに雪羽と葉月をカップルだと勘違いしたのかもしれない。


「あーあ。あの娘たちと一緒に遊ぶのも面白そうだと思ったのにー」


 散り散りになった女子たちを眺めながら葉月は口を尖らせた。雪羽はそんな葉月の肩を軽く突いた。


「言うて今は俺と一緒に遊びに来てるわけだろう? なのに俺を差し置いて他の女の子と遊ぶなんて水臭いぜ。俺、寂しくてすねちゃうかもよ」

「えー、やだぁー」


 またも葉月と雪羽はふざけ合い、海水の中で跳ねたり相手に水をかけあったりもしていた。傍から見れば奔放な美少女とそれを嗜める独占欲強めな彼氏の図に見えるかもしれない。しかし実際には男二人がふざけあっているだけに過ぎないのだ。

 葉月もとい源吾郎が女子に声をかけた時に雪羽が嗜めたのも、ある種の牽制のような意味合いがあったのだろう。男同士で遊ぶって決めてるのに、何勝手に女子にナンパしようとしているのだ、と。

 もっとも、源吾郎は女子に変化している時はナンパはしないと決めてはいる。もちろん女子に変化した時も女子たちに絡む事はあるにはある。だがそれはおのれの女子力アップのための潜入調査に過ぎないのだ。それにそもそも女子の姿でナンパしても、女子と交際するのは源吾郎本体なのだから特に意味はなさない訳だし。


「そんなに女の子が恋しいなら、女友達を呼べば良かったのに」

「……彼女は今日も仕事だったから。しょうがないの」


 女友達。その言葉に葉月は視線を落とした。長らく色恋沙汰とは縁遠かった源吾郎であったが、今はガールフレンドのような存在が一人いた。と言っても源吾郎が一方的に惚れこんでいる節があり、向こうがどう思っているのかは解らない。

 うんと年上――雪羽のみならず、珠彦たちなどよりも年長なのだ――だから、彼女は源吾郎の事を弟のように思っているかもしれなかったし。


「まぁそれにしても葉月ちゃん。いつも思うけど君はが本当に得意だねぇ」

「そりゃあ大好きだもの。それに海で水着姿になるのに、すっぴんで来るのは恥ずかしいし」


 妙にしんみりとした様子で語る雪羽に対し、葉月は堂々とした口調で応じた。

 今しがた雪羽が口にしたメイクとは字義通りの意味ではない。源吾郎が葉月という少女に変化している事を示している。メイクが化粧という事と、変化する事を化生と言う事に掛けた洒落である。曾祖母が化生前と呼ばれていた事や、殷王朝で化粧を開発したという逸話がある事からしても、メイクという呼び方は的確な代物だった。

 それはさておき葉月の主張は堂々としているばかりではなく本心からの物でもあった。源吾郎は本来の姿が凡庸である事を心得ており、本来の姿でこのような場所に出るのは恥ずかしいと強く思っていたのだ。それはやはり、学生時代に日焼けせず生白い肌であるのを「地面から掘り起こされた芋虫みたい」と言われたのが尾を引いているのだろう。ちなみに芋虫発言をしたのは女子生徒である。

 乙女心は繊細であるが、時に残酷な言葉でもって少年の心を抉る事があるのだ。

 雪羽は複雑な表情でそれを眺めていた。雷園寺も大人になったものだ。葉月は過去の事を思い出しながら密かに思った。今や相棒のように思っている相手が成長している事は嬉しい事であるが、同時に一抹の寂しさもあるにはあった。




 かき氷を買いに行ってくると言った雪羽はまだ戻ってこない。見ればかき氷屋は妙に混雑しており、雪羽もその列に並ばねばならない羽目になったらしい。

 直感の優れた彼ならばこのような事態に出くわすのは珍しい気もするが……葉月はそれを遠目に眺めるだけだった。別に今日は丸一日遊びに費やしているだけなのだ。特に急ぐわけでもないし暑さで参ってしまうという感じでもない。

 むしろ水遊びを続けていたので程よく冷えているくらいだ。それに暑さを感じればまた海水で身体を冷やそう。そんな風に思っていた。


「あれ、お嬢さーん。一人かな?」


 やる事もないので砂浜に落ちる貝殻とかを眺めていると、頭上から声がかけられた。若い妖怪の男たちが三人、源吾郎の許にやってきていたのだ。グラサンにアロハシャツを着こんでいるのはアライグマの妖怪らしい。彼の左右に控えているのは緑の羽の鳥妖怪と後方に伸びた角を持つ山羊の妖怪である。


「えっと、ツレがいるんですが……」


 立ち上がった葉月は正直にそう言った。しかし妖怪たちは顔を見合わせて笑うだけである。


「あ、もしかしてかき氷屋に並んでる坊やの事? 残念だなぁ、あすこはちょっとトラブってて、十五分くらい待たされるみたいなんだよ」

「それにしてもお嬢さん。こんな暑い中で待ちぼうけしてても辛いでしょ? 俺らさ、涼しい所を知ってるから一緒に涼もうよ」


 緑の鳥妖怪――恐らくワカケホンセイインコだろう――は、伸ばした手で葉月の手首を掴もうとした。もう大体こいつらが何を意図しているのか葉月には、いや源吾郎には解っていた。無論連中の意図に乗るつもりはない。

 インコ野郎の手を跳ねのけ、葉月は、いや源吾郎はきっぱりと言い放った。


「俺、男なんですけど……」


 ついでに隠していた四尾を顕現させてみた。妖気で威圧するまでもなく、妖怪たちはたじたじになっていた。

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