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 ようやく警報ベルの音は鳴り止んでいたが、施設のあちらこちらから悲鳴や何かを破壊するような音が、断続的に聞こえて来ていた。しかしそれは決して「近場」ではなく、「どこか遠くから」聞こえてくるように感じられた。とりあえず本棟の入口付近には兵士の気配はなく、俺は後ろからついてくる橋本に目線で「行くぞ」と合図を送った。


 建物内部の構造に関しては、もちろん俺より橋本の方が断然詳しい。俺は背後からの橋本の指示に従い、進行方向の安全を確かめながら進む。そうやって少しずつ、慎重に進んで行くしかない。俺の「危険を察知する嗅覚」が、本能を呼び覚ましたことで更に敏感になっているのではないかと、わずかな期待を込めて。俺が前方の気配を伺いながら、足音を潜めて廊下を前に出ると。早速、すぐ傍にあった部屋の中から1人の兵士が飛び出して来た。


 そいつも俺たちを狙おうと思って出て来たわけではなく、部屋の中を破壊し尽くしたので他の場所へ行こうとしただけだと思われた。だが、俺たちを認識すればその瞬間に「攻撃対象」になるのは間違いない。俺は、血走った眼をして「ぐるるる……」とまさに獣のような唸り声をあげている「そいつ」と、ほんの一瞬睨み合い。俺の中の野生を一気に解放しようとしていた。……しかし。



 そいつはすぐに俺に飛びかかって来るのかと思ったが、そうではなく。何か俺の出方を警戒しているような、そんな素振りが感じられたのだ。これは、俺が本能を表出させようとしているからか。惨殺した研究員たちとは違い、こいつの中の「本能」が、俺を「手強い相手」だと認識したのか……? 


 それでも、こいつが行く手を阻む障害となるのなら、突き破って行くしかない。俺がそう覚悟を決めた時、その兵士がおもむろに、「ぐふっ」と息を詰まらせたような声を出した。続けて、「ごふっ」「ぐふっ」と二度三度、咳き込んだかと思うと。そいつの体が、ブルブルと震え始めた。


 一体何が……? 俺のすぐ後ろに控えている橋本も、拳銃を構えながら急に震え出したそいつを驚いたように見つめていた。SEXtasyを研究・開発する上で「奴らの側」にいた橋本にも、これは見たことのない症状だということだ。まあ、SEXtasyの急性中毒に陥り、ここまで凶暴化した者を、間近で見ること自体が初めてなのだろうが。


 目の前の兵士は、ブルブルと震わせていた体を、今度は「がくん、がくんっ!」と激しく痙攣させ始めた。これは何か、「ヤバい」気がする……! 俺は咄嗟に、後ろにいる橋本の体に「ぐっ」と手を伸ばして、その場から飛びのいた。すると。



 兵士がおもむろに「がばっ!」と上半身を起こすと、その上半身の筋肉が、モリモリと膨張し始めた。着ていた軍服が「メリメリメリッ!」っと音を立てて裂け、体の内部から風船を膨らませているかの如く、そいつの胸や腕の筋肉が、不格好にボコボコと盛り上がって来ていた。このままでは、こいつの体が破裂してしまうのではないかと思うほどに。そして、その「想像通り」のことが起きた。


 ずばぁぁぁぁぁぁん……!!


 そいつの上半身は、内部から爆発を起こしたかのように、四方へ弾け飛んだ。両腕は体から千切れて左右に吹っ飛び、首から上もすっ飛んで、「ばしんっ!」と天井にぶつかったあと、廊下に「ごつん」と落下した。上半身の肉は胸部も腹部も細かい破片となって飛び散り、腰から上は背骨と肋骨と、わずかな内臓しか残っていなかった。



 その場から飛びのいたものの、俺も橋本も、勢いよく飛び散った血潮と肉片を避けきれるはずがなかった。俺は血と肉片でベットリとなった顔で、上半身が弾け飛んだ兵士を茫然と見つめていた。


「……どういうことだ? これも、SEXtasyの『恐るべき効果』だってことか……?」


 独り言のようにそう呟いた俺の言葉に、橋本も同じく血まみれの顔で茫然としながら、ポツリと言葉を吐いた。


「……ここまでの急性中毒になったケースは、初めてですから。私にも、わかりません……しかしやはり、SEXtasyの影響であることは、間違いないでしょう」


 そう言いながらも橋本は、「ただ、考えられるとすれば……」と、眼鏡に付いた血をシャツの裾で拭い。思案顔をしながら、この「肉体内部破裂」に対する推論を語り始めた。


「SEXtasyによる兵士強化に関しては、凶暴化を発症させるだけでなく、その肉体そのものも強化しようと考えていました。なのであの兵士たちには、SEXtasyの成分を投与するだけでなく、ステロイドなどの強化剤も同時に投与していたんです。その結果が、片山さんも見た通り、素手で閉ざされた壁やドアをぶち破るなどの行動を可能にしたわけですね。

 

 なので、暴動が起きる原因となったSEXtasyの大量投与の際に、そういった筋肉強化のステロイドも大量投与してしまった可能性があります。あの時は私も必死で、ただただ片山さんの言う通りにしようと、投与される成分の中身も確認せず、『現在投与されているものの量を、劇的に増やす』ことしか考えていませんでしたから……。それが、興奮度を高め血流を激しくするSEXtasyの効果と相まって、兵士たちに『急激な肉体の変化』をもたらした。しかし、体はその急激な変化に耐えられなかった……ということではないかと思います。あくまで、いま考えられる範囲での推測ですけどね。その他に、私の知らない危険な成分が投与されていた可能性も、十分にありますから」


 別に俺は、ついさっき目の前で起きたことについて、橋本の責任を問うつもりはなかったのだが。橋本の推論は、こうなったのは大量投与を指示した俺の責任でもあり、また自分の予期出来ないことでもあったという「言い訳」のようにも聞こえてしまった。まあそんな言い訳も、橋本らしいと言えば橋本らしいのだが。



 それよりも心配だったのは、これがSEXtasyの投与により凶暴性を発症したことが原因であるなら、俺にも同じ症状がでるのではということだった。俺もあんな風に、体の中から「破裂」しちまうのか……? いくら「とっくに死んでいておかしくなかった」とはいえ、出来ればあんな死に方だけは避けたいところだ。


 橋本の推論が当たっているのなら、筋肉強化のためのステロイドが主な原因であり、俺は大丈夫ということになるが。あくまで推論であって、俺がそうならないという保証はどこにもない。ならば……。俺は、橋本がまた「まさかそんな」と言い出しそうな事項を、橋本に提案した。


「橋本さん……あんたの持っていた、カインのデータはどこに保管してある? 出来ればここを出る前に、それを手に入れたい」


 思った通り、橋本は「まさかそんな」という表情で、俺をじっと見つめていた。



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