業魂という男(後編)
◆
「天竺かぁ、じゃあアレだな。業魂さんはお釈迦様かもしれねぇな」
「それは仏様ということけ?」
翌日、村はずれの解体小屋でチョウベエと兵十の二人はワイバーンの皮をなめしていた。チョウベエもまた普通の農民よりは兵十の側に近い。どれほどのものが盗めても、結局三男坊である彼は生きる手段である田畑を盗むことは出来ない。真に村の中に自分の居場所があるとチョウベエは感じてはいないし、今は危険生物にその技術が向けられているとはいえ、村人の方も盗みのスキルを持つ彼のことを薄っすらと嫌っていた。
「天竺はお釈迦様が生まれたところだからなぁ、業魂さんはお釈迦様が俺等を直接救いに姿を表してくれたのかもしんねぇ」
「それはええなあ」
兵十の返事はおざなりであった。口よりも針を縫う手がよく動いた。
業魂は釈迦、つまり仏である――心の中では考えていたことなのに、他人の言葉を通すとどうも信じがたくなる。そんな自分に兵十は苦笑した。
「仏様が俺等を見捨てるということもあるめえ、じゃあ一生俺等は安泰やのう」
俺等を強調して、兵十が言った。
夫婦として番えれば良い――そういう願いが兵十にはあった。
チョウベエの心のうちはわからない。
同じ場所で同じ時を過ごしても、心までは同じにはならない。
「この村で暮らす分にはなぁ……」
チョウベエが含みを持たせて言葉を返した。
「兵十よぉ、俺はこんな村から出ていきてぇんだ。安心してこの村で暮らして生きるって言ったって、俺ぁ、三男坊。家も兄貴のもの、田んぼも兄貴のもの、それを耕す道具だって兄貴に頭を下げて借りなきゃいけねぇ、村の人間にも嫌われてるし、嫁も娶れねぇだろうよ。俺ぁ、嫌だな。こんな村で一生暮らしていくなんて。一生誰かに頭を下げて生きていくのはしょうがねぇけどよぉ、生きることにまで頭下げたくねぇよ俺は」
「んなら、どうする。都に出っか?俺と狩人やるなら付き合うど?」
弓矢こそ持っていないが、兵十は親から罠の作り方や投石の際のアンダースロー投法、そして殺した命を糧にする方法を幼少期からみっちりと教えられている。チョウベエは若い男であったが、それでも二十を過ぎている。今から狩人の生き方を覚えようというには遅い。そもそも、チョウベエの親や兄からの反発は避けられない。それでも本気で狩人として生きるつもりならば、兵十は手を貸しても良いと思っている。山の中に自由はなく、業魂は討伐は助けても狩猟は助けないため、命の保証もない。それでも、山の中の命は皆、平等だ。狩りの際に頭を下げるのは屈従ではなく敬意のためである。
そのように二人で生きてゆく。夫婦になれるかはわからないけれど、それは幸福なことのように思えた。
「わかんねぇ、わかんねぇけど……俺は何かを待ってる。そして、そろそろ来る予感がするんだ」
「来るって何が来んだ?」
「首」
「首?」
兵十とチョウベエが解体小屋で会話を交わす一方、滅我儀我寺にも奇妙な来訪者があった。
「このような頭のせいで上様にはさんざんにからかわれ、金柑頭と呼ばれておりました」
滅我儀我寺の本堂、その外陣にて二人の男が向かい合っていた。
一人は即身仏によく似た男、業魂。そして、もう一人は年老いた男である。
年老いた男は甲冑を着ているが、全体に矢傷や刀傷が付き、血や泥で薄汚れている。その小脇に抱えた兜には桔梗紋があった。
明智光秀であった。
白いのっぺりとした顔をしており、垂れた目からは本能寺の変を起こすに至った野心などは感じさせない。穏やかに暮らす隠居、そう言われれば納得できるだろう。だが、その頭部は明らかに異常だった。髪の毛がない、禿げている、そのようなものではない。頭皮がまるごと存在せず、白い頭蓋が剥き出しになっていた。
「長く生きていると、時折、君のような存在に出会う。死霊術師の類だ。と言っても、自分自身にその術を行使できる術師はそうはいないが」
その様に動じること無く、業魂はどこまでも平坦な声でそう言った。
「武田家と一時期繋がりがあり、中途半端な形にはなりましたが教示頂きました。もっとも、身になったのは貴方と会った後のことでしたが」
「武田曰く、人は城、人は石垣、人は堀……だったかな」
「まさか、文字通りの意味だとは思いますまいが」
そう言って、明智光秀は力のない声で笑った。
「しかし、こうしてお会いするのは……果たして、何年ぶりになるでしょうか」
「さあ、今更時間なぞ数えるのも面倒だからね。まあ、君が生きているということは百年も経っていないだろうが」
「拙者もこのような身ですから、殺されなければ百年以上はゆうに生きられますがね」
「まあ、それもそうか」
「上様が第六天魔王を自称したと知った時には貴方のことを思い出しましたよ」
第六天魔王――釈迦の瞑想を妨げんとした煩悩の化身、いわば仏敵の象徴である。武田信玄が織田信長の寺院への攻撃を諌めて送った手紙に対し、織田信長は簡単に言えば『うっせー俺は仏敵代表の第六天魔王じゃ、ボケ』と返している。
「私は比叡山を焼いていないけどね」
「上様は炎属性でしたからなあ、まさか本能寺にまで火を付けるとは思いませんでしたよ。それで首落とせなくなって、拙者の計画は台無しになりましたな」
そう言って、再び明智光秀が自嘲するように笑う。
「それで、何故私に会いに来たのかな」
「何故でしょうなあ、まあ……一応は拙者の願いは叶ったゆえ、自慢に来たと言ったところでしょうか」
なにせ、こうなってしまっては自慢話どころかまともに話のできる人間もこの世にはいませんでのね。明智光秀の口元が緩んだ。薄っすらと浮かんだ笑みに後悔の色は見えない。
「確かに君は君の上様は殺せたけれど、君自身は秀吉に敗北し、何も得ることはなかったんじゃないかな」
「大失態でしたが、そんなに悪くはありませんよ」
「ふむ……?」
「上様はこの日の本の統一に王手をかけました、それこそ拙者が何もしなければ……訪れていたでしょう、争いのない平和な世が……」
「結構なことじゃないか」
「……どうでしょうね、それは貴方もご存知ではありませんか?」
「ほう?」
「いるのですよ、太平の世で暮らすことの出来ぬ人間が、食べることよりも、眠ることよりも、抱くことよりも、何よりも人を殺すことが好きな人間が」
「彼のような、か……」
業魂は明智光秀に応じるのではなく、独りごちるように言った。
そして「君もそうなのかな」と問うた。
「拙者は違います、人なぞ殺しても何も面白くはありません……戦なぞ、恐ろしいだけです」
「では何故、このような真似を?」
「……部下がね、そのような人間ばかりなのですよ」
「それはそれは災難だったね」
「哀れです、彼らの居場所は太平の世にはありません」
「そんな彼らの居場所を作ろうとして、戦を起こしたと?」
「上様が死ねば、次は誰が実権を握るか……誰にせよ、流血無しでは決まりますまい、彼らも上手いこと戦に潜り込んでやるでしょう」
「大した滅私奉公の精神だね」
「けれど、貴方だって拙者と同じ立場ならばきっと行うはずです」
「……どうかな、私ならば、もっと上手く……は出来ないが、どうだろうね。平和な世になり、私の愛する人間がどうしても欲望の満たしようがなくなった時に考えてみようか、巡回死刑執行人なんて良いかもしれないね。彼のような殺戮欲求者が平和な世の守り手になるんだ」
「貴方の語る方ほどの殺戮欲求と智慧を兼ね備えた者などおりますかね、私の部下は愚か者ばかりですよ……もっとも、拙者のことを信じてくれる可愛い奴らですが」
「完全に殺意を抑え込み悟りを開くほどの者はいないだろうが、心の内に鬼を抑え込む者にはきっと出会えるはずさ、気長にやるよ。次は上手くやる」
「ふむ」
「うん」
明智光秀は立ち上がり、種子島を構えた。
種子島とは通称である。
種子島に伝来し、日本の歴史を大いに変えた兵器。織田信長に勝利をもたらした兵器。そう、アメリカ合衆国で生み出されたガトリングガンである。
「私を殺したいかね、明智」
「試してみたいだけですよ、武田騎馬隊を容易く打ち破ったこの種子島が、果たして貴方に通用するのか……」
ガトリングガンの銃口がひしと業魂の額に当たった。
零距離である。
「上様を殺した私が、本物第六天魔王を殺せるものか……」
「殺せたらどうする?」
「さあ、仏敵を殺したということで僧侶でもやりましょうか」
がるるるる。
瞬間、獣の咆哮のような音と同時に無数の弾丸が放たれた。
ちゃり。
業魂の手の中で鎖を鳴らすような金属と金属が擦れ合う音が鳴った。
やり取りは刹那であった。
弾丸が放たれるよりも早く、業魂は一歩背後に下がり、一歩分の距離から放たれた無数の弾丸をその手で全て捕らえてみせた。
常人の目には捉えられぬ疾さである。
その動きを目で追い、弾丸が業魂の手の中に収まった瞬間――明智のガトリングガンは銃器ではなく、槍に変わった。
「ていっ!」
構えたガトリングガンで、槍でそうするかのように明智光秀は業魂の頭部を突いた。それに合わせて業魂はガトリングガンに頭突きを見舞った。
金属と木乃伊ががちあい、ガトリングガンにヒビが入り、粉々に砕けた。
それと同時に、明智光秀の中段回し蹴り。
一息つく間もない、連続攻撃である。
明智光秀の右足が業魂の胴体に触れた――その瞬間、業魂の身体は霞となって消えた。
残像か、咄嗟に明智光秀が背後に右腕で肘鉄を放つ。
業魂は背後に回ったのか――それを判断している猶予はない。
とにかく、攻撃を優先したのである。
業魂は明智光秀の背後にいる――その判断は正しかった。
だが、明智光秀の肘よりも、業魂の拳のほうが圧倒的に疾かった。
神速のジャブは明智光秀の肘に命中し、その勢いのまま、明智光秀の右腕を根本からもぎ取った。
「ぎゃっ……」
「もういいかな、死霊術師なら付け直すのも大した手間はないはずだろう?」
「……いや、全く……大した人ですよ、貴方は」
脂汗をダラダラと垂らしながら、明智光秀が応じる。
明智光秀は半不死の存在である、殺されるまでは生き続ける。
自身の行動の邪魔になる痛覚は消した、だが感情は残っている。
恐怖が遥か昔に捨て去ったはずの痛みを明智光秀に呼び戻していた。
「業魂さあん」
「業魂さん!」
瞬間、外陣の締め切った扉が開き、二人の若者が室内に雪崩込んできた。
兵十とチョウベエである。
「凄い音が聞こえたんで、来たんだ!」
「……いや、ただの来客だよ」
業魂は仏像がするような穏やかな笑みを浮かべて言った。
「明智惟任日向守光秀」
明智光秀もまた、穏やかな笑みを浮かべて言った。
「戦乱の世はまもなく終わる……もしかしたら、これが最初で最後の機会かもしれない。まあ、若者の首級になるのならば拙者も悪くはない」
明智光秀の言葉に業魂が人にはわからぬほど些細に、だが本人の中ではしっかりと目を見張った。
「明智、正気かい?」
「拙者の目的は終わりました、なれば……まあ、良いかな、と」
「どこまでも滅私奉公の精神なのだね、君は」
業魂の言葉に明智光秀が薄く笑い、チョウベエの目を見据え、言葉を続けた。
「私は信長を殺した大罪人だ。君、この首を秀吉に持っていっていいぞ」
「……えっ?」
「その刃で拙者の首を刎ねれば、君は取り立てられるかはわからないが……まあ、何ももらえないと言うほどに拙者の首は安くないだろう」
チョウベエの腰にはワイバーンから盗んだミスリルダガーが装備されていた。
数秒の沈黙があり、チョウベエの口の端が歪んだ。
抜き払ったミスリルダガーが陽光を浴びて輝く。
刃の煌めきに罪の曇りは一点もない。
「チョウベエ……ゆかんで……」
絞り出すような声で兵十が言った。
返事はない。
ただ、じっと明智光秀の首を睨んでいる。
「ご、業魂さあん……」
縋るような瞳で兵十が業魂を見た。
チョウベエはゆくだろう。
明智光秀の首を刎ね、豊臣秀吉の元へ。
二度と、この村に戻らないために。
「私は、この村に残ります……そして、彼は去るだろうね。私があなた達から去ることはありませんが、君たちが私から去ることは自由なんだ」
ミスリルダガーの刃が、明智光秀の首を切り落とした。
胴体から離れた首がちらりと業魂を見て、笑った。
その首をチョウベエは両手で抱きかかえた。
彼が初めて手にした何よりも価値ある宝は、盗んだものではなく、与えられたものだった。
「ついていくならついていきなさい、残るなら残りなさい。いずれにせよ君は自由だ」
歴史書には明智光秀は敗走途中で落ち武者狩りに遭い、農民に殺されたと書かれている。明智光秀を殺した農民として長兵衛という名が残っているが、彼に連れ合いがいたかは定かではない。
【終わり】
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