06-23S インタールード 意地

 ━━━帝国史において繰り返された北方遊牧民の帝国内侵入では、しばしば帝国内勢力の内応、同盟、協調が認められる。帝国歴一〇七九年の戦役でもこれは繰り返された。━━中略━━当時、帝国七諸侯、その筆頭とされ、カゲシン宗家から最大限に配慮され続け、最も帝国に忠節とされた筆頭公爵家が何故に外国勢力と結託したのか?この問いには現在に至るまで明確な解答は得られていない。━━中略━━現在判明している所では、時のマリセア宗主シャーラーンは、そしてエディゲ帝国宰相も、トエナ家に対しては最大限配慮していた、と考えていたが、トエナ公爵家はそうは受け取っていなかった、という事実である。━━中略━━トエナ公爵家が何時からケイマン族、及び長命種国家フロンクハイトと結託していたのかは不明である。しかしながら、少なくとも五年前、帝国歴一〇七四年には同盟関係が始まっていたと信じるに足る証拠が残されている。━━━

『ゴルダナ帝国衰亡記』より抜粋




 どこから齟齬が始まったのか?

 ケイマン族第三騎兵旅団長ラト・アジャイトは目の前に広がる湿地帯Catfish Swampを見て臍をかんだ。


 故郷の草原を後にし、トエナ公爵領で待機すること数か月。

 解き放たれたラト族騎兵旅団は勇躍して帝国内での進撃を開始した。

 第三騎兵旅団に与えられた任務は大きく二段階に分かれる。

 第一段階は、トエナ公爵領から西進し、トゥーリッジ要塞の南を遮断。

 トゥーリッジを孤立させたうえで、モス砂漠経由で南下する歩兵部隊と共同で要塞を攻略することだ。

 この任務の為、旅団は特別に歩兵戦闘の訓練を行い、対要塞用の大盾一個大隊分まで用意している。

 要塞攻略後は第二段階として、トゥーリッジからミッドストン方面に南下。

 東ゴルダナを広範に荒らし、帝国軍主力の後方連絡線を遮断、補給を途絶させることになっていた。


 三つ目の任務が下されたのは、トエナ領に待機中の事である。

 マリセアの三番目の王子、通称第七公子と言われるシャールフを捕らえる。

 この話、実はラト・アジャイトがトエナ領に入る前から示唆されていた。

 戦いになればカゲシンの三人の公子が前線に出る可能性が高いとの情報が入っていたのだ。

 故にある意味、これも予定通りだった。

 トエナ家からの情報を基に作戦は綿密に練られた。

 とは言うものの、基本計画に修正はほぼ無かった。

 シャールフ大隊がトゥーリッジ要塞に入るのを待って包囲する、ただそれだけである。

 一旦要塞を包囲してしまえば、シャールフは逃げられない。

 北からはケイマン族歩兵部隊が、南からはトエナ公爵家配下の中小諸侯を先陣とした第三騎兵旅団が包囲する。

 先導するトエナ家の部隊が要塞の門を開けさせればそれで終わりだ。

 それが失敗したとしても、要塞南側の守りは薄い。

 要塞の詳細を知る者が先導すれば、陥落は間違いないだろう。


 ところが、である。

 実際にラト族騎兵旅団が要塞に迫ってみれば、その南東にカゲシン直属の部隊がいたのである。

 東ゴルダナ川の河畔、想定では諸侯軍しかいない場所。

 そして、その部隊にはクロスハウゼンの旗とカゲシン公子の旗が確認された。

 予定では、シャールフ大隊はとっくにトゥーリッジ要塞に入っている頃合い。

 何故、それが、こんな街道から外れた場所にいるのか?

 報告に、第三騎兵旅団司令部は混乱した。


 何故、こんな事になったのか?

 カゲシンに駐在しているトエナ家の監視員は、カゲシン正規軍の動向に注意を払っていた。

 カゲシン正規軍は九月一日から直ちに出陣準備に取り掛かり、翌九月二日には早くも、ベーグム師団司令部とナーディル師団司令部がカゲシンを出発している。

 九月三日には、シャールフ大隊も出陣準備を終えていた。

 トエナ家の監視員は少なくとも九月五日にはシャールフ大隊が出陣する物と推定し、トエナに報告を送る。

 トエナ家では、シャールフ大隊のトゥーリッジ要塞到着は九月二五日前後と推定し、それをラト族騎兵旅団に伝達した。

 ラト・アジャイトは数日のゆとりを見込み、九月末にトゥーリッジ要塞南方に到達する予定を組む。

 ところが、その九月二五日。

 旅団は、ミッドストンから街道沿いにトゥーリッジ要塞に進軍している筈のシャールフ大隊を、街道から外れた東ゴルダナ川地区で発見してしまったのである。




 結果から言えばトエナ家の計算は完全に狂っていた。

 勿論、トエナ家も馬鹿ではない。

 以前の軍事行動記録を参照に、各軍がどの程度の速度で進撃するか、綿密に計算していたのである。

 だが、今回はそれが当てはまらなかった。

 原因はベーグム師団である。

 ベーグム師団はゴルダナ地区北部中部を担当し、通常はカゲシン山脈の西、カゲサト周辺に駐屯している。

 師団長ら司令部要員の多くはカゲシン、あるいはカゲシト在住だが、彼らがカゲシンからカゲサトに移動するのは早い。

 カゲシン=カゲサト街道は約一五〇キロの峠道。

 一般人なら通常七日以上、練度の高い軍隊が強行軍を行っても五日はかかる。

 だが、騎馬及び馬車で編成され、街道沿いに予備の馬を配置しているベーグム師団司令部は三日かからない。

 レトコウ紛争の時には、師団長、副師団長は替え馬を多用して一日でカゲサトまで移動している。

 ベーグム師団兵員の大半は、カゲサト、カゲシン山脈の西側に最初からいるわけで、司令部が到着すればそのまま出陣できたのである。


 だが、今回は事情が違った。

 ベーグム師団はこの春のレトコウ紛争で甚大な損害を被っており、それの再編を行っていたのである。

 一般兵員は兎も角、下士官、下級士官、それも即戦力となる下級士官を大量に供給できるのはカゲシンの自護院養成所だけである。

 故に、九月一日の時点でベーグム師団のざっと半数がカゲシン郊外、つまりカゲシン山脈の東側に存在したのである。

 彼らがカゲシン=カゲサト街道に殺到した結果、街道は大渋滞をきたした。

 ベーグム師団副師団長補佐レザーワーリが師団最後衛を率いてカゲシンを出陣したのが九月六日である。

 トエナ家は、ベーグム師団が損害を受け再編成を行っていたことは知っていた。

 だが、六月に始まっていた再編成が九月一日の時点で継続していたとは知らなかった。

 ベーグム師団が駐屯していたのはカゲシン郊外、とは言っても十キロ以上離れた場所であり、カゲシンから様子は分かり辛い。

 ベーグム師団も、損害が大きく、再編に時間がかかるなどと喧伝するわけがない。

 故にトエナ家の見張りは、これを計算に入れる事が出来なかった。

 現実に、ベーグム師団の出陣が想定外に手間取り、シャールフ大隊の出陣が遅れたのに慌てた彼らは、追加でトエナに使者を送った。

 だが、使者が到着した時点でラト族騎兵旅団は既に出立していたのである。

 更に、ベーグム師団の遅れは全てのスケジュールを遅延させた。

 師団本隊の兵員が遅れたのだから、後方の輜重部隊は更に遅れる。

 結果として、シャールフ大隊は主要街道を使う事が出来ず、田舎道を行くことになる。

 トエナ家の想定ではミッドストンからトゥーリッジへの街道を北上する筈だったが、そうはならなかったのだ。




 第三騎兵旅団の会議は紛糾した。

 東ゴルダナ川地区にいるカゲシン直属部隊は、シャールフ公子率いる大隊なのか?

 カゲシン公子の旗とクロスハウゼンの旗が確認されたのは一瞬で有り、それ以降、対象の部隊はそれらの旗を掲げていない。

 困ったことに、第三騎兵旅団の先鋒は既に幾つかの地域諸侯軍を蹴散らしており、遠くない将来、彼らからの情報が拡散するのは避けられない。

 ショッキングピンクと派手な黄色のラト族騎兵は極めて目立つのだ。

 第一軍後方を荒らすには目立った方が良いと考えられていたのだが、こうなっては、敵に察知されるのは時間の問題だ。

 そうこうするうちに、旅団は敵部隊を見失う。

 どうやら、南方に移動したらしい。


 そこに、トエナ家から追加の情報が入る。

 カゲシン、そしてクリアワインの間者からの情報である。

 これにより、対象の部隊がシャールフ大隊であることが確定した。

 更に、トエナ家の使者は追加の命令をもたらす。

 要塞攻略の歩兵部隊には、作戦を十日ほど遅らせると通達。

 トゥーリッジ要塞の攻略は遅らせて、シャールフ公子の捕捉を優先せよとの命令である。

 ラト・アジャイトは時期的物理的に、この命令がケイマン・オライダイからの物なのか疑問に思ったが、異は唱えなかった。

 カゲシン公子の捕縛はケイマン族内だけでなく、帝国内外に誇れる戦果である。

 何より、命令自体は容易に達成できると思われた。


 元の作戦では、第三騎兵旅団の一個連隊で、トゥーリッジ要塞を攻略。

 もう一個連隊はトゥーリッジ要塞とミッドストンの中間に展開して、南方からの帝国軍の増援を妨げる予定だった。

 シャールフ大隊が第三騎兵旅団に気付いたとしたら、まずは、有力な守備隊と城壁を持つ都市に逃げ込むだろう。

 敵は、大型で魔導部隊を持つとはいえ、一個大隊、二千人に満たない。

 こちらは、一個旅団七千人だ。

 平野のただ中で遭遇すれば騎兵突撃で敵は四分五裂するだろう。

 平野では騎兵突撃を防ぐのは至難。

 故に城塞内に逃げ込むしかない。

 近隣で、トゥーリッジ要塞以外でまともな城壁を持つ都市は二つ、クリアワインとミッドストン。

 他は、城壁を持たないか、有っても粗末なものだけである。

 ラト・アジャイトは南方の一個連隊の進路をやや南に変更。

 クリアワイン西方に展開させる。

 ラト・アジャイトが直率する連隊はトゥーリッジ方面からミッドストンに向けて南下した。


 幸い、敵大隊は直ぐに捕捉できた。

 平野で歩兵がラト族騎兵から逃れることなどできない。

 これなら、彼らが城壁内に逃げ込む前に捕捉・殲滅できる。

 ラト・アジャイトはそう踏んだが、ここで、またミスが出る。

 功を焦った先頭大隊が、敵後衛につっかけ、返り討ちに会ったのだ。

 半個大隊五百人で敵一個中隊二百人と少しを攻撃し、こちらの大隊長が捕虜にされたという。

 シャールフ公子の補佐で、大隊の実質的な指揮官であるクロスハウゼン・バフラヴィーは帝国でも有数の魔導士だ。

 くれぐれも軽視しないよう通達していたにも関わらずの惨事である。


 状況は更に悪化した。

 シャールフ大隊は、クリアワインにもミッドストンにも現れなかったのだ。

 どうやら、更に南方に向かったらしい。

 そして、再び敵の位置が分からなくなった。

 敵をロストしたのである!

 偵察・索敵能力で勝るものが無いはずのケイマン軍騎兵部隊が、だ!

 おおまかな位置は分かる。

 だが、詳細位置は分からない。

 故に全軍で騎兵突撃を敢行することは出来ない。

 信じられない話だが、旅団は偵察合戦で負けているのだ。


 敵味方が激しく移動し続ける機動戦では、敵の正確な位置を掴むことが何より重要である。

 それを行うのが、偵察部隊だ。

 そして、遊牧民であるケイマン軍はこの分野では帝国軍を圧倒していた。

 機動戦は、北方遊牧民同士の戦いでは普通だが、農耕民歩兵が主力の帝国軍ではあまり行われない。

 故に、その技術も経験による練度もケイマン軍が帝国軍を圧倒している、筈だ。

 それが、負けている。

 故に、シャールフ大隊の正確な位置が掴めない。

 そして、どうやら敵はこちらの主力の位置を把握している節が見受けられる。

 屈辱などという物ではない!


 当初、「同数の偵察部隊に負けるなどラト族の恥、次は必ず勝て!」と激を飛ばしていたラト族首脳陣だったが、次第におかしい事に気付く。

 偵察班が五つ続けて敗北した後、生き残りから出てきたのは、敵からファイアーボールを撃たれたとの話だった。

 敵偵察部隊に魔導士が居る?

 おかしな話である。

 ファイアーボールを撃てる投射型の魔導士は身体能力が低い。

 普通、投射型魔導士は身体魔法を使えず、身体魔法の使い手は投射魔法を使えない。

 故に、瞬発力と持続力、つまり高い身体能力が必要とされる偵察部隊に投射型魔導士は向かないのだ。

 そもそも、投射魔法は集団戦で威力を発揮する存在。

 確かにファイアーボールの爆発力はすさまじい。

 だが、ファイアーボールは手で投げるから、その射程は長くて一〇〇メートル、多くは八〇メートル以下でしかない。

 更に、呪文詠唱に時間がかかる。

 少人数の戦いでは、弓の方が発射速度と射程に勝る。

 ラト族偵察兵が魔導士に負ける?

 意味が分からない。


 ラト族首脳は取りあえず、基本五人一組で運用していた偵察班を十人一組、つまり一個分隊単位に増強した。

 ばら撒ける偵察班の数は減るが、偵察部隊内の弓兵を増やすことができる。

 新たな偵察班には、常に三名以上が弓を放てるように、そして、魔導師らしき敵を見かけたら最優先で倒すように命令した。

 所が、偵察班の損害は減らなかった。

 気が付けば、何人もの偵察班長が敵の捕虜になったと推定され、両足骨折の兵士が山積みとなっている。

 何が起こっているのか?

 首脳陣の厳格で厳密で粘り強い聴取で判明したのは、偵察部隊が、「ファイアーボールによる奇襲」を受けていたという事実である。

 それもどうやら弓の射程外、恐らくは二〇〇メートル近い距離からファイアーボールを撃ちこまれていたという。

 ケイマン軍には元来投射型魔導士がほとんどいない。

 存在する魔導士も雇われた人族だ。

 故に、牙族兵士は一般に魔法に疎い。

 彼らは、「遠距離からのファイアーボールによる奇襲」が普通でない事を理解していなかった。


 だが、流石に、ラト・アジャイト以下の首脳陣は知っていた。

 そして、それが如何に異常かという事も。


「恐らくは普通のファイアーボールに風魔法を併用して飛距離を伸ばしている物と推測されます」


 聞き取り結果をまとめた幹部の報告に、ラト・アジャイトたちは、揃って深刻な顔になった。

 二種類の魔法を併用する。

 そんな事が可能なのは、帝国でも一握りの魔導士だけだ。

 正魔導士でも、上級魔導士でも困難。

 恐らくは守護魔導士以上になる。


「まさか、だが、主将であるクロスハウゼン・バフラヴィー自身が偵察部隊の排除を行っているのか?」


「バフラヴィーの正夫人も守護魔導士の資格持ちと聞きます。

 本人か、夫人か、そこは分かりませぬが」


 ラト・アジャイトの言葉に部下が答える。


「自ら、あるいは、自身の正夫人を最前線に出しているわけか。

 クロスハウゼン・バフラヴィー、魔力が多いだけの貴族のバカ息子ではないようだな」


 カンナギ・キョウスケの名はケイマン族には全く知られていない。

 カンナギの名は、カゲシンの自護院、施薬院関係では知られているが、諸侯ではクテンゲカイ侯爵家、レトコウ伯爵家以外では、ほぼ無名である。

 カゲシンの宗教貴族では、むしろフサイミール殿下の愛弟子である変態としての名が高い。

 ちなみに、上位魔導士認定試験の話題は驚異的な魔法を披露したネディーアール殿下と、彼女に吹っ飛ばされたニフナレザー、そして牙族初の守護魔導士ゲレト・タイジに集中している。

 どちらにしろ、この時点でラト族首脳には、カンナギの存在は認識されていない。


 そんなことで、ラト・アジャイトは敵に対する認識を改める。

 シャールフ大隊にクロスハウゼン・バフラヴィーが存在することは知っていた。

 だが、シャールフ大隊は所詮大隊であり、魔導部隊は少ない。

 どんなに優秀な魔導士でも一人でできる事は知れている。

 バフラヴィーなど、シャールフ公子にくっ付いた『おまけの目標』という認識だった。


「ですが、これは逆にチャンスではありませんか?

 敵の総大将が最前線の小規模戦闘に出てくるのならば、それを待ち構えて殺してしまえばいい。

 それで、敵は終わりです。

 強力な魔導士でも、出てくるのが分かっていれば対処の方法はいくらでもあります」


 幕僚の言葉にラト・アジャイトは頷く。

 総大将が最前線の小規模戦闘に出続けるのは、極めてリスクが高い。

 ラト族騎兵旅団は、偵察部隊を一個小隊規模、五〇人程に拡充。

 対魔導士用として、要塞攻略用に用意した抗魔力の高い大盾、それを魔力量の高い選抜兵士に持たせる。

 これなら、一発や二発のファイアーボールでやられることは無い。


 ところが、その魔導士対策を行った小隊規模偵察部隊が二つ続けて粉砕され、第三騎兵旅団首脳は再び頭を抱える。


「ファイアーボールが飛んでくるのを察知して、盾持ちが前に出て迎撃体勢に入ったのですが、・・・盾の下、馬の脚の間、と言うか、地面その物が爆発した感じで、盾を持った兵士が馬ごと転倒してしまったのです。

 盾持ちを失った所に、更にファイアーボールが撃ち込まれて、どうにもなりませんでした」


 五〇人の偵察隊が十人程の敵に圧倒されたという。

『地面を爆発させるファイアーボール』など、誰も聞いたことが無く、対処の方法すら分からない。

 そもそも、『地面が爆発した』というのが確かな情報かも不明だ。

 証言者は下士官の伍長。

 士官は全て捕虜か戦死であり、魔法に不慣れな者しか残っていない。


「地面が、というのは見間違いでしょう。

 自分にやらせてください。

 策があります」


 更にもう二つの小隊偵察団がやられ、困り切っていた所に志願したのは、若手有望株の中隊長だった。

 あえて中隊規模で接近し、敵を誘うという。

 中隊規模なら一発二発のファイアーボールにも耐えられる、筈。

 だが、これも失敗する。

 中隊長、ラト・アジャイトの甥は戦死した。

 彼と同時に派遣した他の三個の中隊も敗北。

 惨憺たる結果だった。




 そして、ラト・アジャイトは、少し前から考えていた『賭け』を実行するに至る。

 旅団所属の大隊を大きく展開させ、敵大隊を遠隔包囲するという物だ。

 素早く展開して、網を引き絞り、全軍で敵を殲滅する。


「それは、無理です。

 タルフォート近くまで補給線を伸ばすのは困難です。

 まして、短期間になど、絶対不可能でしょう」


 反対したのは、トエナ公爵家から派遣されていた将校である。

 第三騎兵旅団はトエナ家の補給部隊に補給物資を頼っていた。

 トゥーリッジ要塞陥落前に、ラト族騎兵の存在が露見すればトエナ公爵家の関与が露見するとの話で、目立った、略奪は極力避けるように指示されている。

 代わりに物資はトエナ家が供給する約束になっていた。


「トエナ家からの補給はいらない。現地で調達する」


「略奪するというのですか?協定違反です」


「我らが活動を始めて既に半月以上。

 我らの存在は既に帝国中に知られているだろう。

 今更、だ。

 それに、一時的ではあるが、中ゴルダナ川の線まではケイマン本隊が進出していた。

 それから分遣されたと言えば良かろう」


「略奪を開始するのであれば我らは引き上げることになります。

 医療部隊も含めて、です。

 宜しいのですか?」


 ラト・アジャイトがこれまで『賭け』に出られなかった最大の要因が、トエナ家が提供した医療部隊だった。

 第三騎兵旅団は、シャールフ大隊との偵察部隊合戦で、多くの負傷者、特に両足骨折患者を出していた。

 両足骨折はケイマン族の医療レベルでは、治癒に一か月はかかる。

 だが、人族の医療魔導士ならば一日で治せる。

 勿論、数は限られるが、両足骨折が多発していた第三騎兵旅団としては、無視できない話になっていた。


「良かろう。本日の治療が終われば引き上げることを許可する」


「宜しいのですか?

 もう、シャールフ大隊は無視して、トゥーリッジに戻り要塞の攻略を優先すべきかと愚考しますが?」


「其方がそれを言うか。

 そもそも、シャールフ大隊の捕捉・殲滅を言い出したのは其方らだ」


 第三騎兵旅団の損害は、既に全体の一割を超えていた。

 それも、士官、下士官の損害が多い。

 敵は、下級兵士は両足を折るだけで放置し、士官と下士官を選んで捕虜に、あるいは殺害していたからである。

 部隊内の憤懣は限界に達していた。

 対外的にも、ラト族騎兵旅団が敵歩兵一個大隊との機動戦で敗北したなど認められるわけがない。

 このまま逃げられれば、第三騎兵旅団の名誉は地に落ちる。




 こうして、ラト・アジャイトは賭けに出て、それに負けた。

 大隊をばら撒いて遠隔包囲する。

 包囲された側がこれに気付けば、包囲網の一角を喰い破って突破しようとするのは分かっていた。

 問題は、その速度。

 包囲された側が包囲網を喰い破る前に、あるいは喰い破られた直後に全軍で敵を捕捉できれば、勝利が確定する。

 だが、敵の対応は予想以上に早かった。

 ラト族騎兵旅団がこの作戦に出ることを事前に予測していたとしか思えない。

 ただ、それでも、シャールフ大隊が城壁のある都市に逃げ込むことだけは阻止できた。


 湿地帯、Catfish Swampを眺めながらラト・アジャイトは唸る。


「この湿地の奥にも橋があるのだな」


「はい。とても軍用には使えない粗末な吊り橋ですが」


 ラト・アジャイトの問いに幕僚の一人が答える。

 橋は二つ。

 一つは、一時間当たり、五〇人程度しか渡れず、もう一つも、百人と少しという。

 一五〇〇人を超える敵大隊が渡河するには丸一日かかる。

 だが、湿地帯の奥にあるのが問題だ。

 これが平地なら、渡河中の敵を襲って殲滅できるが、湿地帯では、最大の武器である騎兵突撃が行えない。


「湿地に入りましょう。

 こちらには要塞攻略用の大盾があります。

 第七公子とやらを捕らえるのは無理かもしれませんが、渡河点近くまで行ければ、火計で橋を落とすことも可能でしょう。

 敵の半分は喰えます!」


 連隊長の一人トロ・アルスが進言する。

 敵地を派手に略奪もしている。

 ラト族騎兵旅団の存在は近隣に知れ渡っているだろう。

 今からトゥーリッジに戻っても、要塞攻略は至難だ。

 用心している敵では、奇襲効果も欺瞞計画も通じない。

 いや、歩兵の大部隊が資源の乏しいオアシス都市で待機できる時間は限られている。

 今頃は、水と食料を使いつくして、単独で要塞を攻撃しているか、撤退しているかのどちらか。

 報せが無い所からすれば、要塞攻略に失敗して撤退した可能性が高い。

 このままでは、第三騎兵旅団は何の戦果も無く、いたずらに兵員を失っただけになってしまう。

 だとしたら、敵大隊の半分でも喰うしかない。

 敵の半分を喰えば、取りあえず負けてはいないと主張できるだろう。

 勝利はどう考えても無理だが。

 いや、・・・うまくすれば、シャールフは無理でも、クロスハウゼン・バフラヴィーとやらは殺せるかもしれない。

 偵察部隊狩りに自ら出てくる男だ。

 渡河点の殿軍指揮に残る可能性は高い。


 冷静に考えれば、第三騎兵旅団は引き返すべきだろう。

 騎兵の苦手な湿地で歩兵として戦う。

 数に勝るとはいえ、消耗は必至だ。

 だが、ラト・アジャイトもその幕僚たちも、誰も撤退は言い出さなかった。

 戦いは既に、ラト族のプライドの問題となっていたのである。

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