06-21S レニアーガー・フルマドーグ 私たちはどこへ向かっているのだろうか? (三)

 レニアーガーの家は元を正せば宗教貴族だ。

 アーガー僧正家の分家の一つだが、本家から分離して久しい。

 辛うじて一族と言う程度。

 だが、アーガー本家そのものが衰退しているので、どうにもならない。

 本家からの援助は無く、本家のコネを使おうとすれば上納金を求められる。

 勿論、我が家にそんな金は無いから、私が物心ついた時から本家との交流はほぼ無い。

 先日、ピールハンマド殿が千日行を達成した時にはアーガー家の時代再びと期待したが、どうやら一瞬のきらめきだったようだ。


 私は生計のために自護院に入り、軍に入った。

 貴族、特に宗教貴族はコネ社会だが、我が家にはそれが無い。

 親のコネはマイナスでしかない。

 宗教修行は、金か、狂信的な信仰心のどちらか、できれば両方が必要。

 それが無ければ事実上不可能。

 私にはどちらも無かったから、宗教貴族としての出世は無理である。

 幸い親よりも魔力は多い。

 私は両親よりも魔力量が多いという稀有な例であり、そして、その様な者の多くが選ぶ道を私も選んだ。

 自護院である。

 軍に入るのが、最も出世できる可能性が高いと踏んだのだ。

 尤も、魔力量が多いと言っても、ギリギリで上級魔導士試験に合格した程度。

 派手に手柄を立てて出世できるほどではない。

 それでも並の正魔導士よりは上だ。

 また、日常業務と事務作業、そして管理能力には少々自信があったから、普通の魔導士よりは出世できると考えていたのである。


 だが、現実は厳しかった。

 坊尉補から坊尉、そして上級坊尉へと順調に出世したが、そこで躓いた。

 上級坊尉、諸侯で言う所の大尉になれば小隊長を拝命するのが普通である。

 だが小隊長は自前で従者を雇わねばならない。

 更に自身と従者に相応の装備を揃えねばならない。

 だが、分隊長の給与では無理だった。

 普通の貴族ならば実家からの援助があるが、我が家にあるのは借金だけ。

 平民出身の士官ならば戦場で手柄を立てて報奨金を稼ぐのが普通だが、私はそれもダメだった。

 私は、魔力量はそれなりだが、前線で手柄を立てるタイプではない。

 身体魔法は使えないし、運動能力も高い方ではない。

 いや、はっきり言えば『鈍い』方だ。

 最前線で、ビシバシ魔法を撃ちまくるような活躍は、行おうとする気力すらない。

 私が得意としているのは、部隊の管理と統率・指揮だと思うが、分隊程度でそれを言ってもむなしい。


 そんなことで、私は上級坊尉の資格持ちの坊尉として、筆頭分隊長という曖昧な職を何年も務める事と相成った。

 何年もあがいたが、どうにもならず、私は父の元上司からの提案を受け入れる。

 とある大僧都家の娘を第一正夫人として迎え入れたのだ。

 彼女はいわゆる出戻り。

 素行不良と浪費で離縁されたらしい。

 出戻り娘が家にいるのは世間体が悪い。

 よって誰かに押し付けたい。

 彼女を引き受ければ父の残した借金を整理してやろう、との条件だった。

 糟糠の第一正夫人を第二正夫人に落としての、決断である。

 これによって、私は上級坊尉(仮)から正式に昇進し、小隊長となった。

 レトコウ紛争での臨時大隊の小隊長だが、結果的には良かった。

 私はカンナギ上級坊尉と共に戦い、認められたのである。

 そして、今回、中隊長になった。




 仮に今回の苦境を乗り越えたとしても、帝国とカゲシンが元の形に戻るとは思えない。

 以前より社会は不安定になり戦乱が増えるだろう。

 戦乱の時代に軍人でいるのは危険だが、今更進路変更は難しい。

 だが、軍人で中隊長も厳しい。

 いや、平時なら中隊長で十分だ。

 それなりの給料とそれなりの利権で、引退後も何とか貴族として暮らせるだろう。

 だが、戦時となると話は別だ。

 軍人で最も死亡率が高いのが中隊長と言われる。

 指揮方法にもよるが、大隊長以上になると最前線に出るのが減る。

 出たとしても取り巻きがたくさんいる。

 小隊長以下だと、常に最前線だが、小隊長程度だと格別敵に狙われるわけではない。

 故に中隊長が最も戦死しやすいと言われる。

 つまり、このままでは早晩戦死だ。

 だが、客観的に見て、私のこれ以上の昇進は困難だろう。

 少なくともかなりの年月が必要だ。


 私は、大隊長以上になった方が才能は生かせると思う。

 だが、それを師団幹部に納得させる術はない。

 私は現時点では平凡な中隊長に過ぎないのだ。

 そもそも、コネのない一般人の場合、中隊長が出世の上限とされる。

 それ以上出世できるのは、大きなコネか、突出した才能、そのどちらか、多くはその両方を持っている人間だけだ。

 クロスハウゼン・ガイラン・トゥルーミシュ上級坊尉のように。

 あるいは、コネが無くてもカンナギ代坊官のように卓越した才能が有れば別だが。




 寝床で妻たちの相手をしながら考えたのはカンナギ代坊官のことだった。

 彼は、今後も出世するだろう。

 バフラヴィー様の態度を見ても、彼がカンナギを将来の自分の片腕として育成しているのは明らかだ。

 そこまで考えて、ふと思った。

 カンナギに付いていくのはどうだろう?

 カンナギは常識が欠如している。

 だが、善人だ。

 軍隊では出世すればするほど部下が増え、雑事が多くなる。

 カンナギが抱えるスタッフは今後も多くなる。

 ならざるを得ない。

 そして、カンナギには係累がいない。

 縁戚関係から採用するだろうが、彼個人としては縁戚以外の人材も欲しいだろう。

 カンナギが現在懇意にしているゲレトは、気が弱すぎるが、魔力量は極めて豊富だ。

 ゲレトにとって代わるのは困難だが、彼は牙族の留学生であり将来は故郷に戻る。

 三年間の留学予定と聞くから、あと二年程だ。

 ゲレトの後釜としてカンナギの副官を狙うのはどうだろう?

 カンナギは少なくとも大隊長にはなるから、大隊副官には成れる。

 私はゲレトのような魔法の才能は無いが、人の管理や人間関係の調整は私の方がうまい。

 カンナギに、そしてゲレトにも欠けている常識ではさらに役に立てるだろう。


 現時点でも、カンナギの第一魔導中隊は問題が大きい。

 カンナギが活躍したことで、異様な数の男性捕虜が中隊にもたらされた。

 結果として、中隊の風紀は最低レベルに落ちた。

 中隊の女性士官、女性下士官は豊富な男性捕虜を選り取り見取りで『使用』している。

 大隊の他の部隊が陰鬱なのに、第一魔導中隊だけは色ボケお祭り状態だ。

 中隊長と中隊副長は毎晩、妻たちに『酷使』され、男性捕虜の集団は毎晩どころか日中の休憩時間、更には移動中でも『酷使』されている。

 男性捕虜用の精力剤はあっという間に底をついた。

 だが、カンナギが画期的な精力剤を開発・提供し、色ボケ状態は更に混迷の度合いを酷くする。

 いや、薬自体は画期的な物だが、一般兵士に大量に与える必要はない。

 流石に大隊内で古参の第一歩兵中隊長が、代表して注意した。

 したが、・・・。


「他の中隊から文句が出ている。

 我が中隊の男性捕虜が多く、その使用で妬まれているようだ。

 そのようなことで、夜間は基本的にテント内でヤルように!

 日中も可能な限り目隠しの陣幕を立てろ!

 移動中の馬上での行為は禁止だ!

 馬車の上で目隠しの幕を張って行うように!」


 注意されてクテン・ジャニベグが出したお触れがこれである。

 そもそも、カンナギたち中隊本部が、毎日お盛んだ。

 カンナギ自身も、注意されて、「一日の回数は十回に抑えるようにする」などと言っている始末。

 抑えて毎日十回って。

 上から下まで色ボケ状態。


 注意した第一歩兵中隊長も呆れていたが、ある程度しないと妻たちを抑えられないと聞かされて嘆息していた。

 恐らく、彼自身の抑えも利かないのだろう。

 カンナギが女たちに夢中になるのも分からないわけでは無い。

 クテン・ジャニベグもクロイトノット・アシックネールも男性遍歴で有名だが、男を次々と調達できるのは美人で魔力量が多いからだ。

 正直に言えば私自身、二人に誘われたら、断るのには多大な精神力を必要とするだろう。

 私の妻たちとは格が違い過ぎる。


 カンナギの場合、うらやましい事に二人以外の女性も美人ばかりだ。

 当初カンナギが連れていた青髪の二人の侍女は大変に容姿が整った美人であった。

 世の中の多くの男性は、体格の良い女性を好む傾向にある。

 筋肉の付きが良い、あるいは逆に筋肉が少なく、胸と尻が大きい女性である。

 私もガイラン・ライデクラート殿のような身長が高く美しい筋肉を持った美人を否定する気持ちは無い。

 ただ、クロスハウゼン・デュケルアール様のような胸の大きな女性が持て囃される風潮には異議を唱えたい。

 胸が大きく、ウエストとの差が大きければ、それで良いのだろうか?

 そのような通俗的趣味者には軽蔑を禁じ得ない。

 思うに、女性の胸はほのかに膨らんでいるぐらいが最も美しい。

 体全体も、細く小柄な方が良いだろう。

 断っておくが、私はいわゆる、『幼女趣味』ではない!

 充分に成熟していて尚且つ小柄で、小ぶりの美しい胸を持った女性が良いと主張しているだけである!


 青髪のメイド、フキさんとフトさんは十八歳と十七歳、共に成人した適齢期の女性である。

 その美しさは、正式な夫人として譲ってもらえないかと真剣に考えた程だ。

 何時の間にかいなくなっていて、聞けばカゲシンへの使者の一員として派遣されたらしい。

 敵の勢力圏を通る使者だ。

 無事でいてくれればよいが。


 そして、現在、カンナギの女性陣で最も清楚で美しいのがルカイヤ・スルターグナ嬢だ。

 ルカイヤ僧都家の娘で、施薬院主席医療魔導士であるシャイフ殿の孫だという。

 施薬院でも優秀な成績を収めている才女で、カナリアのような澄んだ声の持ち主だ。

 見ているだけで癒される美形で、私がカンナギの所に行くのは、彼女を見るためとも言えるぐらいである。

 彼女はまだカンナギの所に来て日が浅いらしいが、カンナギ家の色に染まってしまわないか心配だ。

 以前からカンナギに仕えているハトンという少女は毎日のように『今日の調教がまだです』とか『涎を垂らしながら潮を吹けるようになりたいです』などと聞くに堪えない言葉を人前で日常的に話すようになってしまっている。

 そうなる前に彼女を救い出したいのだが、良い手は浮かばない。

 ただ、カンナギの常識を少しでも改善できればスルターグナ嬢が変態に染まる速度も多少は落ちるだろう。

 そのような事で私はカンナギ代坊官に親身に相談に乗り、第一魔導中隊の状況を改善するように助言することとしたのである。

 後から考えれば、大隊の深刻な状況を無視した話だが、そうでもしないとやっていられなかったのが、この時の私の精神状態だった。




 残念ながら、私の努力は実りが少なかった。

 第一魔導中隊の風紀は酷いし、クテン・ジャニベグの感覚は一般とはずれている、そう注意はした。

 しかしながら、カンナギは私の忠告に感謝こそしたが、完全には受け入れなかったのである。


「レニアーガーの意見は尤もの様に思えるが、ジャニベグもアシックネールも間違っていないと言っている。

 何より、中隊内の女性士官、女性下士官たちが現状に大満足なんだ」


「こんなに男性捕虜がいるのなら部下が浮かれるのは仕方がないって、テスナやオルジェイトも言うんだよ」


 カンナギと、そしてゲレトも困ったような顔をするだけだった。

 それでも私は引き続き、可能な限り穏当に忠告し続ける。

 結果、カンナギは一つの解決策を打ち出した。

 それは、第一魔導中隊の男性捕虜を数名、他の中隊に貸し出すという、論評しがたい方策だった。

 根本的な解決策には程遠い。

 だが、取りあえず他の中隊からの不平は軽減したのも事実であった。

 男性捕虜が減った第一魔導中隊には、カンナギが新たな男性捕虜を供給することで補填している。


「カンナギ殿は基本的にずれているからねぇー」


 私の苦難を横で見ていたアスカリは例によってマイペースだった。


「レニアーガー殿はまだまだ彼のズレに対する認識が足りないと思うんだよねー」


「そう思うのなら、少しは手伝ってくれても良かっただろう」


 私の抗議はアスカリに完全に無視された。


「カンナギ殿とクテン・ジャニベグ殿の馴れ初めは聞いてる?」


 アスカリが自分に興味のない話を無視するのは何時もの事なので、私は一つ溜息をついてから彼の話に応じた。


「レトコウ紛争の時にカンナギと戦って捕虜になった、と聞いているが」


「その時は、カンナギがカゲシンに帰っちゃったから有耶無耶になったんだよねー。

 正式にはカンナギが百日行をやった後でジャニベグさんが正式に求婚して、それをカンナギが受け入れたんだってさ」


 なにかどうでもいい話だ。


「それで、その求婚なんだけど、ジャニベグさんがカンナギにカゲシンの門の近くの、公共の道路のど真ん中で素っ裸になって、性交を求めたんだってさ」


「はあ?」


 言葉の意味は分かるが、内容が理解できない。


「すまないが、言っている意味が分からない。

 その、戸外で、裸で、求婚したと聞こえたのだが?」


「そーだよ。

 ジャニベグ嬢は素っ裸だったんだってさー。

 正確に言うと、ブーツは履いていて、マントも羽織っていたんだって。

 そんで、カンナギを見つけたら、パっとマントをはためかせて、さあ、やろうと」


 それは、求婚なのか?


「露出趣味とは聞いていたが、何故に求婚で脱ぐ必要が有るんだ?」


「さあ、変態の思考は分からないよ」


 アスカリは両手をヒラヒラとなびかせながら答えた。


「そうか、その、斬新だな」


 どういったら良いか分からない。


「斬新かどうかは分からないけど、カンナギはそれを受け入れて、彼女とセックスしたんだってさー。

 それで正式に婚約になったそうだよ」


「それを受け入れたのか?

 本気か?

 本当に本当なのか?

 路上でヤッたっていうのか?」


「作り話じゃないよ。

 こんなの作ったって誰も信じないでしょ。

 事実は小説よりも奇なり、だねー。

 あ、一応、家の中に入ったって聞いてるけどー。

 施薬院では『露出狂の婚約』とか『変態は変態を知る』とか言われてるよー」


 確かに、カンナギの変態性を軽視していたのかもしれない。


「そんなだから、レニアーガー殿も、もう少し注意した方が良いと思うよー」


 言う所は分かるがこの男に指摘されるのは何となく腹が立つ。


「まあー、でも、カンナギが変態なのは僕にとっては都合がいいかなって思ってるんだよねー」


 例によってアスカリは唐突に自分語りを始めた。


「僕はねー、才能はかなり有る方なんだけど、流石にこの世で一番という程では無いかなーって自覚は、しているんですよー。

 あー、それでもレニアーガー殿よりはマシというか、七歳年上の出戻りを貰うのは流石にどうかなーとか、いやでも七歳年上を貰う勇気は僕には無いというか、あのご面相は無いというか、そー言えばレトコウ紛争から帰ってきたら第一正夫人が実家から戻らないとか言ってましたけどー、どーなったのかなーっとか思ってたけど、あー、戻ってないですよねー、うんそんな気がしてたけどー、多分、遠征中に戻ってるんじゃないですかー、そー考えてた方が精神的に良いですよー、どうせ帰ったら現実が待ってるんですからー。

 ああ、それで、僕の溢れる才能の使い道なんですけどー、自分で矢面に立つと色々と妬みとか嫉妬とか、誹謗中傷とか、侮辱とか多いじゃないですかー。

 だーかーらー、カンナギに矢面に立ってもらおうとか考えたんですよー。

 どう、どう、良い考えでしょ、流石は僕っていう所かなぁーとか、ほら、カンナギも結構才能は有って、医学とかもそうだし軍隊でも目立ってるしー、ほら、僕も目立とうとすれば目立てるんだけど僕の場合は知性と教養が邪魔するからカンナギみたいに無節操に手柄は立てられなくてー、そんで、思うんだけど、カンナギは出世しても常識無いから監視役が必要じゃないですかー。

 カンナギもさぁー、以前と比べるとマシにはなってきてるんだよねー。

 以前はテントに引き籠って一人で処理してたっていうから、そんな非道徳的で非倫理的で、マリセアの坊さんたちに真っ向からクソぶっ掛けるような状況から脱しただけでも、マシだよねー。

 超超超絶的変態から超が一つ落ちただけって話はあるけどさー、少しずつは改善しているって話でー、ああ、ミミズか亀の歩みって話も有るから、やっぱし監視役は必要でー、その監視役、やるなら僕しかいないのかなぁーって、思ってて、ほら、カンナギの矯正役なんて心が広くて慈愛に満ちた僕ぐらいしかやる人はいないでしょ。

 そんで、うまく行けば、そのお礼にスルターグナさんを貰い受けちゃおうかなーとか考えてんだよねー。

 それぐらい当然の報酬かなーとか、・・・・・・」


 グダグダと話していたのだが、スルターグナ嬢の名前が出たことで、私は現実に引き戻された。

 そうか、こいつもカンナギの補佐役を狙っていたのか。

 そして、スルターグナ嬢も。

 考えてみればあれだけの美貌である。

 目を付けられて当然だろう。

 私は、取りあえずアスカリは無視して、カンナギとの友好と助言に集中することとした。




 だが、状況は厳しかった。

 カンナギも第一魔導中隊も様子は全く変わらない。

 私の助言は完全に空回りしていたのだ。

 一方、大隊を取り巻く環境は悪化の一途。

 敵は、小規模偵察部隊での活動を停止し、中隊規模、更に大隊規模へと行動単位を大型化させた。

 中隊規模の敵にまでは何とか対応できていたカンナギとバフラヴィー様の討伐部隊だが、流石に大隊規模の敵に対しては、対応できない。

 バフラヴィー閣下は、問題ないと言うだけだ。

 何か策が有るのだろうか?

 何もないのではないか?

 だが、私自身、どうすれば良いのか分からない。


 バフラヴィー様はかなりうまくやってきたと思う。

 これまで何日も敵に捕まらず、大隊を維持してきた。

 この絶望的な状況では並大抵の事ではない。

 並の指揮官なら脱走兵が続出して、部隊は溶けていただろう。

 だが、これからどうするのか?

 第二軍が敗北した現在、西側に向かうのは自殺行為だ。

 向かうとしたら東側だが、東にはトエナ河という大障害が待ち構えている。

 河を渡るには橋か船だが、まず船はダメだ。

 第一軍、第二軍の移動と補給に多くの船が徴用されている。

 各渡船場には最低限の船しかないだろう。

 一部の人間だけなら渡河は可能だが大隊全部が渡るのには多大な時間がかかる。

 渡船場は敵も警戒している筈。

 敵が見逃す事は無いだろう。

 橋も同じだ。

 軍隊が楽に渡れるような橋はトエナ河には数か所しかない。

 この辺りではクリアワインとタルフォートだけだ。

 後は小規模な吊り橋だけであり、渡河には多くの時間を要する。

 敵の警戒は渡船場以上だろう。

 我が大隊が無事にトエナ河を渡河するためにはどうしても増援がいる。

 少なくとも渡河点を守れる程度の部隊、可能であれば多数の船を持っている軍が欲しい。

 だが、その軍はどこにいるのだろう?

 カゲシンに向かった使者はどうなっているのだろう?


 そんな状況で数日、ついに恐れていたことが起こってしまう。

 敵が我が軍を包囲した。

 敵は二個連隊、合計六個の大隊を広くばらまいて、大きく我が大隊を包囲したのだ。

 未だ距離はある。

 だが、これからは徐々に、網を引き絞るように包囲網を縮めて行けば良いだけだ。

 偵察部隊の報告に大隊幹部が揃って蒼白になる。

 誰も何も言えず、会議が空転する。

 その中に、突然、一人の赤毛の女性が飛び込んできた。

 かなりの美形だが、私の趣味からすると少々胸が大きすぎる女性。

 それが従者もつけずただ一人で飛び込んできたのである。

 そして、何故か、カンナギ代坊官に抱き付いた。

 またこれか、という諦めの空気が流れる。

 カンナギ代坊官の女はどれも美人だが、常識に欠ける者ばかりだ。

 戦場で従者もつれず一人で徘徊している女性。

 怪しさ満点である。


 ところが、驚いたことに彼女はカゲシンからの使者であった。

 バフラヴィー様とも面識が有るらしい。

 バフラヴィー様は早速、手紙を読み、そして叫んだ。


「援軍が来る」と。


 だが、その日付は七日後。

 絶望的な日にちだった。

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