第一章 月と星と女学院
001.星導者の帰還~月と猫と影の従者~
王国歴725年、寝龍の月(3月)下旬。
春を迎え、暖かい日差しが降り注ぐ丘に風が吹き、王都へ続く街道の脇に生え揃った若草を大きく揺らした。
「あっ……」
丘の頂上にたどり着いたばかりだった僕は、その風の煽りをまともに受けてしまい、旅でボロボロになったローブのフードを剥がされてしまった。
とたんにローブから溢れ出た白い長髪を手で抑えながら、丘の上から見下ろす王都の全容を目にしていた。
「帰って、きちゃったな……」
センツステル聖光王国、王都センツステル。
「寝転ぶ太った三日月のよう」と形容されるこの大陸の南部中央に位置し、その形は巨大な星型。
都市を囲う高さ10mはありそうな城壁は、光を通し蓄えやすい性質を持った光結晶でできていて、今も陽の光を受けて都市そのものが輝いているかのように見える。
世界でも最大級の威容を誇る大都市だ。
しかし、王国といっても、今は王都センツステルの壁の中と周辺の僅かな農地が、国土の全てだ。
それはセンツステルが小さい国だからというわけではなく、他の国々も同様に、国=首都という都市国家というべき規模になってしまっている。
それもそのはず、つい2年前まで、人類は滅亡寸前のところまで追い詰められていた。
500年ほど前までは、人類は大陸中に大小様々な国家が国土を構えて繁栄を謳歌していたらしい。
だが、突如大陸最北に現れた闇王とその眷属たちに大陸北部の国々は瞬く間に滅ぼされ、残された国々の長年の抵抗も虚しく、さらにいくつかの国が滅ぼされながら大陸南部の海岸線近くに押しやられた。
国家間は分断され、残された首都を国土の全てとする形態にするしかなかったのだ。
しかし数年前、『天秤月の女神』から使わされたとされる『
闇族を次々と退け、支配されていた地域を開放し、ついには闇王を倒した。
残った闇族は散り散りに大陸北部へと逃げ去り、人類に500年ぶりの平和が訪れたのだった……。
物語ならこれで「めでたしめでたし」で終わるんだろうけど、そうはいかないのが現実だ。
疲弊した国々は復興に忙しいし、まだまだ消えたわけではない闇族や闇の獣の被害はあるし、闇王を倒した星導者にだってその先の人生があり、戦いの後に誰も予想できない問題が起きているかもしれないし……。
例えば、『闇王を倒そうと最終奥義を使ったら、なぜか星導者は女になってしまっていた』とか。
例えば、『実は闇王は倒されたわけではなく、星導者の最終奥義を受けたら、なぜか黒猫の姿になってしまっていた』とか。
「はぁ……」
また風が吹き、思わずこぼした僕のため息をどこかへ流していった。
「
隣(といっても足元だが)から声がするから見てみれば、後ろ足で立ち上がり、ニヤニヤとした表情の――黒猫がいる。
「う、うるさいよこの変態猫っ。この髪、長くて大変なんだからね」
この身体になってから、バッサリ切ったとしても何故か翌日にはすぐに伸びて元の長さに戻っちゃうし。
「それよりクロ、何で勝手に鞄から出てきてるの。他の人に見られたらどうするのさ」
「お、無意識じゃったか? 今のは無意識で髪を押さえておったのか? 2年もたって、ようやく女としての自覚が染み付いてきたのかのぅ? 『すかぁと』でも履いておったら、押さえていたかもしれんのぅ? のぅお主や?」
こ、コイツ……人がちょっとブルーな気分になってるっていうときに……。
「それにお主はいつも妾を鞄に押し込めるが、妾はそこは好かん。狭いし硬い。どうせなら、お主のローブの中……いや服の中が良いのぅ。そうすれば、お主の柔らかな美乳をナマで存分に堪能できるというものじゃ。ぐふ、グフフ!」
「……ねぇクロ、ちょっとこっち向いて」
「おお、なんじゃ! 狭いところに押し込まれて不憫な妾に『ナマチチお触り』を献上してくれ――「目にビームの刑」――ぎにゃぁぁぁぁーっ!? 目がぁーっ!? 妾の自慢の『きゃっつあい』がぁーっ!?」
指先から輝光術で放たれた光線を目に受けて(目からビームではない)転げ回る変態猫を横目に、僕はまたひとつため息をついた。
「はぁ……ホント、なんでこんなのが闇王なんてやってたのか」
この世界の最大の謎なんじゃないだろうか。
「ハァ……ハァ……そんなの妾にも分からぬわ。妾は気がついたら『そういうモノ』として存在しておったのじゃからな」
「そうだったの?」
あっさり世界の謎が解けてしまった。
「ああ。そ、それよりも、じゃ……」
「それよりも……?」
「妾のお目々は大丈夫かのぅ……? ……おぉ大丈夫じゃ、見えてきたぞ……ローブの隙間から覗くお主のすべすべの太もモギュッ!?」
とりあえず踏んでおいた。
「ぐぅ、ぐぉっ……ハァハァ……美少女に踏まれるなど、この上ないご褒美……じょ、じょうだんじゃ、冗談っ! 足を振り上げるのは止めてたもれ!」
「はぁ……それで? 何か話があるから出てきたんじゃないの?」
「何かではない、そのため息じゃ。お主、2年ぶりに故郷の土を踏んだのであろう。なのにお主は、王都に近づくに連れてため息が増えておった。帰ってこられて嬉しくないのか?」
「ぅ……」
この変態猫はメスの癖に女の子に興奮する変態だが、伊達に500年以上も生きているだけあって妙に鋭いところがある。
僕とコイツは星導者と闇王……勇者と魔王みたいな間柄なのに、いつもクロがこの調子なのと、この2年で色々とあったせいで、お互いに気兼ねしない関係になってしまっていた。
「まあ、嬉しいのは嬉しいんだけど……。2年も国元を離れて旅をすることを陛下にお許しいただいたのに、結果としてこの身体を元に戻す方法は見つからなかったな、と思うと……」
「真面目じゃのぅ。おなごの身体も良いものじゃぞ? それに、妾たちとお主らの戦いも終わったのじゃ。何故だか妾たちはこんな事になっておるが、何も不都合はあるまい?」
「ありまくりだよっ! いつまでも女の子の身体なんて困るし、月に一度の『アノ日』は怖いし……僕には、その、国での立場もあるし」
星導者として世界に課された使命は、確かに終わったのかもしれない。
でも、そうじゃない。
僕は、彼と……この世界で僕を救ってくれた親友との約束を、果たさなければならないのだから……。
「まぁた暗い顔をしよってからに。ヒトというのは面倒なものじゃのぉ~。あー、痒い痒い」
後ろ足で首元を掻きながら、心底どうでも良さそうに言うクロ。
「この……他人事だと思って……あ」
――チリンッ。
クロの態度に拳を震わせていると、輝光力とは違う独特の波動を感じた。
するとすぐに近くに立っていた木の陰がざわめき、小さな鈴の音が聞こえる。
彼女が戻ってきた合図だ。
「ふむ、戻ってきたようじゃな。相変わらず見事な隠形じゃ」
「そうだね。……うん、誰もいないね。出てきて大丈夫ですよ、ツバキさん」
『――は、
木の陰に向かって声をかけると、木陰から影が染み出し、膝をついて頭を垂れた女性が姿を現した。
今は膝を付いているが、立ち上がれば僕と同じか少しだけ高いくらいの身長。
この世界では珍しい黒髪を、赤い花で彩られた簪のような髪留めでまとめ、頭の上とお尻にはこれまた珍しい『影猫属』の特徴である黒い耳と尻尾が生えている。
今は首元からつま先・手先まで、身体に密着するような独特の黒装束で身を包んでいるため、女性らしさが強調されて、いつもながら僕は目のやり場に困っていたりする。
と、ともかく、『くノ一』という言葉が似合う、僕より少し年上の女性。
それがツバキさんだ。
この2年間の旅の中で、ツバキさんを含めた彼女たちを一族ごと救い出す機会があり、それ以降は僕を『主様』と慕って力になってくれている。
……本当に、色々あったけど、あっという間の2年間だったなぁ……。
おっと、いけない。また感傷に浸ってしまうところだった。
「おかえりなさい。それで、どうでしたか?」
「は。主様にご命令いただいた先触れの任は完了いたしました。貴族街で見かけた貴族の女に扮し、輝光騎士団の詰め所に主様よりお預かりした騎士団長宛の手紙を渡してまいりました。その後、手紙が騎士団長の手に渡り、彼女が自室で手紙に目を通すところまで影から確認済です。事前にお聞きしていた騎士団長の外見的特徴とも合致しておりましたので、間違いございません」
そうスラスラと報告してくれた仕事モード全開のツバキさんは、僕の言葉を待っているかのようにゆらりと尻尾を揺らした。
「ありがとう、ツバキさん。初めての土地で不慣れだろうに、この完璧な仕事っぷり。まさに『
「は。有難きお言葉。また勝手ながら、これから主様が生活なされる都ですので、私の判断で部下たちを放っておきました。皆が都に溶け込み、何か不都合があれば私の耳に入るようにしております」
「それはすごい! でも、ちゃんと休みも取ってくださいね。東方と比べてこちらは春でも日差しが強い日も多いので、『
光と親和性が高く生きる力そのものとしている一般的な人間や動物とは正反対で、影猫族は強い光を苦手としている。
日光を浴びたからといって、すぐにどうこうなってしまうわけではないけれど、長時間活動していると熱中症のような症状で倒れてしまうこともあるらしい。
その代わりに闇の力を扱うことができて、例えばツバキさんなら影の中に潜んだり影の中を移動したり、色々とできる。
そんな力を持った、ツバキさんを筆頭とした影猫族のくノ一集団が『忍華衆』だ。
「は。主様より賜ったお言葉、皆にもしかと伝えておきます」
「よろしくお願いしますね」
ちゃんと言っておかないと、『主様のために!』とかいって無理しちゃいそうなんだよなぁ、みんなは。
「暑苦しいほど忠義者よのぉ、お主らは」
「当然でございます、クロ様。我ら一同、既に主様に身も心も捧げております。身の回りのお世話から主様に仇なす邪魔者の排除まで、主様のお役に立てることこそが我らの喜びです」
んー、すがすがしいほど忠誠心マックス!
「ちゃんと言いましたからね。無理はだめですよ?」
「は。主様からのご命令を違えることなど有り得ません」
「わかりました……。それでは、王都へ行きましょうか」
真っ直ぐな澄んだ目でこちらを見るツバキさんから目をそらすと、僕はもう一度王都を視界に収めた。
「お、ようやくゆっくり休めるかのぅ?」
「それはまだ先だよ。まずは陛下にご挨拶と帰還のご報告をしないと。あ、ツバキさんは念のために僕の影に入っていてください」
「承りました」
ツバキさんの姿が溶けるように消えて、僕の影からそのわずかな気配を感じるようになると、風が吹く丘には再び僕とクロだけが残された。
「なんじゃなんじゃ、少しくらい休んでも罰は当たらぬであろうに。従者が従者なら主も主よのお゛ぉっ!? や、やめんかっ!? 首根っこを掴むではない!」
「はいはい。これから王都に入るんだから、鞄の中で大人しくしててよね」
「嫌じゃ嫌じゃ! 言うたであろう妾はお主のナマチチを所望するとグエッ……」
僕はジタバタともがくクロをさっさと鞄に突っ込んだ。まだ何か言おうとするクロを鞄の上から黙らせると、フードを深く被り直し、王都への道を進み始めた。
「……」
一歩、また一歩と、王都が近づいてくる。
――僕が僕でない者になる、あの王都へ……。
『……主様』
その足取りがお世辞にも軽いもに見えなかったからだろうか。
影の中から心配そうなツバキさんの声がした。
「ああ、すみません。ちょっと思い出したこととか、これからの事とかを考えてしまって」
変態猫にも言われたし、いい加減に切り替えないとダメだね……。
「いえ、その……我らは、いえ、私は、何があろうと主様の……ユエ様のお側におります」
「……」
あえて『僕の名前』を呼んでくれたツバキさんの気持ちは、とても嬉しかった。
でも僕はそれに気づかないふりをして、背筋を伸ばして歩を早める。
「……そうですね、みんなの主として、この国での立場がある人間として、しっかりしないといけないですね」
『(そうではございません……もうっ)』
足元から、ちょっと拗ねたようなツバキさんのつぶやきが漏れた気がした。
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