第5話 骨のやり方

「がァァっ!」


 頭上から降ってくるゾンビの拳を半身逸らして躱し、前へ乗り出した背中へ左の肘を叩き込む。

 すると大柄な体はつんのめるようにして前へゆき、近くの柱へ抱きつくようにぶつかった。


「こ、こいつ……軽い骨風情が調子に乗るんじゃね――がへっ!?」


 ゴリッと鈍い音を立て、ゾンビの頭があらぬ方向を向く。振り抜いた鉄パイプの先には、取り付けの緩い歯がいくつも宙を舞っていた。

 酒が入っていたからか、それとも頭が腐っているからか。力任せな動きはいちいち大振りで、いなしてやる必要すら感じない。

 見た目は威圧的でも、やはりただのチンピラなのだろう。松土の兄弟姉妹とは比べ物にならないお粗末さに、俺は崩れた腐肉を見下ろしてため息をついた。


「お仲間にも同じことを言ってやれ、よっ」


 飛んできたナイフを鉄パイプで弾けば、どうやら目くらましのつもりだったらしい。奥からスケルトンとサイバネグールが同時に飛び込んできた。


「らぁぁぁぁっ!」


「いぃぃぃやぁぁぁぁ!」


 上体を逸らせば、振り抜かれたバットの風圧が鼻先を通り抜け、アタックナイフが鉄パイプ相手に火花を散らす。

 さっきのゾンビとは違い、目眩しといい同時攻撃といい、こいつらの考え方は悪くない。だが、如何せん動きが荒すぎる。

 振り下ろされたスケルトンのバットを足で踏みつければ、渦巻き模様が入った骨野郎はそれを引き抜くことに躍起になった。結果、塞がったままの両手では頭突きを防ぐ方法がなく、ガチンという音を残してその場に倒れ込む。


「もらったぁ!」


 一方、小柄サイバネグールは隙を着いたつもりだったのだろう。背後から回り込んで鋭い刺突を放ってくる。

 踏み込みも勢いも、ツギハギだらけの服に突き刺さったそれは、致命の一撃と称しても過言ではなかった。

 そのサイバネパーツが無造作に刺さった頭が、もう少しまともに働けば、だが。


「骸骨とやり合ったのは初めてか、サボテン頭」


「ひぃでだだだだ!? はな、離し――!?」


 背中から腹を貫くように突っ込まれた手首を掴み、捻りあげながら振り返れば、悲鳴とともにナイフが床へ転がっていく。

 それなりに乾いているように見えても、きっちり肉があるというのはやはり違うらしい。痛みに涙を浮かべて叫ぶサイバネグールの願いを叶えてやるべく、軽く振り回すと同時に手を離してれば、相当勢いよく壁に叩きつけられたのだろう。あまりの衝撃に、頭のサイバネティクスが派手な火花を散らし、防腐死体は痙攣の後、ピクリとも動かなくなった。


 ――あと1人。


 そう思って振り向いた時、視線が衝撃で僅かにブレる。

 よろめく程のものでは無い。ただ、骨の削れた痛みが額に滲んだ。


「……なまってるな、俺も」


 いくらこうして身体を動かすことが久しいとはいえ、雑魚4匹程度の動きさえ捉えきれなくなっていることに我ながら呆れる。擦った指に伝わってくる少し窪んだ骨の感触が、その証左だ。


「火薬式のネイルガンか。面白い得物を使う」


「く、来るな! 今度は、は、外さないぞ!」


 ゆっくりとカウンターの向こうへ視線を向ければ、怯えた様に長柄の武器をこちらへ向けるサングラスミイラと目が合った。

 どこぞの大工からかっぱらったのかも知れないが、やはり流れのチンピラとしては装備が充実している。ただ、そのお粗末な姿勢を見ていると、単純に運よく成功を重ねて調子に乗っただけに思えてならず、俺は硝煙の臭いが漂う部屋の中で肩を竦めた。


「手が震えてるぞ乾物」


「へ、へへ、震えてるのはアンタ自身だろ。今更、ただで帰れるなんて思うなよ!」


 自身の恐怖を振り払おうとしたのか、ミイラは不敵な笑みを浮かべて狙いをつけてくる。だが、どう言葉で飾ろうとも小心と不慣れが消えることはない。

 右腕から力を抜く。それに合わせて鉄パイプがだらりと落ち、地面に触れたエルボがカァンと鳴いた。

 音と言う些細な衝撃。だが、怯え震える者を力ませるには十分すぎる力。

 刹那、ネイルガンは小さな爆音と共に細い釘を吐きだした。


 ――ド素人が。


 手元が大きくブレている上、飛び道具としての精度は望めないネイルガン。その上火薬式は威力こそ高いものの、ほとんどの場合連射性に欠ける。それこそ奇跡が起きない限り、身体を前傾させて駆けだした相手に当てられるものでは無い。

 カウンターまでの距離など走ればほんの数歩ほど。朽ちたそれを俺が踏み越えた所で、ミイラは何とか火薬の再装填を終えたようだが、最早狙いはおろか引き金に指をかけることすら間に合わない。

 振り下ろした鉄パイプがネイルガンを弾き飛ばし、靴越しに干物の首を踏みつければ、床を古めかしいサングラスが転がった。


「ぐぇぅっ!?」


「ただで帰れるなんて思うなよ、だったか」


「あ、がが、が……ゆ、るしてぇ……!」


 水気のないミイラが泡を吹くことはできないが、それでも首を押さえられる苦しさはあるのだろう。ひゅーひゅーと息をしながら、必死で俺の足をどけようと藻掻いている。

 予想していた光景。だが、実物は想像よりもなお滑稽で、自らの行いが如何に馬鹿馬鹿しいかを見せつけられているようだった。


「……許す、か。それはお前次第だ」


「な、んでも、差し出します、から……! 、だけ、は!」


 命という言葉に、呆れたような笑いが零れる。

 そんなもの、俺たちアンデッドには縁遠い存在だろう。あるいは、アンデッド程それを冒涜する存在はないと言うべきかもしれない。

 人間という種族が失われ、代わりに生まれた意思を持つ死体。それらが蠢く世となってどれほどの月日が流れたかもわからないのに、身体を破壊され、活動ができなくなり、自身という意識が消滅してしまうことへの恐怖は変わらず、死の概念が消えることはない。

 否、それを責めようとは思わない。傷ついたガスマスクチビの姿に、ありもしない腹が燃えたようになった自分もまた、結局は同じ穴の狢なのだから。


「なら、何も持たずにここから消えろ。そうすれば、俺は手を出さん」


「わ、わかった……わかり、ましたぁ!」


 ひぃひぃと喘ぐミイラから足をどければ、言葉の通り転がるようにしてミイラは建物から駆け出していく。仲間の誰か1人を、引き摺ったり声をかけようともしないまま。

 干物男が賢明で、町の出口へ向かい一目散に走ったのなら、彼が何もかもを捨てて守った命とやらは、今日明日で消えることもないだろう。逆にもしも考えなしであったなら、次目にする時はどのような姿になっているか。

 尤も、自らの足から離れた運命がどのような結末を迎えようともう自分には関係ない。今重要なのは、部屋の中に散らばったままの報酬だ。

 カウンターの上に飲みかけのヴィダ酒が1本。賭けの途中だったのか机の上に散らばる数枚のコイン。椅子にかかる黒いライダースジャケット。床に転がったネイルガンとナイフに、サングラスと中折れ帽。


「……削った睡眠時間と労力を考えると、全く割に合わんな」


 手近なスツールへ腰を下ろしてヴィダ酒を煽り、小さく息を吐く。

 不用品を売ったとしても、現金収入は微々たるもの。穴の開いたボロ服の替えが見つかった以外は、予想通りのやり損であろう。

 挙句、見たくもない顔が暗闇からぬっと現れれば、一層げんなりするのも当然だった。


「見ているだろうとは思ったが、それならお前らが片付けた方が早かったんじゃないか。腐った兄弟姉妹よ」


 3人揃いのスーツ姿に、両目を覆うサイバネグラス。背格好も性別もバラバラながら、一様に後ろ手を組んで立つ姿は妙な統一感を漂わせる。

 松土の腹心とも言える4人衆。1人欠けている理由に関しては大方予想がつくが、敢えて触れようとは思えない。こいつらは掃き溜めに名を轟かせる暴力装置であり、穴倉が影の権力を握っていられる最大の理由なのだから。

 その中で最も大柄かつ、凹んだ禿げ頭が特徴の大男は、こちらを見下ろして低く告げた。


「長兄からの指示、手出し無用。仕事、


「……なら、片付けは任せる。こっちは貰うもんさえ貰えたら、後はどうだっていい」


 肉の腐った危険物共は、俺が目星をつけていた報酬代わりを手近なザックに放り込む間、建物の入口に立ったまま微動だにしない。連中は語らなかったが、ここまでが松土からの指示だったのだろう。

 こちらが店から1歩出た途端、彼らは無言で動き出す。残された一切を掃除するために。

 風のない冷えた通りに、どこかからミイラの悲鳴が聞こえた気がした。



 ■



 空が白み始める頃、俺はいつもより確実に疲労した骸骨ボディに荷物を抱え、建付けの悪い扉を静かに押し開けた。

 同居人の居ない我が家であり、普段なら音など気にもしないが、今日に限っては少々特別である。


 ――この時間だ。流石に寝てるだろ。


 眠ることができているなら、自然と目が覚めるまでそのままの方がいい。多少なりとも落ち着いたなら、朝から鼻声と会話しなければならないという事もないだろう。

 何より、いくら厄介事の種と邪険にしていた相手とはいえ、自分から腹の中へ呼び込んだ相手の眠りを妨げるようなことはしたくない。

 と、思っていたのだが。


「素宮、さん……?」


 愛用のボロソファが軽く軋んだかと思うと、革のマントを被った塊がモゾリと動くのが見えた。

 眠りが浅かったのか、そもそも眠れなかったのか。正直少しバツが悪く感じ、背負っていた戦利品から酒瓶を取り出して、埃を被ったスツールに腰を下ろした。


「何か食ったか」


「あ……う、うん。とりあえず」


 そう言って小さな革手袋がおずおずと見せてきたのは、小さなブロック状の保存食である。

 少なくとも、俺が備蓄していた食料ではないため、ガスマスクチビ自身が持っていた物だろう。アンデッドの食料としては正直珍しい類の物だが、口に入れることで多少なりとも空腹を紛らわせられたのなら何だって構わない。


「いいか、同じ目に遭いたくないなら、掃き溜めで宿無しなんて馬鹿な真似はするな。お前の目的がなんであれ、次はないぞ」


「ご、ごめん、なさい……」


 基本、ガスマスクチビは根が真面目なのだろう。お節介も甚だしい説教にも律義に頭を下げてくる。

 薄汚れた場所にはどうにも似合わない、久しく感じなかった別の空気に、俺は酒瓶の蓋を開けながら顎をしゃくった。


「それで? 話ってのはなんだ」


「聞いてくれるの? 私、あなたの時間を買えるだけのお金とかは……」


 最初の厚かましい雰囲気はどこへやら。こちらから聞いたというのに、チビは居心地悪そうに身体を揺すって視線を泳がせる。

 己が慣れない事をしているのが原因か、あるいは向こうがとことん不器用なのか。どちらにせよ、噛み合いの悪い会話で時間を浪費したいはずもなく、少しだけ考えた後、俺は手元の酒瓶を軽く振ってみせた。


「対価なら受け取った。こいつだけでも、仕事が始まる時間までくらいなら足りるだろう」


 ヴィダ酒は決して安い物ではなく、短い拘束時間の報酬として見れば、それなりに上等だろう。無論、夜中の捜索やら乱闘やらを勘定に入れない前提だが。

 不器用で不向きでも、こいつは本気で俺と話すためだけに働いた。たとえその報酬が現金でなくなり、瓶半分程に揺れる透明の液体であろうとも、そこに誠意があったことは認めてやろう。

 そうでなければ、わざわざリスクを背負うような真似をしようとは思わず、残念だったな、の一言で終わっていた話に過ぎないのだから。

 ガスマスクに隠された表情はわからない。ただ、割れたレンズの向こうからジッとこちらを見つめた後、小さな声を吸収缶の奥へ籠らせた。


「……ありがとう。やっぱり、優しいんだね」


「おい、勘違いするなよ。言葉通り、話を聞いてやるってだけだからな。それで?」


 緩く降ろされた頭に、俺は保険を投げつける。

 義理から昨夜の一件に踏み込んだが、それはそれ。目の前で頭を下げるチビは、未だ俺の中では突然現れた不可解かつ不審な存在だ。誠実さを褒めこそすれど、警戒は当然。

 あくまで久方飲んだ酒の分。そう思ってガスマスクを見つめていれば、チビはソファの上で姿勢を正すと大きく深呼吸をしてから、青い瞳をこちらへ向けた。


「――私を、ネクロポリス死者の都まで連れて行ってほしい」


 沈黙が部屋を支配する。最初は聞き間違いかとさえ思ったが、少なくとも似通った単語を咄嗟に思いつくことはなく、真正面に座る小柄なアンデッドがここで冗談を挟むようにも思えない。


「……正気か?」


「うん、正気。それが私に託された成すべきこと。成さなければいけないことだから」


 揺らぐことの無い視線と小さく握られた革手袋。

 成すべきこととはなんなのか。それを問いかければ、あるいは説明して貰えたかもしれない。だが、聞いてしまえば引き返せないような気もして、俺はわざとらしく小さな机に肘をついた。


「大した夢だなそれは。誰も見たことがないおとぎ話の中へ、どうやって行くつもりか知らんが」


「おとぎ話なんかじゃない。それは、が1番よくわかってることだよね」


 普通の相手ならロマンだとでも言ってきそうなところ、チビは俺の発言を鋭く否定する。

 何より、揺らぐことの無い確信。背中を走った静かな悪寒に、俺はそっと酒瓶を机に置いた。


「……イアルと言ったな。お前、俺の何を知ってる?」


 破損したガスマスクを眼孔で捉え、拳にも軽く力を入れる。

 だが、チビはこちらの警戒感を気にした様子もなく、ただ膝の上に手を置いたまま。


「人類最後の砦となった旧第4セントラル、現ネクロポリス所属の都市防衛隊セントラル・ガード。あ号カタクームで生み出された最終世代のアンデッド。これくらいでいい?」


 自動音声放送かのように淡々と、知っている事実を吐き出して、最後に小さく首を傾げた。

 骸骨に表情はない。ならば、簡単に動揺を悟られることもないだろう。

 少なくとも、俺とチビの間に古い面識はないはず。なのに何故、この町の連中すら知らない俺の過去を、誰にも話さなかった経歴を、この奇妙な流れ者が知っているのか。

 そんな話を何処で聞いた、と問いただしたい思いは当然。しかし、喉まででかかったその言葉をグッと飲み込み、知らず知らず強く握りしめていた拳を意識して解いた。


「……名前で期待させたなら悪いが、人違いだろう。見ての通り、俺はこの掃き溜めじゃ珍しくもない、ひと山いくらの骸骨だ」


 あるいは、知らなければそうあり続けられるのでは、という一種の願望だったのかもしれない。

 裏打ちされた物は何も無い、聞き流しても構わない話だと。


「本当にそう?」


 吸収缶に籠る声が、割れたレンズの奥に煌めく瞳が、クスリと笑った気がした。否、気のせいではないだろう。

 まるで、獲物の腰が引けるその時を待っていた猛禽のように思える小さな革手袋が、破損したガスマスクへとかけられる。

 ゆっくりと下ろされた無機質な面。その奥に見えた存在に、俺の顎は自然と開いていた。


「まさか……ハイコープス、なのか……?」

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