第三十三話 ヒーロー

その一瞬、王子は上体を軟体動物のように後ろに反らしながら、未咲の足元に滑り込んでいた。ちりっ。未咲の首筋がちりつく。下から!


しかし、敵の足は予想外の方向から飛んできた。横から、首元を正確に狙った蹴り。間に合わない、ガード…した左腕に激痛が走った。食らった。いや、斬られた!こいつの蹴りは刃物だ、と気づいたときにすでに二撃めが飛んできていた。中段蹴りに近い軌道。


未咲は後ろの軸足を少し回転させて前に踏みこむ。足先ではなく、ヒザを取る。


中段蹴りを抱えるのは、常套手段なのよ。


脚をとられながらも、王子は攻撃を止めない。取られた足を未咲にあずけるように体を回転させると、残った足で顔面を狙ってきた。ガード、いや、また斬られる!瞬間、判断が遅れた。

スウェーが足りなかった。擬体の頬が切り裂かれ、装甲の間から寸断された細かいケーブルの切り口が暴れだす。


強ッ!!


未咲はしかしとらえた脚を離さない。

「もらった!」

体制を崩して地面に両手をついた王子に、下段への強烈な蹴込みをお見舞いする。


「ぐはっ!!」王子が初めて、うめき声を出す。


王子は強引に足を引き抜くと、両足の“刃”を竜巻のように回転させた。

未咲はあわてて一歩退く。ゲームみたいな技だ。


間合いを取った王子が立ち上がる。王子の背中には大きな亀裂が入った。同じ場所にもう一撃きれいに入れられれば倒せそうだが、場所的にはちょっと難しそうだ。未咲は思う。


正面から行こう。正面から貫く。そうしたい。真っ向勝負で、相手を打倒したい。

呼吸を整えて構える。左腕は手首の手前で深く斬られて、ほとんどブラブラしている。突きを打っても効かないだろう。だとしたら。


未咲は弓を引くように、右の引手を絞る。半身はんみに強烈なねじりを加える。

『擬体はバネの集合体』、瑛悠が言ってたっけ。


飛べッ!!


白い擬体は軸足のハムストリングで最大の瞬発力を出す。

ごおっという音と共に王子の首に負傷した左手が襲い掛かる。それをまたもやぎりぎりで避けた王子に、引き絞った右の逆突きを突き刺した。と思った。


王子はたしかにダメージを食らってはいた。しかし、直撃を避けていた。エビのように腹を折り曲げ、ダメージを吸収していた。そして未咲の右腕を抱え込むように掴む。

その腕を引き込むように回転し、長い足が未咲の顔面に飛ぶ。未咲はむしろ前に突っ込む。

腕を取られたら引くよりも押したほうが有利だ。そのまま未咲も体を半回転させる。


必殺の至近距離の裏回し。ただし狙いは向かってくる王子の足だ。ふくらはぎのあたりを捉えて叩き落とす!そこに突きを入れれば、わたしが勝つ。


王子の足は、まるでそれを予知したかのように、唐突に止まった。足先を天井に突き刺さし、急ブレーキをかけたのだ。

未咲の蹴りは空を切り、白い擬体はきれいな立ち姿勢に戻る。一瞬の。その瞬間だった。天井に突き刺さった足が未咲の脳天めがけて落ちてきた。

右腕でガード。激痛が走る。右手首が切り裂かれ、肩までブレードが食い込んだ。


まだッッッッ!


そのまま右足を裏側に振り上げる。逆の裏回し蹴り。これで顔を獲れる。


しかし未咲は信じられないものを見た。右足の先端、


どこにでも飛んでくる足の刃。私の知らない、動き。速く、そして美しい。


未咲は思う。左手、右手、右足を失った打撃格闘家は、何ができるだろうかと。

頭突き?タックル?かみつき…。だが、それをみすみす許してくれそうな相手ではない。


気がはやった。冷静さを失い、正面からの勝負にこだわった。それがこの事態を呼んだ。「血気の勇」―――それが身を滅ぼした。


でも、もう一つ。未咲は思った。先ほど戦ったなつのは、こんな気持ちだったんだね。

最後に放った右の逆突き。左足の踏み込みが甘かった。姿勢がくずれても、かかとをもう一歩前に出していれば、おそらく胴体を貫けた。

手加減をしたわけではない。ただ、心の隅の、隠れたどこかに、「負けてもいい」という気持ちがあったのではないか。それを未咲は否定しきれなかった。


未咲の顔面を水平に何かが通っていった。ショットガンスピン。足を水平にした高速回転。未咲の視界が消えた。


未咲は地下道の入口で目を覚ます。敗北。意外とあっさりしているな、と思った。少し離れたところに、ビルが見える。

あそこに行けば、瑛悠に会えるだろうか。


未咲は歩きだす。そして走りだす。


なぜだか無性に寂しい。会いたい。瑛悠に。会って、足癖の悪い王子様の間合いには決して入るなと伝えたい。


未咲は大通りに出る直前で倒れこむ。膝から下が消えていくのを、大勢のギャラリーが見ている。


瑛悠。勝ってね。きみならできる。


うつぶせで歩道を這いながら、未咲は思い出す。


あの時、後先考えずに犯罪者につっかかっていった私が、ひねり上げられた時。大人の大きくて汚い手に、心臓が止まるほどの恐怖を感じた私を、なにがなんでも助けようとしてくれたきみ。ゴミ箱の蓋じゃあ勝てないでしょ、と今なら笑ってしまう。そしてきみはついに犯罪者を撃退した。あんなに小さいきみが、助けてくれたんだよ。ほんとうにすごい。


瑛悠。きみには誰にも負けない、きれいで硬い心がある。だから瑛悠、きみはわたしにとって、英雄ヒーローなんだよ。

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