第三十八話 臆病

 祇宮祭最終日、午後。

 昨夜も禍ツ鬼マガツキ第二鬼皇子きこうし烏羽玉ウバタマは現れたが、ただわたしたちの戦闘を見ているだけで何もしてこなかった。

 それどころか、時折、わたしに襲い掛かってくる凶鬼きょうきを弾き飛ばし、視界がよくなったところでじっと見つめてきては微笑んでくる始末。

 はっきり言って、気持ちが悪かった。

 そして今、わたしの目の前でそのことについて大変激怒している人物がいる。

 今にも瞳から血を流しそうなほど、目を見開いて山の方を睨みつけている。

翼禮よくれいさんに言い寄るなど言語道断。殺してやる。捕まえて指を一本ずつ折ってから引きちぎり、目の前で調理して凶鬼きょうきどもに喰わせてやる。足と手は出血多量で死なないように焼き切って豚の餌にしてやる。残った胴体には穴をあけて管を通し、ゆっくりと血を抜くさまを見せてやろう。自分が死にゆく感覚を自覚させてやるんだ」

「お、落ち着いてください透華とうかさん……」

「はっ! すみません! つい、怒りで我を忘れてしまって……」

 久しぶりにいつもの喫茶店で一緒にお茶をしているのだが、どうやら話題を間違えたようだ。

 ただ、わたしと竜胆が禍ツ鬼マガツキに出くわしたという噂がすでにいろんなところで飛び交っているらしく、説明しないわけにはいかなかったのだ。

「別に言い寄られたわけではないんですよ。兵士としてスカウトのようなことをされただけで……」

 透華とうかはわたしの手を握り、じっと見つめてきた。

 心臓が跳ねあがり、体温が上がる。

「あのですね、翼禮よくれいさん。私はあなたのそういう鈍感なところも好きです。でも、言葉の裏にあるよこしまな気持ちにも敏感になるべきなんです。こと、今回のことに関しては危機的状況なんですよ?」

「あ、あの……、はい。わ、わかりました」

 透華とうかはわたしの手を握ったまま困ったように微笑んだ。

 その瞳の意味は知っている。父が、母が、お互いを見つめるときにしている瞳だ。

透華とうかさん、大丈夫ですよ。わたしはそう簡単に……」

 棘薔薇いばらが桃色の薔薇を咲かせ、わたしと透華とうかの手を包んだ。

「え! あ、あああ、えっと、これは……」

 わたしはものすごく慌てた。最近、棘薔薇いばらがおかしいのだ。

 わたしのことを攻撃してくることが減り、それどころか、まるでわたしを支えるかのように助けてくれるようになったのだ。

 でも、今のこれはちょっと違う。

 まるで、わたしの気持ちを代弁するかのように……。

翼禮よくれいさん、好きです。何度も言っていますが、好きです」

「あ、あの……」

 背中を汗が伝う。顔が熱い。もうやめてほしいのに、また薔薇が咲いてしまい、どうすればいいかわからない。

「ふふふ。私は幸せ者だなぁ……。今日は同じ地区の担当です。私があなたをお守りします」

「わ、わたしも頑張ります」

「うふふふふふふ」

 言葉にできない。どうしてこんなにも胸がざわつくのかがわからない。

 くすぐったくて、甘くて、震えているみたいに、心が揺れる。

 それも、透華とうかの瞳の意味がわかるたびに、泣きたくなるほど、嬉しくて。

「また会ってくれますか?」

「はい、もちろんです」

 何度だろう。何度このやり取りを交わせば、わたしはもう少し素直になれるのだろう。

 いずれ棘薔薇いばらは暴走し、わたしを殺すのだと思っていた。

 でも、そうではないかもしれないと、違う未来があるのかもしれないと、思うことが増えてきた。

 夢を見てもいいのだろうか。

 わたしにも、父と母のような未来があるのだろうか。

 喫茶店の外、透華とうかと次の約束を交わした後、今日は一人で帰りたいと伝え、内裏まで歩き出した。

 振り返ると、まだそこに透華とうかがいて、微笑みながら手を振ってくれた。

 わたしは手を振り返す勇気が無くて、そっと会釈をして、また前を向いて歩きだした。

 ごめんなさい。ありがとう。嬉しいです。でも、わたしは酷く臆病で。

 深呼吸を繰り返し、名残惜しい気持ちを胸に感じながら、初夏の道を進んだ。


 内裏についてから我先にと走り寄って来た竜胆と火恋かれん

「で、逢瀬はどうだったの⁉」

「ねぇねぇ!」

「ちょ、二人とも暑苦しいですよ」

 二人は互いの手を握りながらわたしの言葉を待った。

 どうやらお付き合いは順調なようだ。

「……花が、咲いたんです」

「え! え! どういう意味!」

「それは! あの! キスしたってこと⁉ 隠語⁉ 隠語なの⁉」

「ち、違いますよ! な、なんでそういうことになるんですか!」

 わたしは二人が都合のいい誤解をしないように一から説明した。

 最近の棘薔薇いばらの調子と、透華とうかといるときに高揚すると咲いてしまうことなどを。

 恥ずかしくて話しながら汗をかいてしまった。

「……ロマンチック」

「ドラマチック……」

 二人はわたしをキラキラとした瞳で見つめながらうっとりと眺め、勢いよく抱きしめてきた。

「あああ! た、倒れちゃうじゃないですか!」

「色恋とは無縁だった親友がここまで乙女になるなんて……。泣ける」

「私も嬉しいわ、翼禮よくれい

 何が何だかわからないうちに、気づいたら鼻がツンとして、喉が痛くて、目が熱くて、涙が出てきた。

「わたし、よく、わ、わからない、のに、ちゃんと、で、できなくて、でも、わたしは、す、好かれてて……」

「いいんだよ。いいの。受け取っていいんだよ。好きって気持ち、もらえるもんはもらっときな」

「そうよ、その通り。何もうまく表現できなくたっていいの。翼禮よくれいはそのままでいい。無理に変わろうとしないで」

「でも、い、言わないと、伝えないと……」

 声が詰まる。涙が止まらない。悲しくなんてないのに、とまらなくて。

翼禮よくれい透華とうかの瞳を見て、気持ちがわかったんでしょう? それなら、透華とうかだって同じだと思わない? 翼禮よくれいのその可愛い顔を見れば、きっとわかるはず」

「そ、そうかな。わかるかな……」

「もちろん。あなたのことが大好きな私たちが言うんだから、絶対よ」

「そうそう。大丈夫」

 わたしは二人に抱きしめられながら、深呼吸した。

 花の香り。風の香り。心地いいあたたかさ。

 わたしは二人からゆっくり身体を離すと、笑って言った。

「ありがとう、二人とも。わたしも、火恋かれんと竜胆のことが大好きだよ」

「きゃぁ! 嬉しいわ」

「へへ、照れるじゃん」

「あははは」

 わたしたちはしばし楽しい時を過ごし、本題に入った。

 そのために、火恋かれんが来たのだ。

「で、禍ツ鬼マガツキの第二鬼皇子きこうし、烏羽玉が現れたのね」

「そう。地獄でも話題になってる?」

「やばいほどね」

火恋かれんたちも今日参加するの?」

「うん。閻魔様に許可とって来た。部下を二百人くらい連れてきたから、良い戦力になると思う」

「ありがとう。助かる」

「ただ、戦場は完全にわかれちゃうけど」

「そうか……。退魔の術……」

 火恋かれんとその部下は地獄の存在だ。そのため、陰陽術師たちが使う退魔の術式が致命傷になってしまうのだ。

「私は耐えられるけど、部下たちは鬼神だからね。呪術師さんか人間の科学者のひとたちと同じ地区に行くよ」

「じゃぁ、わたしたちと同じだね」

「あ、本当?」

「さっき透華とうかさんが言ってたの。今日はおなじ地区だって」

「よかったぁ。じゃぁ、思いっきり暴れられるし、透華とうかにも挨拶できるじゃん」

「あ、挨拶?」

「当然でしょ」

「ああ、そう……」

 竜胆はわたしと火恋かれんのやりとりをニヤニヤしながら眺めて幸せそうにうなずいている。

 その間も、ずっと手を握っているのだから、火恋かれんと竜胆の仲は相当良いと見える。

 それくらいはわたしにもわかる。初心うぶって程、世間知らずではない。

翼禮よくれいは広範囲の術使ったりする?」

「あんまり使わないかな。どこかで丸っとピンチの時は救うために強硬手段に出たりはするけど」

「今日は使っちゃっていいよ。うちの部下はその辺避けられるし、鍛えてるから」

「ありがとう」

「お兄さんは?」

「兄さんも最初の一時間くらいは参加してくれるらしいよ。だから火恋かれんたちは一時間後くらいに進軍してきて」

「わかった。あの紫外線はきついからね。マジ強い」

「まあね。火恋かれんも強いでしょ。頼りにしてるよ」

「んふふふふふ。重火器めちゃくちゃ持ってきた」

「……乗るの?」

「飛行用に改造したマシンガンに乗ります」

「さすが、火車の姫」

「でしょ」

 物騒な会話も、竜胆にとっては可愛いじゃれ合いに見えるのか、ずっとニコニコしている。

 今日は怪我で休んでいたすべての術師が復帰し、戦闘に参加する。

 みやこの護りも固く、わたしの姉も防衛の最前線に入る。

 日奈子長公主は烏天狗を引き連れ、夫の吾黎斗あれいととともに空の防衛につく。

 ここまでの事態になるのは、はるか昔に禍ツ鬼マガツキの王が健在だった時以来らしい。

 何も知らされていない市井の人々も、どこか緊張を察しているのか、今日はいつも以上に祭が盛り上がっているように見える。

 悪い予感を吹き飛ばしたいかのように、声を上げてはしゃいでいる。

 開戦は兄の光線から始まる。

 父と母は占星術師たちと共に後宮の守護に入る。今日ばかりは男性の出入りも許可されているのだという。

 まさに、総力戦。

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