第二十三話 鈴蘭

 残りの三日間を平和に終えた最勝講さいしょうこう

 検非違使けびいしが岡っ引き、そして警察という組織に再編成されてからは行われてこなかった着鈦政ちゃくだのまつりごと (検非違使の権力を誇示するために囚人を鞭打つさまを一般人に見せしめる行事)は形を変え、演劇として上演された。

 その後の日々も主上おかみが皇帝として行う様々な神事を見学した各国の要人たち。

 幸いにも、特に事件は起こることなく、平和に時は過ぎていった。

 そして、いよいよ一週間後に控えた祇宮御霊会ぎぐうごりょうえ

 インフルエンザやマラリアを怨霊の仕業だと考えた昔の朝廷が、それを鎮めるために開いた慰霊祭が最初だと言われている。

 病気の平癒には効果が無かったが、悪霊退治には一定の効果を見せているこの祇宮ぎぐう祭。

 開催期間中はみやこ中の術者たちが集まり、祭の雰囲気に集まってくる霊たちを一網打尽にする。

 東西南北に全部で八つある、妖魔もののけ凶鬼きょうきが湧きやすい位置に設けられた封印門である太門たいもんにも強力な祈祷が施されたほこが立てられ、術者対妖魔もののけ凶鬼きょうきの壮絶な戦いが行われる。

 鉾は全部で六十六本用意される。

 各宗教、宗派の総本山がそれぞれに祈祷を施すのだが、今年もわたしのもとに依頼が来た。

 毎年、杏守あんずのもり家からも一本出しているのだ。

 仙術師は祈祷を使うことが出来ない。

 その代わりに、仙子せんし族の血をもって強力な呪術をかける。

竜胆リンドウもやってみますか?」

「いいの⁉」

「もちろんです。では、何の呪術にしましょうか」

 二人で資料を漁りながらかける呪術を探していく。

 やっと仕事部屋にすべての家具を運び終わり、本棚にはたくさんの資料が収められている。

「これは? 竜血の呪術」

「いいですね。心停止ののろい妖魔もののけ凶鬼きょうきにもよく効きますから」

「触媒は……、鈴蘭スズランか」

空枝空間くうしくうかんの薬草畑にあったはずです。とってきますね」

「はぁい」

 鈴蘭を四株ほどとって戻ると、部屋には竜胆の他に特級陰陽術師が二人立っていた。

「何か御用ですか?」

「今年は何の呪術を使うのか聞いておこうと思ってな。我々と被られては困るのだ」

 ただ単にわたしが身の丈に合わないほどの部屋を主上おかみからもらい受けたことが伝わったのだろう。

 偵察に来たのだ、彼らは。気に食わないのだろう。

「そちらは祈祷でしょう? 被ることはないと思いますが」

「生意気な小娘め。いいから、なんの呪術を施すのか言い給え」

 このくらいのいびりで喧嘩をするほどくだらないことはない。

 わたしは素直に教えて差し上げることにした。

「竜血です」

「な! またそんな高度なものを……。ふんっ。せいぜい失敗しないように頑張るんだな」

「ご心配痛み入ります」

「ふんっ」

 そよ風にも満たない嫌味を振りまいて帰っていった陰陽術師たち。

 あれでよくも特級になれたものだ。

「あいつら私には話しかけないのよ。本当、嫌な人たちね」

「若い娘が皇帝陛下に重用されていることが我慢ならないんでしょうね。器が小さいんですよ」

「もはや割れちゃってるんじゃない? その器」

「そうかもしれませんね」

 わたしも聖人君子ではない。悪意の一つや二つ口にすることだってあるのだ。

「さぁ、気を取り直して呪術をかけちゃいましょう」

「そうしよそうしよ」

 わたしは液化薬を飲み、血を液体にすると、杖で手のひらを切ってすずりに注いだ。

「痛そう……」

「痛いですよ。でもすぐ治りますし」

 血液で墨をすり、筆に含ませると、鉾に塗っていく。

 鉾が真っ黒になったところで持ち上げると、支えもないのにそれはまっすぐと立ち上がった。

 わたしと竜胆は鈴蘭を持って鉾の前に立ち、交互に唱えた。

――止まれ 止まれ 命の鐘よ

 胸の鼓動が一定ではなくなり、強弱をつけながらドクドクと音を立て始めた。

――揺れろ 揺れろ 何も見えぬ

 視界が狭まり、足がふらつく。

――切れる 切れる 縛るもの

 意識が飛びそうなほどの不快な浮遊感。

――落ちる 落ちる 深淵の底

 次の瞬間、心臓が胸の中で落ちたようにドクンと強く打った。

 鈴蘭がくらく点滅し、鉾に吸い込まれていく。

 鉾は元の色を取り戻し、まるで何事もなかったかのようにパタリとわたしの腕の中へと傾いた。

「眩暈がするわね。結構持っていかれたわ」

「強い呪術ですからね。かなりの量の力を吸い取られたと思います」

 鉾を壁に立てかけると、二人でふかふかの座布団に座り、足を延ばした。

「そういえば、あの陰陽術師たち、自分たちが使う祈祷を教えてくれなかったわね」

「いつもそうです」

「どうする? もっと強い祈祷で自慢してきたら」

「あちらは百人以上いますからね。わたしたちよりも強い祈祷じゃないと困りますよ」

「あはは。それもそうね」

 わたしたちの担当は北東の太門。東は新人陰陽術師たちが担当するらしい。

「設置っていつするの?」

「祇宮祭当日の未明です」

「そうか。のろいを定着させないといけないものね」

 のろいにも酒や肉と同じように熟成という概念が存在する。

 時が経ったのろいほど強いのだ。

「今日のお仕事は後何があるの?」

「最勝講のときに検品した献上品の中で避けておいた呪物の解呪ですかね」

「え! 陰陽術師たちがやったんじゃないの?」

「解呪しきれなかったものがあるそうです」

「あらあら」

「まぁ、献上品の解呪は新人がやらされることも多いので、仕方ないんです」

「じゃぁ、さっさとやってもっと楽しそうな仕事貰いに行きましょうよ」

「そうしましょう」

 わたしと竜胆は陰陽省へ出向き、新人陰陽術師たちから品を三つ受け取ると、また部屋へと戻って来た。

「檜扇と彩色薫香蝋燭アロマキャンドルのセットと口紅ね」

「嫌な予感しかしませんね」

 竜胆が手に取って調べてみると、檜扇は飾り紐が人間の腸で出来ており、彩色薫香蝋燭アロマキャンドルと口紅は人間の脂肪を溶かして再度固めた油から出来ていた。

「本当に気持ち悪いけど、ここまで人間を素材として使いこなせるって、あいつすごいわね」

「さっさと解呪しちゃいましょう。もう本当に背中がゾワゾワします」

 さっさと終わらせようと檜扇に杖を突き立てようとしたとき、竜胆がひどく顔を青ざめさせて口紅を見つめ、「これって……」と言いながらわたしを見た。

「どうしたんですか?」

「あのさ……。翼禮よくれいがほとんどお化粧しないのは知ってるんだけど、ひとにはそれぞれ似合う色っていうのがあるのはわかる?」

「わかりますよ。あの、パーソナルカラーとかっていうやつですよね。イエローベース、ブルーベースっていう」

「そう……。翼禮よくれいはたぶんイエローベースのオータム。そして……」

 竜胆はわたしのことをチラチラ見ながら言った。

「この口紅の色も、その秋にぴったりの色なのよね……。口紅に彫られている装飾、杏だし」

 竜胆が口紅をくるりと回すと、出てきた口紅には杏の木の彫刻が施されており、色もとても美しいワインレッドだった。

「口にしたくもないですが……、わたしのために作ったってことですか」

「多分、というか絶対そう。皇帝陛下のお后様に、イエベ秋はいないもの。みんな、イエベ春かブルべ冬。ちなみに私はブルべ夏」

 悪寒がした。

 油断したら吐いてしまうそうだ。

「捨てましょう。解呪したらすぐに。二度と見たくありません」

「そ、そうね。花折はなおりがいかれてるのは明白だしね」

 わたしは胃酸が逆流したようなムカつきと、ストレスによる頭痛を感じ、さらに気分が悪くなった。

 花折はのろいなどなくともわたしの気分を害することが出来るようだ。

 わたしは竜胆が解呪した口紅を受け取ると、放り投げ、仙術で火をつけて灰にした。

 本当ならば呪詛返しでコテンパンにしてやりたいところだが、花折のように高度な技術を持ったものは、のろいの跳ね返り先を別の人物にしている可能性がある。

 わたしは深呼吸を繰り返しながら波立つ精神を鎮め、怒りを手放した。

 雨の匂いを感じた。

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