喫茶バロック
オッサンは店のドアのプレートを再びひっくり返した。営業再開だ。働く時間を奪ってしまって申し訳ない気持ちになる。
そんなことを考えながら、俺はレジ前に座って買ってきてもらうものをメモに書いている。
そういえば、オッサンは酩酊ポーションについて知っているだろうか? 聞くだけ聞いてみる。
「オッサン、酩酊ポーションって知ってる?」
ダンボールに入った普通の野菜を二段の木製什器に陳列しているオッサンが俺のほうに向いて。
「酩酊ポーションだァ? 確か出雲ダンジョンで数個だけドロップしたもんが官営オークションに流されてたな。一個四十万だったか?
ポーションの入った瓶をぶつけると『酩酊』ってバッドステータスを相手に与えて強制的に酒飲んだみたいな状態になるんだよ」
「……。何か微妙なアイテムだな」
「動きの速い奴には当たらないだろうし、動きの遅い奴に当ててもなって感じだ。
なにかしらの特効アイテムだろうってのが巷の見解よぉ。
出雲のダンジョンはダンジョンランクが漆≪なな≫だし、ダンジョンボスがヤマタノオロチなんだろうって噂だが、確認できるようなハイランダーもいないしな」
「そうか。なるほどな」
メモに必要な物を全て書き終わったのでオッサンに渡す。
「本当に金は後払いでいいのか?」
「おうよ。俺とお前の仲だしな。
夜に固定電話を設置しに行くついでに持って行ってやるよ」
ありがとうと礼を言って退店する。
巣鴨ブラックマーケットでは基本的に電波が届かないが、出力を増した中継機を第一商店街に設置しているので固定電話なら使えるとのこと。スマホとかの受信機じゃ帯域が違って使えないらしいが、パソコンも有線接続なら繋がるらしい。半ば諦めていたBtuberの夢は閉ざされていなかった!
ルンルン気分でオッサンの店のはす向かいにある喫茶店に入店する。
引き戸についたベルが鳴り、店員がいらっしゃいませと言いながら入り口に向かってくる。
やってきたのは見知った顔だ。
「あら、タカ君じゃん」
よっ、と返して席に案内してもらう。
二人掛けの席が四つしかない小さな店内だが、バロック様式に揃えられた内装はそこにいるだけで心をウキウキさせる。俺のお気に入りの店だ。
「何にする? 今日のオススメは暴れイノシシのホットサンドセットよ」
給仕服に身を包んだ黒髪パッツンの女がメニュー表を差し出しながら教えてくれる。
せっかくだしそれにしようか。そう伝えると彼女はホールに向かって注文を叫んだ。
キッチンにいる男性シェフが、あいよーと軽い返事をする。それを聞くと給仕の女は俺の目の前に座った。仕事中だろお前。
「タカ君がここに来るなんて珍しいね? ブラックマーケットの買い物帰り?」
「何も持ってないだろう。仕事辞めてここに引っ越してきたから野暮用ついでに飯食いに来ただけだよ」
ええっ! と椅子を倒して女は立ち上がった。
「大企業勤めだったじゃん! もったいない!」
普通はその反応だよな。ゲラゲラ笑って、だろうなって言うほうが可笑しいんだわ。
「じゃあじゃあ次の仕事は何するの?」
「Btuber」
ええー、と何言ってんだこいつって目で見られたが、そのまま腕を組んで何度か頷いて。
「なるほどね、そういうことにしといてあげる」
こいつ、探らせないように適当言ってるって勘違いしたな?
クソ、絶対大物Btuberになって私が間違ってましたって認めさせてやる!
「あがったよー」
「はーい。持ってくるからちょっと待っててね」
職務放棄していたとは思えないほどの素早い手つきで俺の目の前に食事のセットが展開されていく。仕事はできるんだよなぁ。
「虹キャベツとビックリコーンのコールスローサラダと暴れイノシシのホットサンドのセットです。食後にコーヒーがついておりますのでお好きなタイミングでお伝えください」
提供を終えると俺の前に再び座った。
笑顔のまま両肘をついて俺のほうをじっと見つめてくる。
無視をしてホットサンドをガブり。美味い。
「どう?」
「見事なもんだ、ハムの仄かな塩っ気と卵の甘味の塩梅が最高だな」
「だってよテンチョー」
笑顔でサムズアップしてくる店長さん。俺もサムズアップで返す。
こんな美味しい食事を出してくれる店の近くに引っ越せたのが一連の騒動の中での唯一のメリットかもしれない。
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