第1章・2

 空飛ぶ絨毯はゆっくりと大統領のいる階に進む。

 ふわりと、まるで重さがないように床へ降り立った。

 そこはちょうど絨毯が止まるだけのスペースと扉があるだけ半分外のような空間である。


「というか、わたしだけ飛ばして貰っても良かったのに」

「実は、私もこの後で呼ばれてるの。いいや、あそこにいるのも面倒だし……」

「ありがとう、テルト」


 そして、わたしは大きな扉をノックする。


「失礼します」

「どうぞー」


 大統領は、わたしを笑顔で出迎えた。

 こっちは汗だく。向こうはとても優雅だ。


「ここまで来るのは大変だったでしょう?」


 執務机から、大統領はわたしに言う。


「アナタも空を自在に飛べるようになれば、簡単なんだけどねえ」と。

 確かにそうだとは思いつつ、一応部屋に入る前に姿勢を正す。

 部屋の真ん中には、ドアの方を向くように執務机が置かれている。

 大きな木から切りだされた机の中心には、この国の紋章であり、我が家の紋章でもある“一角馬リュディン・ホウラス”が刻まれている。机で優しげに、でも困ったように微笑むのは、大統領であり、私の御祖母ちゃんである。

 名を、ポン・アルサイリド・エイドゥ=クゼ。


「おばあちゃ――いえ、大統領、お呼びでしょうか?」

「ポド・フランドイル・エイドゥ=クゼ書記官――今は良いわ。呼び方は何でも、これはオフレコでただの雑談なんだから」

「雑談のために呼んだの?」

「いいえ、ちゃんとした用事よ。この後に、ちゃんとするから。こうでもしないと自由な時間は作れないもの。孫を自分の部屋に呼びつけて、隠して置いたお菓子を食べるっていう、おばあちゃんらしいこともしたいじゃない」


 彼女は、トンと机を叩く

 すると、そこには皿に載った“トー”が現れた。

 甘くて柔らかい、焼き菓子。ふわりと口の中で蜜の味と香りが溢れる。

 いつの間にか、お茶が入れられていて、その爽やかな香りも室内に満ちた。

 執務机の手前の、ローテーブルへお菓子とお茶を運ぶ。

 こうなると私と大統領も、ただの孫とおばあちゃんだ。


「でもね、部屋の外にテルトも待ってくれているの」

「そういえば、そんな用事もあったわね。私に自由な時間はないか。アナタが一人でやってきてくれればいいのにね」

「……」


 そんな言葉を何度聞いてきただろう。

 いつも心を締め付ける言葉だ。


「アナタにだって、あたしの血が流れているはずなんだけれどね」

「そうね、神さまから最初に魔法を授かった血族のそれがね」


 神は、私たちの祖先に最初の魔法の力をくれたという。

 だからこそ、私たちは優秀で優等だと言う。対して、何も能力を持たない非魔法使いは下等であり、大きな仕事が与えられることはない。現に過酷な仕事や嫌な仕事を押し付けられるのは彼らだし、西の砦の兵役も魔法使いは免除される。

 私は、そう教えられてきた。


「我々の力を持つからこそ、この世をしっかりと導かねばならない。今の現状は大きな問題なの。これで奴らが力を持ったら」

「魔法使いの時代が終わってしまうのね」

「時を戻し、原因を排除できたら――」

「時間の制御の魔法は、今まで一切誰も成功してないよ」

「アナタは、頭が固いわね。そういう所は、ポミにそっくり」


 ポミとは、ポンおばあちゃんの末子であり、私の母のことだ。

 ここ最近はお互い家にはほとんど寄り付かないし、この一年ほど口を利いていない。

 よくある家庭不和だ。

 優秀な魔法使いの家に、能力を持たないものが生まれる。

 ポミ――おかあさんは、おばあちゃん直属の副官として各地を飛び周り、外交と城の周囲に点在する小さな村や集落の問題を改善するという仕事をしている。今は、東にある海沿いの街で、他国との交渉の業務を行っているらしい。

 彼女は有能な魔法使いだから。

 不出来な娘とは違って。


「それでもアナタの真面目さは、短所を補ってあまりあるものだと思っているもの」

「おばあちゃん」


 そこで彼女は、紙を取り出した。

 紙には、依頼書という題目が書かれている。


「依頼?」

「ええ――こういうものが何件も届いている」


 紙には、こう書かれていた。


帛書蛾ネラルミンの布足りず。至急増産求む』


 帛書蛾とは、我々の魔法を司る呪符の呪いを書き記すための布――その素となる繭を生み出す蛾である。これを城下の製糸工場などで糸に、そして布へと加工することでやっと魔法を使う媒介となるのだ。

 ただ、一部例外はあるが。


「というものが、こんなに各地の村から届いているの」

「だったら、布を作れば……」


 おばあちゃんは、とてもまじめな顔になって、首を横に振る。

 悲しげに、否定する。


「我が城にも、備蓄はない。いえ、それどころかここ最近帛書蛾の数が激減しているの、虫か魔法生物にだけ作用する病気かもしれない」

「だから、その原因を調査しろっていうこと?」

「いいえ」


 彼女は、手をかざし、否定する。


「その件は、すでに動いている。さらに言えば、魔法使いの力の減退の件も」

「じゃあ、帛書蛾を探すとか?」

「その件もすでに解決済み。この都から南方に位置する池のほとりに群生しているのが見つかっている」

「はあ」


 じゃあ、問題がない気がしてきた。

 私にさせる仕事とはなんだ?

 南方の池――南?


「あっ」

「気付いたのね」


 都が位置するのは、北と南を山と森に挟まれた平地。

 西は山裾が森と接しており、山のドワーフと森のエルフの小競り合いが始終起きている。

 山のドワーフは金属加工品に金を出す者を贔屓にしてくれる。

 エルフはその逆、わたしたちを下等種と決めつけ、森に入ることを許さない。


「南の森をまっすぐ抜けたその先に、池はあるの」


 ここで問題が起きる。

 どうやってその繭や、加工品の布を都に届けるのか。

 長距離での物資の移動には通常『転送の魔法』を使う。

 これは呪符を使い、決まった所まで物を届ける魔法である。でも、この術は使えない。そもそも残り少なくなっている布を消費することが躊躇ためらわれる。

 さらに言えば、魔力を増幅させて消費される布なのだから、魔法での移送ができない。魔法をかけた瞬間、呪符と共に消滅し、梱包していた箱だけが目的地を超えたはるか先まで飛んで行くことだろう。

 これでは意味がない。


 では、空路か?

 これもダメだ。空を飛ぶ魔法道具は、存在する。道具たちは、現在の呪符の技術が生まれる前の、生産不可能・解析不能の遺物だ。荷物を持って飛ぶすべは、とても限られている。それこそ先ほどの絨毯も、城に数点存在するというほどしかない。


 ならば、残るのは陸路。

 南へと真っ直ぐ進むことは、エルフが許さない。

 東からの回り道は遠く、南の森が海に突きだした岬の崖ギリギリまでせり出しているため、森を迂回していたら相当な遠回りとなる。

 あとは、西から回るしかない。


 西の山側を通り、その向こうにあるダイエン砦から南へと針路をとる。これで遠回りながら、エルフの治める『黒畏森ダラエヌメシュ』を回り込めた。もうそれしかルートはないが、それもまた東ほどではないにしろ、遠回りにはなる。


「西から回り込んで、布を確保して来いってことね?」

「いいえ」


 は?

 今まで考えたことは何だったのか……

 この人は、考えているのだろう。

 おばあちゃんは、国の大統領。

 さまざまなことを考慮しての思考なのだろう。その深淵は、常人には思い浮かばないものなのかもしれない。


「そのルートでは、遅すぎるし非効率。備蓄の布は、残り少ない。物資が安定供給されることが必須なの」

「じゃあ、わたしにどうしろというの?」

「今、西からのルートに人員を裂いて、運搬を行って貰っている。それに付随して、街の南方に道を作る計画を始めたいの」

「南に道?」


 森のエルフとどう折り合いを付ける気なんだろ?

 大きく森を切り開けば、エルフと我らの戦争になりかねない。


「道を作る担当の男が言うには、『森を出来る限り壊さないようにするには、橋を作って、その上を走らせるしかない』っていうの。なんでも、ちょうどいい専用の道を作らないと走れない乗り物があるとか」

「専用の道しかはしれない?」


 話がまったく分からない。


は、自分だけ分かっていて相手に分からせようとしない奴だったから、わたしもアレのいうことをそのまま語るしかないのだけれど、今までになかった新しい乗り物だって言っていたわ」

「よく分からないのは、わたしのせいじゃなかったんだ」

「そう。正直彼らの言う『科学ヒテル』っていうのものは、なかなか理解が難しいのよ」

「ところで、結局私に何をさせたいの?」


 私は話を戻す。

 もうすでに現実離れしてきた話だけど、現実の魔法しごとの話に。


「アナタには、監視と監督をしてほしいの」

「監視……」


 ポンおばあちゃんは、大統領の顔に戻った。

 執務机から、一枚の紙を取り出す。


「これは辞令。アナタには新たな大臣の席に付いてもらいます。『鉄道開発及び対エルフ交渉大臣』です。分かりましたね?」

「はい……ですが、一つ説明をいただいても?」


 私も彼女に合わせて部下に戻る。

 真面目な口調で応対する。



「鉄道とはなんですか?」

 

 話は、こうして始まる。

 魔法の世界が、神との邂逅に始まったように。

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