第131話
多くは懸命に考えて、決めて、しかし望んだ通りの結果にならずに後悔する。
それでも諦めて投げ出してはより悪くなるばかり。
(僕が後悔をしない選択、か)
それは確かに恐れに負けてリーゼを遠ざけ、身勝手に護って自己満足に浸ることではない。
(僕はあいつを幸せにするのだと誓った。共に幸せを掴むのだと決めた。癪だが、フェリシスは正しい。感情に走り過ぎずに考えないと、な……)
言葉にしてみれば当たり前のことだ。むしろ常日頃から心がけていると言っていい。
なのに今更初めて知ったかのような心地がするのは、起因する感情がエルデュミオにとって初めて味わうもののせいだ。
厄介だ。しかし。
(悪くはない)
どんな時にあろうとも、心に温かさを残してくれる気がしたから。
その後は一日、幸いなことに平和だった。
執務を終えて私室へと戻る道すがら。聖騎士数人が奇妙に固まっているのを見つける。
「――何をしている?」
「あ、聖王陛下」
「さ、さぼりではありませんよ!」
少し慌てたように弁解された。
「疑ってはいない。万が一さぼるなら、もう少し目立たない場所を選ぶだろう。そもそも、お前の警備当番は今夜だ」
「ど、どうしてご存知で!?」
「同じ組織で働く者の顔を覚えるのは当然だ」
長であればなおさらだ。
全てはさすがに無理だとしても、可能な限りは覚える。自身の安全のためにもだ。
「そ、そうでしたか」
聖騎士は少し慄いた様子を見せる。しかしその表情はすぐに和んだものになった。上が下に目を向けているのは、彼らとしても安心だろう。
「それで? 珍しいものでも見付けたのか?」
「ああ、はい。あれです」
聖騎士の一人が指さした場所は、景観のために置かれている観葉植物の鉢の上。十センチほどの白い毛の塊がぺっそりと寛いでいる。
円柱のようなフォルムに、手足と長い耳を付けた生物だ。とりあえず害意は見えない。ついでに言うなら、聖騎士たちにとっても害するべき相手ではない。
ブレスラビットと呼ばれる聖獣の一種だ。見かけると幸運が訪れると言われている。子どもの読む絵本でもよく題材になる、有名な聖獣と言える。
ただし、見かけただけで幸運が訪れるという噂が出回るぐらい、遭遇率は低い。ペガサス同様、幻想生物扱いだ。
「最近、ツェリ・アデラでちらほら聖獣を見かけるそうなんです。いや、勿論聖都としては歓迎すべきことですが……あっ」
ブレスラビットは不意に耳をピン! と立てたかと思うと、俊敏に立ち上がってこちらに――と言うよりもエルデュミオに向かって駆けてきた。
そしてその体躯からは想像しがたい跳躍を見せ、エルデュミオの肩に飛び乗って来る。
「っと」
ややバランスを崩して反対側に落ちそうになったのはご愛嬌だ。手を伸ばして支えて、肩の上で安定させてやる。
「おおー……」
「さすが、金眼の聖王様……。聖獣がそのように慕わしそうに、自ら近付いてくるとは……」
周囲から上がった感嘆の声は、驚きと言うより納得の色合いが強い。
普段、おとぎ話になるぐらい姿を見せない聖獣が、ここしばらく急にツェリ・アデラに出没するようになった。その理由を考えたときに、大勢の人間が同じ結論を出していた。
新たな聖王を歓迎しに来ているに違いない、と。
歴代聖王の就任を紐解いても、そのような事跡は残っていない。
代わりに近しいものはある。聖王ではなく、初代皇帝が帝国を打ち建てたときの戴冠式だ。
(皇帝も多分、僕と同じことを考えて実行しただけだろうが。偉人の奇跡を再現できるのは悪くない)
何のことはない。自分で呼んでいるだけだ。
しかしそれとは別に、聖獣がエルデュミオに対して親しげなのはフリではない。大分魔力にも近しくなったが、人生二十一年で身に宿った聖神の力もそんなに容易くは消えないのだ。
彼らの態度が本物だからこそ、自演であっても通じると言える。
「見慣れなくて落ち着かないだろうが、まああまり気にしないでやれ。悪意はない」
「はい。それは勿論……」
「ついでに、珍しい聖獣を捕らえて商売をしようという不届き者が入り込むかもしれない。町の警備は常より気を張っておくよう通達してくれ」
「フラマティア神の眷族に、何と恐れ多いことを!? ……いえ、ですが今の世はそうなのでしょうね……。我らの不徳の責任でもある……」
後半は悔しげに、唸るように呟いた。
「確かに、信仰心の薄れは要因だろう。しかし本質的な問題はそこではない。己以外の者へ対する冷酷さだ」
「は……っ。仰る通りです。視野の狭い物言いをいたしました」
「いや、己が大切にしているものがより優先されるのも事実。それもまた、否定されることではない」
「聖王陛下……」
神に通じる公平な正しきを説き、しかし人の心も蔑ろにはしない。
エルデュミオが示した指針に聖騎士は感じ入った表情をして、聖印を切り頭を下げる。
「陛下の元でならば、聖神教会も正しい在り方を取り戻せましょう。私も神の信徒として、聖下に誠心誠意お仕えいたします」
「ありがとう。頼みにしている」
「はッ! 必ずや!」
心の底からの気合いを込めて返された言葉へと鷹揚にうなずき、エルデュミオは止めていた足を動かした。
(部屋に戻って一休みしたら、マナを辿る訓練だ。まったく、忙しない……)
しかしルーヴェンたちがすでに次の何かを始めていると分かった以上、こちらもできることをできる限り急がねばならない。
廊下を半ばほど抜けたところで、不意にブレスラビットが肩の上で立ち上がった。落ち着きなく首を振り、周囲を警戒している。
同時に、鳥たちが一斉に飛び立つ。まるですぐ側に起こった危険から遠ざかろうとするかのように。
その羽音が人間たちをさらに不安にさせた。
「な、何だ!?」
敏感な動物たちが見せた異常な挙動は、人間たちを警戒させるにも充分だ。
聖騎士たちは即座に動き、エルデュミオの周囲を固めて四方へと視線を巡らせる。
「エルデュミオ様、これは……」
顔をしかめて視線で訴えてきたスカーレットに、エルデュミオはうなずいて返す。
「ああ。――皆、大丈夫だ。ツェリ・アデラに起こった異常ではない。今のところは、だが」
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