第124話
「――お待ちしておりました」
一般区画との境目で待機していた神官がすぐに一向に気付き、声を掛けてくる。
「どうぞ、こちらへおいでください」
「ああ」
ついて行った先にあったのは、一つの扉。その扉は装飾からしてここまでに見てきた物よりも精緻で美しく、また相応の年月によって醸し出される重厚さを備えていた。
開けて入った部屋の中はやや手狭だが、調度品の質は良い。そして席の数が十一。これだけでこの場所が何かを察せるというものだ。
「ここが、聖神殿の意思を決定する場か」
「然様にございます」
エルデュミオに応じたのは、最奥の椅子にほど近い場所に座っていた老年の女性。彼女が片手を上げて案内役だった神官に合図をする。神官は一礼して去っていった。
「お久しゅうございますね、エルデュミオ様。第一聖席を預かっております、アンヴェル・カラウにございます」
「ご機嫌麗しく、アンヴェル殿。健勝そうで何よりだ」
「これもフラマティア神のご加護の賜物でしょう。日々、感謝しております」
ほほ、と笑って彼女は聖印を切る。
「さて。人払いをして、聖席の皆々様まで揃った場だ。そろそろ本題に入ろうじゃないか」
「然様にございますね。そちらのお二方は、エルデュミオ様が信用なさっている方々と判断してよろしゅうございますか」
「ああ。問題ない」
「承知いたしました。――聡明なるエルデュミオ様にはもうお分かりかと存じますが、今、聖神殿は人々の尊崇を著しく失おうとしております」
「否定はできないな」
人々の生活に直結するマナ減衰の件への対処に関して、聖神殿はあまりに悪手を連発した。エルデュミオへの冤罪は、更なる一押しとなっただろう。
「今の聖神殿には誰から見ても明らかに正しい『力』が必要です。エルデュミオ・イルケーア様。どうか、聖王の座を引き継ぎ、世界を導いてはくださいませんか」
金眼であることの重要視は一昔前程強くはされておらず、影響力は少なくなっている。
しかしその意識が皆無になったわけでもない。まして己に危機が迫れば嫌でも思い出す。人とはそういう生き物だ。
更にエルデュミオは現在レア・クレネア大陸唯一の神樹の神子。ここに揃う聖席の者たちは、俗世に生きる者たちよりもその重要性を理解している。
「それは、ここに揃った聖席全員の総意と取っていいんだな」
「然様にございます」
「承知した。聖王の席、この僕が預かろう」
「英断、感謝いたします」
正式な就任は手続きと儀式を経てからだ。だが揃った十人は主に対するものと同様に、恭しく頭をさげた。
「ただし、条件がある」
「何でございましょう?」
アンヴェルの声に、微かな警戒が生まれた。それを無視してエルデュミオは続ける。
自分の提案は聖席の皆にとっても悪くないと分かっていたからだ。
「知っての通り、僕は生国で公爵を継ぐ身だ。今は世の安寧のために席を預かるのに異論はないが、近く、より相応しい者へ先を委ねることになるだろう。その点を留意していてもらいたい」
「それは……。残念なことに存じます。しかしご本人の意思であるならば、無理には止められませぬね」
言葉とは裏腹に、アンヴェルの雰囲気にはわずかに安堵が滲んでいた。あっさり意思を通したことからも、その本心は窺えるというものだ。
エルデュミオにとっても都合がいいので問題ないが。
「すまないが、就任に関わる諸々は明日以降に話し合いたい」
エルデュミオが聖王を退席した後の話も、聖席の間である程度取り決めておきたいだろう。こちらも快く受け入れられた。
「承知いたしました。お疲れのところ足をお運び頂き、感謝いたします」
言って、アンヴェルの隣で別の聖席の一人がベルを鳴らす。
「本日は客室を用意させていただきました。お付きの皆様も、どうぞごゆるりとお寛ぎくださいますよう」
「そうさせてもらおう。――二人とも、行くぞ」
「はい」
スカーレットの返事はとても満足そうだ。対してリーゼの方は完全に予想外だたという様子で、エルデュミオの呼びかけにすら反応が鈍い。
それでも数瞬後にははっとして我に返り、慌て気味にうなずいて付いてくる。
ベルによって再び呼ばれた神官の後について、客室まで移動した。
「それでは、何かありましたらお気軽にお申し付けください」
「気遣い、感謝する」
案内された部屋へと入り、扉を閉める。複数人を想定して作られた、中で個室に分かれる形式の客室だ。寮などに近いかもしれない。
「リーゼ。先程の聖神教会とのやり取りに付随して、お前に話しておきたいことがある。少し付き合え」
「いいですよ」
「では、私は先に休ませていただきましょう」
気を遣ったのと本心と、両方だろう。スカーレットは奥の寝室の一つへと引き上げて行った。
残ったエルデュミオとリーゼは玄関からリビングへ移動し、ソファに腰を下ろす。
「話って何です?」
「以前、僕がした話を覚えているか。聖神教会の教義において人は神の元平等であるから、身分、国籍に関わらず婚姻が認められると」
「覚えていますが」
リーゼの反応は芳しくない。だからどうしたという表情のままでエルデュミオを見ている。
無理もないだろう。エルデュミオの聖王就任は期間限定。自分に関わる話だとは思うまい。
「――だから、迷う時間はあまり無いのを承知で聞いてくれ。リーゼ・ファーユ。僕と結婚してほしい」
「はいッ!?」
「……そこまで驚くことはないだろ。全く気付かなかったのか」
「いえ、全くというわけじゃないですけど、でも……」
はっきりあり得ないと否定もしてきた。望まれない結婚は不幸を生むだけだと。
「少し考えを改めた。例えば僕の両親は互いの身分に不足なく、家の力も安定している。僕も不自由なく生きてきたと断言できる。だが、人生すべてが幸福だったとも言いたくない」
「言わなくていいと思いますよ」
ヴァノンの真意を知ってからはまだ緩和されたが、両親の教育がエルデュミオに刻んだ傷は深い。
感謝はしているが、幸福ではなかった。真に克服できる日が来るかも不明だ。
それは公爵家に生まれ、神樹の神子であったため。
本来そこに負の要素などない。だが現実は違う。人の集団の中では、時に利に絡む要素は歪みの的になる。おかしなことだが。
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