第七章 虹で織る歴史の旗

第111話

 戴冠式典を終えた数日後。エルデュミオはスカーレットとリーゼと共に、ツェリ・アデラの近くまで来ていた。

 実はアゲートもいるのだが、接触はしないことになっている。


(リューゲルで『マダラ』を見た被害者に会ったら、言い逃れができなくなる)


 しかし戦力としては惜しいので、離れたところで待機、という形にした。


「ところで、どうやって中に入るです? ディー様は多分、正規には入れないですよね?」

「だろうな。だが門の衛兵がヘルムート並の精鋭であるはずもなし。方法はいくらでもある」

「つまり不法に侵入すると」

「そうなる」


 今回は目的も明確に存在している。ためらうつもりはエルデュミオにはなかった。


「他人事のように言っているが、お前だって正規に入れるか怪しいものだぞ。僕ほど徹底されてなくても、要注意人物として手配が回っている可能性は充分ある」

「まあ、確かに。試す気にはならないですが」

「当たり前だ」


 エルデュミオたちが来たという情報を、わざわざ敵に与えてやることはない。


「わたしだったら軽く変装でもするんですけど、ディー様は無理ですねえ」

「僕ほど美しい存在は稀だからな。女装したところで無駄だろう」

「それを自分で躊躇なく言えるところが……。事実ですけど」


 事実ならば口に出しても問題ない、ということばかりではない。この場合実質的な問題はないのだが、周囲の人間には微妙な気持ちを抱かせる。


「せめてもう少し、言い方が違えば印象も変わると思うですけど?」

「必要ない。さて。そろそろ中に入るぞ」

「どうやってです?」

「権能を使う」


 気配を隠す類の呪紋はいくつか開発されているが、ゆえに町などでは対策が取られていることも多い。ツェリ・アデラの警備に通じる気はしなかった。

 しかし神の権能であれば未知の領域。安全だ。

 リーゼとスカーレットを範囲内に含め、エルデュミオは自分たちに隠蔽の呪紋を掛ける。


 体に添うような薄い膜で包まれたような感覚があった。

 気付かれたら別の侵入方法を模索することも視野に入れつつ、丁度町に入ろうとしていた男性に便乗して衛兵の間を通り抜ける。

 反応はない。それなりの人目があるが、そのすべてがエルデュミオたちを素通りしていく。


(さすが権能。とはいえ、ツェリ・アデラでは効果は薄くなっているはず。さっさと移動した方が無難だな)


 過信は禁物だ。それこそヘルムートあたりがいれば看破されかねない。


(シャルミーナもツェリ・アデラでは行動し難いはずだから、拠点を確保して提供しているのはフュンフだろうが。さて)


 まずは合流しようと、エルデュミオは耳の鈴へと手を伸ばし、軽く弾いた。


『――はい?』

「僕だ」


 ややあって応答してきたシャルミーナへと告げる。


『これは、お久し振りです。ツェリ・アデラでも、エルデュミオ様やルティア様のお名前はよくよく耳にしましたわ。そちらは上手くいったのですね』

「当然だ。そして次の面倒を片付けに来たわけだが、拠点はどこに置いている」

『住宅街にあった空き家の一つを借りています。分かり難いと思いますので、お迎えに上がりましょう。どちらにいらっしゃいますか?』

「北門を抜けてすぐの通りだ」

『では、その先の広場を右折して、住宅街の入り口まで来てください』

「分かった」


 エルデュミオの容姿がもう少し目立たなければ、いっそ人多い広場での合流という手も使える。しかし実際には、万が一誰かに見られれば確実に記憶に残る。悪手だ。

 人通りが限られる場所の方が、まだしも危険性が低い。

 シャルミーナに言われた通りに広場を抜け、観光客や巡礼者は立ち入らない、ツェリ・アデラに住む人々が暮らす区画へと足を向ける。


「リーゼ。お前にかけた呪紋だけ解く。シャルミーナが来るまで自前の技能で気配を殺しておけ」

「はい」


 神呪で身を隠していたら、シャルミーナにもエルデュミオたちが見付けられない。解いても一番大丈夫そうなリーゼに接触を任せることにする。

 門からの距離とそこそこ同じ程度なのか、ややあってシャルミーナが姿を見せた。

 聖騎士の制服ではなく一般的な町人が普段使いしている服を着た彼女は、それだけで印象がかなり変わる。


 彼女は注意深く、周囲に視線を巡らせた。その延長上に姿が入る一瞬、リーゼの気配がはっきりとしたものになる。そしてすぐに再び薄くなる。

 一度補足できれば認識はできるようにしているらしい。シャルミーナはその後も迷わず、真っ直ぐこちらに近付いてきた。


「お久し振りです、リーゼ様。お元気そうで何よりです」

「シャルも無事でよかったです。無茶してるんじゃないかなって、ちょっとハラハラしてましたから」

「幸いにして、エルデュミオ様が仕掛けた工作が効いています。安堵はしておりますが、同時に嘆かわしい気持ちでもありますね」


 清廉であることが求められるはずの神官が、金銭での懐柔になびくというのは確かに問題である。


「所詮、人の組織だからな。しかし内部の引き締めが必要であるのには同意する」

「エルデュミオ様」


 声を掛けたことで、今ようやくシャルミーナはエルデュミオを知覚したようだった。しかしすぐに存在が曖昧になり、彼女は錯覚を振り払うかのように首を左右に振る。


「ここでは落ち着きませんね。家にお出でください」

「ですね。お願いします」


 異論はない。背を向けて案内に立ったシャルミーナに付いて、一行も歩き出す。

 ツェリ・アデラの町の美しさに変化はない。外向けの区画ではない一般の住宅街でさえ、洗練された趣がある。

 だがそれでも、以前よりも雰囲気が暗く感じるのは、おそらく気のせいではない。


(空気が悪い。住民たちが、息をひそめて周囲を窺っている気配がある)


 ツェリ・アデラを取り巻く状況が不穏になっているの感じ取っているのだろう。

 住宅街には寄ったことがないので以前とは比べようがないのだが、人通りも少なく、閑散とした印象を受ける。

 大陸一安全で平穏な地と呼ばれた町が悪い方向に変わっていくのは、何とも言えない虚しさがあった。できれば、それが実を伴って影響を出さないうちに改善したいものだ。


「こちらです」


 シャルミーナが足を止めたのは、一人暮らしには過剰な広さの一戸建て。二人で住んでもまだ余裕だろうという広さ。こうしてエルデュミオたちが訪れることを考慮されての住まいだろう。


 ただし、それでも三人加わるとなると、手狭な感は否めない。

 と言っても永住するわけでもないのだ。一時的に身を寄せるだけなら充分である。

 鍵を開けて中へと入り、一息つく。家の中ならば無関係な人々の耳目は気にしなくていい。

 神呪を解き、ざっと部屋を見回したエルデュミオは、最後にシャルミーナで目を留めた。


「ヴァスルールはどうしている?」

「本神殿にて、状況を確認してもらっています」

「そうか」


 いつ何時、事態が動くとも限らない。見張っておくのは当然と言えばそうだ。

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