第109話

 次から次に起こる事態の中、それでも自分が目にしたものと、フェリシスが述べた説明で概要を理解した民衆から、どよめきが起こる。

 皆の注意が神官へと集まる中、ルティアを護るため円陣を組んでいた騎士の一人が唐突に動いた。


「もはやこれまで――死ね、ルティア・スペルキュナ!」


 抜き身のままの剣を構え、ルティアへと走る。それに一部の騎士が続いた。


「この状況で、それでも暗殺を実行しようとする忠誠心だけは褒めてやるよ!」


 エルデュミオの手を狙ったナイフの投擲は、後ろから、騎士たちの中からだった。誰かは必ず目撃している。炙り出すことは可能だった。

 それでも、その一人を見捨てれば他の全員は切り抜けられただろう。だが騎士たちはそれを選択しなかった。


(させてもらえなかった、と言うべきか)


 彼らはおそらく、気付かなかった。

 声を上げて剣を抜いたのが、自分の同胞ではなかったことに。

 アイリオスの懐柔によって離反した、裏切り者の扇動だ。

 動いた全員が、あらかじめそのための配置に付いていた第二部隊の騎士たちによって初動を阻まれる。


 ルティアに刃を向けたのは、この場にいるおよそ二割の騎士。迎え撃った第二部隊の人員は、約五割。残り三割の、事情を知らずに配置された三割の騎士の反応は二つに割れた。

 すぐさま第二部隊の騎士と共闘の構えを見せた者と、うろたえて反応の鈍い者たちだ。


「生死は不問だ、反逆者を殲滅しろ!」

「はッ!」


 元よりこれは、反逆者となったヘルムートの部下たちを捕らえるための陣。分かっていて備えていたエルデュミオたちの方が圧倒的に有利だ。

 ほどなくして反逆者たちは捕らえられ、場には静けさが戻って来た。お祝い事の空気が消し飛んだのは仕方ないだろう。

 ただし勿論、ルティアの門出を暗鬱な雰囲気で終わらせるつもりはない。


「隊長。状況終了しました」

「ご苦労。そのまま待機」

「はッ」


 敬礼したレイナードを置き、エルデュミオはペガサスの元へと歩み寄る。どうにかして神官を蹴り殺そうとしているのだが、フェリシスが邪魔でまだ叶っていない。

 遺恨のないフェリシスを害するつもりがないので均衡が保たれているが、邪魔をされているのも分かっているので、苛立ちが一緒に向けられつつある。

 背中に圧を感じるフェリシスも、ひしひしと感じていただろう。一段落着けて近付いてきたエルデュミオに、安堵の苦笑いを見せた。


「説得を頼む」

「努力はするが」


 ローグティアが変じた神樹の御子と同様であるエルデュミオは、マナに長けた種にこそ親和性が高い。

 己を作り出した世界ととても近しい存在であると分かるからだ。そこには明確な好意が存在する。

 エルデュミオが近付くと、ペガサスは荒い鼻息を収めて翼を畳み、神官から体を向け直した。

 今の今まで怒りで荒ぶっていた聖獣の豹変に、周囲の人々から感嘆の息が漏れる。


「大切な者、己の尊厳を傷つけられ、報復したい気持ちはよく分かる。お前にはその権利もあると思う。だが、ここでお前に神官を殺されると都合が悪い。お互いにだ」


 ペガサスの首を撫でながら、囁くように声を掛ける。

 単純に聞かれたくない話だからだが、聖獣を宥める美しい青年の姿は、実に絵になった。


「お前も、一時の腹いせで己を傷付けた者が更に得をするのは業腹だろう。それよりも、敵を追い詰めるために立ち回れ。聖神に依るお前には、それができる。でなければ魔神に落ちたと言い掛かりをつけられ、殺す口実を与えてしまうだけだぞ」

「……」


 人の社会の都合など、ペガサスには関係がない。しかし群れの一員に手を出せば、報復が行われる可能性があるのは、どの社会でも同じだ。

 しかしペガサスは先に害された側である。納得はいかないだろう。

 エルデュミオがする話の利は理解しているが、感情がペガサスをうなずかせない。


「……近く、お前を害した奴らとは戦うことになる。その時まで待て。どうせならお前だって勝ちたいだろう?」


 直接手を下した一人で満足して己を殺す口実を与えるのではなく、命じた者にまで手を伸ばすために。

 そのために今は退けという交渉だ。

 天を仰ぎ、しばし考える間を置いて――ペガサスは不承不承、うなずいた。


「助かる」


 エルデュミオが礼を言えば、仕方がないと言わんばかりの視線を投げかけてペガサスは後ろに下がる。

 周囲の人間たちを巻き込まない間隔を確保してから、翼を羽ばたかせた。

 その傍らに仔馬が寄り添う。成獣を従わせるために捕らえられていた子どもだ。

 空気を踏んで空を駆け上り、フラングロネーアから去ってゆく。勇壮なその姿は自然と人の目を集め、空の彼方に見えなくなるまで意識を捉え続ける。


 そうしてエルデュミオとペガサスが注目を集めている間に、捕まった騎士たちはこの場から連れ出されていた。人数が若干減ったものの、元の体裁を取り戻す。

 エルデュミオが隊列に戻ると、ルティアは民衆を含めた皆を見回して口を開く。


「怪我をした者はいませんか?」


 ルティアの問いに手を上げる者はいなかった。実際、一連の騒ぎにおいて集った民衆へ被害は出ていない。それでも確認は大切である。

 しばし待って、間違いなく申告する者が出ないのを場の全員が納得したあと、一つうなずいて言葉を続ける。


「祝いの場で突然の出来事、さぞかし驚いたことと思います。我が国を陥れようと画策する者の存在を、わたくしは否定しません」


 あえて何者かは言及しない。

 聖王を引き摺り下ろすつもりではあるが、聖神教会そのものと敵対するつもりはないからだ。

 ただし、そうとも言わない。これからどう転がるかも不明なので。


「不安を感じる者もいるでしょう。しかし。恐れることなかれ。恥じることなかれ。わたくしたちを陥れようとする輩の言い分がどれ程事実無根かは、正に今、ペガサスが証明しました」


 人の世の理とは無縁な獣だからこそ、真実であると印象付けられる。


「わたくしたちは、戦わねばなりません。己の欲のために、罪なき者を罪人にする悪政を許してはならない。己の大切な者が、子どもたちが、子孫が、秩序なき暴力の世界で生きることに心を痛めるならば、非道の前に立ち塞がり、否を唱えなくてはならないのです」


 暴力の前に身を晒すのは、命さえも脅かされる危険な行いだ。二の足を踏んで当然。それでも、やらなければ事態は悪化していくだけ。

 だがルティアは一人にそれを求めているわけではない。王として決め、その責任を負う代わりに国民に求めるのだとはっきりと告げた。


「そして無論、わたくしたちは、勝ちます! ストラフォード王国に栄光あれ!」


 声を張ったルティアが言い終えると同時に、楽団が曲を奏でた。行進曲ではない。凱旋歌だ。

 機を見計らった『誰か』が、ためらいがちに手を打つ。続いて、幾人かの拍手が重なった。数秒後には大きなうねりとなって拍手と歓声が沸き上がる。


 聖神教会から邪神国家と烙印を押され、誰しもが少なからず鬱屈した気持ちを抱えていただろう。

 しかしたった今、ルティアは断言した。ストラフォードこそが正義であると。


 己を納得させるだけの根拠も、一連の騒ぎの中で示されている。

 何かと戦うにあたって、大義は重要だ。命を懸けるに足る理由がなければ士気は保てない。


(この話が広まれば、ストラフォード国内はどうにか纏まるだろう)


 自分の所属する国が邪悪であるなどと、愛着のある者ならば誰しも信じたくはない。それよりも、悪意の策略であると信じる方向へと気持ちは傾く。


 しかし勝ち目のない戦いに身を投じるのにためらう者は多いだろう。当然だ。エルデュミオとて、負けるよりも死んだ方がマシだという結果が見えていない限りはやらない。

 そして勿論、民を負け戦に巻き込むつもりもない。

 勝つための手段も、すでに準備は整っている。

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