第四章 黒光が導く魔道
第58話
「……俺は勝っていた」
私邸の一室。スカーレットの知人として招き入れたマダラ改めアゲートは、応接室の椅子に座るなりそう不満気に口にした。
「前回でも、俺は勝っていたんだ。スカーレットの助力など必要なかった。俺一人でもあの侵犯者共を打ち滅ぼし、この世界のマナを魔力に染めることは可能だった」
「そう言うな。やり直しという奇跡を行使したんだ。神の威信に懸けて、失敗は許されない。そのための保険だ。ルーヴェンたちに顔を知られているお前では、エルデュミオ様に付けるのは不都合だったのだし」
余計な手助けだと面と向かって言われたスカーレットは、苦笑しつつアゲートを宥める。
言っているアゲートも不満なのは事実なのだろうが、スカーレットを排除しようとはしていない。しっかり連携は受け入れている。それはルチルヴィエラとフラングロネーアの件でも間違いない。
「ともあれ――。ルーヴェンを取り逃したのは痛恨でした。捕らえられれば、後は各地のローグティアに仕込まれたリザーブプールを回収するだけで、一番の懸念が片付いたでしょうから」
「……向こうの方が、戦力が厚かったからな」
ストラフォードで最強だった精鋭たちが抜けた形だ。もしかすれば、
糾弾された当人が逃亡したことで、ルーヴェンとヘルムート、メルディアーネの王族暗殺未遂は確定した。十中八、九ラトガイタだろうが、逃亡先が判明次第身柄の引き渡しを求めることになる。
素直に渡してくるとは思えないが。
「しかしだからこそ、手をこまねいているわけにはいきません。奴らにとって、手にできなかったストラフォードはすでに自国ではない。次は国を滅ぼすこともためらわないでしょう」
「そうだろうな。だから、ルーヴェンたちの足を止めに行く」
「どうするんだ?」
「ヘルムートや第一部隊が強いとは言っても、国の戦いを左右できるほどじゃない」
短期的には竜とも戦える実力者だが、その身はどこまで行っても人間。ずっと全力で戦えるはずもなく、その力を効率的に削り切る術はストラフォードにもある。
個人として動くだけなら、然程恐れる必要はない。
「だが、マナでの異常な強化――仮に
「間違いなく、使うでしょう。それも奴らが失っても惜しくないと考えている命である、魔物や末端の兵士から使い潰して行くかと」
スカーレットの声音が一段、冷ややかになった。その非道を行う度、ルーヴェンの死が惨たらしいものになっていくのだろうことが想像に難くない。
「要は、それができるだけのマナを集めさせなければいい。何を画策していたとしても人手は減り、行動は遅れざるを得ないだろう。――アゲート、お前は奴らが設置していたリザーブプールを破壊していたな?」
以前スカーレットが言っていた『各地を渡り歩いている』もそれ絡みだろう。
当たりをつけて指摘したエルデュミオに、アゲートはこくりとうなずいた。
「ああ。分かっている限り壊してきた。だが向こうも知られていることは考えるはず。全てが処理できたとは思えない」
「だろうな」
実際、エルデュミオの元にそれを予想させる情報が入ってきている。
「神人の力とやらで探すことはできないのか?」
「マナの魔力化が進めばもっと広範囲、高精度の探査呪紋も使えるが、今は不可能だ」
出来るのならばとっくにやっているだろう。アゲートから返ってきたのは、予想通りの答えだった。
「使えない」
「色々、制約があるんだ。そうでなければ神々自身が世界を滅ぼしてしまいかねないから」
「一時の激情で世界が滅ぼされたら、そこに生きる者たちにとっても望ましくはないでしょう。ですので神とその眷族である
『も』ということは、神にとっても世界が失われるのは痛手なのだろう。ルーヴェンに対する敵意を見ても納得できる。
人間にとっては朗報だ。しかし気になる点もあった。
「激情で動くのか。神が」
「神にも感情はある」
「……そうか」
直接知る者から言われれば、うなずくしかない。しかし釈然としない気持ちがエルデュミオの中にわだかまった。
(何というか、こう……。人智の及ばぬ存在として、泰然と在ってほしかったような……)
思っていたより、俗っぽい。要は落胆したのだ。
信仰心など殆ど持ち合わせていないエルデュミオが抱くには、身勝手な感情だと言える。しかし浮かんでしまったものは仕方ない。
「その制約の関係で、俺たち神人は地上で活動するときはその世界に存在する生物と同じことしかできない。代わりに地上の生物に加護を与え、権能を委ねることができる。同時期に加護を与えられるのは何人神人がいようと世界に一人だけだが」
「そして権能の行使には当人の才覚とマナの魔力化が必要、か」
スカーレットはエルデュミオに時間遡行の呪紋さえ使えるようなことを言ったが、術式に触れてみたところ、そう簡単ではなさそうだ。
その権能を使えば、呪力が足りずに発動しない。あるいは生命の変換を以って補われて、死ぬ。そういうものもいくつもあった。
神の力は容易くない、ということだ。
「正直、俺としては事が起こってからしかもう対処がしようのない状態だが……。お前には考えがあるようだな?」
「事はすでに起こっているぞ。情報は行動の命だ。――僕の婚約者候補に会いに行く」
「……は?」
アゲートは、唖然とした声を上げる。
「……子孫を残すのはあらゆる生命が種の保存と繁栄のために行う本能……。だが、今か?」
「違う!」
エルデュミオが子孫繁栄に励んだとして、ルーヴェンの足止めにはまったく関係がない。
この数ヶ月エルデュミオに付いて回っていたスカーレットは、ストラフォードにおいても違和感のない社会常識を身に付けている。だが個人で動き回っていたアゲートは相当疎そうだ。
「『候補』だと言っただろ! 結婚もしていないのに、子孫繁栄に励んでたまるか! 僕は自分の価値を損なわせるつもりはないッ!」
不貞を働く人間は、男女問わず信頼されない。感情面で言うなら嫌厭される。
ましてエルデュミオは、生まれた瞬間から身分のある女性と結婚することが決まっていた身。その血を継ぐと名乗り出るような子どもが、ひょっこり現れるような隙を作ることなど許されない。
婚約者候補は、物心がつかないうちから大勢いた。しかし未だに婚約者すら決まっていない。
(要は、僕の価値が高すぎるんだ)
王族の血を引き、自身も金眼であるエルデュミオの子どもには、金眼の発現が期待できる。絶えさせてしまった国も、元々金眼の血筋がない国も、実利のためにも箔付けのためにも、喉から手が出るほどに欲しいだろう。
エルデュミオが大貴族イルケーア家唯一の直系であるため、国を出るのは考え難い。だというのに、破格の条件を付けて王婿に迎えたいという話は途絶えなかった。
次に多いのは王女が嫁いでくる話だ。こちらは第二子以降が生まれたら、妻の生国の王と養子縁組をして、そちらの王族として育てたいという条件が付いてくる。
(その場合、僕の妻となる姫は金眼の子どもが誕生するまで生み続けるよう命令されてるんだろうな。……うんざりだ)
立場のある身分で生まれた者として飲み込むつもりではいるが、嬉しくない気持ちは誤魔化せない。
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