第36話

(硬い……ッ)


 人間の体を斬る感触とは到底思えない。

 剣に触れる肉の手応えもおかしい。内側の器官が蠢いているのが伝わってくる。取り込まれそうな悪寒さえ覚えて、剣を引き抜きつつドライに体当たりをする。


 邪魔な刃物が抜け行くその先から、ドライの体の傷が塞がっていくのが感じられた。取り込もうとされていると思ったのは、それほど間違っていなかったようだ。ぐずぐずしていたら再生する肉に巻き込まれ、剣を捕らえてしまっただろう。


 ドライをうつ伏せに倒して背中に膝を乗せ、動きを封じる。それでもまだドライは自由な右手首を振り、袖口から飛び出した新たなナイフを手に納めた。


「この……!」

「いい加減、諦めるですよ!」


 エルデュミオが呪紋で弾き飛ばすより早く、戻ってきたリーゼが自分の短刀を使ってナイフの刃を砕く。


 そうしてもがき続けたドライの抵抗が、しばらくすると弱まってきた。体力が尽きてきたのもそうだろうが、何より、力そのものが弱くなった。そんな印象を受ける。

 ややあって、ドライもこれ以上は無意味と諦めたのだろう。大人しくなった。


「い、一応、生け捕りですね? 縛って手当てした方がいいです」


 エルデュミオが迷わず致死性の攻撃を仕掛けたことに対しては、リーゼもルティアも何も言わなかった。しかし生きている限りは生かそうとする。それも彼女たちの中では当然の行いなのだろう。


「必要ない」

「あるです!」

「そうではなく。こいつにもう傷がない」

「え!?」


 通常であればあり得ない。だが避けた服の切れ目から覗くドライの肌には、事実もう傷跡さえない。


「お前が斬った足も、すぐに治っただろう。どうやら異様な回復力があるようだ。が……」

「っ」


 低威力の風の呪紋を構築して、ドライの上腕に傷を付ける。皮膚が裂けて血の筋が流れ落ち、今度は治る様子を見せない。


「むしろ今は、身体機能が弱まっている気配さえある。あれだけのマナを取り込んだことを考えれば、生きている方が驚きだが……。体質の問題か、それとも……」


 どちらにしろ、せっかく生きて捕らえたのだ。その辺りの情報も得たいところだ。


「リーゼ、こいつを任せる」

「任されたです。でも、貴方はどうするです?」


 布量の多い使用人仕様のロングスカートを切り裂き、簡易の拘束具を作りつつのリーゼに、顎で対岸を示した。


「向こうがまだ終わっていない」


 ドライが敗れたのを見て取って、何人かはすぐに逃亡をしたようだ。だがまだ二人ほど足止めに成功している部隊がある。


「了解です」


 足を縛り終えたリーゼにドライの身柄を委ね、エルデュミオは対岸へと走る。

 途中マダラがいた場所へ目を向けてみたが、当然と言うべきか、彼の姿はすでに影も形もない。

 襲撃者の残る二人も自死を防いで捕縛に成功したことは、成果と言えよう。




 後始末を終え、エルデュミオたちが宿に戻って来られたのは陽が朱に染まってからだった。

 ドライ他二名は騎士が使っていた部屋を開け、三人別々に監禁してある。

 そうして部屋に戻って一息ついた頃、扉が控えめに叩かれた。


「ルティアです。少し話がしたいのですが」


 その名乗りに、エルデュミオは暗くなった窓の外を見てから溜め息をつき、扉を開ける。


「もの凄く追い返したいところだが、仕方ない。入れ」

「では、失礼しますね」


 未婚の男女が部屋を行き来していい時間ではない。たとえ使用人の名目でリーゼが共にいたとしても。

 迷った末に追い返さなかったのは、エルデュミオも必要を感じていたからだ。

 椅子を引いて二人に勧め、エルデュミオがテーブルを挟んだ対面に座ると、すぐにルティアが口を開く。


「今回の件、どう思いますか」

「邪神崇拝者も一枚岩ではないらしい、というぐらいしか分からん」


 マダラが矢の狙いを外したとは思っていない。彼はあの場の誰よりも、ドライの排除を優先したのだ。


「一昨日の昼間、僕はローグティアの根元でこれと同じ物を見た」


 ドライの武装を解除させたときに発見した記紋術具をテーブルに乗せ、エルデュミオは腕を組んでそれを見詰める。

 ひび割れ壊れていて、すでに道具としての用は成さない状態だ。


「これはローグティアのマナを吸い上げていたのと同じ物だ。これを持ったドライを攻撃したということは、マダラは別組織の人間だろう。僕たちは最低でも、二種類の相手と敵対していることになる」

「――……」


 記紋術具を見詰めるリーゼとルティアからの反応はない。二人とも沈黙して、難しい顔をしているだけだ。


「心当たりはないのか」

「……はい」

「です」


 微細な時間差はあれ、二人は揃ってうなずいた。


「フラマティア聖神殿を襲った魔物は、姿形が見知ったものでも、異様に強かったと言っていたな? その原因がこれじゃないのか」

「マナを取り込んで……。自身を強化していた、ということですか?」

「確かに、ドライは人間離れした力と速さの持ち主でした。そして大量のマナを取り込んでいたのも見たですね。否定する材料はないです」


 マナはすべての物質の源だ。それを強化に使うこと自体はおかしくない。実際、身体強化を行う呪紋はすでにある。


 だがドライが吸収したマナの量は、これまで人間が体内で呪力に変換し使って来た容量を、はるかに超えるものだった。

 しかし技術は進み続けるもの。そして実際ドライはその力を使って戦っていた。認める以外にない。


「裁炎の使徒が動いている以上、ストラフォードは無関係じゃない。早急な洗い出しが必要だ」


 裁炎の使徒を使って何かをしている誰かは、近い未来強化した魔物を使って聖神教会を襲うことが分かっている。

 二度目の時間軸である今、邪魔されることを考慮して手段や時期は変えるかもしれないが、害そうと狙っていることは確実だ。


 実際に裁炎の使徒が聖神教会にまで手を出したら、国内での暗殺がどうのというレベルではない。ストラフォードという国が、聖神教会に弓を引いたと見なされるのだ。下手をすれば、国がなくなる。


「ドライを捕らえられてよかったですね?」

「まったくだ。移送次第、追記読メモリーローグの呪紋が使える奴を呼び出すぞ。ドライにルティア暗殺を命じた者の正体を記憶から読み取る」


 本人の口から吐かせるより、余程信憑性の高い情報が得られる方法だ。何しろ記憶を読むので、嘘がない。

 便利であり有用であり――そして危険な術だ。そのせいかどうかはともかく、使い手は限られていた。

 才覚や適性としか呼べないものが必要なようで、一国に一人いればいい方だろう。


 金眼の持ち主であり、呪紋に対して不得手のないエルデュミオでも、習得はできなかった。しかし幸い、ストラフォードには使い手が二人いる。


「面倒な手続きは必要だが、ローグティアとストラフォードの存亡にかかわる件だ。反対もされ――」

「隊長! 緊急のご報告です!」


 ほぼノックと同時に張り上げられたレイナードの声に、エルデュミオたちは揃って一旦、口を閉じる。それから立ち上がって扉を開き、すぐに応じた。


「どうした」

「ドライ以下三名が、死亡しました」


 今後の予定をすべて白紙にする報告が、強張った表情のレイナードからもたらされた。


「どういうことだ。説明しろ」

「はッ。先刻突然部屋の中で苦しみ出し、数十秒とせず動かなくなり、その後死亡を確認しました。手を施す間さえなく……」

「……そうか」


 エルデュミオの脳裏に、ドライを拘束したときの感覚が過る。


(確かにあのとき、ドライの身体活動が弱まっているように感じられた)


 要はやはり、あのマナの取り込み方は人体には耐えられないものだったのだろう。

 ドライが自らの命を投げ打って任務に当たったはずもないので、彼女は使い捨てにされたということになる。それこそ、憤っていた通りに。


「ご苦労。遺体であっても王都には搬送して調査する。処置をしておけ。すぐに僕も行く」

「承知しました」


 エルデュミオに敬礼をして、レイナードはすぐにドライたちの元へ引き返して行った。


「……ルティア。分かっているな」

「はい。王となり、裁炎の使徒への命令権を得ます。必ず!」


 ――情報を得るためにも、それしかない。

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