第15話

「スカーレット、お前も今日は下がっていい」

「承知いたしました。それでは、ご用ができましたらお呼びください」

「ああ」

「失礼いたします」


 スカーレットの退出を見届けてから、エルデュミオは息をつく。

 正直に言って、時間を持て余している。だがすぐに就寝しよう、という気にもならない。


(本の一冊でも持ってくればよかったか)


 そうは思っても、手元にない物が出てくるはずもない。

 特にやることも思い付かず、エルデュミオがぼんやりと時間を潰していると、窓の外に変化が起こった。

 黒い外套を身に纏った人物が一人、道を歩いて行くのが見えたのだ。

 当人は夜陰に乗じて身を隠しているつもりだろうが、他に出歩く者のいない夜の道では、存在するだけで目立つ。


(向こうは……領主館の方向だが)


 そして進行方向には、ローグティアの丘がある。

 もちろん、そちらにあるのはローグティアの丘だけではない。他の場所に用があることも充分あり得た。


(……杞憂ならばそれでいい)


 だが昼間、ローグティアの樹に悪い刺激を与えないようにと決めたばかりである。エルデュミオは立ち上がり、部屋を出た。

 そのまま、遠慮なくスカーレットが使っている部屋の扉を叩く。


「スカーレット。出て来い。出掛けるぞ」


 声を掛ければ、反応がすぐに返って来た。一日の職務から解放されたと思えないほど、スカーレットの身形は整ったままだ。


「承知いたしました。どちらへ?」

「ローグティアの樹までだ」




 エルデュミオが抱いた不安は、残念ながら的中した。

 丘の麓に差し掛かった時点で一目瞭然。昨今訪れる者が少なかったはずの場所だというのに、複数人によって踏みつけられた跡が地面に残っている。

 そして丘の上には、青白い人工的な光が見えた。人の心に不安感を掻き立てる、冷ややかな光だ。


(あれは……魔力か)


 直感的に確信をする。

 だが――なぜだろうか。その妖しくも冷ややかで魔的な光に、酷く惹きつけられる自分もいる。


「魔術の火とは。珍しいものを見ましたね」

「帝国時代に禁術となってから、ずっとそのままだからな。僕も見るのは初めてだ」

「私もです」


 魔術は、世を滅ぼす魔王に連なる力。好き好んで使うのは、破滅願望を持つ邪神信者だけだろう。


「しかし、奇妙な話だと思いませんか、エルデュミオ様」

「何をだ?」

「なぜ未だに、魔術が禁忌であるのか」

「聖神教会の連中が聞いたら、うるさくなりそうな話だな」


 熱心な者もいれば、エルデュミオのように然程興味を持っていない者もいるが、大陸に暮らすほぼ全員がフラマティア聖神教会の信徒である。

 世界を、人々を守護し導く聖神に対し、魔を従える邪神は絶対なる敵。帝国建国の際に聖神の加護を持って人々が邪神の軍勢を打ち払い、世界に平和が訪れたのだとされている。


「エルデュミオ様ならば、ご理解いただけるでしょう。歴史など勝者が都合よく書き記すものに過ぎません。善も、悪も同様に」

「それで?」

「帝国にとって魔術が都合の悪いものであったのは確かかと。ですが帝国が滅びた今も前身に倣い、魔術を否定し続けている。己で考えることも、選ぶこともせずに。それが奇妙だと思うのです」

「……」


 力は所詮そこにあるだけの『力』でしかない。そこに意思はないのだから、使われるもの、あるだけの存在だ。

 帝国にとって都合が悪かったからといって、ストラフォードにも同じとは限らない。むしろ他国に先んじて研究を始めれば、未知の力を手にできる可能性が高い。

 スカーレットの囁きは、エルデュミオにとって多分に魅力的な部分を含んでいる。


「そもそも聖神や邪神の神話が人々に普及したのは、帝国時代の話です。滅びた帝国の都合で封じられてきた力が、真に邪悪かどうかなど定かではありません」


 敵対者の崇める神を邪悪だと貶めるのは、為政者が侵略時によくやることでもある。


「話として面白くないとまでは言わないが、事実魔力を力の源にする魔物は害獣だろう」

「どうでしょうか? もし人々が魔力に近ければ、害獣ではなく益獣となるかもしれません」

「……ふむ」


 それこそ、さきほど曖昧に思い浮かべた未知の力の具現と言っていい。他国のどこも、そんな技術は持ち合わせていまい。


(魔物を従えるなど、それこそ魔王の所業。だが聖神だ邪神だの括りも、当時の帝国が都合のよい方を崇めたに過ぎない。それこそ、勝者が全てを決めたのだろうしな)


 魔力に寄れば、いっそ邪神が加護を与えてくれるのだろうか。その場合、魔力に依存した者にとっては邪神ではなくなることだろう。


「神の話はともかくとして……。魔物を益獣にできるかもしれない、というのは面白いな。それにどうやら、僕は魔力がそう嫌いではなさそうだ」


 妖しくも美しい魔の光。それを不気味というだけではなく肯定的な感覚を持ったということは、そういうことなのだろう。


「だがそれも、一段落着いてからだ。頂上まで行くぞ」

「はい」


 隠密の真似をしたところで、自然の草が一面を覆うこの場所では無意味だ。エルデュミオに音を殺して歩くような技術はない。

 いっそ開き直って、堂々と進む。貴族の矜持としても、そちらの方が正しい。


「――そこで、止まれ」


 坂が終わりほぼ平地となったところで、そう声が掛けられた。どことなく呆れが含まっている気配がする。

 魔力の明かりのおかげで、光量は充分。状況を把握するのにも苦はなかった。地に伏した十人近くの集団の中、一人だけ立っている人物がいるのが見て取れる。


 エルデュミオに声を掛けてきたのは、青、赤、緑がまだらに混ざった奇妙な髪色をした、浅黒い肌の男だった。前髪の影になって、瞳の色は判別できない。

 ひとまず相手の指示通り、足を止める。無視をしなかったのは、背後で目を虚ろにしながら、民間人らしき女性に刃物を突き付けている人物がいたからだ。


 フード付きの黒い外套で全身を覆っているが、そこから覗く手足に見える衣服は上質なもの。相応の豊かさを感じられる。

 そしてその出で立ちは、領主館の方角から歩いて行った人物と一致していた。

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