15.断言する理由<9月21日>

 憂鬱だ。こうも気分が晴れないのは鷺山のせいだ。肝試し中止になったものの彼は宣言通り帰ってしまって連絡はない。

 縮まったと思った距離が急に開いたことでもやもやとした気持ちが渦巻いている。えこちゃんを鷺山が知っていることも、気になってたまらない。

 事件発生日が明日に迫るという不安、焦燥感。たくさんの疑問。おかげさまでなかなか寝付けなかった。肌の調子もよろしくない。食欲もあまりない。

 あんな別れ方をしたのだから今日は守り隊も休むのかもしれないと覚悟していたけれど、翌日の集合時間きっちりに鷺山は現れた。

「昨日はご迷惑をおかけしました」

 私や藤野さんたちに向けて頭を下げる鷺山は、よく知っている表情だった。昨日の姿は影を潜めている。

「心配したよー。もう大丈夫?」

「はい。ゆっくり休んだので」

 確かに顔色は元に戻っている。それでも訝しんでいると、ハナ先生がやってきた。

 昨日は、鷺山が帰ってしまったので私たちの口からハナ先生に報告した。肝試しのことは伏せて、具合が悪くなったとだけ伝えたのだ。先生も心配していたのだろう、その顔を覗きこんで言う。

「昨日はどうしたんだい? 体調悪いなら無理しなくていいんだよ」

「いえ。すっかり良くなったので。昨日は申し訳ありませんでした」

「治ったならいいけど……今度から具合が悪くなったら相談してよ。こっちも心配になるからさ」

「はい」

 鷺山は淡々と答えて、守り隊テントのパイプ椅子に腰掛けた。具合が悪いからというより通常営業として腰掛けているように見える。

 気まずさはありながらも、隣に座って様子を窺う。鷺山は守り隊の行動スケジュールを書いたプリントを確認していた。視線はプリントに残したまま、唇が動く。

「香澄さん。今日の休憩時間は予定ありますか?」

「ないよ」

「じゃあ。一緒にお祭りを回りませんか?」

「うん。じゃあ藤野さんたちにも声をかけ――」

 私だけでなく、他の三人も誘うのだと解釈していた。けれど鷺山が遮る。

「違います」

「え?」

「香澄さんと二人で、お祭りに行きたいです」

 二人で。その言葉に恥じらいが生じて、私は俯いた。

 でも誰かと一緒にお祭りを見るのだとしたら、相手は鷺山がいい。藤野さんや古手川さんとも親しくなったけれど、彼は別格だ。隣にいると妙な安心感があって、例え無言でも息苦しくならない。

「……うん。わかった」

「あと明日のこと、覚えてますか?」

 明日のことというのは、いつぞや私がポスターを破ってしまったお詫びとして決まったデートのことだ。二十二日は事件が起きる日だけれど、デートがあると思えば楽しみな気持ちもある。待ち遠しいような嫌なような複雑な気持ちだ。

「覚えてる。どこに行く?」

「行き先は、僕が決めてもいいですか?」

「いいよ。鷺山の好きなところに行こう」

「じゃあ決まりです。休憩時間もよろしくお願いします」

 抑揚は少なめで早口に語るものだから業務連絡みたいだ。デートの約束ってこんなに淡泊なのだろうか。前例がないのでさっぱりわからない。

 その話がまとまったところで三人がやってきた。

「ねー、鬼塚さん。今日の休憩時間って用事ある?」

 鷺山との会話が聞こえていたのかと疑うほどタイムリーな質問だった。鷺山は二人がいいと言っていたのだから断らないと。私が「ごめん」と言いかけるより早く、鷺山が言った。

「香澄さんは、先約があるので無理です」

「は?」

 藤野さんは目をぱちぱちと瞬かせて、私と鷺山を交互に見ていた。

 そりゃ私に声をかけたのに鷺山が答えるのだから驚くのも無理はない。何かを察したらしい古手川さんが「仕方ないね」と穏やかに頷き、篠原はなぜかがっくりとうなだれていた。

「はあ……鷺山ってすげーな。行動力ありすぎ。俺、お前を尊敬するわ……」

「何がすごいのかわかりません」

 鷺山はぴんときていない様子だった。篠原はちらりと藤野さんの方を見ていたけれど、その視線にどういう意図があるのかは私にもわからない。

「んー。まあいいけど……あ、連絡先交換しようよ」

 休憩時間の誘いを諦めた藤野さんがスマートフォンを取り出す。

「うち、鬼塚さんと鷺山の連絡先知らないからさー。守り隊をきっかけに仲良くしよ」

「あ、私も! 鬼塚さんの連絡先知りたかったの」

 こうしてそれぞれの連絡先交換が始まった。私と三人のスマートフォンが長机に並ぶ。

 一台足りないと見やれば、鷺山はぽかんとして長机を眺めていた。

「鷺山は? スマートフォン忘れたとか?」

「いえ。持ってきていますが……交換する必要があるのかと考えていました」

 言い終えた後に「あと一日なので」と密やかな呟きを残して、鷺山は動かなかった。

 場に水を差すような発言だったが、篠原はぐいと長机に身を乗り出して鷺山に迫った。

「いやいや。俺が鷺山と話したいんだって」

「篠原くんが僕に用事あるとは思えないのですが」

「男の相談だよ、男の相談! わかるだろ!?」

「いえ。僕は男性に興味ないので」

 篠原が哀れになるほど振られまくりだ。相手が鷺山という斜め上思考のくせに直球しか投げない男だからたちが悪い。古手川さんと藤野さんも笑いを堪えている。

「あー、もういい。鷺山、スマホ出して」

「はい」

 言われるがまま、鷺山はスマートフォンを取り出した。連絡先交換を受け入れたのではなく、出せと言われたから取り出したのだろう。

 篠原は「スマホ借りるから」と短く言って、鷺山のスマートフォンを操作する。あっという間に二人の連絡先交換が終わった。

「あ、私も」

 私も鷺山の連絡先を知らない。今のうちにと私も鷺山のスマホを借りて登録する。

 私が終われば次は藤野さん、古手川さんと続く。鷺山は喜ぶことも驚くこともなくそれを眺めているだけだった。


 休憩時間に入って、私と鷺山はテントを出た。お祭りを回ると言っていたけれど、守り隊のゴミ拾いや見回りで旧道を何周も歩いたので、屋台の位置はだいたい覚えている。たこ焼きを買うなら入り口近くの店、チョコバナナを買うなら出口から数えて二番目にあるお店が美味しそうだと思った。

 まずは月鳴神社から離れるように、旧道出口方面へと歩いていく。日が沈んで提灯の明かりが眩しい。振り返れば旧道の流れを示すように点々と赤い光が点いている。明るいというよりはどこか切ないお祭りの明かりだ。

「気になる店ありますか?」

「んー……」

 ハナ先生が全員分の焼きそばを差し入れてくれたので、そこまでお腹が減っていない。軽くつまむ程度なら食べられるけど、他のものがいい。例えば記念に残るようなものを買うとか。

「鷺山は? お祭りで何の屋台が好き?」

「特にないですね」

「射的とか得意そう」

 鷺山なら動き回る金魚を狙うよりも、止まっている的を冷静に狙う方が得意だろうと思った。しかし鷺山の反応は渋い。

「やったことがないので、わかりません」

「ないの?」

「幼い頃はお祭りに来たことがありました。射的をやりたいと強請ったら『ライフルが重たいから大きくなったらいいね』と言われて、そのままです」

 そう話す鷺山は私よりも背が高い。銃ぐらい余裕で持てると思うけれど。違和感を抱いていると、付け加えるように鷺山が言った。

「大きくなった頃には、お祭りに来ることがなくなったので」

「あー、なるほど。複雑な家庭環境」

「察して頂いて助かります。なのでお祭りに来るのは幼い頃以来ですね」

 となれば。やってみるしかあるまい。この先に射的の屋台があったはずだ。目的地を決めると私は鷺山の袖を掴んだ。

「じゃ、行こう。今日やってみよう」

「……あまり気が乗りませんが」

「いいから」

 不満げな鷺山を引っ張って歩くと、すぐに屋台が見えてきた。

 幸いそこまで混んでいないので、射的用のライフルも空いている。屋台のおじさんにお金を払ってコルク玉を五発もらい、鷺山に渡した。

「この小さい玉で、あの大きな人形を落とせるんですか」

「大物を狙わなくてもいいから。小さい景品でもいいよ」

 射的をやるのが初めてと言っていたのは本当だったようで、玉を詰める動きもぎこちない。軽くしか押しこまない様子を見かねて手助けに入った。確かきっちりと詰めないと勢いが増さないはず。コルクを強く押しこみながら鷺山に聞く。

「賭けようよ。景品どれか取れたら、明日生きてるってことで」

「そういうのはよくないと思います」

「いいじゃん。本気で遊ぶための理由になるでしょ」

 渋々ながらも鷺山は頷いた。

「……正直、難しいです」

「取りやすいやつでいいから」

「取りやすいもの……取りやすいやつ……」

 ぶつぶつと呟き、視線が景品棚を泳ぐ。端から端へと眺め、ついに鷺山がライフルを構えた。

 ぱん、と乾いた音がする。放たれた玉は小さいテディベアをかすめて落ちていった。

 取りやすいもの、と言ったのに。小さいとはいえあの人形は難しそうだ。それなら隣のキャラメルの箱の方が落ちやすそうだ。

 再び鷺山がライフルを構える。一発目で照準のずれを把握したのか、二発目はきっちりテディベアの足に当てた。けれど少し後ろに下がっただけで、人形が落ちてくることはない。

「難しいですね」

 ぼそりと呟いて、三発目。今度も当たったけれど、人形は落ちない。少しずつ後ろに下がっているが残る玉は二発。

 コツを掴んできたのか玉を詰めるのも上手になった。銃口にしっかり詰めてから、四発目。

 乾いた音と引き金を引いた反動で揺れる体。四発目の玉が景品棚に落ちていくのを確認して、鷺山は息をついた。

「……無理です」

 残り一発を残しての白旗だ。テディベアはずれただけで、落ちることはなかった。

「まだ一発あるよ」

「いえ。僕では無理だと思います。だから――香澄さんが」

「他力本願じゃん」

「違いますよ。託しているだけです」

 言い方を変えても降伏宣言に変わりはない。頑なにライフルを差し出してくるから渋々受け取った。でも私だって射的が得意なわけじゃない。

 けれど『景品が取れたら明日は生きてる』なんて余計なことを言ってしまったから、受け取らないわけにはいかない。鷺山が諦めてしまったのなら、私が落とす。

 ライフルを受け取って最後の玉を詰める。簡単に取るのならお菓子の箱を狙えばいい。箱の上部、左右の角を狙うと落ちやすいと聞いたことがある。四発もテディベアを狙った鷺山には申し訳ないが、キャラメルの箱ならたぶん一発でいける。

 構えて、照準を合わせる。キャラメルの箱。そう決めたけれど、テディベアが気になった。少しずつ、微々たるものかもしれないけれど動かしたのだ。あと一発撃ちこめば、落ちるかもしれない。

 迷いは断ち切れず、照準にテディベアに合わせた。

 そして、トリガーを引く。

 はじき出されたコルク玉がテディベアの頭部に当たる。狙いよりも少し上になった、けれど。

 ぐらりと大きく後ろに傾き、そして――

「あ、落ちた」

 こんな綺麗に落とせると思っていなかったから、間抜けな声が出た。

 景品棚からテディベアの姿はなくなり、棚の下に落ちていく。

「見て。取れた。取れたよ」

「まさか取れるとは」

「頑張れば出来るってこと」

「悔しいですがそうかもしれません」

 呆然としていた反応を見るに、私にライフルを託したくせに景品が取れるとは想像していなかったのだろう。意表を突く結果が誇らしくて、私はにやりと笑う。

「はい。これ、景品ね」

 射的屋のおじさんが青いテディベアの人形を持ってきた。

 奇跡のように落ちたテディベアは、間近に見るとストラップだった。スマートフォンにつけたら煩わしそうなのでカバンがいいのかもしれない。その景品を受け取り、鷺山に渡す。

「はい。鷺山の」

「香澄さんが落としたのに、僕がもらっていいんですか」

「何度も当てて位置をずらしてくれたから、私が落とせた。この結果になるよう積み上げたのは鷺山でしょ」

「ですが……」

「明日生きるって願掛けしてあるんだから、私よりあんたが持つべき」

 男が持つにしては随分と可愛らしいテディベアだけれど、鷺山はぎゅっとそれを握りしめた。

「ありがとうございます。大事にします」

 こういう時ぐらい微笑んだりすればいいのに、その反応はあっさりとしていた。

 射的の屋台を出て、今度は月鳴神社方面へと向かう。途中でジュースを買った。うさぎの形をしたプラスチック容器に入っていて、底のボタンを押すと光る。ストラップがついているので首から提げれるし、ストローがあるので飲みやすい。

 私はいちごジュースで、鷺山はブルーハワイ味のジュースだ。私たちの首から赤いうさぎと青いうさぎがいる。仏頂面で歩く鷺山に可愛い顔をしたうさぎはあまり似合っていないけれど。

「ねえ、あれ似合いそう」

 視界に入ったお面を指で示す。流行りのキャラクターお面の他に、狐面やうさぎのお面もあった。たぶんうさぎのお面は、この地域名にうさぎが入るからだと思う。狐のお面に似て細目で赤く、耳が長く延びていなかったらうさぎだとわからなかったかもしれない。

 その中でも心惹かれたのは、赤い面に白い三日月の紋様が入ったものだった。その隣には白い面に赤い三日月が描かれたものもある。鷺山には白いのが似合うと思った。

「買おう」

 即決する私だったが鷺山の反応は薄い。

「必要ですか、あれ」

「いいじゃん。記念になるよ」

「前が見づらくなると思いますが」

 気乗りはしない様子だけど無視して鷺山を引っ張っていく。お面よりもその長い前髪の方が視界に影響を与えそうだけど――そこでふと思い出した。

「いいこと考えた」

 うさぎのお面を二つ、色違いで買ってから屋台の端に行く。人通りを避けたところで私は鷺山に向き合った。

「目、瞑ってて」

「何するんですか」

「いいから」

 訳わからず目を瞑った鷺山の額に手を伸ばす。長い前髪を持ち上げ、ポケットから取り出したヘアピンで留める。隠されていた額が露わになった。

 守り隊の作業中に髪が煩わしくなった留めようと持ち歩いていたものだった。それがこんな形で役に立つとは。

 前髪を留め終えて、お面をかぶせる。視界を遮らぬよう斜めにかけた。ついでにぼさぼさの髪も直しておく。

「できたよ」

 ゆっくりと鷺山の瞼が持ち上がった。やっぱり綺麗な瞳だ。

「見やすい、ですね」

「うん。似合う。前髪上げた方が格好いいよ」

 素直に感想を伝えると鷺山はそっぽを向いた。そしてぼそぼそと喋る。

「……ありがとうございます」

 私もおそろいのお面をつける。鷺山は白で、私が赤。ただのプラスチックで出来たお面だとわかっているのに、同じものをつけている共通点が宝物のように感じた。

 私たちの前を浴衣姿の女性が通り過ぎる。鷺山はそれを目で追っていた。

「浴衣、ですね」

 その女性が人混みに消えてから視線は私へと移る。

「浴衣が好きなの?」

「特に好きというわけではありませんが、香澄さんが着ているところは見たかったです」

「言えばよかったのに」

「今日は守り隊があるじゃないですか」

 再び私たちは歩き出す。鷺山は少し残念そうな物言いをしていた。

 確かに今日は浴衣を着ることができなかった。ハナ先生も動きやすい服で来るようにと言っていたからその発想がなかった。そもそも家に浴衣なんてものがあるのかもわからない。友達と縁日を回るなんて小学校低学年以来の出来事だから。

「生きていれば、また着る機会あるよ」

 けれど鷺山は答えなかった。ちらりと盗み見た横顔は、明日で終わるのだと諦めているように感じて、私は言葉を続ける。

「やれることはやったと思う。ポスターだけ……かもしれないけど」

「そうですね。ポスターぐらいです」

「でも私は信じる。きっと死なない未来になる。藤野さんの家に泥棒も入らない。明後日、私たちは普通通りに学校で会う」

 屋台の波は途切れ途切れになって、遠くに月鳴神社の階段が見えてくる。階段には参拝客のほか、階段に座りこんで休んでいる人もいた。人の流れに合わせて、私たちの行き先は神社になっていた。

「明日、僕は必ず死ぬと思います」

 感情の見えない抑揚のない声だ。

「どうして『必ず』って言えるの?」

 そう聞くと、鷺山は再び口を閉ざした。

 無言で階段を上る。先ほどまで歩幅を合わせてくれていたのに急に早足になって、私の前を行く。置いて行かれないよう、早足で階段を上った。

 彼が足を止めたのは境内の奥だった。それは、私と鷺山が初めて会った場所。

 あの日、初めて声をかけられ、二人で予知を見た。あの瞬間から始まったのだと思う。

 見渡しても何もない。立ち入り禁止のテープとカラーコーンがある。その向こうにある斜面は真っ暗で、近づいたらまた落ちてしまいそうだ。

 お祭りの喧騒は遠くに離れて、ここは静かだから心地よい。

「……僕は明日、必ず死ぬのだと、信じています」

 鷺山は私と向き合って、再び告げた。

「先ほど、香澄さんはどうして断言できるのかと聞いていましたが、それには理由があります」

 ごくりと息を呑んだのは私で、鷺山は詰めていた苦しみを解くように息を吐く。静かで薄暗い場所に私たちしかいないから少しの動作もわかりやすくて、緊張感が増していく。

「僕は、ここで予知を見るのが二度目なんです」

「二度目って……」

「一度目は僕が小学生の頃です。月鳴神社にお参りにきて、未来を視ました」

「それは……どんな未来、だったの……」

「交通事故です」

 苦しそうに顔を歪め、その手が強く握りしめられているのだと伝わってくる。鷺山にとって思い出したくない嫌な話なのだと悟った。

「僕たちが視たものと同じように、二つの未来が提示されました。それが予知だと気づかなかったので、軽い気持ちで未来を選んでしまいました」

「鷺山が生きる方の未来を選んだってこと?」

「はい。僕が生き残りました――信じてもらえなくても構いません」

 予知を視るのは二度目というのは、嘘ではないと思う。これが本当なら鷺山に対して抱いていた疑問が解消される。

「信じるよ。例大祭の予知の時、冷静に周りを見ていたでしょ。私はパニックだったけど鷺山は妙に落ち着いていたから不思議だった。でも二回目だからだってわかったら、冷静でいられたこと納得できる」

「香澄さんと予知を視た時は、自分でも驚くほど落ち着いていたと思います」

 ここからは遠い、お祭りの明かりに視線を移す。

「あなたが一緒だったので、絶対に助けると誓いました。だから自分に出来る限りのことをする。そのために情報を集めようと必死でした」

「それって……やっぱり、私のことが好き、だから?」

「はい」

 照れも恥じらいもなく、鷺山は即答して頷いた。

「好きな人を生かす。そのために僕は生き残っていたんだと気づきました」

 手が、こちらに向けられる。穏やかに細めた瞳に、私が映っていた。

「手を、繋ぎたいです」

「……うん」

「僕が明日死んでしまう前に、香澄さんと手を繋ぎたいです」

 私はためらいなくその手を掴んだ。

 もしも鷺山が明日死なないとしても、私は彼と手を繋ぎたいと思った。嫌なんかじゃなかった。そのことを伝えても鷺山は喜びはしないのだろう。彼の瞳は、最初から今日まで諦めだけを映しているから。

 境内の奥を出て、旧道へと向かう。

「……香澄さん、ごめんなさい」

 人混みを歩く中、彼が呟いた。

「僕が、幽霊を作ってしまったんです。あなたを苦しませた幽霊は、僕が作りました」

 言葉の真意を問うことはできなかった。繋いだ指先はじわりと熱いくせに震えているから、鷺山はまだ苦しんでいるのだと思った。

 私たちの時間が減っていく。二十四時間も残っていない。

 それが嫌で、嫌で、たまらない。

 生きていてほしい。鷺山ともっと一緒にいたい。

 気を抜けばその言葉が溢れてしまいそうだ。それを聞いても鷺山は悲しそうにするのだろう。彼は、死を受け入れているから。


 守り隊の活動は終わった。最後はハナ先生と町内会の人たちから労いの言葉をもらって慌ただしい二日間が幕を下ろした。

 守り隊が解散しても、例大祭はまだ続く。私と鷺山にとって大事な日は明日だ。

 明日は鷺山と出かける予定だ。デートに着ていくのは一番お気に入りの服にした。とっくに用意してあるから寝る支度をするだけなのに、お祭りの熱気が抜けていなくて体が重たい。

 ベッドにもたれかかっていると、スマートフォンが光った。無視したいほど疲れていたけれど手を伸ばす。液晶には篠原の名が表示されていた。

『明日の夜、守り隊で打ち上げ会しようって話あるんだけど』

「打ち上げ会ってなに」

『みんなでお祭り回ろうぜ』

 誘ってくれた篠原には申し訳ないが興味をそそられない。

 壁に飾ったうさぎのお面を見る。お祭りなら鷺山と回ってしまったから。二人でおそろいのお面をつけた時の高揚感を超えることは、たぶんない。

 既読はつけたけれど返事に悩んだ。その間に、篠原からメッセージが届く。

『当日参加でもいいから考えといて』

 話は終わりだ、とスマートフォンを手放そうとした時。再び画面が光った。

『で。本題なんだけど』

「なに」

『前に鷺山の話したじゃん? 同じ小学校にいたかもってやつ。それで今日思い出したことあって』

 それなら違うという結論が出ていたはず。同じ小学校なら教えてくれていたはずだ。どういうことかと画面を睨みつける。自然と、眉間に力がこもった。

『あいつ、やっぱり同じ小学校だよ。でも名字が違う』

 スマートフォンを持つ手が震えた。無機質な文字が、怖く思えて。

 次のメッセージが届くまでの間が異様に長く思えた。きっと数秒だろうに、待ち遠しくてたまらなかった。

 画面が、光る。新着メッセージは短かった。

『江古田って名字だった』

 江古田えこだ 悠人ゆうと

 のぼせていた頭が、さっと冷えていく。体中の血が抜けていく錯覚がする。

 その名前を聞いても同じ小学校に鷺山が通っていたことは思い出せなかったけれど、別の顔が浮かんでいた。

 記憶にある、黒髪おさげの子。飼育小屋で出会った、私の友達。

『わたしはね、えこだ ゆめっていうの』

『なんて呼んだらいい?』

『えこちゃんって呼んで』

 蘇る昔の記憶。幽霊と語られた子の、名前。

 酸素が足りなくて、息が苦しい。どうして忘れていた。こんな大事なこと。

 鷺山の名前。複雑な家庭環境。ぜんぶ、繋がっていたのに。

 立ち上がろうとしたけれどうまくできずに膝をついた。足の力が入らない。絨毯に落ちる沁みから、自分が泣いているのだと気づいた。

 なぜ教えてくれなかったのだろう。えこちゃんのこと。鷺山の名字。同じ小学校だったこと。

 頭の中がどうしてでいっぱいだ。一人で考えたって解決できないから苦しくてたまらない。

 今はただ、鷺山に会いたかった。

 顔を合わせてもどうやって話を切り出せばいいのか浮かばない。もしかしたら何も言えないかもしれない。私は泣き出してしまうかもしれない。

 でも、今は、鷺山に会いたい。苦しいけど。会いたい。

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