13.『彼女』の名前<9月19日>

 四連休が始まるも今日の予定はなく、私は部屋でだらけていた。ここ数日ポスターのことで慌ただしかったので疲れていて、何もする気がない。

 時計を見ればまだ午前中。今頃、鷺山は実家に向かっているのだろうか。その日のうちに帰ると言っていたけれど、彼が一人暮らしをしている裏に隠されていた複雑な家庭環境を知って心配になる。連絡先を交換していればよかったと考えても今さら遅い。

「……変なやつ」

 その姿を頭に思い浮かべて独りごちる。枕に顔を埋めれば、シャンプーの香りに包まれた。

 鷺山は、変だ。それは間違いなく。

 こっそり私のことを観察していて、しかも本人も認めている。私と鷺山が顔を合わせたのは初めてなのに告白してきた。私が他人を寄せ付けないようにしているのを知った上で好きだと言う。自分で言うのもおかしいけれど、私のどこに好きになる要素があるのかわからない。

 ネーミングセンスはおかしいし、前髪は長いし、スタイルの良さをぶち壊す猫背っぷり。社交的と本人は言うけれど周りの評価は真逆。感情を表にあまり出さなくて、冗談が苦手。でも冷静に周囲を見ている。観察力があるんだ、あいつ。

 知り合ってから今日までを思い返して苦笑した。これらの要素をまとめれば変人という言葉がしっくりくる。

 でも――鷺山に生きてほしいと、今は思う。

 うさぎのゲンちゃんだって寂しがる。救急救命士になる夢だってある。鷺山の未来が失われることは、嫌だ。

「二十二日までに出来ること、他にないかな」

 だらけている自分が情けなくなって起き上がる。私にできることはまだあるかもしれない。

 ノートを手に取り、これまでしたことや当日起きることをまとめていく。些細な出来事でもいいから、未来が変わるきっかけを掴めるように。

 そこで肝試しのことを思い出した。あれは未来には関係のないものだけれど、明日行われる一年生主催の肝試しは嫌な気持ちになる。くだらない幽霊話を信じて飼育小屋付近を踏み荒らすことは許せなかった。

 出来ることなら止めたい。今までの私なら、説明しても誰が信じてくれるものかと諦めていたと思う。でも今は違う。

 『僕は香澄さんを信じます。幽霊はいません。でも幽霊を作ることはできる』

 初めて、私の話を信じてくれた人。鷺山がいたから、いまの私にはたくさんの人がいる。藤野さんに古手川さん、篠原といった仲間たち。

 私が、みんなを頼ったら。みんなと一緒ならできると信じたのなら。肝試しを阻止できるだろうか。

 考えて、考えて。頭を使えば眠くなる。机に突っ伏して目を閉じた。


 頭がぼんやりとする。

 ここは兎ヶ丘小学校の飼育小屋で、私は昔と同じようにうさぎたちの世話をしている。もう閉鎖された場所だから、私は夢を見ているのだと直感した。

「こんにちは」

 誰かに声をかけられて振り返る。そこにいたのは黒髪おさげと白い肌の特徴的の『彼女』だった。大きな瞳がじっと私を捉えて、穏やかに細められる。

「なにしてるの?」

「飼育委員だから、小屋の掃除してるの」

「ふうん。ねえ、撫でてもいい?」

 私は頷いて、金網の扉を開けた。彼女は鈴を転がすような透き通った声で「ありがとう」とお礼を告げて、こちらに入りこむ。

 飼育小屋の庭には三匹のうさぎたちが出ていた。その中でも彼女が気に入ったのは白とブルーグレーのマーブル模様のうさぎだった。

「この子のなまえは?」

「ユメだよ」

「ユメ! わあ、うれしい!」

 彼女のように、昼休みや放課後に飼育小屋を訪れてうさぎを撫でにくる子はいる。ユメも撫でられることに慣れていて、嬉しそうに体を平たく伸ばしていた。

 他のうさぎたちも撫でていたけれど彼女のお気に入りはユメだった。何やら楽しそうに話しかけている。

「うさぎ好きなの?」

「うん。こういうの、本でしかみたことなかったから」

「本だけ? 学校は?」

「行っちゃだめだったの」

「ふうん」

「でもね。これからはお外でたくさん遊べるよって言ってた。だからこれからもここにきていい?」

「いいよ」

 放課後なら飼育小屋に飼育委員や先生がいるから、誰かが彼女のために扉を開けてくれるだろう。そう思って言ったのだ。

 けれど彼女の目的はユメだけでなはなかったらしい。ユメを撫でていた手が今度は私の手に触れる。握手だ。

 しっかりと、感触がある。温かい。生きている。

「うれしい。あなたと友達になりたいから、お名前教えて」

「鬼塚香澄だよ」

「うん! 香澄ちゃんだね」

 当時の私は、クラスに友達がいた。人を遠ざけることはしていなかった。その友達が一人増えることが嬉しくて、私は彼女の名前を聞いていた。

「なんて呼んだらいい?」

「わたしはね――」

 唇が動く。少し顔色の悪い肌でぽってりと浮いた紅色の唇が、名を紡いだ。

「えこちゃんって呼んで」


 そこで目が覚めた。机に突っ伏してうたた寝していたらしく、額は汗をかきノートが張り付いている。呼吸が少し荒いのは、夢のせいだ。目が覚めても、頭に焼き付いたかのように消えてくれない。

 彼女の名前なんて大切なことを、どうして忘れていたのだろう。夢は記憶の整理だと聞いたことがあるけれど、それが大事なものを思い出せてくれた。

 兎ヶ丘小学校の幽霊と噂される存在。幽霊として作られてしまった子で、私の友達。

「えこちゃん。そう、えこちゃんだった」

 彼女の名前はえこちゃん。

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