11.不器用な生存証明<9月17日>

 ついに守り隊打ち合わせの日がやってきた。今日はポスターの提出と、お祭り当日の動きを確認するらしい。

 私たちは三枚のポスターを作り終えていた。あとはハナ先生や他のメンバーに見てもらい、掲示する三枚を選ぶことになる。

「じゃ、一年生から黒板に貼りだしていこうか」

 教卓に立つハナ先生が言うと、一年生たちが立ち上がる。その中には先日私と言い争った子もいた。気まずいので視線を合わせないようにする。

 一年生たちが作ってきたのは二枚。前年のテーマを踏まえて『ごみは持って帰ろう』の標語が書いてあるものと、酔っ払った赤ら顔の人がふらふらと歩いているイラストと『お祭りで飲み過ぎ注意』と書いてあるもの。特に後者はハナ先生のツボに入ったらしい。

「ちょっとちょっと、このポスター書いたの誰?」

「俺でーっす」

「あんた、いいセンスしてるねえ。これ、町内会のテント前に貼りたいわあ」

 それからは授業が脱線しやすいことに定評のあるハナ先生が、兎ヶ丘出身であることや町内会の人と顔見知りであることを話していた。町内会の人たちは毎年例大祭でお酒を飲みすぎて潰れるから仕事にならないんだと笑っている。

「これ。貼りたいねえ。私のイチオシだよ」

 数分ほどハナ先生に逸れたものの、最後は飲み過ぎ注意ポスターを讃えて終わった。

「じゃ次は二年生だ。今年はねえ、随分と頑張っているみたいだから楽しみなんだよ」

 一年生のポスターが出たところで今度は二年生。ハナ先生が『二年生は頑張っている』なんて言うから、他のクラスでも作ってきたのかと思ったが、二年生で立ち上がったのは私たちだけだった。

 二年生からの提出は四枚。防犯がテーマのポスターが三枚と、古手川さんと藤野さんが合流する前に作ったごみ問題がテーマが一枚。鷺山の目をモデルにしたポスターを貼ると教室がざわついた。

「すごいねえ、これ。鬼塚さんが作ったの?」

 四枚をまじまじと眺めていたハナ先生が呟く。見上げていたのは目のポスターだった。

「私たち五人で作りました」

「おや。誰かと一緒に作るのは面倒だって言っていたのに、気が変わったのかい?」

 ハナ先生のところに行った時は一人でやる予定だった。それが増えに増えて五人だ。先生が驚くのも無理はない。

 私は席に戻った。全て出揃ったところでハナ先生が教卓の前に立つ。

「今年は面白いね。毎年似たようなものばかりだったけれど、色んなアイデアが出るじゃないか。これなら三枚どころか全部貼りたいぐらいだよ。作ってきてくれた子たち、ありがとうね」

 さてここからどれが選ばれるのか。一年生が手をあげた。

「テーマが三つあるので、それぞれのテーマから一枚ずつ選んだらどうでしょうか」

「ごみ問題、防犯、飲み過ぎ注意の三つだね。先生もそれでいいと思うよ」

 これに異論を唱える者はいない。となれば私たちが作ったものから一枚は選ばれることになる。掲載されてほしいと願っていたので嬉しいけれど、心中は複雑だった。

 できることなら。お気に入りのものが選ばれてほしい。三枚どれも好きだけれど、鷺山の目を書いたやつは別格だから。心の中で強く願った。


 打ち合わせが終わって、生徒たちが次々と教室を出て行く。私はまだぼんやりと椅子に座ったままだった。

「香澄さん、お疲れ様でした」

 鷺山に声をかけられて振り返る。彼は鞄を肩にかけていた。

「ポスター選ばれてよかったですね」

「……うん」

 結局、選ばれたのは二枚目の、三人が合流してから作ったポスターだった。未来を変えるために防犯テーマのポスターを出すと決めていたので、その目的は叶ったけれど、気に入っていたものが選ばれず複雑な気分だった。

「これで、未来が変わるといいね。強盗が藤野さんの家に入らない、何も起きない未来になってほしい」

 鷺山は頷かなかった。食い入るようなまなざしをこちらに向けて固まっている。真正面から観察されるのは居心地悪い。

「どうしたの? じっと見られると困るんだけど」

「あまり喜んでいないように見えたので。何か気になることがありましたか?」

 私は首を横に振った。本音を口にすることはできなかった。もしも三人が聞けば、手伝ってくれた厚意に傷をつけてしまう。

 今日は剣道部も美術部もあるらしく、三人とも帰り支度をしていた。教室を出てしまう前に挨拶をしようと立ち上がり、そこで一年生たちの会話が聞こえた。

「肝試しの日、動画撮りながら参加したいんだよな」

「いいじゃん。衝撃映像タグつけて投稿したら人気でるんじゃね?」

「当日も結構人数集まるしよ、やべーの撮れるぞ」

 内容は一年生有志で行われる肝試しについてだ。聞こえてしまっただけで不快になる嫌な話。

 これは藤野さんらにも聞こえたらしい。一年生の話に気を引かれて振り返った三人と視線が合ってしまった。古手川さんがこちらに寄ってきて、耳打ちをする。

「ねえ、鬼塚さん。今の聞いた?」

「聞いた、けど」

「肝試しやるそうだけど……いいの?」

「私が言ったところで中止にならないでしょ」

 古手川さんは私にどんな返答を求めていたのかわからない。急かすようなまなざしは次第に弱くなって、諦念に変わる。短くため息をついていた。

「……中止になればいいのに」

 そう言われたって私に何ができる。彼らの前で、また言い争いをすればいいのか。それでもきっと中止にならず、むしろ加速するだろう。だからどうしようもできない。

「じゃあ私、部活に行くから」

「うん。またね――藤野さんと篠原も、部活頑張って」

 古手川さんだけでなく剣道部組にも声をかける。篠原は「おう」と返事をして去っていった。

 三人が去るのを見届けた後は、私の番だ。机に置いたままの鞄を取りに戻って、鷺山に聞く。

「帰る?」

「はい」

「じゃ、一緒に帰ろう」

 一年生たちはまだ肝試しのことを話していたけれど無視して教室を出た。


 それぞれの下駄箱で靴を履き替えていると、廊下の向こうから声がした。

「おーい。鬼塚さん、鷺山くん」

 聞き慣れた声に見やれば、それはハナ先生だった。

「ちょうどよかった。少し話したいと思っててさ」

「僕たちにですか?」

「そうそう。二年B組とC組の一匹狼たちが組むと思わなかったからねえ。何があったのか話を聞きたくなるじゃない」

 一匹狼たちとまとめられた私たちは、ぽかんとしてハナ先生の話を聞いていた。

「鬼塚さんはやたらとポスター張り切っていたし、鷺山くんだって提出期限延長を頼んでくるし、驚くことばかりだよ。一匹狼たちが急に動き出したんだから理由があるんだろう?」

「伝えたいテーマがあっただけです」

 鷺山は簡潔に答えて、予知のことには触れなかった。

「『防犯対策』があんたたちの伝えたいことかい? 確かにお祭りの時は気が緩む時期だね」

「どんな町だって事件は発生します。兎ヶ丘も例外ではありません」

「なるほどね。それがあんたたちを動かしたのか」

 ハナ先生は納得したらしく、しみじみと呟いている。

「いいことだよ。常に集団行動しろとは言わないけどね、やりたいことがある時は誰かに頼ることも必要だ。伝えたいテーマのためにポスター作りの仲間を集めたことはいいことだと思う。二人は個人行動派だからね。協調性は大事だ。うん」

 そして矛先は私に向けられる。ハナ先生は私を見つめて続けた。

「三枚目のポスター。目だけ書いてあるやつ。あれを考えたのは誰?」

「私です」

「いいセンスだよ。あんた、そういう才能あるんじゃないかい? 四枚掲示できたらね、迷わずあれを推すんだけど」

 その言葉は、陰鬱としていた私の心に差す光のようだった。これを逃したらいけないと、咄嗟に口が動く。

「あの。掲示枚数を増やしてもらうことってできませんか?」

「増やす?」

「私はあのポスターを貼りたいです。あれならお祭りの夜でも目立ちます。町内会の方にお願いして、なんとか貼ってもらうことはできませんか?」

 お気に入りのあのポスターをまだ諦めたくない。少しでも望みがあるのならそれに賭けたいから、夢中で先生に詰め寄っていた。

「お願いします!」

 勢いよく頭をさげる。

 鷺山も先生も何も言わない静かな空気におそるおそる顔をあげれば、先生の表情には困惑の色が浮かんでいた。

「って言われてもねえ……」

 これはだめかもしれない。悔しさに唇を噛んだ時、隣で鷺山が動いた。

「僕からもお願いします」

 私と鷺山といった一匹狼たちが我を通すため頭を下げる。それは珍しい場面だったことだろう。先生は困惑していた。少し考えこんだ後「顔をあげて」と落ち着いた声音で続ける。

「本当に驚くことばかりだよ。鷺山くんは天然一匹狼だから仕方ないにしても、鬼塚さんは根っこが深いと思っていたんだ。誰も近寄らないんじゃなくて遠ざける、そういう過ごし方をしてきただろう?」

「……はい」

「それがこの熱意だよ。あんたらの担任が見たらひっくり返るんじゃないかい」

 ハナ先生は笑った。安心しているような微笑みをして、優しく頷く。

「今回だけ、私も協力するよ」

「あ……ありがとうございます!」

「でも、私がやるのは道を開けることだけ――明日の夕方、兎ヶ丘会館で町内会会議があってね。毎年、兎ヶ丘高校の代表として私だけ行くんだけど、今回は特別に連れていくよ」

「私たちも行っていいんですか?」

「ポスターを四枚貼るためには町内会の許可を得ないといけないからね。どうしても貼りたいのなら自分で説得すること。先生が協力できるのはそれだけだから、後はあんたたちの想いをぶつけて許可をもらっておいで」

 諦めずに済む。それに町内会の人たちと顔を合わせることができれば、二十二日の有益な情報が得られるかもしれない。これは大きなチャンスだ。

「行きます」

 力強く答えると、ハナ先生は目を細めた。

「いい返事だね。鷺山くんは?」

「大丈夫です。僕も同行させてください」

「じゃあ決まりだ。鬼塚さんグループの残る三人はどうしようかね。剣道部顧問は山田先生だから頼めば篠原くんと藤野さんを貸してもらえるかな。古手川さんは美術部だったよねえ、えーっと美術部顧問は……」

 これに三人も加われば心強い。先生が与えてくれたこのチャンスを無駄にしないよう、明日は頑張らなければ。決意を胸に、もう一度先生にお礼を告げた。


 学校を出て帰り道を行く。外周を走る運動部の声が聞こえなくなるぐらい遠くまで歩いてから、鷺山が口を開いた。

「ポスターが決まっても喜んでいなかったのは、お気に入りのやつが選ばれなかったからだったんですね」

「うん。貼ってほしかった。諦めたくなかったから」

「本来の目的は藤野さんの家に不審者が入らないよう防犯ポスターを貼ることですよね。一枚採用されているから目的は達成されているのに、もう一枚追加してほしいと頼むのが理解できません」

 呆れているような物言いだった。でも鷺山の言う通りで、当初の目的は達成しているから私の行動が理解できないのは仕方ないことだと思う。

「自分で描いておきながら言うのもおかしいけど、あの目が綺麗なの。予知とか未来とか関係なく貼ってほしかった。これは私のわがまま」

「なるほど」

 ぐ、と眼鏡を持ち上げている。少しうつむき気味なのは、目元を隠すためかもしれない。

「香澄さんは諦めが悪くてわがままを貫く一面もあるのだと覚えておきます」

 その言い方をされると、ストーカーに情報を与えてしまったような妙な気分だ。

 ハナ先生からもらったチャンスは一人だけで掴んだものではない。先生の心を動かしたのは、鷺山も頭を下げてくれたから。それを思いだし、鷺山にお礼をした。

「鷺山も、ハナ先生に頼んでくれてありがとう」

「いえ。香澄さんの力になれてよかったです」

 柔らかな言葉を口にしながら、表情は変わらず固いまま。こんな時ぐらい微笑んでくれてもいいのに。

 教室を出た時の沈んでいた気持ちは晴れて、誰かと笑い合ったり、色んな話がしたい気分だった。浮き足立っているといえばその通り。

「ゲンちゃん元気にしてるの?」

「誰ですか」

「ゲンゴロウ。メスなのに変な名前つけられて可哀想だからゲンちゃんって呼ぼうかなって」

「変なあだ名ですね……ゲンゴロウなら元気ですよ。毎日可愛くて仕方ないです」

「鷺山がうさぎを飼っているなんて、藤野さんたちが聞いたら驚きそうだね。篠原なんて固まりそう」

 鷺山がもふもふのうさぎを愛でているなんて、誰も想像できないだろう。三人が鷺山に抱くイメージは変なものばかりだから。

「驚くことはないと思いますけど。僕は普通ですから」

「いやいや、普通じゃない。変わってる。小学校の幽霊話よりも鷺山が幽霊って言われた方が納得しちゃうぐらい」

 これは以前藤野さんたちと話していたことで、もちろん鷺山のことを幽霊と思っているわけじゃない。幽霊はいないのだと信じているから、私なりの冗談だったけれど。

 鷺山は足を止めて、こちらをじいと見る。

「僕が……幽霊」

「例え話だけどね。幽霊はいないって信じてるから」

「僕が幽霊だと思うなら……試してください」

 一体何を試す。疑問符が頭に浮かぶと同時に、手を掴まれた。

 理解できぬまに引っ張られて――辿り着いたのは鷺山の首だった。指先に伝わる柔らかな感触が、一瞬で私の頭を混乱させた。

「な、何してんの!?」

「幽霊だと疑われたので脈で証明しようと思いまして」

「は? だからって首に……」

「頸部なら総頸動脈に触れられるので。どうぞ脈を測って確かめてください」

 幽霊ではない証明として脈を測らせるとはいかがなものか。百歩譲って脈拍測定で実在証明をするとしても、事前に「脈測って」と言えばいいのに。

 ああもう、何をしているんだ私たちは。

 苛立ちと呆れが合わさって頭の中は大混乱。パニックだ。他人の首って簡単に触れるものじゃないと思う。

 それでも。指先にじわりと伝わる温度が心地よくて、薄い皮膚の奥で脈打つもの。とくとく、小気味よく刻まれる音は、鷺山が生きている証だ。

「……生きてる」

「僕は生きていますよ、間違いなく」

「うん……変なこと言ってごめん」

「まったくです。変な話に影響されないでくださいね」

 生きているってわかったのだから離れてもいいのに。鷺山はまだ手を掴んだままだったし、私ももう少し触れていたいとなぜか思った。たぶんこの音と柔らかな皮膚の温度が心地よいから。首に触れているこの距離なら、綺麗な瞳だって見える。鷺山と私の身長差だってよく伝わる。

「これって幽霊じゃない証明になる?」

「わかりません。思いついたのはこれでした」

「柔らかい」

「首は皮膚が柔らかいので」

 とくん、とくん。指に伝わる音。

 生きている。私たちは九月の風よりも暑い。

「……でもさ。脈を測るなら手首でよかったんじゃない?」

 思い立って聞くと、鷺山はあっさり「そうですね」と言って私の手を離した。離れれば名残惜しい気持ちと恥ずかしさがこみ上げてくる。鷺山の顔は見られそうになかった。

「また不安になったら言ってください。脈、測っていいですから」

「今度は手首で測る?」

「……どちらでもお任せします」

 鷺山は私に背を向けて、そう言った。平然としたいつも通りの声音だけれど、こちらを向いてはくれない。

 別に私は脈拍測定が好きなわけではない。今後、鷺山が幽霊かもしれないと疑うことはないから、証明のために脈を測ることはないけれど。

「じゃ、首がいい」

 手首よりも首の方がいいと、なぜか思った。

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