表現と結晶
眠い
上・1
今でも思い出す記憶がある。それは私が幼稚園児の頃の話だ。
床にしゃがんで画用紙を敷き、私はひとり絵を書いていた。ふと、ある女の先生が「何を描いているの」と聞き、近づいてきた。私はそれに答えようとした。しかし、聞かれて初めて気づいたのだが、自分が何を描いているのかわからなかった。無論、今ならわかる。動物の絵を描きたかったのだ。正確に言うなら、当時持ってた図鑑で見た、アフリカに生息するトカゲの絵を描きたかったのだ。私はその名前も知らぬまま描いていた。
「あの、えと」あるいは「これはね、その」など。そんな風にどもりながら、私はあたふたしてしまった。あまりにも突然のことな気がしたから。先生は、「どうしたの?」とか、「緊張しなくていいよ」とか、色々と気を遣ってくれた。しかし、幼い私には、それが癪に触った。別にどうもしてないし、緊張しているつもりもなかったから。私はじっと先生を見つめた。ただ何を言えばわからず、あたふたしているだけなのを理解して欲しかった。
無論、それも伝わらなかった。ただ時間だけが過ぎていった。私は焦った。何故かはわからないが、次第に心臓の音が大きくなった。たった数分のことのはずなのに、それは数時間のことのように思われた。やがて、泣き出してしまった。何故自分が泣いているのかもわからぬまま、大泣きした。何度も泣くのをやめようと思った。しかし、そう思うほど涙が止まらなかった。先生は困ったように笑いながら、私を慰めた。
家に帰ると、真っ先に図鑑を開き、例のトカゲの名前を調べた。自分でも驚くほど胸が晴れやかな気持ちで満たされるのを感じた。これで先生に説明ができる。そう思うと、なんだか嬉しいような、誇らしいような気持ちでいっぱいになった。まだ何もしていないのに、既に成し遂げた気分に酔っていた。
次の日、私は図鑑を持って幼稚園に向かった。そしてお昼休みが来ると、先生に図鑑を差し出した。「どうしたの?」と先生が聞いた。該当するページを黙って開き、私は問題のトカゲを指で示した。いつもの通り、「ん!」と言いながら。先生はまず私の指を見た。次に私の顔を見た。最後に、大泣きした時と同様、困ったような笑顔でこちらを見つめた。私はすぐその意味を理解した。そして「何故こんな簡単なことも分からないんだ」という気持ちに駆られ、怒った。その場で地団駄を踏んだ。先生がまた「どうしたの?」と聞く。より大きな声で「ん!」とトカゲを指さす。するとまた、先生は困ったような顔で笑うのだった。
結局、その日は私の言いたいことが何も伝わなかった。
夜が来ても、すぐには寝付けなかった。何故先生が私の気持ちを理解してくれぬのか、わからなかった。しかし何度目かも知らぬ寝返りを打った後、不意にその意味を理解した。そうか。言葉にしないといいたいことは伝わないのか。私には次の日の目標ができた。「あの時ぼくが描きたかったのはこのトカゲなんだ」と、先生に伝えねばならなかった。
それから安堵が襲い、ついで睡魔が現れた。私は夢も見ずにぐっすりと眠った。
明くる日もまた図鑑を持っていった。しかし、昨晩の目標は達成されなかった。来る日も来る日も、私は図鑑を持ち込んだが、いつかの夜半の目標が達成されることは決してなかった。頭の中では既に沢山の言葉が浮かび上がっていた。いうべき言葉は用意されていた。にも関わらず、先生を前にすると、何も上手く言えないのだ。ただあの時と同じように、何度も指でトカゲの写真を示すことしか出来なかった。変わったことといえば、「ん!」から「あが、あが」とか、そんな感じの発生音(何かを言おうとして何も言えなかった時に特有のどもり) ばかりが口からこぼれた。幼いながらに、それが悔しかった。
以後、私はまた何度も泣き出す羽目になった。その度に、先生はまたあの困ったような笑顔を見せるのだった。
読書とは、自分の語るべき言葉を見つける作業である。今でも思い出す一連の幼い日々の記憶は、もしかすると後になって恣意的に思い出すようになったものかもしれない。あまりにも印象的な出来事に遭ってしまうと、それを理由づけてくれる過去の因果を探さずにいられないものである。しかし、そんな事はどうでもいい。今話したいことはそれではない。
何にせよ、今日までの人生において、表現の問題が絶えず付きまとっていたこと。それは事実のように思われる。頭で思っていることをそのまま語ろうとすると、何故だか上手く話せない。せっかく用意したセリフがあるのに、いざ口にしようとするともごもごしてしまう。言葉に詰まってしまう。だから結局、何が言いたいのかが伝わらない。そんな経験を、今日まで何度してきたか知らない。
少年の日を振り返ると、自分がいつも自由に憧れていたことに気がつく。幼少期にしてもそうだ。私は、自分をどもらせるものから早く自由になることを願った。私の自由は、常に私の身振りの内に含まれているのだから。そしてかつての私にとって、自由になるとは大人になることと同義であった。早く大人になりたかった。大人になって自由になりたかった。あるいはむしろ、大人である以外になんの取り柄もない人間から認められたかった。皆の仲間入りをしたかった。しかし、私には一つの問題があった。皆の仲間に入ろうとして口を開くと、その都度何も上手く言えないのである。
今ではすっかり読まなくなったが、昔は小説を読むのが好きだった。特に思春期から二十二歳くらいまでの頃はよく読んだ。かつての私は、自分が愛する小説の中に、自分が今突き当たっている難問を読み解くヒントがあるのだと信じ込んでいた。事実、優れた小説は数多のことを教えてくれた。トルストイとプルーストがどれほどのことを私に教えてくれたか、それは言い尽くせない話だ。しかしそれでも、結局いつも突き当たるのは同じ問題であった。そう、表現の問題だ。
私がトルストイを愛したのは、彼が感覚の描写に非常に長けていたからだ。『アンナ・カレーニナ』の終盤部分で、アンナは絶えずヴロンスキーの浮気を疑っている。別にヴロンスキーが何かしたわけではなく、ただ前よりアンナを愛さなくなった気がするから、疑わずにはいられないのである。あまりにも強い妄想は、現実での出来事と同じくらいの作用を持つ。アンナはヴロンスキーの浮気を疑うあまり、次第に相手が本当に浮気しているのだと信じてしまう。これに似た指摘は既にヒュームによってなされていた。人は同じ嘘を何度もついていると、次第にその嘘が本当のことだと信じ込んでしまうのである。アンナが実際にヴロンスキーが浮気しているかのように振る舞い、困らせた理由がここにある。
書くという行為は、語るべき言葉を持たない者へと向けられた未来への投げかけである。トルストイの偉大さは、私の語りえない感覚を言語化可能にした点にある。この世界とは、表現の舞台である。感覚の描写が与える感動は、こちらがそれを知りながらも、上手く言い表せなかったからこそ生じる。文学の目的は、言語化不可能なものを言語化可能にすることにある。不可視なものを可視化すること、感覚を描写すること。それは表現の問題に属する。
ふと、窓の外を見た。夕暮れが黄金に燃え、揺れていた。そうか、もう一日が終わるのか。「無論、人生とは崩壊の過程である」とは、かつてフィッツジェラルドが書いた言葉だ。外の世界が黄昏にのまれていく。夕暮れを眺めていると、自分がフィッツジェラルドの小説の主人公であるような気がしてくる。
無論、私はギャツビーではない。しかし夕暮れの美しさ、分離した昼と夜が混ざり合い、それが再び離れていく一瞬の美しさには、なにか人を狂わせるものがある。そんな気がするのだ。一切を元通りにする。夕暮れを眺めながら、ギャツビーはそう口にした。今の私なら、彼の気持ちがわかるかもしれない。
しかし、私は一体何を書いているのだろうか。まるで小説らしからぬ始まり方をしてしまった。信じてくれないかもしれないが、実は今小説を書こうとしているのである。この一連の文章は、やがて完成する物語の冒頭を飾るはずであった。しかし、それはあまりにも感傷的な文句で埋め尽くされてしまったようだ。
そもそも何故小説を書こうと思ったのか。先程、既に「今はまるで小説を読んでいない」と書いたではないか。そう、実を言うと、何故小説を書こうと思い立ったのか、自分でもそれがよくわからないのである。それに最近読まないのは小説だけではない。本それ自体をしばらく開かない生活が続いている。ただベッドに寝転がって、ボーっとして過ごしてばかりいた。しかし、不意にある小説の一節を思い出した。そしてそれが頭から離れなくなった。私はそれを確かめようと思い、本棚に向かった。該当する本が見つかったから手に取ると、埃が積もっていることに気がついた。久しぶりに開く本はカビ臭かった。そしてその本をしばらく読んだ。
やがて私は窓辺に向かい、もうずっと閉めたままであったカーテンを開けた。それから窓辺に置かれた椅子に座り、もう何か月も前から机に置かれていたノートを開いた。ノートには何も書かれていなかった。そしてここに、一切を書き尽くそうと思ったのである。
机の上にはひび割れた鏡が置かれていた。しかし、それは埃に曇ったままであった。拭うと、思わずゾッとした。既に一週間以上は風呂に入っていないし、飯もろくに食べていなかった。だからだろう。私は初めて、自分が酷くやつれていて、髪も脂ぎっていて、髭もボサボサであることに気がついた。どうやら続きを書く前に、一度身体を洗いに行かなければならないらしい。
私は一度筆を置き、浴室へ向かった。湯船はカビだらけで、大変汚かった。
人は印象的なものと真実的なものを混同して考える。あるいはむしろ、印象的なものを真実だと考えたがる傾向にある。そう言い換えてもいい。シャワーを浴びながら、何故かそんなことばかり頭に浮かんでいた。
それはラスコーリニコフが直観的に他者との断絶を感じるあの瞬間である。確か『罪と罰』の冒頭にそのような場面があったはずだ。他者を前にしながら、ラスコーリニコフは自分が今後決して誰とも理解し合えないということを痛感する。彼がそれに絶望するのは、知性によってではなく、直観的にそれを理解するからだ。もとい、直感的であるからこそ、それを否定する言葉が何処にもないのである。
印象と真実が交差する地点では、ある結晶作用が働いている。経験あるいは過去を振り返った時にしか現存するものについて考えられない以上、存在するものとは存在していたものでしかない。可能性はいつも、この現存しているものを知ってからしか生まれ得ないのである。「何故あれであってこれでないのか」「それがあるならこれもあるのではないか」など。人が別の世界の可能性について考え始めるのは、まさに存在しているものに、存在していたものに触れてからである。
現実世界と可能世界が交差する時、時間の結晶が生まれる。現在は絶えず行動とその反省によって二重化される運命にある。経験、そしてそこから見える可能性。その二つが絶えず混じり合い、交差し、識別不可能な点で自らを凝固させるのだ。自分の過去を振り返っても、何が現実であり、何が思い込みなのか、わからなくなる時がある。かつて信じていた世界がそこにある。しかし時間の経過と共に、それを打ち壊すような経験に直面することになるのである。私の真実は偽に変わる。それはこの世界が崩れ落ちる瞬間である。
その時、時間の結晶は砕ける。実在するもの、そして可能性でしかないものが鏡の中で乱射して、お互いに反映し合う中、それを打ち砕く何かが不意にやってくる。そして私は、この結晶を割ることによってしか、何が真実で何が嘘なのかを見分けることは出来ない。時間の結晶は確かに美しいが、しかし結晶は死しか引き止めない。実在と可能性が混じりあった結晶の内部は、不透明で濁っている。素敵な思い出に浸るのは楽しいが、しかしそれでは現在を腐らせるばかりだ。だからこそ、過去を美しく着飾るためについた嘘を打ち砕かなければならない。目を逸らした部分に目を向け、覆い隠した部分を暴かなければならないのだ。
時には死によって結晶が打ち砕かれることがある。『市民ケーン』の主人公は身をもってそれを証明してくれた。世の成功者となったミスター・ケーンは、富、名声、権力のすべてを手に入れたが、しかし彼の心は満たされないままだった。彼は幼い頃に印象的であったもの、存在すると信じていた世界に囚われていたのである。だから大人になったケーンは必死になってその面影を探した。そして自分の過去の償いを現在の誰かに求めようとした。しかし誰も彼の期待に応えることは出来なかった。だからこそ、ケーンが死ぬ時、結晶は割れるのである。何故なら、時間の結晶はまさにケーンと共にしか存在しないからだ。
これは結晶の問題と呼ぶべきものだ。形は違えど、『夏の嵐』もそれを描いている。映画の前半を占めるのは、美しい恋愛の描写と、それを彩るブルックナーの交響曲、そして一切を陶酔の深みへと向かわせるような舞台演出である。水面の上では月光が揺れ、鏡の内側では愛する人が反射している。しかしこの美しい結晶体は、映画の後半によって打ち砕かれる。恋人の口から真実が語られる時、主人公は自分がずっと騙されていたことに気がつく。やがて彼女は夜の街をひとり彷徨する、自分を裏切った男に報復をした後に。
結晶の外に出なければならない……ただし、それは必ず何かを喪失することに繋がる。結晶の外に出ることは、かつての自分には真実であったものを放棄することだからだ。それを拒むならば、私は結晶の内で死に絶えるしかない。
悲哀か結晶か、喪失か死か。ひび割れた結晶は、時に芸術作品の誕生に繋がる。創造行為は、いつも遅すぎた時を償うために生じるのだから。それを踏まえるならば、『失われた時を求めて』は決して過去の探求、記憶の探求の物語ではない。むしろそれは喪失を、失われた時を償う未来を呼び求める物語なのだ。現在は逃れ、過去は消えさっていくが、記憶は残り続ける。時間の結晶が形成される。それはあまりにも美しいが、しかしこちらが持つあらゆる力を奪い去っていくものだ。あまりにも多くのものが過ぎ去った後、やっと自分が間違っていたことに気がつく。しかし結晶の虚しさに気づいた時には、既に一切が遅い。あまりにも遅すぎるのだ。沢山の時間が失われてしまった。沢山の時間を無駄に過ごしてしまった。失われた時は帰ってこない。
しかし、ならばそれを償い、覆すほどのものを求めなければならない。芸術作品は嘆きから生まれるのだ。事実、人は失望した時にしか何かを学び、何かを求めようとしないのかもしれないから。
しかし、あまりにも感情的になりすぎたようだ。一旦水でも飲んで、落ち着こうと思う。
日が暮れてゆく。金色の夕暮れは地平に沈み、漂う薄紫が夜の始まりを告げていた。暗がりへと向かう天体は星々の輝きを浮かび上がらせた。昼が終わり、夜が訪れようとしている。夕暮れは最早、私の見張りをしてくれないようだ。
もう都会に来て六年以上になる。恐らく、私のような若者はいつの時代にもいるに違いない。都市での生活を通して、見事に打ち負かされたような若者である。では一体何に負けたのか。それは他ならない、生活に負けたのである。あるいは運命に負けたと言っていいかもしれない。孤独な都市生活を続けた末に、やっと見いだした結論がそれであった。私は努力した。そのはずだった。しかし気がつけば、私は負けていたのだった。最初は自分が特別だと思っていた。しかし気がつけば、夢を追いかけて見事に堕落していったそこらの若者と大差なかった。否、もしかすると初めからそうだったのかもしれない。しかし、それに気づいた時には、もう何もかもが手遅れだった。かつては自分のすることに、何か途方もない意味が込められていると思っていた。これからすることにだって、歴史的に見て重要な意味が与えられているような気がしていた。しかし、結局どれも誇大妄想であった。そして私が味わったのは、成功でもなければ失敗でもなく、失望であった。やがて自分が思っているような人間ではないことに気がついた。
スピーカーに電源を入れ、マーラーの全集を流す。クーベリックの指揮する壮麗なオーケストラの音色が流れてくる。背もたれに重心を寄せ、天井を眺め始めた。言葉が語らないことは沈黙が語る。歌においては、詩の余白こそが表現となる。歌詞とそれを唄う声が語り切れない内容を、背景が語る。だからこそ、歌のある音楽は一つの閉じた世界を形成する。そして、たとえ歌がない場合でも、音楽はそれ自体が感情の運動となりうる。マーラーの交響曲は、生活の敗残者となった私の語りえないもののすべてを歌ってくれる。何もない天井を眺めながら、私はひとり勝手に悲しげな人間の演技をし始めていた。そして机の右手側に置かれた一冊の小説を取った。それは私がこれを書こうと決した本であった。
小説……そう、小説。忘れていた。私は小説を書くつもりでいたのだ。しかし、これはもう小説と呼べるのだろうか。一体自分が何を書こうとしてるのかもわかっていないのに。
それでも不思議なことに、私は書くことをやめる気になれないでいる。否、今は何としてでも書かなければならないと思っている。何をか。他でもない、自分の力の及ぶ限りのすべてをである。
文学は表現の問題に属する。しかし、それは決して感情の表現ではない。文学の目的、それは力を描くことだ。感覚を描写すること、言語化不可能なものを言語化可能にすることは、個々人を通して表出する力の運動を描くということに他ならない。そういう意味では、文学は決して美しい夢でもなければ、甘くやさしい閉じた世界の実現でもない。もし私が文学作品を書くならば、「私」という人間を通して体験された力の運動を描かなければならない。文学とは経験に先立ち、経験を乗り越え、経験を覆す領域の探求であるのだから。
事実、経験を語るなんて馬鹿らしい話だ。大切なのは経験を乗り越えて何かを語ろうとすることだ。私の経験の中には、今の私では経験不可能な領域が、理解不可能な領野が存在する。悲しい体験をした時、体験それ自体が持つ意味よりも、体験を通して得られた悲しげな印象のことばかりを考えてしまう。そして悲しみに囚われた時、人はこの世界の真実が全て悲しみにあるような気がしてくるものである。悲しみの人間は、この世界に復讐することを求める。自分を悲しませる原因であるこの世界を否定し、無かったことにしたいと願うのだ。
しかし、人が何かに突き動かされる時、自分が何に突き動かされているかわからない場合が多い。あるいはむしろ、何が自分を突き動かすのかが分からないからこそ、人は何かをすると言える。そして、自分を突き動かすものの正体がわかった時、むしろ人は何もしなくなるのである。悲しみの人間もこれと同じである。悲しみのメカニズム、悲しみのプログラムを理解することで、自分が馬鹿なことをしていたと気づく場合がある。嫉妬に気づかず他人を責めていた人間は、ある日自分がどれだけ嫉妬深いかに気づくと、少なくとも以前よりは他人を攻撃しなくなる。泣いている赤ん坊に同じ「泣いている赤ん坊」の映像を見せると、その赤ん坊は泣き止むという。そんな話をかつて聞いたことがある。自分の醜さに気づいた時、人はその醜さから立ち去ろうとするのだ。
力を描くということは、人が感覚する時のメカニズムを描き、あるいは人を突き動かす感情の流れを生み出すことだ。悲しみに囚われた時、人はいかなる態度を示すか。あるいは、悲しみに置かれた人間を突き動かす新しい感情の流れを、いかにして作品の中で生み出すか。それに触れることによって、人は悲しんでいる時の自らの姿を発見し、背中を押されるようにしてそこから抜け出そうとする自らの姿を発見する。音楽の偉大さは、自分がそれまで感じていなかった感情までもを感じさせる点にある。美しいラブソングを聴くと、自分が経験したことの無い恋愛の思い出まで想起してしまう。ショパンの音楽を聴くと、記憶にない失恋の経験について考え始めてしまう。音楽の偉大さは、こちらに新しい感覚を与え、それまで考えなかったことを考えさせること、新しい運動を生み出すことにある (それを踏まえるならば、音楽は決して「人生のBGM」なんかではない。音楽はむしろ人を常に新しい方向へと導く出来事である)。
書いていたらお腹が空いてきた。食糧を買うために、久しぶりに外へ出た。コンビニに入ると、懐かしい曲が流れていた。私が中学生の頃に流行っていた曲だ。特別好きでもなかったのだが、聴いていると何だか感傷的な気分になってきた。ポピュラー音楽の歌詞は観念論である。いつも愛とか、永遠とか、優しさとか、そんなことばかりを歌っている。しかも、どれも皆が理想とするようなシチュエーションである。変わらない愛、永遠の思い出、本当の優しさ、など。あまりにもベタなのだが、しかしだからこそヒットチューンが量産され続けるのだろう。現実生活にこれらがないことは誰もが理解している。
しかし、だからと言って、これが私の感傷的になった理由ではない。中学の頃は聴いてもなんとも思わなかった曲に対して、ある種の懐かしさを感じたからだ。無知な子供だった私は、ポピュラー音楽が教える観念論を心の底から信じていた。よって私が涙ぐんだ理由は、過去を美化すると同時に、美化された過去を羨んでいたからだということにもなる。特にいい思い出があったわけでもないくせに、素直に何かを信じることの出来た子供時代の自分が羨ましかった。
果たして私は考えすぎなのか?ならば教えてほしい。一体何故なのか。何故私には、皆が共感する歌の中で歌われているものが手に入らなかったのか。そんな特別なものは求めたつもりはないのである。にも関わらず、何故私は失敗し、上手くいかなかったのだろう。
Xは一緒にいる時にシューマンを流すことがあった。私がマーラーが好きだと言うと、よく笑われてしまった。Xは私にとって、たった一人の友達だった。
「自意識過剰な君にぴったりだね」
「うるさいな。君もシューマンが好きなんだし、似たようなもんだろう」
「そうかな?そんなこともないと思うけど」
そう言うと、Xはスピーカーの傍により、シューマンの歌曲を流した。何かが夜の間に失われる。身を守り、気をつけて目を覚ましていなさい……。ピアノの伴奏の傍らで、男性歌手がそのようなドイツ語を歌っていた。
「私がシューマン好きな理由、わかる?」
「いや、わからないな」
「それはね」
もったいぶった口調で、含みを持たせた後に、続けて言った。
「無論、人生は崩壊の過程であるから、かな」
家に着くと、再び続きを書き始めた。これではまるで自伝みたいだが、自伝を書くつもりは更々ない。最初からそうだ。私の人生なんて、誰の興味も引かないだろう。勿論、理由はそれだけでない。自伝や私小説ほど馬鹿らしいものはないからだ。
自らについて語ることには自己愛の問題が付きまとう。文章を書くとは演出することだ。どんな書き手も読み手に与える印象を考慮せずにいることなど出来ない。書くという行為には印象操作の問題が付きまとう。よって、もし自らについて語るなら、作者はある程度自分自身に対して無関心であることが求められる。この世に美しい自叙伝、美しい私小説があるとすれば、それは作者が自分に関心を持たない作品である。
執筆と印象操作の問題が切り離せない以上、文学にはナルシズムの問題が付きまとうこととなる。間接的であろうとも自分の考えを語らなければならない作者は、それをどれだけ説得力のあるものにするか、あるいはどれだけ美しく見せるかを考えることとなる。それは読み手に与える印象を、効果を考慮することの代償である。書くという行為には演じるということ、騙すということと密接な関係にあるのだ。よって優れた文筆家は、それだけ美しい言葉で人を騙すのが上手い者あり、自分以外の人間を演じるのが上手い者である。
これは文章を書く上で、人が何らかの形で直面しなければならない問題だ。
不幸な人間にはある特殊なナルシズムがある。不幸な体験をするほど、人は自分の不幸に誇りを抱く傾向にある。不幸が人を特別にする。過去に負った傷の深さ、そしてそれを耐えてきた自分への憐れみ。誰もそれを抱かずに生きることなどできない。自分が容易に理解されることを拒む一方で、誰かに受け入れられることを切望している。自分より辛い過去を持っているのに、自分より楽しそうに生きている者には劣等感を覚える。自分のものよりも特別な不幸が許せないのだ。
この「不幸のナルシズム」とも呼ぶべき現象は、かつて文学が抱えている問題でもあった。否、それは今なお文学によく見られる問題と言っていかもしれない。良心の呵責、罪悪感、悲しみへの趣味は、人が自分を可能な限り弱く見せることに繋がる。こちらの心を揺れ動かすのは、こちらに共感を促す相手の弱さである。私が誰かを愛するなら、それは自分の弱さと相手の弱さの面影が重なるからだ。鋭利で狡猾な知性を持った作家たちは、そのことをよく理解していた。
事実、愛されることを求めて、あるいは名声を求めて、自分を必要以上に弱く見せる人間がどれほどいたか。ある人の善良さとは、そのままある人の弱さの表れである。自らを弱き者であるとして、善良な者であるとして、悲しくも美しい者であるとして演出した作家が、かつてどれほどいたことか。しかも彼らの中には、類まれな才能の持ち主すらいたのである。
ジッドやダンテは極めて優れた文学者であった。しかしこれら不幸のナルシズムの問題に直面した今、彼らのことを心から肯定できないのは明白である。『田園交響楽』は涙無しでは読めない小説であり、『新生』は西洋文学史において傑出した詩文集である。しかし、どちらもどれだけ多くの欺瞞を含んでいることか。作者が自己言及する手段として文学を用いる時、文学は言い訳の手段として援用される。自分を美化して語るための手段になるのだ。『田園交響楽』を書く上で一番苦しんだのは、作者ジッドではなくその妻である (『田園交響楽』で彼女がモデルとなったキャラクターは、思慮がなく主人公達の恋愛を邪魔する存在として描かれている) 。そして、実際のダンテの創作生活を支えたのは、運命の女性ベアトリーチェではなく彼の実際の妻である (にも関わらず、ダンテは死んだベアトリーチェに「あんな女と結婚して」と『神曲』の中で語らせている)。
勿論そのおかげ傑作が生まれたのは事実だ。しかし、都合の悪いことを覆い隠してまで、美しい物語を求める必要はあるのか。誰かの苦しみに無関心でいてまで、この世界を美しく見せる必要はあるのか。かつてトーマス・マンはこう書いた。「自分を大切にするよりも、自分を傷つけた方がずっと道徳的だ」と。マンの小説を熟読していたのも数年前の話になるが、それでも尚、上の言葉は頭に残り続けている。私には、自分を大切にするよりも、自分を傷つけた方がずっと道徳的だと思われる。倫理とは美徳の中にではなく、その反対のもの、危険で有害なもの、こちらを破滅させるもの、悪徳の中に飛び込んで求めなければならないものだ。倫理的な人間とは決して徳の高い人のことではなく、むしろ悪の中の、罪悪の中の冒険家であった。彼らは皆、悲惨を前にして正義を求めようとした偉大な罪人であったのではないか。
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