第110話 こっそり見守る影
どれくらい時間が経っただろうか。
「はあ、ふう……」
歩き方、カーテシー、そしてお辞儀の練習を繰り返し行い、疲労が表情に滲んできたアメリアを見てコリンヌは言う。
「少し休憩にしましょうか」
「あ、ありがとうございますっ」
アメリアがその場にへたり込むと同時に、侍女のシルフィがタオルや水を持ってやってくる。
「アメリア様、大丈夫ですか?」
「うん、平気よ。ありがとう」
シルフィから受け取ったタオルで滲んだ汗を拭くアメリアに、コリンヌは淡々と言う。
「基礎的な形は出来ているのですが、やはり動きがぎこちないですね」
「うっ……」
痛い所をつかれたとばかりにアメリアは言葉を飲み込む。
「重要なのは教科書通りの動きをこなせるかではなく、自然な動作で行えるかです。これはもう、何度も繰り返して身体に覚えさせるしかないでしょう」
「仰る通りです……お手を煩わしてしまい申し訳ございません」
「謝ることはひとつもございません。作法はいかに実践したかによって洗練度が変わって来ます。社交の場にはほとんど顔を出してないのであれば、仕方ありません」
公爵の婚約者にも関わらず、アメリア15歳のデビュタント以降、社交の場に出ていない。
その辺りの事情は把握してくれているようだった。
(確かに仕方がないのかもしれない、けど……)
それを言い訳にして社交の場で醜態を晒すわけにはいかない。
お茶会に出席する貴族たちは、こちらの事情など汲み取ってはくれない。
会場での振る舞いがそのままアメリアに対する評価になる。
そしてその評価は、婚約者であるローガンの評価に紐付いているのだ。
(ローガン様に恥をかかせないよう、頑張らないと……)
そう思うと、身体に力が戻って来た。
水を一気に飲み干し、大きく深呼吸をする。
コリンヌを見て、アメリアは力強く言った。
「休憩はもう大丈夫です。続きをお願い致します」
「やる気充分なのは素晴らしいことですね」
こうしてアメリアは再び、コリンヌの指導のもと礼儀作法のレッスンに戻るのであった。
──そんなアメリアを、扉の隙間からそっと見守る影が二つ。
「アメリア様は順調そうですかな?」
「ああ、おそらく……」
ローガンとその執事、オスカーであった。
「コリンヌは腕は確かだが大分厳しいからな。アメリアの心が折れないか、心配だ」
「ローガン様も幼い頃、こっぴどくやられておりましたからね。いやはや、昨日のことのように思い出せます」
「その記憶は忘れてもらって構わない。むしろ忘れてくれ……」
勘弁してくれとばかりに言うローガンに、オスカーは「ほっほっほ」と笑う。
しかしすぐに表情を真面目なものに戻し、確信めいた声で言った。
「アメリア様なら、きっと大丈夫ですよ。ローガン様も、わかっているでしょう?」
オスカーの言葉に、ローガンは当然とでも言うように頷く。
だがそれでも心配だとばかりに、再びローガンは扉の隙間からアメリアの様子を伺い始めた。
そんなローガンを見て、オスカーは微笑ましげに目を細め、主人に聞こえないくらい小さな声量で呟く。
「ローガン様は本当に、アメリア様のことが……」
◇◇◇
気がつくと、窓の外は夕暮れのオレンジ色に染まっていた。
「今日はこのくらいにしておきましょうか」
コリンヌの一声で、部屋中に張り詰めていた緊張の糸が一気に緩んだ。
身体から力が抜け、そのままぶっ倒れそうになるのを堪え、アメリアは覚えたてのお辞儀をして言った。
「今日は一日、ありがとうございました」
「こちらこそ、ハードな内容にも関わらず付いて来ていただき恐縮です」
授業を終えて若干角の取れた声色のコリンヌに、アメリアは恐る恐る尋ねる。
「それで、あの……お茶会までに、なんとかなりそうでしょうか?」
「絶対とは言えませんね。正直、時間が限られていますので」
「や、やっぱり、そうですよね……」
即答されてしょんぼりするアメリア。
色々とバタバタしていてお茶会のことがすっぽり抜け落ちていた自分を恨んだ。
(こんなことなら、お茶会が決まった時点でローガン様に頼むべきだったわ……)
しょんぼりするアメリアに、コリンヌは安心させるように言う。
「気落ちすることはございませんよ。最低限の見え方にはなると思います」
コリンヌの言葉に、アメリアは顔を上げる。
「基礎的な動作は身についていたようなので、後は細かい部分を改善していけば、それなりにはなると思いますよ。あと今日接した短い時間の中でも、アメリア様は素直で一生懸命な方だとわかったので、特に心配はしておりません」
「ありがとうございます……そう仰っていただけると、嬉しいです」
ほっと、アメリアは安堵の息を漏らした。
その後、コリンヌは上着を羽織って別れの挨拶を口にする。
「さて。ではそろそろ、私はお暇致します。明日もまた来ますので、今日教わったことを自分で復習しておいてくださいね」
「は、はい! 長々とお付き合い頂きありがとうございました!」
「落ち着いた声で」
「ゔっ……はい、ありがとうございました」
「よろしい」
こうして、一日目の礼儀作法の授業を終えた。
先乗りは長そうだが、少しずつ進歩はしている実感を持つアメリアであった。
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